【連載】創造する人のための「旅」
2021.04.27
旅行&音楽ライター:前原利行
インドの国民的ドリンク「チャーイ」| 進化するお茶の飲み方
"創造力"とは、自分自身のルーティーンから抜け出すことから生まれる。コンフォートゾーンを出て、不自由だらけの場所に行くことで自らの環境を強制的に変えられるのが旅行の醍醐味です。異国にいるという緊張の中で受けた新鮮な体験は、きっとあなたに大きな刺激を与え、自分の中で眠っていた何かが引き出されていくのが感じられるでしょう。この連載では、そんな創造力を刺激するための"ここではないどこか"への旅を紹介していきます。
※本文の内容や画像は2000~2018年の紀行をもとにしたものです。
今までインドにはおそらく20回は行っており、撮った写真も膨大にあるが、あらためて探してみると、インドで毎日飲んでいたチャーイの画像がほとんどないのに気づいた。「チャーイ(チャイ)」とはミルクで茶葉を煮出し、砂糖を入れた甘い紅茶で、インドではどこでも飲める国民的な飲み物だ。あまりにも普通にどこでも飲めたので、わざわざ写真に撮っていなかったのだ。今回は中国で飲まれていたお茶が、いかにしてインドの国民的な飲み物になったかを、時間と空間を超えてたどってみる。
中国からイギリスに伝わったお茶
お茶の木であるチャノキの原産地は、インドのアッサム地方、あるいは中国の雲南地方といわれている。ともあれお茶を飲むという習慣が最初に生まれたのは、中国西南部にある雲南地方や隣接する四川地方だったらしい。紀元前に、すでに長江沿いには喫茶の風習が広がっていた。
8世紀の唐代になると北方にも喫茶の習慣が伝わり、飲み方にも決まりが生まれて「茶の作法」も誕生した。9世紀の初めには、遣唐使とともに日本にもお茶とその文化が持ち込まれた。ただし、日本でチャノキの栽培が始まったのは12世紀末の鎌倉時代だという。
西洋とお茶の出合いはずっと時代が下った16世紀のこと。ポルトガル人やオランダ人が中国や日本に来港し、お茶と出合ったのが始まりだ。その時、宣教師たちは中国と日本のお茶の飲み方の違いを伝えている。中国ではもっぱら煎茶として飲まれていたが、日本では中国由来の「茶の湯」の文化が発達し、抹茶が好まれていたのだ。
17世紀前半になるとオランダの上流階級の間で、中国や日本から輸入したお茶が流行した。イギリスに広まったのは17世紀後半のことで、イギリス国王に嫁いだポルトガルの王女キャサリンがお茶を飲む習慣を持ち込んだという。その時に、キャサリンは当時ヨーロッパでは貴重だった砂糖を持参金として大量にイギリスに持ち込み、お茶に砂糖を入れて飲む習慣が根付いた。お茶には覚醒効果があるため、産業革命時代のイギリスでは「お茶とビスケットがなければ、労働者は工場に行けない」とまで言われ、イギリス人の生活に欠かせないものになっていた。
ちなみにお茶には不発酵茶、半発酵茶、発酵茶などがあるが、これは木の種類が異なるのではなく、製造過程の違いだ。ヨーロッパでは渋みのある発酵茶の紅茶が好まれた。
19世紀にインドで茶の栽培が始まった
19世紀、お茶はイギリス人の生活に欠かせなくなっていたが、イギリスは中国に対して常に輸入超過だった。そこでイギリスはインドでアヘンを製造して中国に売り、貿易の帳尻を合わせようとする。これが発端となって起きたのが、1840年のアヘン戦争だ。
その一方でイギリスは、茶を自前で栽培する道も探っていた。1823年にインドのアッサム地方で自生するチャノキを発見し、1840年に初めて量産に成功する。その後、1860年代には英領インドのダージリンやバングラデシュ、1880年代にはセイロン島で茶のプランテーションを作り、イギリスは茶の輸入先を中国からこれらの地域に切り替えていく。こうしてインドを含む南アジア地域が、世界的にも主要な茶の生産地になっていった。
1857年のインド大反乱後、イギリス支配はインド全土に及び、イギリス人のもとで大量のインド人が兵士や官吏として雇われた。やがてその中からイギリス人を真似て、紅茶を飲む習慣がインド人の間で広まっていった。今もインドやパキスタンでお茶にミルクと砂糖を入れるのは、それらの地域が旧イギリス領だったためだ。
インド三大産地のひとつ、ニルギリ
産地別でインドの三大紅茶と呼ばれているのが、アッサム、ダージリン、そしてニルギリだ。アッサムとダージリンはセイロンと並ぶ紅茶の代名詞として日本でも有名だが、ニルギリの名はあまり知られていない。インドではどちらかといえば、ニルギリティーが大衆茶のようだ。
アッサムとダージリンがインド北東部の高地に位置するのに対し、ニルギリは南インドの西ガーツ山脈の丘陵地帯にある。もともとこの地方ではコーヒーが栽培されていたが、1869年にコーヒーの葉が枯れる「サビ病」が襲い、コーヒー農園は壊滅。その後、コーヒーの代わりに茶が栽培されるようになったのだ。
茶葉は年間を通じて摘み取れるが、ニルギリではハイクオリティーの茶葉は1~2月に摘まれるという。ちょうどその頃、ニルギリの丘陵地帯にある町クミリーを訪れた。標高880mの町の周囲には茶畑が広がり、胡椒やカルダモンなどのスパイスも栽培されていた。茶畑では多くの女性たちがハサミのような道具を使い、茶葉の摘み取り作業をしていた。聞けば彼女たちは季節労働者で、12月から1月が胡椒、その後が茶葉の収穫になるのだという。茶畑のあちこちで、女性たちが茶葉の刈り取りバサミを使う音が鳴っていたのが印象的だった。
街角で飲むチャーイ
インド人は1日に何度もチャーイを飲む。朝起きてチャーイ、ご飯を食べてチャーイ、そして休憩時にもチャーイだ。最近ではコーヒーも普及してきたが、インド全体ではまだまだチャーイの方がポピュラーだ。
だから町なかには、チャーイ屋がどこにでもある。こうしたチャーイ屋では、ミルクに茶葉と砂糖を最初から入れて沸かし、小さなグラスに入れて出す。香りづけにチャーイにスパイスを入れる店もある。スパイス入りのものは「マサラチャーイ」あるいは「マサラティー」といい、これがインドで飲むと実においしい。入れるスパイスはジンジャーやカルダモン、シナモンなどを粉末状にミックスしたものだ。路上の店で飲むのが最高においしく、レストランで上品なマサラチャーイを飲むとなぜか雰囲気が出ない。
チャーイのグラスは、通常は数口ですすり終わる小さなものだが、レストランだとコップ大のグラスで出されることもある。その分、当然値段は高くなる。値段は90年代は1杯2ルピー(※)程度だったが、今では物価も上がり、街角や駅のホームの売店などでは10ルピーが標準になった。それでも日本円にすれば、20円もしないから気楽に飲める。
※1ルピーは1.4円(2021年4月現在)
移動中に飲むチャーイ
インドで鉄道の旅をしていると、ときどき車内にチャーイ売りがやってくる。それも少年が働いていることが多い。魔法瓶からチャーイを、使い捨てのプラスチックカップに入れてくれる。かつてはカップは味のある素焼きの器で、飲み終わったらそれをみな窓から外に捨てていた。捨てられた容器は割れ、やがて土に帰っていく。容器はプラスチックになったが、インドの人たちは習慣でそれを外に投げ捨ててしまう。線路沿いに落ちている多くのプラスチックゴミを見ていると、長い間続いていた自然のサイクルが機能しなくなっているのを感じる。
インドの大地をバスで移動中に、立ち寄った場所で飲むチャーイもまた格別だ。日本の約9倍の面積を持つインドなので、隣の町でもバスで5~6時間かかることはザラだ。そんな長距離移動のときは、たいてい2時間おきにチャーイ休憩がある。運転手も休まなくてはならないからだ。場所は、街道のドライブインもあれば、山間なら小さな峠の茶屋ということもある。どこなのかも分からないインドの田舎町で、自分を含めた乗客たちが無言でチャーイをすすっているとき、旅をしていることを強く実感する。
もともとは中国の飲み物だったお茶。それが国や地域によってさまざまな飲み方にアレンジされ、親しまれている。日本の抹茶とインドのチャーイは、同じ飲み物とは思えないし、インドのチャーイはすでにイギリスのミルクティーとは別物だ。日本のラーメンがすでに中国のラーメンと違うように。
創造や革新に、必ず特定の人物が関わっているとは限らない。名もなき人々や流れる時間の中でも、創造と革新の力は常に働いているのだ。
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【PROFILE】
前原利行(まえはら・としゆき)
ライター&編集者。音楽業界、旅行会社を経て独立。フリーランスで海外旅行ライターの仕事のほか、映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に関心を持ち執筆活動。訪問した国はアジア、ヨーロッパ、アフリカなど80カ国以上。仕事のかたわらバンド活動(ベースとキーボード)も活発に続け、数多くの音楽CDを制作、発表した。2023年2月20日逝去。享年61歳。
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