【連載】創造する人のための「旅」
2021.12.28
旅行&音楽ライター:前原利行
西欧が求めたスパイスの産地を訪ねる旅|南インドのマラバール地方(ケーララ州)
"創造力"とは、自分自身のルーティーンから抜け出すことから生まれる。コンフォートゾーンを出て、不自由だらけの場所に行くことで自らの環境を強制的に変えられるのが旅行の醍醐味です。異国にいるという緊張の中で受けた新鮮な体験は、きっとあなたに大きな刺激を与え、自分の中で眠っていた何かが引き出されていくのが感じられるでしょう。この連載では、そんな創造力を刺激するための"ここではないどこか"への旅を紹介していきます。
※本文の内容や画像は1999~2017年の紀行をもとにしたものです。
日本では独自に発展したカレーライスが人気だが、もともとカレーはインドの料理。ただし、インドでも現在の形の料理になるまでには長い歴史があった。「インドにカレーはない」といわれるように、インドでスパイスをミックスして作るさまざまな料理のことを、我々は総称して「カレー」と呼んでいる。使われるスパイスにはインド原産のもの、インド以外の外国由来のものがあるので、歴史の中では味の革命が何度か起きていたはずだ。今回はインドのマラバール地方を訪ねて、こしょうを中心としたスパイス交易の歴史を紹介していきたい。
古代ローマ人が求めたインドのこしょう
インド南西部、現在のケーララ州のアラビア海に面した細長い地域は、マラバール地方とも呼ばれてきた。私はこの地方を何度も旅したが、最初に訪れたときの目的がスパイス、それもこしょうの産地を訪ねることだった。
世界史で学ぶインドの歴史は、ガンジスとインダスの両大河の間に勃興(ぼっこう)した北インドの王朝についてのものが多い。それに比べ、南インドの歴史はあまり語られないが、この地方では紀元前からすでに活発な海洋貿易が行われていた。中でもよく知られているのが、このマラバール地方と古代ローマとの間のこしょう貿易だ。
こしょうは、今では意識しないほどありふれたスパイスだ。炒め料理だろうが、ラーメンだろうが、振りかけるだけで味が変わり、香りも引き立つスパイスとして重宝されている。世界中で栽培されているが、それはここ3、400年の話で、それまではこのインドのマラバール地方でしか産出しない貴重なスパイスだった。
古代、インドでこしょうがどのように料理に使われていたかは分からないが、紀元前後に最盛期を迎えた古代ローマでは、「こしょう1粒の値段は、同じ重さの金に値する」とまでいわれた。かなり誇張されてはいるが、この時代、貴族や有力市民たちの間で東方の産物の要求が高まり、東西交易路が開発されたのは確かだ。有名なのが中国(漢)との間を結ぶ「シルクロード」で、このルートを通って絹が西へ運ばれたことはご存知だろう。
ローマとインドとの交易路は当初は陸の道だったが、今のイランにパルティア王国が成立して陸路での交易を阻むようになると、海の道が主流になってくる。1世紀には「ヒッパロスの風」という季節風を利用した、アラビア半島とマラバール地方を直接結ぶ航路も確立する。これを使い、ローマからはぶどう酒、ガラス製品、陶器、インドからはこしょうのほか、象牙(ぞうげ)、綿布(めんふ)、宝石が輸出された。ただし、常にローマの方が輸入超過だったため、大量の金貨がインドに流れて行った。それらの金貨の一部が南インドの遺跡から発掘され、金貨に刻まれたローマ皇帝からおよその時代が分かるのだ。
スパイスの生産地の西ガーツ山脈を訪れる
マラバール地方は古代ローマ時代には「胡椒(こしょう)海岸」とも呼ばれていたので、海沿いにこしょう畑があると思っていたが、行ってみるとそれは自分の勘違いであることが分かった。こしょうはもっと内陸の、西ガーツ山脈の山間で栽培されていたのだ。
海沿いからバスに乗り約2時間、タミル・ナードゥ州との州境近くにある山間のクミリーの町で下車した。野生動物保護区もある観光地だが、スパイス農園やお茶のプランテーションも広がるエリアだ。聞けば、スパイス栽培はある程度標高が高く、朝夕の寒暖差がある熱帯や亜熱帯が適しているのだという。つまり茶やコーヒーと同じような場所で栽培しているのだ。
前知識がなかったので驚いたのが、こしょうがつる性の植物だったこと。棒やほかの植物の幹に絡まって成長し、実をつけている。茶畑に日除けのために立っている木にも、たいていこしょうのつるが這わせてあった。
農家の庭先で、こしょうを干している人がいたので作業を見せてもらう。房状についたこしょうの実を手でもんでほぐし、それを天日で乾かしていた。こしょうの実は未成熟だと緑だが、成熟すると赤色に変わる。黒こしょうは、この未成熟の実を天日で干したもので、料理では使う寸前に外皮ごと挽くと香りがいっそう引き立つ。一方、白こしょうは、完熟した赤い種子を水に浸けて発酵させ、外皮を取ったものだ。それぞれ風味が異なり、料理に使うときは黒こしょうは肉料理などに、白こしょうは魚やシチュー料理に使うことが多い。
インド原産のスパイスには、ほかにもショウガとカルダモンがあり、古代ローマにも輸出されてはいたようだ。見た目は異なるがカルダモンもショウガ科の植物で、料理に混ぜて使うと似たような味わいがある。ショウガの方は生薬として広まり、日本でも奈良時代にはすでに栽培が始まっていたという。ヨーロッパでショウガ需要が高まったのは中世に入ってからだが、栽培されるようになったのは新大陸発見後の16世紀になる。ちなみにショウガを生食する習慣は、世界でも日本ぐらいだという。
カルダモンは日本ではあまり使用しないが、インド料理やマサラチャイには欠かせないスパイスだ。ただし、インドの国内生産のほとんどは、国内消費に回ってしまうという。カルダモンの乾燥させた実は見たことがあるが、それが自然の中で生えているのはここで初めて見た。
スパイスを求めてポルトガル人がインドにやってきた
中世に入ると、地中海地域で台頭したのがイスラム教を信じるアラブ人の王朝だった。この時代もアラブ商人を通じて、南インドのスパイスは引き続き西へと運ばれて行った。冬になると家畜の飼料に不足するヨーロッパでは、初冬に多くの家畜を屠殺(とさつ)し、肉を春まで保存する。それに不可欠なのが肉の臭みを消す数々のスパイスだった。しかしヨーロッパではスパイスは産出しない。こうして中世ヨーロッパ社会でも、こしょうやショウガ、クローブなどのスパイス需要は続いた。貨幣経済が発達していない中世ヨーロッパでは、税金をこしょうで納めるなど擬似通貨として使われることもあったという。
10世紀から15世紀になると、インド洋の西ではアラブ商人のダウ船が、東では中国からのジャンク船が南インドの港を訪れていた。13世紀に中国の元朝からマルコ・ポーロがヨーロッパに帰る途中に、南インドに立ち寄ったのもそうした航路を使ってのことだった。ポーロは「世界の記述(東方見聞録)」で、「南インドの町にはキリスト教徒やユダヤ教徒も住んでいる」、「インド人は食事には右手しか使わない」、「牛を食べない」などのほか、インドの輸出スパイスはこしょう、ショウガ、シナモンで、逆にインドが輸入しているスパイスがクローブ(丁子)だと記している。やはりスパイス料理に欠かせないクローブだが、当時は世界でもマルク諸島(現インドネシア)のテルナテなどわずかな島でしか栽培されていなかった。これがインドを中継し、ヨーロッパへと運ばれて行ったのだ。
インドとヨーロッパが初めて直接取引を始めたのが、世界史の一大事件「ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路"発見"」だ。"発見"としたのは、すでにアラブ商人によってインド洋交易は確立しており、ダ・ガマはアフリカ東海岸からはそれに乗って行ったに過ぎないからだ。
1498年5月、マラバール地方の港湾都市カレクト(現在のコーリコッド、英名カリカット)郊外の海岸にダ・ガマ一行が上陸した。この時にダ・ガマが現地で仕入れたスパイスがこしょうやクローブだった。以降、ポルトガルはインドに何度も艦隊を送り、インド洋貿易の支配を試みていく。
新たなスパイスや食材が新たな料理を生む
かつてのインド洋貿易の中心地のひとつであるコーリコッド、そしてダ・ガマが上陸したというカッパド・ビーチを訪れた。ビーチはコーリコッドの北約16kmにあり、今では小さな漁村だが、ダ・ガマの上陸記念碑が立っていた。コーリコッドの市場では、赤トウガラシが積み上げられていた。トウガラシは世界中の料理に欠かせないスパイスだが、インド原産ではない。
ポルトガル、続いてインドにやってきたオランダやイギリス、フランスを通して、インドに新大陸の農作物がやってきた。中でも重要なのが、現在インド料理でも当たり前のように使われているジャガイモ、トマトといった野菜、スパイスではトウガラシだ。インドカレーというと「辛いのが当たり前」というイメージだが、トウガラシがもたらされる前にはどんな味をしていたかは想像しにくい。だから新大陸産の食材を手に入れてから、現在のインド料理が完成したと言ってもいいかもしれない。逆を言えば、新しい食材が手に入る限り、料理というものは常に進化し続けるということだ。
マラバール地方の旅、最後の場所はケーララ州有数の貿易港であるコチ(コーチン)だった。ポルトガル、オランダ、そしてイギリスが拠点を置いた町で、旧市街であるフォート・コーチンには、植民地時代の教会や建物が残っていた。ユダヤ人のシナゴーグ(会堂)や中国由来というチャイニーズ・フィッシング・ネット*(実際にはポルトガル人がマカオから伝えたという)からもこの町の国際性を感じる。町の一画にスパイスの倉庫街があった。今では安価な海外産に押されて輸出は年々減っているインドのスパイスだが、「国内需要は伸びている」と、ジャイナ教徒のスパイス業者が話してくれた。
* チャイニーズ・フィッシング・ネット:ケーララ州コーチン近郊で見られる魚獲りの仕掛け。その昔中国から伝わったということからネーミングされた。丸太を使い組み上げた装置で、巨大な網を海中に沈めて、魚の群れが通り過ぎるタイミングに引き揚げる。
かつてインドのスパイスが世界の料理の味を変えたが、逆にインドに輸入されて料理に変化をもたらしたスパイスもある。今ではインドネシア原産のクローブもマラバール地方で栽培されている。その地方の伝統料理だと思われているものでも、調べるとその歴史は浅いというものも多い。料理に関しては、革新や創造が今も毎日世界中のキッチンで行われている。つまりそれだけ、「食」に関する人間の欲求は尽きることがないのだ。スパイスや食材がたどった歴史を訪ね、人の創造や革新に触れる旅も面白いものだ。
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【PROFILE】
前原利行(まえはら・としゆき)
ライター&編集者。音楽業界、旅行会社を経て独立。フリーランスで海外旅行ライターの仕事のほか、映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に関心を持ち執筆活動。訪問した国はアジア、ヨーロッパ、アフリカなど80カ国以上。仕事のかたわらバンド活動(ベースとキーボード)も活発に続け、数多くの音楽CDを制作、発表した。2023年2月20日逝去。享年61歳。
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