【連載】ドボたんが行く!
2025.07.08
三上美絵
東京凸凹倶楽部の「成城の高低差と湧水、5つの多摩川水系の川を巡るまち歩き」に参加してみた!〈前編〉
土木大好きライター三上美絵が、毎回さまざまな土木構造物を愛で、紹介していくドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」。身近にあるどんなことにも遊びを見出してしまう好奇心こそ、本当のクリエイティビティ。ドボたん三上は、高級住宅街として名高い世田谷区の成城界隈で何を見つけたのでしょうか!
知らなかった! 成城学園の池の成り立ち
東京の地形や水辺の探索を楽しむ愛好会「東京凸凹倶楽部」の松本猛(まつもと・たけし)さんにお誘いいただき、2025年2月、「成城の高低差と湧水、5つの多摩川水系の川を巡るまち歩き」に参加しました。成城は世田谷区の中西部に位置し、郊外の高級住宅地として知られています。松本さんから聞いたところでは、「5つの川」とは多摩川、野川、仙川、丸子川、谷戸(やと)川とのこと。
じつは私、ドボたん三上は小田急線成城学園前駅にある成城大学の出身。友人たちと講義をサボって多摩川の貸しボートで遊んだ思い出もあり、成城が多摩川から遠くないことは分かっていました。また、今の住まいが東京郊外の野川の上流に当たる場所にあるので、武蔵野台地が多摩川や野川に侵食されてできた「崖(ハケ)」と呼ばれる国分寺崖線(こくぶんじがいせん)が、ウチのほうから世田谷まで続いていることも知っていました。
でも、仙川は比較的家の近くを流れているものの、世田谷とはイメージが結びついていなかったし、残りの丸子川と谷戸川については、まったく知りませんでした。さてさて、どんな景色に出合えるのでしょうか。楽しみです。
当日歩いたルート。地図のブルーが濃いほど標高が低く、赤に近づくほど高い。この辺りでは多摩川が最も低いことがよく分かる。多摩川の河岸段丘である「ハケ」と支川の野川、仙川や谷戸川、丸子川の谷もくっきりと表されている(地図作成:東京凸凹倶楽部)
成城学園前駅の北側に集合した東京凸凹倶楽部のメンバーは、約30人。まずは駅から5分もかからない成城学園のキャンパスへ向かいます。
おお! 懐かしい。私が在籍していた頃からは、図書館が建て替えられて立派になっていたり、新しい学部棟ができていたりと様変わりしたものの、中央の小さな広場の周りに棟がぐるりと並ぶ景色は当時のままです。
キャンパスでは、成城学園教育研究所の荒垣恒明(あらがき・つねあき)さんに成城学園の歴史や、学園と密接な関係にある成城のまちづくりについてご説明いただきました。
成城学園が今の新宿区牛込からこの地へ移転したのは大正末期。2025年の今年は、ちょうど移転から100周年の節目です。当時、一帯は「砧村喜多見」と呼ばれていましたが、新しい住宅地には「成城」の名がついて「喜多見成城」となり、1936(昭和11)年に世田谷区に編入された際に「成城町」となったそうです。私自身、よく「成城にあるから成城学園という名前なの?」と聞かれますが、順番は逆なのです。
住宅街の開発はデベロッパーに頼らず、学園の教員、保護者の後援会が直接手がけ、土地の購入者も生徒の父母が中心でした。子どもたちのために理想的な教育環境をつくろうと、学園都市のまちづくりに乗り出したのです。今も学園周辺には、大谷石と生垣で囲まれた落ち着きのある住宅が残っています。
荒垣さんのご案内で、校舎の裏手にある「成城池」へ。そうそう、体育の実技で体育館へ行く時に、この池の横を通ったっけ。でも、水面近くまで下りた記憶はほとんどありません。
荒垣さんによると、この池は学園のグラウンドなどを造成する時、土砂を採取した跡の窪みを利用してつくられた人工池。その整備には父母や生徒たちも参加したのだとか。1984(昭和59)年には、区民に親しまれる100カ所の風景「せたがや百景」の1つとして選ばれています。
造成当時はすぐ横を流れる仙川と成城池の水面の高さはほぼ同じでしたが、仙川の河川改良工事によって数メートルの高低差が生じ、今では成城池は水系から孤立した止水環境になりました。それでも調査の結果、岸辺の植生帯には13種ものトンボが確認されるなど、貴重な都市の湿地となっているそうです。
成城学園教育研究所の荒垣恒明さん。同研究所は、創立者・澤柳政太郎の教育理念に基づき、学園における教育のあり方を研究し、広く日本の教育界に貢献することを目的として、学園創立60周年の1977(昭和52)年に設立された(写真:以下、特記以外は三上美絵)
成城池のほとりで荒垣さんの説明を聞く参加者たち
大学キャンパスの奥にある成城池。すぐ横には仙川が流れている
国分寺崖線のあちらこちらで顔を出す湧水
成城学園を後にし、国分寺崖線の台地上を西へ歩いていくと、「成城みつ池緑地」に到着。この緑地は、世田谷区と区民ボランティア、地域住民が一緒になって整備方針を策定したもの。特別保護区のため立ち入りが制限されていますが、フェンス越しに湧水を確認することができました。
成城みつ池緑地。フェンスの向こうに、わずかに湧水が溜まっているのが見えた
成城みつ池緑地の一角には、とても趣のある住宅があります。「旧山田家住宅」です。アメリカで成功した実業家が1937(昭和12)年頃に建てたもので、戦後は画家の山田耕雨が購入し、住まいとしました。水回り以外はほとんど改築されず、竣工当初の意匠が残されているといいます。時間の関係で今回は内部を見ることができませんでしたが、また機会をつくって来てみたいと思いました。
旧山田家住宅の外観。アメリカ風住宅の影響を受けたとされるレトロな雰囲気が素敵だ
成城みつ池緑地に沿って坂を下ります。下り切ったところに、喜多見不動堂の入口があり、脇に滝がありました。「滝不動」が祀られているようです。現地にある世田谷区教育委員会の案内板によると、喜多見不動堂の本尊である不動明王坐像は、明治の初めの多摩川大洪水の時、喜多見川原に流れ着いたものだそうです。また、かつてはこの湧水の滝で、信者が水行をしたといいます。この地域の暮らしが古くから多摩川やハケの湧水と深く関わっていたことがうかがえます。
喜多見不動堂の境内にある滝不動。今も水が流れていて、国分寺崖線からの湧水の豊かさを示している
「まちの里山」が広がる"三丁目の緑地"
滝不動から小田急線の高架をくぐり、線路の南側へ。次のポイントは「成城三丁目緑地」です。ここは、国分寺崖線の雑木林を整備した緑地で、成城三丁目緑地里山づくりコア会議という官民連携の活動団体が、「都市型の里山づくり」を掲げて保全活動をしています。
ハケの上からは住宅街を見渡すことができ、散策路を下りると、湧水の清らかな流れが迎えてくれました。ここが東京23区内であることを忘れてしまいそうなぐらい、自然豊かな緑地です。この地を愛する人たちによって、ていねいに手入れをされ、適切な管理がなされているおかげでしょう。「三丁目の緑地」からの「三丁目の夕日」もきれいでしょうね。
成城三丁目緑地の高台にある広場からは、住宅街が見渡せる
ハケの斜面を下りていくと、湧水の流れに小さな橋が架かっていた
成城三丁目緑地を出て野川を渡り、次大夫堀(じだゆうぼり)公園へ。ここはかつての世田谷の農村生活を身近に感じられる民家園で、園内には名前の由来になった「次大夫堀」が復元されています。
次大夫堀というのは通称で、正式名称は「六郷用水」。この地の代官であった小泉次大夫がつくらせたことから、次大夫堀と呼ばれていました。この用水は多摩川に通じていて、合流点には1931(昭和6)年に建設された「六郷水門」が、今も現役で使われています。
私はこの水門のことを「かわいい土木」に書き、連載をまとめた書籍『かわいい土木 見つけ旅』にも載せていることから、参加者さんたちにほんの少しだけ、六郷水門の話をさせていただきました。松本さん、素敵な機会をありがとうございます!
と、ここで、私の知らなかったショーゲキの事実が明かされました。冒頭で「まったく知りませんでした」と書いた丸子川は、じつはこの六郷用水、次大夫堀のことだったのです! 都市化によって水田が消え、用水としての役割を終えた今では上流部分は埋め立てられ、仙川との分流地点から下流が丸子川と名前を変えて残っているのだそうです。
拙著『かわいい土木 見つけ旅』を持ってきてくださった東京凸凹倶楽部の松本さん(左)と、六郷水門の話をするワタクシ(写真:東京凸凹倶楽部)
次大夫堀公園には農村だった世田谷の暮らしの様子を伝える古民家が並ぶ
成城からスタートした今回のハケと湧水を巡るまち歩き。次大夫堀公園までは3kmほどでしたが、アップダウンが多く、いい運動になりました。さて、ここから二子玉川まで先はまだまだ長く、面白いものがたくさん見られそうでわくわくします!(後編へ続く)
(参考サイト〉
「成城池」
「成城みつ池緑地」
「旧山田家住宅」
「成城三丁目緑地里山づくりコア会議」
「せたがやの水辺」
※記事の情報は2025年7月8日時点のものです。
後編(7月11日公開予定)に続く
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【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター
大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp
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