アート
2023.02.21
熊谷真実さん 歌手・女優 〈インタビュー〉
熊谷真実|浜松に移住して始まった、私の第三幕
1979年、NHK朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」で主演して国民的な人気を博し、その後、数多くの舞台やドラマを中心に活躍する女優、熊谷真実(くまがい・まみ)さん。生まれも育ちも東京の熊谷さんは、コロナ禍を機に静岡県浜松市へ移住。それによって生き方、考え方が大きく変わったという熊谷さんに、移住の経緯や浜松での暮らしのこと、そして「歌手・熊谷真実」という新たなチャレンジについて、お話をうかがいました。
コロナ禍で、生まれ育った東京から移住
――熊谷さんは、東京生まれの東京育ちだそうですね。
はい。吉祥寺で生まれて、高円寺、阿佐谷あたりで育ちました。その後仕事を始めてからは恵比寿あたりで暮らしましたから、東京の中心部、環七(環7通り)から明治通りあたりでずっと生きてきました。
――東京以外で暮らしたいという気持ちは、もともとあったのですか。
田舎暮らしへの憧れはありました。父の実家が福岡の山の中で、子どもの頃、夏休みはそこで過ごしていたんです。その田舎が大好きで、一度父に「おばあちゃんと暮らすから転校したい」と頼み込んだことがあったぐらい(笑)。その後も40歳くらいの頃に無農薬野菜などに興味を持つようになり、自然が豊かな場所にセカンドハウスを持ちたいとも思いました。とはいえ、基本的には生まれ育った東京でこれからも暮らしていくんだろうなと、そこには何の疑問も持っていませんでした。
――では、なぜ住み慣れた東京を離れたのですか。
コロナ禍です。それまでお金さえ出せば、どんな物もサービスも手に入る場所にいましたが、コロナ禍でその基本的な前提が一気に崩れました。それで「このままではいけない」と強い危機感を持ちました。
――コロナ禍のインパクトは大きかったのですか。
大きかったです。コロナ禍が始まった2020年はたまたま私が還暦を迎える年で、かなり盛大なパーティーや、舞台での主役が決まっていて、いろんなハッピーなことが目白押しの年になるはずだったんですよ。でもコロナ禍で全てなくなってしまったんです。まるでオセロで白が黒にひっくり返るみたいに、状況が一変しました。
それまで東京で結構な一軒家に住み、お仕事もあって芸能人っぽく暮らしていましたが、コロナ禍で初めて生命線が絶たれたような気持ちになりました。この状況で、自分に何ができるのかと考えた時、これまで当たり前だと思っていた生き方を、根本から変える必要があると思ったんです。
「スーパーで物を買うだけの所には住んでいたくない」
――生き方を変えるというのは、具体的にどういうことですか。
舞台がキャンセルになり、テレビもレギュラーで出ている人たちは続いていたけど、私みたいに時々ゲストで出る人たちは仕事がなくなって、生まれて初めて「収入がない」という状況に直面しました。収入がなくて、この先どうなるのかと思った時、まず浮かんだのが「食」のことでした。それでお金がなければ食べ物が手に入らない場所にいてはダメだと思ったんです。「スーパーで物を買うだけの所に住んでいたくない」という気持ちになりました。
例えば東京での友達は、ほとんどが役者。知り合いも芸能関係がほとんどで、ご近所の芸能関係以外の方もいらっしゃいますけど、それほど密なお付き合いではない。田舎暮らしなら自給自足とまでいかなくても、例えば漁師さんや農家の方など、いろんな職業の人が友達にいれば、お金を媒介にしなくても、お互いに持ちつ持たれつの関係で暮らせるんじゃないか。そんな、ある程度みんなで助け合えるような共同体がある地域に行きたいと考えました。
――そうして東京からの移住先が、静岡県浜松市だったんですね。浜松を選んだのはどうしてですか。
当時の家庭の事情など、いろんな事情はありましたが、それほど深く考えて浜松に決めたわけではありませんでした。ぶっちゃけ、浜松のこともあまり知らなくて。実際住んでみたら私がイメージした「田舎暮らし」というより、小さい「街」だな、と思いました。
――実際に浜松に移住してみて、どんな印象を持ちましたか。
2020年に移住しましたが、住んでみて浜松の良さがよく分かりました。まず、この青空ですよね。高い建物が少ないから、空が広い。空が広いから夕日もきれいなんですよ。ちょっと行けばきれいな湖、浜名湖があるし、海が近いから海の幸が豊富。秋葉山(あきはさん)や二俣(ふたまた)あたりまで行けば、山の幸も豊富にある。それからね、地元産の調味料が何でもあるんです。浜松産のごま油、しょうゆ、塩、みそ、みりん、トリイソースも有名ですし、本当に浜松ってすごいんですよ。地産・地消が完璧にできる。こんな場所、ほかにないと思う。
――仕事は東京が多いと思いますが、不便ではないですか。
それはないですね。私、「浜松は日本のど真ん中」って勝手に言ってるんですけど、東京へは新幹線で約1時間半、厳密にはひかりで浜松駅から東京駅まで約1時間20分ですから、東京近郊でもそのくらいの時間がかかるとこってありますよね。週に2回以上、東京と浜松を往復することもありますが、慣れちゃうと全然苦になりません。それに名古屋や大阪の仕事は東京よりも早く行けます。駅までが近いので、東京にいた頃よりもずっと仕事に行く時間が短くなって、東京時代よりむしろ行動範囲が広がりました。
私生活がなかった東京から、日々の暮らしがクリエーティブな浜松へ
――東京から浜松に拠点を移して、住む場所以外に変わった点はありますか。
たくさんあります。例えば東京に住んでいた頃は「芸能人は常に全部見られている」と思っていましたから、プライベートがないというか、それまで私には「私生活」はありませんでした。それが浜松に来たら「私生活」ができました。これが本当にうれしかった!
それと、浜松に来た時、もし仕事が全くなくなったら、料理の資格を幾つか持っているので、キッチンカーを買ってスムージー屋さんをやろうとか、酵素玄米のおにぎり屋さんをやろう、とかいろいろ考えたんですね。こういうことって今まで思いつきませんでした。考え方が変わったんだと思います。
また東京を離れたのを機に、YouTubeやInstagramを使って動画配信を始めました。これまでは東京のマスメディアから発信していましたが、これからは浜松で自分自身から発信しようと思ったからです。今も毎週日曜、インスタライブをやっています。YouTubeもチャンネル登録者数は今2万人ぐらい(2023年2月現在)ですけど、2023年内には5万人が目標、最終的には10万人以上が目標です。こういうことは言うと本当にできるから、言っときます(笑)。
YouTube「熊谷真実のまみちゃんねる」
Instagram
Facebook
――危機感をお持ちだった「共同体」の問題はどうですか。
浜松で、友達がたくさんできました。東京にいた時は大工さんとか農業をやっている友達いなかったもん。今は、大工さん、農家の人、お店の人、エステやってる人、いろんな職業の人と友達になれました。ですから東京時代より人脈の幅が広がりました。
この2年間で私の周りにそういう人が集まってくれたことも、感謝しかないです。だからスーパーやコンビニに行かなくても、仲間さえいればなんとかなると思えるようになりました。これってすごくないですか? もちろん東京の仲間も今でも仲がいいし、私を頼って来てくれる後輩もいますけど、浜松の仲間はまた、それとは違う仲間です。
――単に住む場所が変わっただけでなく、生き方そのものを革新したわけですね。
今までの生活をガラッと変えようと思って浜松に来て、そこで何を創造するかを考えて。これはもう「創造と革新」ですよね。今、私にとって畑をやることもクリエーティブだし、動画配信だってもちろんクリエーティブだし、日々の暮らしがクリエーティブなんです。
今までも、お金をいただいてクリエーティブなことをさせていただいてきましたが、今はそれだけじゃなくて、お金とは関係なくクリエーティブなことをしています。例えば2022年12月に浜松のホテルでディナーショーをやりましたが、それも全部自分から動いたことなんですよ。マネージメントの事務所をすっ飛ばして(笑)。
浜松のライブハウスで封印が解け、歌手・熊谷真実が誕生
――次は、浜松に移住してから始めた歌手としての活動についてうかがいます。もともと音楽には興味があったのですか。
高校時代からとにかく音楽が好きで、中央線沿いにあったライブハウス「荻窪ロフト」や高円寺の「JIROKICHI」などに入り浸っていたんですね。それに歌うことも好きだったので、実際にバンドを組んで活動したこともありました。でもね、私、自分の声がハスキーなのがコンプレックスだったんですよ。はいだしょうこちゃんみたいな、きれいな声で歌いたかった。だからそのバンドも、今思えば結構良かったと思うのですが、「失敗した!」と思い込んでしまい、それ以来は私の中で「歌」を封印してしまいました。18歳の時でした。
――それがどんなきっかけで、再び歌うことになったのですか。
これも浜松のおかげなんですよ! 近所に「ビスケットタイム」というライブハウスがあるんです。最初は「へえ、こんな所にライブハウスがあるんだ」ぐらいの認識だったんですけど、たまたま東京から知り合いのミュージシャンがここでライブをやる、というので見に行きました。そうしたらお店の雰囲気があの頃の「荻窪ロフト」の雰囲気にそっくり。すっかり気に入ってしまいました。
カラオケもできる店だったので歌の練習をしたり、貸し切って友達の誕生会をやって、そこでもカラオケを歌ったりしていたんです。そうしたらビスケットタイムの店長の大城さんが、「真実ちゃんバンドやらない? メンバーは僕が集めるから」って言ってくださって。それでバンドを組んでライブをやったら、これがもう、すごい大ウケして。とても楽しかったんです。
――ビスケットタイムでのライブはネットニュースにもなったそうですね。
そうなんですよ! ビックリしました。浜松のライブハウスでひっそりやったつもりが、ネットニュースに取り上げられて話題になってしまって。すぐに事務所のマネージャーから連絡が来ました。「真実さん、何始めたんですか」って。「いや、趣味だから」って言って。でもその後で東京の事務所の社長に「勝手に何やってんだ」って怒られました(笑)。
――浜松のライブハウスで「歌の封印」が解けたわけですね。
はい。やっと封印が解けました。でも、実際はパフォーマンスが面白いから盛り上がっただけで、本当に歌手として研さんしている方に比べたら、私の歌なんておこがましい、とも思っています。ただそのいっぽうで「待てよ?」と。私、このまま歌にコンプレックスを抱いたまま、70、80のおばあさんになっていいのか。できれば自分の声を好きになって死にたいと。それで「よし、歌手・熊谷真実、誕生」って心の中で勝手に決めました。
そのビスケットタイムでのライブを、浜名湖の湖畔にあるリゾートホテル「THE HAMANAKO」の方が見に来ていて「このままでいいから、うちのホテルでディナーショーをやって」とオファーされました。私、ディナーショーなんて初めてでしたけど、これも歌手・熊谷真実としてのいい機会だと思い、ビスケットタイムのバンドの仲間たちと一緒に頑張りました!
人生の第三幕は、ここ浜松で大好きなことを続けていきたい
――最後に今後の目標がありましたらお聞かせください。
歌手・熊谷真実としては、ビスケットタイムでのバンドは主に昭和歌謡がレパートリーなので、今後はジャズを歌ってみたいなという気持ちがあります。ダイアナ・クラールみたいに歌えたらいいなと思って。
――ジャズボーカルならハスキーボイスはむしろプラスですね。
そうなんですよ。だから、これからは東京での仕事もきちんとしつつ、浜松でジャズも歌っていきたいですね。
――お話をうかがうと、のんびり田舎で暮らすタイプの移住とは真逆の、アクティブで創造的な日々ですね。
はい。もう、やることが多すぎて忙しくて、毎日本当に充実しています。ですから健康には注意を払っています。健康のためなら死んでもいいっていうぐらい(笑)。57歳でガンで亡くなった母がよく言っていました。「やりたいことがある時に限って、神様はいたずらして、病気にさせることがある。だから無念にならないように、健康には気をつけなさい」って。その言いつけをしっかり守っています。
――コロナ禍が契機になって、熊谷さんの人生は大きく変わったんですね。
私の人生の第三幕が始まったという感じです。阪神・淡路大震災の年の母の死までが第一幕、東日本大震災の翌年に結婚したのが第二幕、そして、このコロナ禍での浜松移住が第三幕です。これからは健康には留意しつつ、大好きなことを浜松を拠点に続けていきたいと思っています。
――本日はお忙しい中、ありがとうございました。今後のご活躍を楽しみにしています。
▼ 熊谷真実さんご出演の舞台
プリエールプロデュース
「マミィ!」
会場:亀戸文化センター カメリアホール
2023年3月3日(金)~5日(日)
https://priere.jp/performance/2303/
※記事の情報は2023年2月21日時点のものです。
-
【PROFILE】
熊谷真実(くまがい・まみ)
1979年NHK朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」の主役に抜擢され、1980年日本映画テレビプロデューサー協会主催「エランドール賞」新人賞を受賞
2016年「マンザナ、わが町」で紀伊国屋演劇賞・読売演劇賞受賞
2017年~ 福岡県そえだ観光大使に就任
2018年~ 埼玉県寄居町ふるさと大使に就任
2020年11月~ 浜松市やらまいか大使に就任
2021年6月~ 静岡県観光プロモーション 観光PRメッセンジャーに就任
ローフードマイスター、野菜ソムリエ、米粉マイスターの資格を持つ。
熊谷真実オフィシャルブログ「熊谷さん家」Powered by Ameba
https://ameblo.jp/kumagaimami/
RANKINGよく読まれている記事
- 2
- 筋トレの効果を得るために筋肉痛は必須ではない|筋肉談議【後編】 ビーチバレーボール選手:坂口由里香
- 3
- 村雨辰剛|日本の本来の暮らしや文化を守りたい 村雨辰剛さん 庭師・タレント〈インタビュー〉
- 4
- インプットにおすすめ「二股カラーペン」 菅 未里
- 5
- 熊谷真実|浜松に移住して始まった、私の第三幕 熊谷真実さん 歌手・女優 〈インタビュー〉
RELATED ARTICLESこの記事の関連記事
- 高岡早紀 | ゴールが見えないから、面白い 高岡早紀さん 女優・歌手〈インタビュー〉
- 純名里沙 | 歌っていない自分は、自分じゃない 純名里沙さん 歌手・女優〈インタビュー〉
- シシド・カフカ|el tempoの即興の楽しさを多くの人に知ってもらいたい シシド・カフカさん 歌手・ドラマー・女優 〈インタビュー〉
- 中島美嘉 | 今、歌うのが最高に楽しい 中島 美嘉さん 歌手〈インタビュー〉
NEW ARTICLESこのカテゴリの最新記事
- 切り絵作家 梨々|小説切り絵が話題に。日本の美しい文化を伝える精緻な作品作り 梨々さん 切り絵作家〈インタビュー〉
- 鳳蝶美成|"盆ジョヴィ"の仕掛け人が見出した、盆踊りの秘めたる魅力と可能性 鳳蝶美成さん 日本民踊 鳳蝶流 家元師範〈インタビュー〉
- 林家つる子|女性目線で描く古典落語。見えてきた落語の新たな魅力 林家つる子さん 落語家〈インタビュー〉
- 原愛梨|唯一無二の「書道アート」で世界に挑む 原愛梨さん 書道アーティスト〈インタビュー〉
- 南 久美子|漫画が、自分の知らないところでメッセージを届けてくれる 南 久美子さん 漫画家〈インタビュー〉