【連載】ドボたんが行く!
2024.11.05
三上美絵
多摩ニュータウンのまちづくりと古街道を満喫!
土木大好きライター三上美絵が、毎回さまざまな土木構造物を愛で、紹介していくドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」。身近にあるどんなことにも遊びを見出してしまう好奇心こそ、本当のクリエイティビティ。ドボたん三上は、今回は何を見つけたのでしょうか!
開発から半世紀を経た多摩ニュータウンの今
東京都の西南部に広がる多摩丘陵。稲城市、多摩市、八王子市、町田市にまたがる約2,900haもの土地に開発されたのが、多摩ニュータウンです。日本では高度経済成長期に都市部への人口集中を受け、郊外に多くのニュータウンが開発されました。多摩ニュータウンもその一つで、1971(昭和46)年に入居が開始されてから、すでに半世紀以上がたっています。
私ドボたん三上も子どもの頃、ニュースなどで「多摩ニュータウン」という名称をよく聞きましたが、あまりにも広いせいか、まちの特徴などはすぐに浮かんできません。また、ニュータウンというと「高度経済成長期に切り拓かれたまち」というイメージがあるものの、じつは古代から多くの街道が通る交通の要衝だったとか。
今回のドボク探検倶楽部は、共にこのまちで育った同級生という宮田太郎さんと篠原啓一さんに、多摩ニュータウンの見どころを案内していただきました。宮田さんは多摩地域を中心として活動する「歴史古街道団」の団長を務める古街道研究家。一方の篠原さんは、共同通信社に勤めるかたわら、「多摩ニュータウン学会」の理事として、この地域のまちづくりを研究されています。
地元を知り尽くした専門家のお二人と巡る多摩ニュータウンツアー、なんとも贅沢な企画です。では出発!
まずは京王相模原線稲城駅から2kmほどのところにある稲城中央公園へ。このあたりは、南多摩尾根幹線道路、通称「オネカン」が通っていて、サイクリストたちの聖地になっています。尾根という言葉から分かるように、オネカンは多摩ニュータウンの最も高い部分を東西に貫く"背骨"で、町田街道につながる延長約16.5kmの都市計画道路。これまで大半が暫定2車線で供用されてきましたが、現在、車道を4車線にして自転車歩行者道を分け、安全に通行できるようにする整備が進められているところです。
次に向かったのは「三沢川分水路」の取水口。篠原さんが「この分水路は、稲城市を流れる三沢川と多摩川をつなぐ水路で、多摩ニュータウンの開発と合わせて整備されました」と説明します。住宅地に降った雨が下水から三沢川へ流れ込み、洪水になるのを防ぐため、多摩川へ排水する。まさに多摩ニュータウンの守護神ですね。
土木マニアにはたまらない! 一等三角点と双子の給水塔
宮田さんが運転するクルマは、オネカンを西へ進みます。若葉台公園を越え、大きな左カーブを曲がり終えたあたりに、赤い鳥居があります。扁額には「八坂神社」の文字。参道の階段を上がった境内は「天王森公園」という公園になっています。地図を見ると、このあたりの尾根が、稲城市と多摩市の境界のようです。「洪水防止など水処理の責任分担の観点から、分水嶺となる尾根が市境となっていることが多いんですよ」と篠原さんが教えてくれました。なるほど!
「ここに、すごいお宝があります」と篠原さん。示された足元には、地面からタケノコのように標石が顔を出していました。「一等三角点」です。三角点は、明治期に地図を作成するために全国に設置された「位置の基準」。測量のときに三角点同士を見通す必要があるため、いずれも高台に設定されています。この場所もこのあたりの最高地点で、標高は161.7m。でも、この一等三角点が、なぜ「お宝」なのでしょうか。正直なところ、私にはピンと来ていませんでした(笑)。
篠原さんの説明によれば、三角測量では2つの三角点を結ぶ直線を底辺として、相対する2つの三角形の頂点を求め、次にこの2つの頂点を結ぶ直線を底辺として...と同じ作業を繰り返しながら三角形を拡大していきます。その最初の直線となったのが、現在の相模原市にある下溝村三角点と座間市にある座間村三角点を結ぶ「相模野基線」。そして、この基線を底辺とする2つの三角形の頂点を底辺として作られた三角点の一つが、今私たちの目の前にある「連光寺村三角点」なのだそうです。つまり、全国の三角点のオリジンにかなり近い一等三角点というわけ。と、尊い!
八坂神社の階段を降りると、南多摩尾根幹線道路を挟んだ向かい側に、大きなコンクリート製の円筒が2つ並んでいます。こ、このカタチは! 給水塔loverとしては見逃せません。駆け寄ってみると、やっぱり「連光寺給水所」の表札がありました。白くてシンプルな双子の給水塔は、六本木ヒルズや東京スカイツリーからも見えるそうです。
給水塔から北へ少し行ったところに、「旧多摩聖蹟記念館」があります。明治天皇の行幸を記念して1930(昭和5)年に建てられたもの。明治天皇はウサギ狩りや鮎漁などで計4回、現在の多摩市を訪れています。自然豊かなこの地域が、よほどお気に入りだったのでしょう。この日はあいにく休館日で、展示は見られませんでしたが、ウエディングケーキを思わせる円形の建物もとても素敵でした。
防人や戦国武将にゆかりの丘と尾根
「旧多摩聖蹟記念館」のある丘と多摩川の支川である乞田川(こったがわ)を挟んだ対岸の高台には、「関戸城跡」があります。1333(元弘3)年の関戸合戦で新田義貞軍が北条泰家軍を敗走させ、ここに陣を据えたことから「天守台」と言われるようになったとか。「ここからは多摩川の向こうの武蔵野台地を一望できる。鎌倉幕府以来の物見台的な城塞であったとも考えられます」と宮田さんが説明します。
関戸城跡の城山を南へ下り、再び南多摩尾根幹線道路へ。クルマを駐車場に停めて、ここからは南多摩尾根幹線道路に沿って整備されている遊歩道「多摩よこやまの道」を歩きます。当日は真夏の大変暑い日でしたが、木々が茂る遊歩道は木陰もあって涼しく感じられました。
少し歩いて着いたのは、宮田さん率いる歴史古街道団が「防人(さきもり)見返りの峠」と名付けた展望台。防人とは古代、国防警備のために北九州へ配備された兵士たちのことです。「防人は東国から陸路で都まで行き、当時の大阪の難波津から船で瀬戸内海を通って北九州へ向かいました。万葉集にも『赤駒を野山に放し捕りかにて 多摩の横山徒歩(かし)ゆか遣らむ』と詠まれています」と宮田さん。
この東西に連なる尾根道に、古街道である「鎌倉古道」が南北に交差していた痕跡が多数発見されており、一帯は古代から東国と西国を結ぶ交通の要衝だったと推測されています。
朝ドラのロケ地になった旧四谷見附橋
最後に立ち寄ったのは、八王子市の長池公園です。その目玉は、何と言っても「長池見附橋」。新宿区四谷にあった「四谷見附橋」を1993(平成5)年に移設・復元したものです。終わったばかりのNHKの連続テレビ小説『虎に翼』にも、たびたび登場していましたね。
四谷見附橋は、明治期に東京市区改正事業の一環として計画されたもので、1913(大正2)年に竣工しました。隅を花崗岩で押さえたレンガの橋台と、こげ茶色に塗装されたアーチがシックでおしゃれです。近くの赤坂離宮(現在の迎賓館)とテイストを合わせるために、高欄(欄干)や照明灯にはネオ・バロック様式のデザインが施されています。
四谷から多摩ニュータウンの現在地へ引っ越したのは、四谷見附橋を含む新宿通りが拡幅されることになり、橋の長さが足りなくなったから。けれども、壊してしまうにはあまりにも惜しい名橋だということで、移設が決まりました。ちなみに、新設された四谷見附橋はJR四ツ谷駅の真上に架かっていますが、旧橋のデザインを踏まえているため、見た目は長池見附橋とよく似ています。
長池公園は、この地に古くからあった長池を中心に小川や湿地、雑木林を残して整備した自然保全型公園。南北朝時代に武蔵国の武将・小山田高家に嫁いだ浄瑠璃姫が、討ち死にした夫の後を追い、薬師如来像を背負って長池に身を投げたという「長池伝説」が伝わります。
飛鳥・平安時代の防人から南北朝・鎌倉時代の武将や姫、そして現代に生きる私たちまで、気が遠くなるほど長い時間を経て、大勢の人々がこの地に住み、また尾根の道を行き交ったことでしょう。宮田さんが歴史監修をした「防人見返りの峠」の案内板には、多摩ニュータウンの建設にあたり、約1,000カ所もの遺跡が発掘されたことが記されていました。「現代のニュータウンの下に、縄文時代のニュータウンが存在した」とも言われているとか。
縄文から続く、古くて新しい多摩ニュータウン。私の知らない見どころが、まだまだ隠れているに違いありません。多摩ニュータウン学会や歴史古街道団では、こうした多摩地域の歴史を学び、名所をめぐるウォーキングツアーを開催しています。ご興味のある方は、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。
(参考資料)
「よこやまの道・稲城ルートの提案」篠原啓一/多摩ニュータウン学会『多摩ニュータウン研究』第24号
歴史古街道団サイト
東京都都市整備局「多摩ニュータウンについて」
UR都市機構「多摩ニュータウンの概要」
「都市計画変更素案及び特例環境配慮書のあらまし」多摩都市計画道路3・1・6号南多摩尾根幹線(稲城市百村〜多摩市聖ケ丘五丁目間)東京都[PDF]
「くじら橋―市民とともに生きる橋―」秋山 博[PDF]
「多摩川水系三沢川河川整備計画」東京都、神奈川県[PDF]
※記事の情報は2024年11月5日時点のものです。
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【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター
大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp
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