【連載】創造する人のための「旅」
2020.04.30
旅行&音楽ライター:前原利行
優雅に見える美を追求した巨大建築タージ・マハル
"創造力"とは、自分自身のルーティーンから抜け出すことから生まれる。何不自由のないコンフォートゾーンを出て、不自由だらけの場所に行くことで自らの環境を強制的に変えられるのが旅行の醍醐味です。異国にいるという緊張の中で受けた新鮮な体験は、きっとあなたに大きな刺激を与え、自分の中で眠っていた何かが引き出されていくのが感じられるでしょう。この連載では、そんな創造力を刺激するための"ここではないどこか"への旅を紹介していきます。
※本文の記事で書かれている内容や画像は2000~2018年の紀行をもとにしたものです。
タージ・マハルはインドを代表する歴史建築というより、「インドそのもの」だと言っていいかもしれない。世界中の誰もがそれを見ればインドだとわかる、日本なら富士山のような存在だからだ。しかしタージ・マハルは写真と実際に見るのではまったく違う。仕事柄、筆者は何度もこのタージ・マハルを訪れているが、実際に近くで目の前にすると、思っていたよりも重量感があり、威厳に満ちていることに気づくのだ。第1回は、世界でもっとも有名な建築物のひとつであるタージ・マハル。なぜ多くの人がこの建物に魅かれるのかを、探っていきたい。
権力者の墓廟ではないタージ・マハル
インド北部の大都市アグラ。世界中から多くの観光客が、この地にやってくる。その目的はほぼただひとつ、白亜の霊廟タージ・マハルを訪れるためだ。人類は様々な巨大建築物を造ってきたが、それらは教会やモスク、寺院などの宗教建築だったり、宮殿など支配者の権威の象徴だったりと、社会的に必要とされるものが多い。しかしこのタージ・マハルは違う。皇帝が亡き妃のためというプライベートな理由で建てた墓廟だ。これが皇帝自身の廟ならまだわかる。国を統治するには権威が必要だからだ。しかしこれはそうではない。では、なぜそれほどの大建築を建てたのか。筆者はタージ・マハルの前に立つと、いつもそのことを考えずにはいられない。この建物は、皇帝たった一人の情念によって建てられたと言っても過言ではないからだ。
シャー・ジャハーンがムムターズ・マハルと結婚したのは、彼が20歳の時。以降、皇帝はムムターズを愛し、遠征に至るまでどこに行く時も同行させたという。1631年、ムムターズは産褥熱で亡くなる。シャー・ジャハーンのショックは大きく、髪の毛が真っ白になったという。翌年、シャー・ジャハーンはそれまで類を見ない墓廟であるタージ・マハルの建築事業に着手する。最初は「愛する妻に捧げる」という動機だったのだろう。しかし、次第に目的は「美しい建築物を造る」というものに変わっていったのではないか。そう感じるほど、細部までのこだわりが尋常ではないのだ。
当時のイスラム世界の芸術の粋を結集した大事業
私は昔から世界史好きなこともあり、旅をしていて歴史的な建物を見るのが好きだ。インドにも多くの魅力的な建築があるが、タージ・マハルがインドの他の建築に比べて秀でていると思うのは、それが「見られる」ことを意識して建てられたことだ。それはインドで貴重だった白大理石を惜しげもなくふんだんに使っていることからも確かだろう。
タージ・マハルの建設には世界各国から一流の設計技師や工匠が集められた。わかっているだけでも丸屋根の設計師はトルコから、刻まれたコーランの文字はシリアやペルシアの書家が、石組みはアラブの専門家が請け負った。親方は多くの弟子や職人を連れてきたから、きっと当時のアグラには外国人技術者たちの村が出来上がっていたことだろう。ドームを抱いた霊廟がほぼ完成したのは1636年だが、付随するミナレット(尖塔)やモスク、庭園などの周辺工事が終わったのは1653年というから、完成までに20年あまりがかかったことになる。
美しく見えるための工夫が細部に
タージ・マハルは正門から入ると、最も美しく見えるように設計されている。何度もタージ・マハルを訪れ、いろいろな角度から霊廟を見ているうち、私もそれがわかるようになってきた。
外から正門に近付くと、正面出口いっぱいにタージ・マハルが見える。ところが正門の建物の中に入り、出口に近付くにつれ、タージ・マハルは門に対して小さくなり、どんどん遠ざかっていくように見える。手の届くところにいた美女が、近付くと離れていくような感じなのだ。
正門から中に入るとそれまで見えなかった四分庭園が手前に、奥に霊廟が見える。この少し離れた正面から見た霊廟が、私たちが見慣れたタージ・マハルの姿だ。霊廟の外側にそびえる4本のミナレットは完全に装飾のためのもので、中央の霊廟に視点を集める絶妙な効果を表しているのだ。疑うなら、指でミナレットを隠してみるといい。優雅に見えた霊廟が、素朴な箱に見えてしまうだろう。女性がスカートの裾を広げて見せるのと同じ役目を果たしているのだ。その優雅な姿は、完璧な左右対称のシンメトリーだからこその演出だ。
さらに庭園の水路に映り込む「逆さタージ」も、霊廟を軽やかに上に持ち上げて見せる効果を生んでいる。もし水がなければ、写真を撮るときのフレームがもっと上に上がり、霊廟は画面の下にくるだろう。ここでは上下のシンメトリーも楽しめる。
近くで見るとまた印象が変わるタージ・マハル
霊廟は一辺95m、高さ5.5mの基壇の上に建っている。霊廟に近づくにつれ、視界から四隅のミナレットが消え、目の前に霊廟が大きくそびえるようになってくる。思っていたよりも大きく、どっしりとした重さが伝わってくる。例えるなら、遠くからは優雅に見えた若い女性が、近付くと威厳のある佇まいの女性だと気づくようなものだ。
基壇を上ると、目の前に墓廟がそびえる。方形の四隅が切られた変形八角形の建物は、どこから見ても同じように見えるシンメトリーな形状だ。高さ58mの建物の足元から見上げると、ふっくらとしたドームは見えなくなり、軽やかに見えた霊廟は重厚な姿に変貌する。私はタージ・マハルを訪れるたび、こうして見る位置によって印象が変わる姿を楽しんでいる。
目を落とすと正面に建物内に入る小さな入り口があるが、人が並んでいなければ見落としそうだ。ここが開放されている建物内への唯一の出入り口だ。
霊廟の中央にある吹き抜けホールの真ん中に置かれているのが、皇妃ムムターズ・マハルの墓石だ。入口の門からここまでが完全にシンメトリーに造られた世界。その世界にただひとつしかなく、存在感を示すのが、中央にあるムムターズ・マハルの墓石のはずだった。しかし現実は違った。ムムターズ・マハルの墓石の隣に、皇帝シャー・ジャハーンの墓石が置かれているからだ。完璧のはずのタージ・マハルの世界で、ここだけが不恰好に対称を崩していて居心地が悪い。それにしても皇妃よりも偉いはずの皇帝の墓石が中央でなく、皇妃の脇に置かれているのを不思議に思う人もいるだろう。実際、私も最初はそう感じていたからだ。それには次のような理由がある。
なぜ皇帝シャー・ジャハーンの墓は造られなかったか
タージ・マハル建設の20年余りは、ムガル帝国の全盛期でもあった。帝国の領土は、インド中央部のデカン高原全域に及び、帝国の歳入は増大した。しかしそれでもタージ・マハルの建設費用は国家財政を圧迫したという。タージ・マハル完成後の1657年、皇帝シャー・ジャハーンはデリーで重病になる。命は取り留めて回復はしたものの、4人の皇子たちはその前に実力で帝位を取ろうと争った。その中で父に背いた3男のアウラングゼーブが他の皇子たちを倒し、1658年、シャー・ジャハーンを、タージ・マハルから2kmほど離れたアグラ城に軟禁して皇位を簒奪する。
シャー・ジャハーンが軟禁されていたという部屋はアグラ城に今も残っている。「ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)」と名付けられたその塔の小部屋からは、タージ・マハルが見えるが、シャー・ジャハーンがそこに行くことは二度と叶わなかった。
軟禁から8年後の1666年、シャー・ジャハーンは病死する。74歳だった。彼の遺骸はタージ・マハルに運ばれ、ムムターズ・マハルの隣に葬られることになった。妃のために巨大な霊廟を建てた皇帝だが、皇帝自身の墓廟がないのはこうした理由からなのだ。
ムムターズ・マハルの隣に置かれたシャー・ジャハーンの石棺を見ると、私は彼の晩年を想像する。死後に愛した妃の隣に葬られたのが、せめてもの救いだろうか。時が経ち、ムムターズ・マハルの霊廟は、頭の「ムム」が取れ、「ターズ」が「タージ」に変わり、「タージ・マハル」と呼ばれるようになった。人々はこの巨大な建物を見て皇妃のイメージを追うが、タージ・マハル建設を進めた、夫である皇帝のことは気づきもしないだろう。
並外れたものを造るには、通常ではないこだわりが必要だ。そしてそのこだわりが人々に強い印象、つまり感動を与えるとすると、タージ・マハルの場合、それがシャー・ジャハーンの亡き妻への愛、そしてそれがこの大建築の細部に至るまでのあくなき美を追求する執念だったのだろう。しかしそれほどまでにこだわって造り上げた美を、自身の墓石が崩すことになるとは思わなかったはずだ。タージ・マハルを訪れるたびに私が圧倒されるのは、建物だけではなく、それを造り上げた人間の力、そして物語を強く感じるからかもしれない。いましばらくは訪れることは叶わないが、きっと再び私はこのタージ・マハルを訪れ、物語を感じに行くだろう。
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【PROFILE】
前原利行(まえはら・としゆき)
ライター&編集者。音楽業界、旅行会社を経て独立。フリーランスで海外旅行ライターの仕事のほか、映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に関心を持ち執筆活動。訪問した国はアジア、ヨーロッパ、アフリカなど80カ国以上。仕事のかたわらバンド活動(ベースとキーボード)も活発に続け、数多くの音楽CDを制作、発表した。2023年2月20日逝去。享年61歳。
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