ボロブドゥール仏教寺院(インドネシア)| 地上に創造された曼陀羅(まんだら)の世界

【連載】創造する人のための「旅」

旅行&音楽ライター:前原利行

ボロブドゥール仏教寺院(インドネシア)| 地上に創造された曼陀羅(まんだら)の世界

"創造力"とは、自分自身のルーティーンから抜け出すことから生まれる。コンフォートゾーンを出て、不自由だらけの場所に行くことで自らの環境を強制的に変えられるのが旅行の醍醐味です。異国にいるという緊張の中で受けた新鮮な体験は、きっとあなたに大きな刺激を与え、自分の中で眠っていた何かが引き出されていくのが感じられるでしょう。この連載では、そんな創造力を刺激するための"ここではないどこか"への旅を紹介していきます。

※本文の記事で書かれている内容や画像は2000~2018年の紀行をもとにしたものです。

インドネシアのジャワ島中部にある仏教遺跡ボロブドゥール。世界遺産に登録され、内外の観光客を集める一大観光地だ。多くの人たちはその遺跡の大きさに圧倒されるが、それが何のために造られ、そして何を表しているかを詳しくは知らない。そしてこの遺跡が千年以上も密林の中に埋もれていたことも。今回はこの世界最大の仏教遺跡を訪れ、大乗仏教の曼陀羅を地上に造り上げた、名もなき人々の「創造力」を探っていきたい。


仏像の顔に朝日が当たる仏像の顔に朝日が当たる




ジャワの密林に夜明けが訪れる

夜が明けてきた。見上げると先ほどまで輝いていた満天の星は空に溶け出し、地上には密林を覆う朝霧が見えてきた。手前では朝日に照らされた仏像が、清らかな表情でそんな風景を見つめている。自分もこの如来像と共に、天上界から下界を見下ろしているような気分になってきた。ここはボロブドゥール遺跡の大ストゥーパの頂上。ご来光をここから眺めるのは、これで何回目だろうか。しかし飽きることはない。遺跡内にあるホテルに宿泊した少数の旅行者だけが、一般入場の前に遺跡に入り、ここで静かな夜明けを迎えることができるのだ。


ポロブドゥール近くの農村で田植えをする人々。後ろには活火山のムラピ山が見えるポロブドゥール近くの農村で田植えをする人々。後ろには活火山のムラピ山が見える




中部ジャワに繁栄した仏教国家シャイレーンドラ朝

ジャワ島中部の古都ジョグジャカルタから北へ約42km、熱帯の木々が茂るケドゥ盆地の中にボロブドゥール遺跡はある。この仏教寺院が建てられたのは、780年頃から792年のこと。日本で言えば奈良時代からまもなく平安時代に移り変わる頃で、やはり多くの仏教寺院が建てられていた。ボロブドゥール寺院を建設したのは、8世紀から9世紀にかけて中部ジャワを支配していたシャイレーンドラ朝だ。
当時、人口の多い中部ジャワには古マタラム王国などいくつかの勢力があったが、いずれもヒンドゥー教国家だった。東南アジアでは大乗仏教が伝わる以前からヒンドゥー教が広まり、地域によっては両方の信者たちが共に住んでいた。ジャワ島ではシャイレーンドラ朝は当時ほぼ唯一の仏教国家で、比較的短期間で勢力を伸ばした。内陸を支配した他の勢力と異なりシャイレーンドラ朝は海洋国家で、カンボジアやベトナムにも遠征をし、中国とも交易をして富を築いていた。そんな中でのボロブドゥール寺院の建設は、仏教徒が少数派だったからこそ、いっそう仏教を盛り立てたいという意思があったのかもしれない。




丘上に建てられたピラミッド型の寺院

下から見上げたボロブドゥール寺院。手前の角には下から見上げたボロブドゥール寺院。手前の角には"隠れた基壇"が見える


ボロブドゥール寺院は石造りで、一辺約123mの正方形の基壇の上に階段状のピラミッド型で造られている。高さは34.5m。エジプトやメキシコのピラミッドと異なるのは、自然の丘上に盛り土をして、その表面に同じ高さの石のブロックを積み重ねていった構造物になっていること。つまり内部は丘の土なので、比較的短期間で完成したのだろう。
この寺院は全部で9層から成り、階段で頂上のストゥーパ(仏塔)まで登ることができる。各層は基壇を入れた下の6層が方形、上の3層が円形で、それぞれぐるりと一周できる回廊がある。基壇以外の方形の層の回廊にはびっしりと仏教の浮き彫りが描かれている。まずは順路に従い、下からこの大寺院を簡単に案内しよう。


丘下から階段を登り、最初に出合う基壇には浮き彫りがない。これには理由があり、もともとこの基壇にもびっしりと浮き彫りが施されていた。しかし建設が始まるとまもなく構造上の問題が生じ、上部を支えるために基壇を拡張しなければならなくなった。そこでせっかく彫られた浮き彫りを塞ぎ、その外側に何の装飾もない石組みが追加されたのだ。寺院が完成したら、再度浮き彫りが施される予定だったのかもしれないがそうはならなかった。現在、この基壇の一部の石が外されて「隠れた基壇」が露出した場所があり、そこにある浮き彫りを見ることができる。こうした"失敗"の跡が分かるのも、当時の人々の"創造"への試行錯誤が垣間見えて興味深い。




回廊を覆う釈尊の生涯の物語と仏教説話の浮き彫り

第1回廊の浮き彫り。この回廊の主壁の浮き彫りだけ2層になっている第1回廊の浮き彫り。この回廊の主壁の浮き彫りだけ2層になっている


階段を登り第1回廊へ。回廊の浮き彫りは主壁(寺院側)と欄楯(外側)の両側にあるが、メインは主壁のほうだ。第1回廊の主壁の浮き彫りだけ上段と下段の2層で、あとは1層になっている。最初にあり、もっとも有名なのは、第1回廊の主壁上段に120のパネルで描かれている「釈尊の生涯の物語」だろう。
パネルのスタートは天界(兜率天=とそつてん)にいる釈尊の生活から始まる。13面目になり、ようやくマヤ夫人が「白象が自分のお腹の中に入る霊夢を見る」という、私たちが知っているシーンが登場。28面目で釈尊が誕生し、64面で太子は城を出発、84面で村の娘スジャータから乳粥を受け取り、94面から菩提樹の下に座り禅定(ぜんじょう)に入る。96面で悟りを開いた太子はブッダとなり、最後の120面目はその釈尊が本格的に伝道を始めるシーンで終わっている。この「釈尊の生涯の物語」の下段には、ジャータカ(ブッダの前世の物語、本生譚=ほんしょうてん)やアヴァダーナ(仏教説話)の13の物語が、やはり120のパネルに描かれている。


階段を登り、第2回廊へ進むと主壁の浮き彫りは1段になり、「華厳経」の善財童子の巡礼の模様が描かれている。ボロブドゥールまでやって来る巡礼者の姿を重ね合わせたのかもしれない。この善財童子の物語はその上の第3回廊まで続く。第4回廊まで来ると主壁にあるパネルの数は72面とかなり少ない。


第1回廊の「釈尊の生涯の物語」より13面の「マヤ夫人の霊夢」。左上に白象が描かれている第1回廊の「釈尊の生涯の物語」より13面の「マヤ夫人の霊夢」。左上に白象が描かれている


つい150年ほど前まで世界は文字が読めない人の方が多かった。仏典に書かれていることも多くの人々には文字では理解できなかった。つまりボロブドゥールのこの回廊の浮き彫りは、ビジュアルで理解できる仏典というべきものだったのだろう。




たどり着いた先は煩悩を捨て去った世界

3層からなる円壇部分。すでに地上を写したものは消え、抽象化された世界がある3層からなる円壇部分。すでに地上を写したものは消え、抽象化された世界がある


第4回廊を登り、最後の方形である露壇に出ると急に見晴らしが良くなる。そして今までずっと回廊の浮き彫りを見てきた身としては、人間界の煩悩から解き放たれた解放感さえ感じる。これもこの建築者の狙いで、ここから先が「天界」となるのだ。しかしまだ終わりではない。円壇は3層あり、さらに上があるのだ。


円壇上には釣鐘状の仏塔が並び、空いている穴から中を覗くと仏像が納められているのが分かる。これらの円壇上の仏像は全部で72体。今まで登ってきた各層にも4方向に如来の坐像があった。素人には同じ坐像に見えるが、手の印が異なり、例えば西側は禅定印を結んだ阿弥陀仏が配されている。そしてこの円壇上には転法輪印を結んだ釈迦牟尼仏がいる。その配置から作者がこの仏教寺院を巨大な金剛界曼陀羅として建築していたことに気づく。


一見同じような円壇の仏塔も、よく見るとその穴の形には違いがある。外側の2層がひし形、3層目が正方形なのだ。ひし形はまだ不安定な人の心、正方形は安定した賢者の心を表しているという。では最上部はというと、そこにはもはや窓もないただ1つの大仏塔がある。これは煩悩が全て消え去り、「無」の境地に達したことを表しているのだ。参拝者は下から順に登ることで仏教を学びながら巡礼をし、悟りの境地を心と体で学んでいく。つまりこの寺院は祈りの場ではなく、曼陀羅の中を歩きながら仏教の教えを身につける学びの場であり、体験の場でもあった。現代的に言えば「大乗仏教のテーマパーク」だったのではないか。そんなことを想像してしまった。




千年以上埋もれていた寺院が現代によみがえる

ダギの丘から見たボロブドゥール寺院の全景ダギの丘から見たボロブドゥール寺院の全景


このように巨大なボロブドゥール寺院だが、実は千年近くも密林に埋もれており、その存在は忘れられていた。1814年、イギリス人のトーマス・ラッフルズが「ジャワの密林に埋もれた遺跡」の話を耳にし、森の中に分け入ってボロブドゥールを発見する。その時は一部が発掘されたにすぎなかったが、19世紀中頃には組織だった調査が行われるようになった。


ボロブドゥール寺院が忘れられてしまった理由にはいくつか説がある。まずはシャイレーンドラ朝がボロブドゥール改修後20年余りでジャワを追われてしまい、ジャワでは再びヒンドゥー教が主流になったこと。そしてムラピ山の噴火による降灰で寺院が埋もれてしまったという説。その他にも何らかの理由で、意図的に埋められたという説もある。しかし土中に長い間埋まっていたおかげで雨風の浸食から逃れ、その姿が現在に残されることになったのだ。私たちはそのことに感謝しなければならない。


現実の世界に戻る時がやってきた。太陽は地表を離れて空に上がり、地上の全てのものを照らしていた。開場の午前6時になり、向こうからやって来る大勢の観光客たちの姿が見えてきた。まもなく、私が座っている大仏塔にも多くの人々が登って来るだろう。


地上に巨大な曼陀羅を造り、仏教の教えの世界を実際に造ってしまったボロブドゥールの建設者たち。彼らは千年後のいまも、この寺院に多くの人が訪れることを予期していただろうか。千年前の名もなき建築家たちの創造物が、いまも人々を動かしているのだ。


ボロブドゥール寺院の正面入り口。丘の上にあるのでより高く見えるボロブドゥール寺院の正面入り口。丘の上にあるのでより高く見える

  • プロフィール画像 旅行&音楽ライター:前原利行

    【PROFILE】

    前原利行(まえはら・としゆき)
    ライター&編集者。音楽業界、旅行会社を経て独立。フリーランスで海外旅行ライターの仕事のほか、映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に関心を持ち執筆活動。訪問した国はアジア、ヨーロッパ、アフリカなど80カ国以上。仕事のかたわらバンド活動(ベースとキーボード)も活発に続け、数多くの音楽CDを制作、発表した。2023年2月20日逝去。享年61歳。

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