宮本我休|1000年以上続いてきた仏像彫刻の世界。前進、チャレンジすることで歴史はつながっていく

アート

宮本我休(みやもと・がきゅう)さん

宮本我休|1000年以上続いてきた仏像彫刻の世界。前進、チャレンジすることで歴史はつながっていく

宮本我休(みやもと・がきゅう)さんは学生時代にファッションを学び、ファッションイラストレーターやアーティストとして活動していた25歳の頃、仏像彫刻に魅せられ仏師へと転身。9年間の修業期間を経て独立し、仏像彫刻や修復を手がける宮本工藝を設立しました。現代に受け継がれる仏像彫刻や修復技術、歴史を継承する想いについて、お話をうかがいました。

写真:成田 舞


仏像には決まった「型」があるのか

――ざっくりと仏像を造る手順を教えてください。


仏像は木寄せと言って、製材した木を組み合わせて造る「寄木(よせぎ)造り」が主流です。ブロック状の木材を組み合わせて形にして、そこから彫刻を始めていきます。叩きノミでおおよその形を出して、細かい彫刻刀に持ち替えて細部を造り込んで、仕上げ方によっては彩色したり、金箔を貼ったり、私以外の職人さんにもお願いすることも多いので、いろんなスペシャリストの手を借りながら、最終的に仕上げていくという流れです。また、木彫に入る前に、完成イメージの原型を粘土で試作することも多いです。


原型を粘土で試作してから木彫に入る


――仏像には、決まった型のようなものはあるのでしょうか。


仏像には悟りを開いた「如来(にょらい)」グループを頂点に、「菩薩(ぼさつ)」「明王(みょうおう)」「天部(てんぶ)」と続く4つのグループがあります。如来は「儀規(ぎき)」と呼ばれる決まりごと――印相(いんそう)*1や足の組み方、衣装など――が多くなって、創作という部分では自由度があまりありません。逆に天部は自由度が高くなる、と私は解釈しています。


*1 印相(いんそう):仏像が手指で示す手の形やサイン。それぞれの仏の教えや徳(役割)を表す。


智拳印を結ぶ大日如来像(左)は如来グループ、大日如来の化身と言われる不動明王(右)は明王グループ(作:宮本我休/写真提供:宮本工藝)


――如来グループは、あまり創意工夫の余地がないのですね。


そうですね。ただ、それも面白いところで、たとえば「智拳印(ちけんいん)*2」を結んだ1000年前の仏像を見本にして、10人の仏師が同時に造ったとしても、全く違う10体が出来上がるんです。形や姿勢は同じでも、肉付きやお顔の雰囲気などにかなり作家性が出ます。だから、同じ形でも仕上がりはまったく違う雰囲気になります。


*2 智拳印(ちけんいん):密教における「大日如来(だいにちにょらい)」が結ぶ代表的な印相。


仏像の公伝は古墳時代(538年、552年説など諸説あり)ですが、大陸から渡ってくる過程で、さまざまな像が生み出されました。1000年以上にわたって受け継がれてきましたが、実は古代や中世よりも、江戸から近現代のほうが種類も表現の幅も広がっているんです。


江戸時代はとても活発で、新しい神仏が次々に生み出された時代でもありました。「マリア観音」などもその代表例です。神仏習合で、お稲荷さんに仏さんが乗っているような像も多く造られています。ある意味、とても面白い時代です。


ノミは計400〜500本ほど使用する




1000年以上続く、日本の仏像の系譜

――造り方も受け継がれているんでしょうか。


そうです。形もそうですし、仏像にも黄金比があります。我々仏師の祖といえば、平安時代中期から後期に活躍した定朝(じょうちょう)という仏師です。今も、その方の形と造り方を引き継いでいる、という自覚のもと制作しています。


定朝以前は、大陸から伝わった仏像を、渡来系の工人たちが造るような流れがありました。そこに定朝が現れて、日本独自の美意識とスタイルで仏像を造っていこうという方向へ切り替わったんです。いわゆる"メイド・イン・ジャパン"の仏像です。


寄木造りを積極的に採り入れたり、日本的な穏やかな面相を体系化したのも定朝です。それまでの仏像は、大陸的で彫りが深く、鋭い印象のものが多かった。それを、少し平坦で柔らかい、日本らしい表現へと変えていったんです。


運慶や快慶といった、有名な鎌倉時代の仏師たちもその流れを受け継ぎ、現代の私たちにもつながっている。だから、1000年以上同じ形を引き継いでいるという感覚があります。




現代のテクノロジーで効率化する下仕事

――造る工程で現代になって変わったところ、やりやすくなったことはありますか。


変わった部分はあります。デスクを見ていただくと分かりますが、彫刻前の下仕事はほぼすべてパソコンで行います。イラストレーターやフォトショップなどのグラフィックソフトを駆使して図面を造り、それを出力したりと、私は特に積極的に使っている方だと思います。


実際の彫刻を行うのは、ノミと木槌です。それ自体は1000年以上変わっていません。ただ、アナログ作業の時間をできるだけ長く取りたいので、それ以前の工程はテクノロジーで効率化しています。



――逆に、昔はできていたけれど、今は失われてしまった技術もあるのでしょうか。


あります。それどころか、「どうやっていたのか分からない」ということもたくさんあります。例えば東大寺南大門の仁王像(金剛力士像)がありますよね。高さ10メートルほどありますが、記録によれば70日で造られたとされています。


現代で考えると、あれを70日で造るのはまず不可能です。しかも1000年前は電気もない。夜は作業もできない。それなのに70日というのは、どうやって考えても説明がつかないんです。もちろん当時は仏像造りが国家事業ですので、1000人規模の人海戦術だったとは思いますが、それでも説明がつかないスピードです。何か今は失われたやり方があったんだろうなと思います。




精神がだらける前に、肉体がだらける



――長時間作業されると思うのですが、集中力を保つコツはありますか。


加齢とともに集中力も落ちてきますから、私もいろいろ試行錯誤しています。まず、これは完全に持論ですが、「精神がだらける前に、肉体がだらける」ということ。つまり、肉体を張り詰めていないと、精神も張り詰められないという。だから身体を鍛えること、メンテナンスを含め、食事にも気を遣っています。1日のルーティンもがっちり決めることで高い集中力を維持しています。


その考えに至ったきっかけは、弟子時代に体験した曹洞宗の禅寺での修行でした。朝4時頃に起き、40分ほど座禅をして、作務(さむ)――掃除や草むしり――をする。空腹のまま低カロリーの食事を摂り、また作務と座禅を繰り返す。すべてが分刻みで決まっているんです。


それ以前の私は、夜遅くまで仕事をして朝遅く起きるような流動的な生活をしていました。でも、決まったスケジュールの中で生きると、一つひとつの作業が驚くほど研ぎ澄まされる、ということが分かるんです。例えば雑巾掛けも、「この時間は雑巾掛け」と決まっているから、それ以外のことを考えない。「雑巾掛けをいかにきれいに、早く終えられるか」だけに集中するから、クオリティが上がるんです。


禅宗では「只管打坐(しかんたざ)」と言いますが、ただひたすら座ることに集中する、つまり目の前のことに集中する。その状態をつくることで、人は最大限の集中力を発揮できるということが分かって。だから私も、雑念を減らして、今やるべきことだけに集中できるように、朝の座禅や食事、着るものまである程度ルーティン化しています。




300年以内に修復するのが望ましい

――修復について教えてください。仏像の修復は、どれくらいの周期で必要になるのでしょうか。


環境によってかなり変わりますが、ざっくり言えば300年に一度くらいは修復したほうがいいと思います。今ちょうど、江戸中期頃――300年前くらいの修復をすることが多いんですが、傷みがかなり進んでいて、木の内部まで傷んでいるケースが多いです。だから、300年以内に一度修復して、良い状態で次の世代へ渡していただきたいなと思います。


――江戸時代に造られた仏像の修復を通して、制作者の意思を感じることはありますか。


もちろんです。最近、清水寺の毘沙門天像を修復していますが、これは今まで何百体と扱った中でも群を抜いてパーツ数が多い。300パーツ以上で構成されているんです。それをすべて分解して、パズルのように組み直していきます。私は、このパーツ数の多さは、その仏師さんの試行錯誤の痕跡だと思っています。


昔は今のように粘土で試作することができないので、木を彫りながら「もう少し腰をくねらせたい」「顎を引きたい」と細かく調整していました。木彫は削りすぎたら戻せませんから、木片を足して修正していくしかない。


つまり、パーツが多いということは、つけ足した跡ということで、その何回も調整した痕跡に情熱を感じるというか。例えばその毘沙門天像は兜をかぶっているのに、見えない部分の髪筋まで丁寧に彫られていました。見えないところにも気を払われているのを見ると、単なる作品ではなく、信仰心のもとで造られていたことが分かるんです。とても刺激をいただきますね。


平安時代後期(推定)に造られた聖観音立像。現状保存修復で欠損部分を補填し、古色で仕上げる




完全復元修復と現状保存修復

そして修復にも大きく2通りあって、ひとつは「完全復元修復」で、これは造られた当初の状態に戻す修復のことを言います。塗装を剥がして、木の状態に戻し、バラバラになった部材を組み直して、新たな塗装を加えていきます。極彩色であれば色をのせて、金色であれば漆を塗って金箔を貼って、と真っさらにしていく修復です。


もうひとつが「現状保存修復」。古びた状態そのものを歴史的な価値として残す考え方と手法です。欠けた部分だけ補い、「古色(こしょく)」というヴィンテージ加工で周囲になじませて、どこをつけ足したか分からなくする。完成しても、見た目はあくまで古いままです。


――どちらが良い、悪いということはありますか。


良し悪しはありませんが、求められる技術が違います。現状保存修復は、破損した部分を修復して、仕上げにヴィンテージ加工というシンプルな作業になるので、だいたい一社で完結できます。一方で、完全復元修復は内側から外側まで根本的に造り直していく過程で、彩色や漆、金箔など、それぞれで専門性の高い技術が必要になります。つまり、完全復元修復を行うには、技術の継承が必要なんです。


神社の式年遷宮は、20年に一度、神殿を建て替えたり、御神体に新しい社殿にお遷りいただく神事ですが、それは建築技術や伝統文化を次世代に継承する目的で続けられています。だいたい20年スパンで親方から弟子へその技術が伝えられるんです。


明治以降、「古めかしい状態そのものに価値がある」という美術の考え方が入ってきましたが、それ以前は、仏像はあくまで信仰の対象だったので、「常若(とこわか)」の精神で常に新しく造り直していました。


でも今は、歴史的価値、骨董的価値を見出して保存しようとする風潮が強い。もちろんそれも大切ですが、それだけでは職人の仕事がなくなり、技術継承が途絶えてしまう。だから私は、「すべての仏像を完全復元しなくてもいい。でもそのうち2〜3割程度は完全復元修復を選んでいただきたい」と言い続けてきました。今では清水寺さんや南禅寺さんがその考えに賛同してくださり、将来国宝級になるような像の完全復元修復を任せていただいています。



――新しい仏像を造ることと、修復することは、別の難しさがありますか。


そうですね。新しい仏像は、私の作風を気に入って依頼してくださる。つまり、作家性を買ってくださっている。でも修復は逆です。徹底的に元の作者を真似して合わせるんです。癖や意図を読み取り、自分の作為を加えないという前提でやっています。でもそれ自体が難しくて、「完全に真似できる」ということは、元の作者より技術がないとできないことでもあります。




世界遺産、下鴨神社に獅子狛を奉納

――これまで手がけた作品の中で一番心に残っているものは何ですか。


仏像ではないですが、下鴨神社で知られる賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の「獅子狛(ししこま)」ですね。左の角が入っているのが狛犬、右が獅子です。


下鴨神社の御祈祷所、鴨社禮殿に納めた獅子狛(作:宮本我休/写真提供:宮本工藝)


2000年以上の歴史がある、まさに京都を代表するような神社からご依頼をいただいて、おそらく今後、数千年以上残っていくものだと私は思っているので、とてつもないプレッシャーを感じながら制作しました。


――金と銀なのですね。


金と銀ですね。150年前に造られた、下鴨神社の本殿にある獅子狛も金と銀です。狛犬の角の形状も変わっていて、ちょっとナイフみたいになっています。これも下鴨神社さん特有の形状で、それも踏襲しています。


無事、一昨年(2024年)の夏にお納めして、当時の宮司さんから非常にありがたいお褒めの言葉をいただき、神社のホームページにも大きく載せていただいて、非常に大切にしてくださっています。鴨社禮殿(らいでん)という御祈祷所にありますので、ご祈祷する際にご覧いただけると思います。


工房にある獅子狛の実物大の模型


――大型犬のようなサイズ感ですね。神社にいるのは「狛犬」だけだと思い込んでいましたが、獅子と狛犬でセットなんですね。


皆さん狛犬って言われるんですけど、獅子と狛犬で「獅子狛」なんですよ。狛犬というと、片方しか指していないので間違いです。諸説あるんですが、どちらも入ってきたルーツが違うんです。獅子はやっぱり西洋からきていて、古代ローマ時代はライオンが神獣とされて、そのルーツからシルクロードを渡ってきたのではないかと言われています。狛犬はどうやら中国〜朝鮮半島から入ってきた、角が生えた霊獣だったようです。全く別の神獣として入ってきて、日本で合わさったという。


――面白いですね。セットになって日本独自のものになったんですね。


もともと神様がおられる拝殿みたいなところがあって、そこに布をふわっとかけるんですね。その布が風でひらいて飛んでしまうので、石の重しを乗せていたそうです。それが1000年以上前。その重しがただの石では芸がないので、これを彫刻しましょうとなり、神獣で守らせようと。最初はただの石だったのに、今ではもう神殿を守る神獣になった。どんどん出世したんです。




造った仏像が1000年後に"伝統"になっている可能性もある

――これまでお話をうかがっていると、仏像はどこかクラシック音楽に近い気がします。モーツァルトの曲を今も演奏しているけれど、指揮者や演奏家によってまったく違って聴こえるような。


まさに。いい例えですね。しっかりした系譜の上にある名作は、時代を経ても色褪せることはありません。仏像も過去の名作を研究しながら、それぞれの時代に生きた仏師がアレンジを加えてきました。そして形状や美しさというのは、これからも踏襲していかないといけない。


私は鎌倉時代の快慶という仏師が大好きで、今も徹底的に研究して、模刻もしています。でも、快慶の造形そのものを真似するだけでは意味がない。快慶自身も、平安時代の仏像を研究し、模刻し、その上で自分の表現を加えていたんです。だから、過去に縛られて留まり続けるのは、むしろ歴史への冒涜だと思っています。


私は快慶の造形を学びながらも、自分の解釈を加える。例えば代表作の韋駄天(いだてん)では、韋駄天走り*3で仏舎利を取り戻して帰ってきた瞬間を彫りました。布が暴れて、少し後に落ち着いてくる、その情景を表現していて、もともとファッションの世界にいた経験が活きています。


代表作の韋駄天(作:宮本我休/写真提供:宮本工藝)


もしかすると、800年後、1000年後には、私の造った仏像が伝統になっている可能性もある。前進してチャレンジしていく気持ちがあって、歴史はつながっていくんだと思います。


*3 韋駄天走り:釈迦が入滅した際、鬼が釈迦の遺骨(仏舎利)を盗んで逃げ去った。その時、韋駄天が鬼を猛スピードで追いかけ、遺骨を取り戻したという説話から、目にも留まらぬ速さで走ることや、全力疾走する様子を言う。


快慶の傑作、醍醐寺三宝院(だいごじさんぼういん)の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう/左)と東大寺俊乗堂(とうだいじしゅんじょうどう)の阿弥陀如来立像(右)は常に目に入るところに貼っている


※記事の情報は2026年6月16日時点のものです。

  • プロフィール画像 宮本我休(みやもと・がきゅう)さん

    【PROFILE】

    宮本我休(みやもと・がきゅう)
    仏師
    1981年、京都市生まれ。高校卒業後、短大・専門学校で5年間服飾を学び、ファッションイラストレーターとして活動した後、仏像彫刻の世界に入る。9年間の修業を経て、2015年に独立。京都・西山に仏像彫刻・修復を行う「宮本工藝」を設立。趣味はカメラ、山登り。

    公式HP : https://gakyu.jp/

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