鳳蝶美成|"盆ジョヴィ"の仕掛け人が見出した、盆踊りの秘めたる魅力と可能性

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鳳蝶美成さん 日本民踊 鳳蝶流 家元師範〈インタビュー〉

鳳蝶美成|"盆ジョヴィ"の仕掛け人が見出した、盆踊りの秘めたる魅力と可能性

2013年に初開催されてから、東京・中野の夏の風物詩として定着したイベント「中野駅前大盆踊り大会」。2018年にはBON JOVI(ボン・ジョヴィ)の曲に合わせ盆踊りを踊ったところ、その様子がTwitterで拡散されボン・ジョヴィの公式アカウントが反応したことで、"盆ジョヴィ"の名で一躍有名になりました。そんな大会の仕掛け人こそ、日本民舞の流派のひとつ「鳳蝶流」家元師範の鳳蝶美成(あげは・びじょう)さんです。盆ジョヴィとは何か、盆踊りを通して鳳蝶さんが見据える世界とは何か。これまでの活動をひも解きながら、鳳蝶さんが考える盆踊りの魅力についてお話をうかがいました。

写真:吉澤 健太


盆ジョヴィ誕生は偶然。切っても切れない中野とボン・ジョヴィの関係!?

──鳳蝶美成さんといえば、中野駅前大盆踊り大会の仕掛け人ですね。同大会が多くの人に知ってもらうきっかけになった"盆ジョヴィ"誕生の経緯を教えてください。


実は、盆ジョヴィは、狙ってできたものではないんです。きっかけは、2018年に行われた「中野駅前大盆踊り大会」。イベントではおなじみのDJ Cellyちゃんがステージに上って音楽を流し、自分が盆踊りを踊って、会場がすごく盛り上がっていた時のことでした。


会場にThe Doobie Brothers(ドゥービー・ブラザーズ)の「Long Train Runnin'」が流れると、お客さんのボルテージも上がり、会場もさらなる熱気に包まれていきました。そんな状況で、舞台監督が慌てた様子で僕のところにやってきて言うんですよ。


「進行が巻いて(早く進んで)まだ時間があるんですけど、どうします? あと少しやれます?」


残念ながら時間が巻いた時のことなんて想定していません。とはいえ会場はすごい盛り上がり。やめるという選択肢を取れるわけもなく、「この状況ですし、やるしかないっすよね!」と答えました。すると、DJ Cellyちゃんがそれに応える形で「あと、2曲いきまーす!」と叫んで、いきなり曲を流し始めたんです。その曲がボン・ジョヴィの「Livin' on a Prayer」でした。


浴衣姿の客で盛り上がる、2018年の中野駅前大盆踊り大会の様子(写真提供:DJ Celly)浴衣姿の客で盛り上がる、2018年の中野駅前大盆踊り大会の様子(写真提供:DJ Celly)


──ボン・ジョヴィの曲は予定には入っていなかったということですか。


何も決まっていなくてボン・ジョヴィの曲を流したのは本当に偶然です。何の曲を流すかも聞かされず、曲が流れて始めて「うわっ、ボン・ジョヴィ!?」と思ったのを覚えています。けれど、会場は盛り上がっているし、とにかく踊らなくてはいけない。それで鹿児島民謡の代表格でもある「鹿児島おはら節」の振り付けで踊れるところまで踊ってみようと曲に合わせたら、ロックと伝統民踊のギャップがウケたのか、会場がさらに盛り上がるという。


その様子を会場のお客さんが動画に収めていて、Twitterにのせてつぶやいてくれたんです。そうしたら、それがどんどん拡散されていって、ついにはボン・ジョヴィの公式アカウントまで反応するという奇跡が起きました(笑)。


ちなみに、1985年、ボン・ジョヴィが日本初のワンマンライブを行ったのが中野サンプラザなんです。中野とボン・ジョヴィには、いろんな関わりがあります。


──では、盆ジョヴィの呼び名はそこから付いたのでしょうか。


正直、盆ジョヴィと誰が名付けたかは分かっていません。ただ、その盆踊り大会の出来事が当時のYahoo!ニュースで取り上げられると、コメント欄が「盆ジョヴィ」のワードで溢れかえっていたのを覚えています。それからですね、ボン・ジョヴィの曲で盆踊りを踊ることを盆ジョヴィと呼ぶようになったのは。


さらに、その翌々年に中野駅前大盆踊り大会についてテレビの取材を受けた際、取材班に「盆ジョヴィっていうイベントですよね」と質問されたことがあったんですね。中野駅前大盆踊り大会自体が盆ジョヴィで注目されていたし、言われてみれば間違っていない。それから「中野駅前大盆踊り大会」のことを通称「盆ジョヴィ」と呼ぶようになりました。



【Livin' on a Prayer 】中野駅前大盆踊り大会 盆踊りバージョン Filming by Toshi Inomata




ギネス世界記録®への再挑戦。盆踊りを世界へ

──「中野駅前大盆踊り大会」も今年で12回目。毎回、テーマなどを決めているのでしょうか。


自分が東京青年会議所に所属していたこともあり、今社会で何が必要とされるかを考えながら毎回イベントを企画しています。昨年で言えば、コロナ明けの初めての大会ということで、それまで制限を加えた中でやってきたうっぷんを晴らすような機運をつくりたいという狙いがありました。


その目玉企画がギネス世界記録®への挑戦です。中野駅前大盆踊り大会の前の企画として、盆踊りを最大何人で踊れるかというイベントでしたが、2,872人という現在の記録にわずか6人及ばず、記録更新はなりませんでした。


中野駅前大盆踊り大会について話をする鳳蝶美成さん


──今年は何か企てていることはありますか。


中野駅前大盆踊り大会の1カ月後に、去年達成できなかったギネス世界記録®に再度挑戦します。さらに今年は踊る人数だけでなく、何カ国の人が一斉に盆踊りを踊るか、"最多国籍"でもギネス世界記録®の認定を狙います。


中野は在住外国人も多いですし、そうした人にボン・ジョヴィやギネス世界記録®への挑戦を通じて盆踊りという文化を知り、理解していただければいいですね。その人たちがアンバサダーのような立ち位置で盆踊りの魅力を祖国にも広めてもらえれば、中野という街がソフトという意味で広がっていき、いろんな方々により楽しんでもらえることにもつながっていきます。


──今年はボン・ジョヴィのデビュー40周年という記念すべき年でもありますね。何か企画は考えていますか。


(ボン・ジョヴィが所属する)ユニバーサルミュージックさんからもお話があって、当日はグッズコーナーなどを出していただける予定です。オリジナルの手ぬぐいなどを販売するほか、なんとボン・ジョヴィ本人からもコメントをいただける予定です!




郡上おどりとの出合いが人生を変えた

──そもそも鳳蝶さんが盆踊りに興味をもつようになったきっかけとは何だったでしょうか。


私の母が、当時、石川流という流派の教授として民踊民舞の指導をしていたこともあり、小さい頃から地元の盆踊りで踊ったり、ビールケースの上に乗って太鼓をたたいたりしていました。地元が原宿だったため、表参道にある善光寺の盆踊りにはよく行っていましたね。とにかく踊るのが楽しくて、どうやったら盛り上がるように踊れるか、太鼓をたたけるかを考えていました。


当時は、小さい子が珍しかったですし、周りからは「一生懸命踊る小さい子」ともてはやされていて、踊っていて気持ちよさもありました。ただただ、やっていて楽しかったのですが、日本の伝統的な文化という点では何も考えていませんでした。


中野の昭和新道通りで撮影に応じる鳳蝶美成さん


──では、盆踊りを日本の伝統文化として捉え、見方が変わるようになったのはいつ頃からでしたか。


大学4年生の時ですね。日本大学芸術学部に通っていて、卒業論文で郡上おどり*の「かわさき」という曲について書こうとしたことがきっかけでした。その成り立ちからどのような変遷をたどってきて今があるのかを調査するために現地へ行き、そこで目にした光景、体験した郡上おどりに大きな衝撃を受けたんです。


生の三味線や太鼓、歌に合わせ、地元の若い人が先頭を切って踊り、老若男女が一体となって楽しむ。そこには、これまで自分が体験したことのない、ものすごい地域のエネルギーがあって、地元に根付いた伝統行事の大きな可能性に惹かれていきました。

* 郡上おどり:岐阜県郡上(ぐじょう)市で約420年間、歌い、踊り継がれてきた伝統行事。毎年、7月中旬から9月上旬にかけて30夜以上にわたって行われる。4日間、徹夜で踊り明かす「徹夜おどり」などが有名。



──その経験から鳳蝶さんはどのように変わっていきましたか。


それまで自分は1人の踊り手、プレーヤーでしかありませんでしたが、それをきっかけに盆踊りをみんなにもっと知ってほしい、踊ってほしいというメンタルに変わっていきました。東京には東京音頭があり、中野には中野音頭がある。地域ごとに根付いた盆踊りという素晴らしい文化をもっと広め、盆踊りを踊ってもらうにはどうしたらよいかを考えるようになりました。


それから盆踊りを広める普及活動を少しずつ始めたのですが、当時は舞踊や盆踊りだけで食べていけるような時代ではありませんでした。ですので、大学卒業後は3年くらいいろんな仕事を転々としながら、時間を見つけては全国各地の盆踊り大会へ出かけたりして、情報を収集し、見聞を広めていきましたね。


その合間にYouTubeで盆踊りの振り付けを紹介する動画を上げたり、中野の駅前で路上ライブ的に盆踊りを踊ったり......。当時はインプットに重きを置きながら、少しずつアウトプットしていく活動をしていました。


盆踊りの振り付けを披露する鳳蝶美成さん


──それから鳳蝶会を立ち上げていますね。さらに独立に至るまではどうされていましたか。


その後は、5年ほど呉服店に勤めながら盆踊りの普及活動を続け、2010年に「鳳蝶会」を立ち上げて本格的に盆踊り教室を開催するようになりました。徐々にメディアへの露出も増えていったのもこの頃で、知名度が少しずつ上がり、CMの振り付けなどのオファーが入ったり、テレビ出演も増えました。


独立を決心したのは、2012年に渋谷で行われた「渋谷・鹿児島おはら祭」でのこと。いろんな舞踊団体がそれぞれの連(踊りのグループ)で「鹿児島おはら」を踊っていて、指導者も踊り手も高齢化していることを目の当たりにしました。同時に、盆踊りという日本の素晴らしい伝統行事をこのままにしてはいけないと思いを強くしたんです。


「一度きりの人生、呉服店に骨を埋めるのもいいけど、やりたいことをやりきろう。5年間、死ぬ気でやる」


そう腹をくくった瞬間でした。




郷土色が豊かな盆踊りは日本民踊の最高峰のひとつ

──会社を退職されてから1年経たないうちに「中野駅前大盆踊り大会」を開催したのは、すごい行動力、実行力ですね。


腹をくくってから「まず自分が一番やりたいことは何か?」と自問した時、その答えは自分で盆踊り大会を開くことでした。それで、自分が加盟している中野区民踊連盟の先生方に相談すると、「盆踊りの演奏や踊りには協力できるけど、私たち準備は手伝えないわよ」という条件の下、皆さん協力してくださいました。


結果的にですが、20代前半で仕事を転々としてきたことが、大会運営に生きてきたんです。過去には電気設備の会社に1年、飲食店で1年、さらには広告代理店の営業もやっていました。そうしたちゃらんぽらんに生きてきた部分が、電球を付ける際の配線、屋台を出すための保健所への申請、提灯に協賛をいただくための飲食店への飛び込み営業などに、ちょっとずつ役立ちました(笑)。



──第1回からJ-POPなどを盆踊りに採り入れてきたようですが、先生方からの反対はなかったのでしょうか。


反対はなく、むしろ、生演奏をモットーとする「中野駅前大盆踊り大会」では、J-POPの音源を流して盆踊りを踊る時間帯が先生方にとっての大切な休憩時間になります。自分としてはJ-POPなどを通して、それまで盆踊りに興味がなかった人たちに踊ってもらえるチャンスであり、お互いメリットがあったんです。


先生方には盆踊りの全部の曲を好きに決めていいと言われていたので、古典の曲は東京音頭、炭坑節、中野音頭、鹿児島おはら、黒石よされ、河内音頭など、各地の盆踊りの楽しかったものをいいとこ取りしてやっていきました。


そして、先生方の休憩時間にはそれらの踊りをJ-POPや洋楽に当てて、踊ることにしました。例えば「千本桜」は中野音頭、「Baby cruising Love」は相馬盆唄、「YMCA」は炭坑節といった具合に、古典的なものをベースに少しだけアレンジをプラスした振り付けで踊ってもらいます。


そうしてみんなが知っている曲で振り付けを覚えてもらうことで、自然と古典的な踊りを身に付けてもらうことを目指しました。中野という土地はサブカルチャーが根付いている街でしたし、こうした新旧が混ざり合った新しいものにも抵抗がなく、お客さんも好意的に受け入れてくれたこともよかったです。


──今では中野駅前大盆踊り大会の規模も随分大きくなりました。初めから勝算はあったのでしょうか。


第1回は2日間でおよそ3,000人、去年は約6万人を動員しました。もちろん、これほど多くのお客さんに来場いただけているのは皆さんの助けがあってのことですが、自分の中では勝算もありました。


若い子たちは特に浴衣を着るのが好きですよね。これはあくまで自分の主観なのですが、花火大会に行く人たちの半分くらいは、花火よりも浴衣を着ることが目的だと思っていて(笑)。盆踊り大会は、浴衣を着る絶好のチャンスですし、花火大会ほど混まないですし、地元で楽しめます。その層を取り込めれば、集客できるんじゃないかと考えていました。



【Y.M.C.Aを炭坑節の盆踊りの振りで踊ってみた!】鳳蝶美成がY.M.C.Aを炭坑節の盆踊りの振りで踊ってみた!


──中野駅前大盆踊り大会のコンセプトは何ですか。


まずこの大会の大きな使命のひとつとして、盆踊りを広く知ってもらい、1人でも多くの人に踊ってもらうこと。東京や中野にある、東京音頭や中野音頭を根付かせていくことですね。


そして、何より盆踊りの醍醐味である、生演奏で踊ること。商店街や町内会の盆踊り大会ですと、音源を流して踊りますが、生の演奏で盆踊りを踊るという点も、学生時代に郡上おどりを目の当たりにして感銘を受けた大切な部分ですし、盆踊りの魅力だと思っています。


──最後に、盆踊りを愛する鳳蝶さんの今後の目標について教えてください。


手軽に踊れる民族民踊というところが、盆踊りの一番のストロングポイントです。踊りって、人間が言葉も喋れない時から楽しんでいた文化だと思っていますし、リズムを奏で踊って、誰もが楽しめるもの。その日本の最高峰が盆踊りなんです。


スペインであればフラメンコ、ニュージーランドであればハカと海外にも民族舞踊はいろいろありますが、日本には北から南まで、地域ごとに郷土色豊かな盆踊りが根付いています。体感的には4カ国分くらいの魅力がぎゅっと詰まっていて、地域性が濃く出ている点も盆踊りの魅力。生の演奏と歌に合わせ、1人でも多くの人に踊っていただけたらうれしいですね。



■第12回 中野駅前大盆踊り大会
日 程:2024年8月3日(土)・4日(日)
時 間:10:00〜21:00 (予定)
場 所:中野セントラルパーク / パークアベニュー
参加費:無料
主 催:中野駅前大盆踊り大会実行委員会
共 催:中野区民謡連盟
詳しくは公式webサイト


※記事の情報は2024年7月30日時点のものです。

  • プロフィール画像 鳳蝶美成さん 日本民踊 鳳蝶流 家元師範〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    鳳蝶美成(あげは・びじょう)
    1981年、東京都出身。6歳より母である石川流教授(当時)千桧香に民踊舞踊を習う。日本大学芸術学部卒。大学の卒業論文で「郡上おどり」を研究した際にその素晴らしさに感銘を受け、盆踊りの普及活動を精力的に行う。2010年に「鳳蝶会」を設立。auのCM「三太郎音頭」などの振り付けを担当するほか、DJ KOOをはじめとしたアーティストとのコラボも積極的に行ってきた。通称「盆ジョヴィ」で知られる中野駅前大盆踊り大会では第1回より実行委員長を務める。東京2020夏季オリンピック閉会式「東京音頭」出演・演出補佐。

    公式サイト:https://ageharyu.com/
    YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCUhUtq1x4O6ER_J_E8dNWOw

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