村雨辰剛|日本の本来の暮らしや文化を守りたい

アート

村雨辰剛さん 庭師・タレント〈インタビュー〉

村雨辰剛|日本の本来の暮らしや文化を守りたい

10代の頃から日本に興味を持ち、26歳の時にスウェーデンから日本に帰化した村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)さん。今は本職の庭師のほか、ドラマやバラエティー番組への出演、YouTubeでの発信など幅広く活躍されています。日本が大好きで、日本文化を守りたいという村雨さんに、日本に興味を持ったきっかけや学生時代の思い出、庭師という仕事に対する姿勢、日本への思いなどをうかがいました。

日本って独特で面白い! 日本史で日本に惹かれる

──いつ、どのように日本と出合ったのですか。


中学生の頃です。子どもの頃から「暮らし慣れている所とは違う場所に行って刺激を得たい」という気持ちがあって、それはどこなのかなとずっと探し求めていました。そこで惹かれたのが、世界史の中でたまたま勉強した日本史だったんです。日本ってすごく独特なんですよね。ほかの国が世界と交流してすぐに他国に影響されるのに対して、日本は島国で、特有の文化を持っているのがすごく面白いなと思って。世界の中で唯一無二。日本にしかないものがたくさんあって、15、16歳の時にすごくハマりました。


村雨辰剛さん


──具体的には日本のどのようなところに、中学生の村雨さんはハマったのでしょうか。


昔ながらのわび、さびといった美の捉え方や、お茶や生け花、暮らし方など、日本の独特な文化がすごく自分に合っていると思いました。自然と対話しながら生きているような感覚があって、人間と自然の間に壁をつくらず、調和しているのがいいなと思って。例えば、縁側は外の空間にも、中の空間にもなる。西洋の家だったら自然と暮らしの間に壁がありますが、そういう曖昧な空間というのは、日本にしかないものだと思います。そういったところがいいなと思いました。




16歳の時、日本にホームステイ。「生活の全てが印象的」

──村雨さんは16歳の時に初めて来日し、チャットで知り合った男性の家に約3カ月間、ホームステイされました。初めて実際に触れた日本体験ですね。


初めてのホームステイ先は神奈川県でした。広い和室に、床の間も仏間も庭もあり、今思えばやや古風な日本家屋でした。毎日の朝食はご飯とみそ汁、焼き魚に漬物という和食です。日中は、ホームステイ先のお父さんが経営する幼稚園のお手伝いに行ったり、お母さんが茶道をされていてお茶会に誘っていただいたりしました。その生活はスウェーデンとは全く違っていて、全てが印象的でした。


あと、お父さんは毎朝、ご先祖様のために般若心経(はんにゃしんぎょう)を読むんですよ。初めて聴いた時は「何だろ、これ」って奇妙に感じたのですが、それが毎朝当たり前にやってくるとすごく落ち着くんですよね。よく分からないままに毎朝お父さんについて一緒に声に出して読経をしていたら、3カ月後には読めるようになりました。


日本の中でもちょっと古風なライフスタイルを持った家で生活を送ることができた、この最初のホームステイは日本を知る上でも恵まれた環境だったと思います。


──ホームステイの間は学校の部活動も経験されたそうですね。


スウェーデンにはどの地域にも社会人チームがありますが、学校で学生が主体となって活動するものはないんです。学校は勉強するだけの場所で、スポーツも習い事も、全部プライベートの時間にやります。映画やドラマで見る日本の部活に興味があって、その時にしかできない青春を体験したいと思っていました。


できたら高校生の間に経験したいと思い、スウェーデンでやっていたアメリカンフットボール(アメフト)の部活動をやっている学校を探して、参加させてもらえないか電話をかけました。それでホームステイ先から通える学校で、アメフト部の練習に参加できることになったんです。すごくいい経験でした。仲間ができて、自分と同い年の子の生の考えなどが聞けたり。ただホームステイしているだけでは学べないことや経験できないことがいっぱいありましたね。


村雨辰剛さん


──アメフト部で印象に残っている思い出はありますか。


アメフト部のみんなで、アメフトの社会人リーグの大会を観に東京ドームへ行きました。楽しくて観戦後もみんなでおしゃべりをしていて、終電を逃しそうになった時に、ホームステイ先の両親に怒られました。帰ってきた時、両親が本来寝ている時間に起きて待っていてくれて、心配をかけてしまったなと反省しました。僕は10代の頃、すごく自由人でしたし、スウェーデンでは16、17歳って結構大人なので、日本ではまだ子ども扱いされる歳なのだなと思った印象的な出来事でした。




たまたま手に取った求人誌で、天職"庭師"の仕事と出合う

──高校卒業後、19歳の時に再来日して、名古屋市内で、日本人に英語などを教える語学学校に就職されたのですね。なぜ語学の先生になったのですか。


ただ自分の持っている語学の能力を活かして、日本で仕事して生活してみたいというだけで、語学学校の仕事に就いてずっと働きたいと思ったわけではありませんでした。まずは日本で暮らそうと思い、仕事が見つかった語学の先生になって、マンツーマンで英語やスウェーデン語を教えていました。3年くらいその語学学校で働きました。


──そこから庭師の仕事に出合う転機が訪れたのですね。


職業も生活も「日本の芯」に触れたいと思っていて、その中で徒弟(とてい)制度があるような日本の伝統的な仕事ができたらいいなと考えていました。当時住んでいた名古屋市内の造園会社がアルバイトを募集しているのを求人雑誌で見つけました。「造園とは何か」から調べて、日本庭園をつくる仕事だと知った時に、求めていたのはこれだなと思いました。


実際に造園の仕事をさせていただいたら、これが理想的な環境でした。たまたま手に取った求人誌に載っていたもので、運命的にも感じます。意外なところで天職と出合えたなと感じています。


──庭師のどんなところを天職だと感じたのですか。


施主様の庭が、それぞれ独特な個性があって惹かれました。西洋では全く見ないような石の配置ですし、庭木の仕立て方も独特で。それらが全て日本ならではのもので、僕にとっては仕事というよりも、美術館を巡っているような感覚だったんです。朝起きた時に、「仕事行かなきゃ。嫌だな」という気持ちはあまりなくて、「楽しい! 仕事行きたい!」っていう楽しみの方が大きかったです。毎日わくわくしながら仕事ができて、その単純な気持ちが天職だと感じたポイントなのかなと思います。


村雨辰剛さん




徒弟制度への憧れから加藤造園に弟子入り

──アルバイト時代を経て、24歳の時、愛知県西尾市にある加藤造園の親方である加藤剛さんに弟子入りしました。憧れていた徒弟制度の下での仕事は思っていた通りの世界でしたか。


徒弟制度というと、一般的にはすごく厳しい世界だと思いますよね。確かに厳しいは厳しいですが、それを受け入れられるかどうかは、親方との相性もあると思います。僕の場合、親方との相性が良かったので、ギャップは感じませんでした。訳が分からないところで怒られたりといったこともありませんでしたし。もちろん厳しい上下関係は想像通りでした。


──弟子入りしてから5年を経て、村雨さんはメディアへの出演も増えていき、関東に拠点を移す決心をされたのですね。加藤造園を離れる時、親方はどんな反応だったのでしょう。また親方と確かな関係を築けたと感じた瞬間はありましたか。


僕が最後の挨拶をした瞬間、泣いたんです。まさかの涙にびっくりしましたし、胸が熱くなりました。


瞬間というよりは、5年間毎日一緒に過ごした時間の中で、気づいたら確かな関係ができていたという感覚があります。今でも親方とは定期的に連絡を取ったり、会いに行ったりしています。お互い相手への思いがなければ、辞めた後はあまり連絡を取り合うことはないと思うんですよ。そういう関係が今でも続いているということは、そこには仕事以上のものがあったという証拠かなと。




わび、さび、四季の移ろいを感じられる日本庭園が好き

──仕事において心がけていることはありますか。


危険を伴う仕事でもあるので、「安全にきれいに早く仕事する」ということは気をつけています。これは親方からの教えであり、今も日々心がけていることです。それから常に周りをよく観察して、感性や美的センスを磨いていくのも大事だと思います。


自分の生活を日本の本来の暮らしになるべく近いものにして、丁寧に暮らすことも大切にしています。スウェーデンにも四季はありますが、日本に来てからよりはっきりと季節感を意識するようになりました。そういうのって庭師の仕事で最も大切なことです。四季を感じながら毎日丁寧に暮らせば、それも仕事に反映されていくと思います。


村雨辰剛さん


──庭師の仕事で喜びを感じるのはどんな時ですか。


施主様に自分の考え方が伝わったり、意気投合した時です。現代の日本人は日本の本来の暮らしから離れつつあるように思うので、僕は昔からある日本のいいところを忘れずに大事にしてほしいと考えています。日本の良さを提案するような庭をつくらせていただいたり、施主様がその考えに賛同して喜んでくださったりした時に、すごく達成感を感じます。


──ちなみに村雨さんの一番好きな庭園はどこですか。


愛知県西尾市にある華蔵寺(けぞうじ)というお寺が、僕は一番落ち着きますね。すごく高度な技術が使われている庭よりも、自分がその庭にいる時に、豊かで落ち着けるところが一番いい庭だと思います。移ろいゆく空間、その時にしか感じられない瞬間を感じられるのが庭の本質だと思っているので、僕も見る人にそういう効果を与える庭をつくりたいです。


──西洋ではなく日本の庭園を選んだのは、やはり特別な思いがあるからでしょうか。


実は、日本に来るまでは、緑や庭に全く興味がありませんでした。ですが今は、わび、さび、四季の移ろいなどを感じられる日本庭園が好きです。そういうところは日本からこれ以上減ってほしくないと思うから、そこにスポットライトを当ててやっていくことには意味があると思っています。今の日本では、海外からのガーデン文化と日本の庭園文化が混ざっていますが、各文化には本来はっきりとした違いとそれぞれの良さがあって、線を引きたいんです。


村雨辰剛さん




26歳の時、日本に帰化し「村雨辰剛」に改名

──2015年、26歳の時に日本に帰化し、ビョーク・セバスチャンから村雨辰剛に改名されました。「日本人になる」と決意した経緯を聞かせてください。


日本に興味を持って、実際に日本で暮らして、「日本ってやっぱりよかった」と単純に思ったんですよね。「日本が好き。日本で暮らしたい」と思った最初の気持ちは、日本と向き合えば向き合うほど消えることはなく、変わらないままでした。また庭師という仕事と出合った時、僕は一生この仕事でやっていきたいと思いました。日本人になる覚悟は最初からありましたが、日本には好きだと感じる確かなものがいっぱいあって、ここまできたら帰化するしかないなと。


「減っていく日本の文化を僕が守る。そのためにここで生きていく」という自分の使命感もあって、いろんなことが重なって帰化という決断に至りましたね。とても自然な流れでした。


庭師の仕事で使う法被(はっぴ)と道具。法被には「村雨」の文字が刺繍されている。「村雨」は親方・加藤剛さんのお父さんが好きな歴史作家の村雨退二郎から取り、加藤さんに提案してもらったという。「辰」は村雨さんの干支である辰年、「剛」は加藤さんの名前に由来している庭師の仕事で使う法被(はっぴ)と道具。法被には「村雨」の文字が刺繍されている。「村雨」は親方・加藤剛さんのお父さんが好きな歴史作家の村雨退二郎から取り、加藤さんに提案してもらったという。「辰」は村雨さんの干支である辰年、「剛」は加藤さんの名前に由来している




原動力は好奇心。興味を持ったことに積極的に向き合いたい

──仕事以外に大切にしている時間はありますか。


自分の直感でその時にやりたいと思ったことを大事にしています。いろんな仕事をさせていただいているので結構忙しいんですけどね。無理だと思った時は休むし、その中で常に仕事とプライベートのバランスを見つけようと思っています。


──村雨さんはNHK「みんなで筋肉体操」の出演でも話題になりましたが、筋トレはどのくらいの頻度で行っているのですか。


1日1回はやっています。もちろん忙しくてできない日もありますが、基本的に日課を守っていくスタイルです。いいものを習慣にしたいという思いがあるので、筋トレは日課として10代から続けています。


──村雨さんのYouTubeチャンネル「村雨辰剛の和暮らし」では、さまざまな趣味に没頭しながら丁寧に暮らす村雨さんの生活ぶりがうかがえます。庭のお手入れやDIY、生け花、料理など、活動の幅が本当に広いですね! 生き方としても趣味でも、前に突き進んでいく村雨さんの原動力はどこにあるのでしょうか。


好奇心ですね。興味を持ったことには積極的に向き合いたいなと思うんです。歳だからできないとかではなくて、何歳でも興味があるなら素直にやってみる。その中で一生付き合っていくものも見つかるだろうし、やってみて違うなと思えばやめると思います。職人の修業のせいかもしれませんが、やろうと思ったらちゃんとやりたくて、納得いくまではやめないです。



▼ 村雨さんのYouTubeチャンネル「村雨辰剛の和暮らし」



──これからやってみたいこと、実現したいことはありますか。


新しいことを始めるというよりは、既に始めたものの土台を固めておきたいです。いろんなことに挑戦させていただいて、それらに対してもっと突き進んでいきたいなという気持ちがあります。


最近ではバイクに興味を持って、昨年5月に免許を取得しました。これからハマりそうと思っているのは陶芸で、難しいけどすごく面白いです。始めたからには勉強して上手くなりたいと思っています。これから先も、歳をとっても興味を持ったらすぐにやるとか、そういう直感を大事にしていきたいです。


──今回お話をうかがって、日本の文化や本来の暮らしを守っていきたいという思いが強く感じられました。


昔はもっと豊かに季節の中の瞬間瞬間を感じながら生活する丁寧な暮らしがあったと思うんですよね。それが失われていくのはもったいないので、忙しい毎日の中でも少しでも取り戻したいというか。僕は海外から日本を見てきて、日本にしかない、唯一無二だなと感じるものがたくさんあるので、それを仕事でも自分の生活でも大切にしていきたいと思っています。


村雨辰剛さん


スタイリスト:TAKAYUKI SEKIYA
ヘアメイク:深山 健太郎


──ありがとうございました。日本への深い愛が伝わってきて、自分自身も日本の素晴らしさを改めて感じることができました。仕事も趣味も、わくわくすることに真摯(しんし)に向き合う姿がかっこよく、村雨さんの生き方に勇気をもらう人も多いと思います。今後のご活躍も楽しみにしています!


【著書】
「村雨辰剛と申します。」

「村雨辰剛と申します。」
著:村雨辰剛
出版社:新潮社
発売日:2022年6月1日


※記事の情報は2023年1月24日時点のものです。

  • プロフィール画像 村雨辰剛さん 庭師・タレント〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)
    1988年7月25日、スウェーデン生まれ。幼い頃から日本に興味を持ち、日本語を勉強し始めて、日本で日本人として暮らしたいという目標を持つ。高校卒業後、来日。語学講師として働き始め、23歳の時、さらに日本の伝統文化と関わる仕事がしたいと造園業に飛び込み、見習いから庭師となる。26歳の時に念願の帰化が実現し、日本国籍取得と村雨辰剛への改名を果たす。2021年のNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」では、米軍将校役として出演。NHK Eテレ「趣味の園芸」では、ナビゲーターとしてレギュラー出演中。

    Twitter
    https://twitter.com/MurasameTatsu
    Instagram
    https://www.instagram.com/tatsumasa.murasame/
    YouTube 「村雨辰剛の和暮らし」
    https://www.youtube.com/murasamewagurashi

RELATED ARTICLESこの記事の関連記事

田中泯 | 踊りは言葉のない時代に、夢中で人とコミュニケートするためにあった
田中泯 | 踊りは言葉のない時代に、夢中で人とコミュニケートするためにあった 田中泯さん ダンサー〈インタビュー〉
田中泯 | 刺激を与えてくれる記憶が創造の源泉になる
田中泯 | 刺激を与えてくれる記憶が創造の源泉になる 田中泯さん ダンサー〈インタビュー〉
石黒 賢 | 声をかけてくれた人に、最大限の誠意で応えたい
石黒 賢 | 声をかけてくれた人に、最大限の誠意で応えたい 石黒 賢さん 俳優〈インタビュー〉
いとうあさこ|いつもどこか、俯瞰で見ている自分がいる
いとうあさこ|いつもどこか、俯瞰で見ている自分がいる いとうあさこさん お笑いタレント・女優〈インタビュー〉

NEW ARTICLEこのカテゴリの最新記事

原愛梨|唯一無二の「書道アート」で世界に挑む
原愛梨|唯一無二の「書道アート」で世界に挑む 原愛梨さん 書道アーティスト〈インタビュー〉
南 久美子|漫画が、自分の知らないところでメッセージを届けてくれる
南 久美子|漫画が、自分の知らないところでメッセージを届けてくれる 南 久美子さん 漫画家〈インタビュー〉
町の人と共につくる「海岸線の美術館」。宮城・雄勝町の防潮堤を資産に変える
町の人と共につくる「海岸線の美術館」。宮城・雄勝町の防潮堤を資産に変える 海岸線の美術館 館長 髙橋窓太郎さん 壁画制作アーティスト 安井鷹之介さん〈インタビュー〉
東大レゴ部の現役部員が語るレゴ愛。憧れの部活で、仲間と情熱を共有できる喜び
東大レゴ部の現役部員が語るレゴ愛。憧れの部活で、仲間と情熱を共有できる喜び 東大レゴ部〈インタビュー〉
和田永|役目を終えた家電を楽器に。「祭り性」を追い続けるアーティスト
和田永|役目を終えた家電を楽器に。「祭り性」を追い続けるアーティスト 和田永さん アーティスト/ミュージシャン〈インタビュー〉

人物名から記事を探す

公開日順に記事を読む

ページトップ