村木風海|学びは冒険そのもの。いかに大冒険して楽しく生きるか

APR 9, 2024

村木風海さん 化学者、発明家、冒険家、社会起業家〈インタビュー〉 村木風海|学びは冒険そのもの。いかに大冒険して楽しく生きるか

APR 9, 2024

村木風海さん 化学者、発明家、冒険家、社会起業家〈インタビュー〉 村木風海|学びは冒険そのもの。いかに大冒険して楽しく生きるか 今年度のアクティオノートのサブテーマは「ゲームチェンジャー」。さまざまな分野で時代を変える挑戦者たちを取材します。今回ご登場いただくのは、超小型の二酸化炭素(CO₂)回収装置「ひやっしー」をはじめ、ゆるいネーミングの発明品を次々に考え出す村木風海(むらき・かずみ)さん。温暖化対策から火星移住まで、若い力で研究の世界に新風を吹き込んでいます。一体どんな人物なのか。そんな素朴な疑問を抱きながらお会いしてみると、そこには「全身が好奇心の塊」といった23歳の青年の姿がありました。幼少期に実感した「学びとは冒険」という話から、ライフワークとするCO₂の研究、そして今話題の火星のことまで、お話をうかがいました。

文:長坂 邦宏(フリーランスライター)
写真:小林 みのる

僕から好奇心を奪う人は許せない

──超小型のCO₂回収装置「ひやっしー」をはじめ、さまざまなアイデアを発表し、研究開発をされています。「ひやっしー」のことは後でお聞きしたいのですが、まずはどのような幼少期を過ごされたのかお話しいただけますか。


とにかく好奇心が旺盛な子どもでした。2歳ぐらいの時に車に乗っていて、近くの景色は速く通り過ぎるのに、遠くの景色はゆっくりと動くことに気づきました。そのことを両親に言ったところ、母親は「この子は科学が好きなんじゃないかしら」と思ったそうです。「なぜ空は青いの?」などといろいろな疑問を持ち、原理原則を突き詰めないと気がすまないところがありました。科学が好きというより、世の中のことすべてを知りたかったんです。不思議なことを解明するための道具が科学だと思っています。


小さい頃から身近な物事に対する「なぜ」という好奇心が人一倍強かった村木さん。今も自分の研究分野に限らず、あらゆるジャンルに関心があり、法律への興味から「いろんな契約書を読むのも好き」という小さい頃から身近な物事に対する「なぜ」という好奇心が人一倍強かった村木さん。今も自分の研究分野に限らず、あらゆるジャンルに関心があり、法律への興味から「いろんな契約書を読むのも好き」という


──科学の世界における偉人、例えばエジソンやキュリー夫人、野口英世などの伝記はよく読んだのですか。


いえ、ほとんど読んだことがありません。小学校に入って初めて手にした本は夏目漱石の「吾輩は猫である」でした。創立130数年という小学校で、図書館に旧仮名遣いの「吾輩は猫である」があったんです。難しくて1日に1ページしか読めませんでしたが、頑張って127ページまで読みました。ところが、「そんなの読んでいないで『かいけつゾロリ』でも読んで読書冊数ランキングを上げなさい」と担任の先生に言われ、本を取り上げられてしまいました。

悔しい気持ちが込み上げてきて、「僕から好奇心を奪う人は許せない」と思いました。それから世の中のことを徹底的に解明したいという気持ちがいっそう強くなったような気がします。


──小学校4年生の時に、おじい様からスティーヴン・ホーキング博士の子ども向け冒険小説「宇宙への秘密の鍵」をプレゼントされたそうですね。


その本に載っていた火星の青い夕陽の写真を見て心が震え、火星に興味を持つようになりました。

5歳ぐらいの時、体の弱かった僕は祖父母のもとに預けられて療養したことがあります。おじいちゃん、おばあちゃんっ子でしたね。祖父は元船乗りで、サラリーマンを経て会社を経営するなど、波瀾万丈な人生でした。祖母も祖父と一緒に「毎日が冒険」の生活を乗り越えてきた人です。2人には冒険者マインドがあり、その血は私の中にも流れています。手先が器用で、よく一緒に工作もしました。きれい好きで土に触れるのが苦手だった僕を外に連れ出し、自然に触れることも教えてくれました。


村木さんが代表理事を務める研究機構の本棚の中に、おじい様から贈られた「宇宙への秘密の鍵」も置いてある。若い研究員が多く、中には小学生の研究員も。さまざまなジャンルの入門書が揃っている村木さんが代表理事を務める研究機構の本棚の中に、おじい様から贈られた「宇宙への秘密の鍵」も置いてある。若い研究員が多く、中には小学生の研究員もいるため、さまざまなジャンルの入門書が揃っている


──お父様やお母様とはどのような思い出がありますか。


父はとても穏やかで優しい人です。海外出張や単身赴任で留守にすることが多かったのですが、アウトドアが好きで、一緒に山登りなどをしました。僕は食べものの好き嫌いがなく、メニューに迷った時は今までに食べたことがないものを食べる癖があるのですが、それは父から受け継いでいます。「食べるのも冒険なんだよ!」なんてよく言われました。

母はマナーや礼儀に厳しくも、僕の可能性に一番先に気づき、優しく導いてくれる人です。もともと幼稚園の教諭で、どうしたら僕の好奇心の芽を摘まずに育てられるかと気にかけてくれていたようです。「勉強しなさい」とは一度も言われたことがなく、「高校や大学に行きたくなければ行かなくてもいい。堂々と胸を張って生きていけばいい。自分の人生は自分で決めなさい」と言われて育ちました。


村木さんの科学への興味を見抜いていたお母様は、月に1回のペースで科学技術館に連れて行ってくれたという村木さんの科学への興味を見抜いていたお母様は、月に1回のペースで科学技術館に連れて行ってくれたという


小学校低学年で経験したいじめ。転校先の先生との出会いで「学びのリミッターが外れた」

──理解のあるお母様ですね。


実は小学校低学年で、いじめに遭いました。その時のことが僕の性格を形づくったと思っています。

小学校3年までは公立小学校に通ったのですが、上級生から登校班でいじめを受けたり、先生に狭い部屋に閉じ込められ、暴力を振るわれそうになったりしたこともありました。いじめが大きな社会問題になるちょっと前で、当時は学校ぐるみで隠ぺいするようなところがありました。

両親とは良いことも悪いことも何でも相談できる関係だったので、いじめのこともなるべく話すようにしていました。「僕は悪くないのに、なぜ我慢しなければいけないの」と大声で泣きながら訴えたこともあります。その時に一番支えになったのは、「学校に行きたくなかったら行かなくていいんだよ」という母の言葉でした。

ただ、いじめられたせいで内向的な性格になり、しゃべるのが苦手になりました。その分、頭の中での会話量が多くなり、常に思考し続けていました。自分との対話が、全ての原動力になったような気がします。


──それにしても、よく不登校になりませんでしたね。


母が転校先を考えてくれ、たまたま若干名の編入学募集があった山梨学院大学附属小学校(現在は山梨学院小学校に改称)を受けて合格し、4年生になる時に転校したんです。周りには帰国子女や経営者の子どもが多く、僕のようなサラリーマン家庭は少数派。そんな環境なので、いろんな考え方をする子どもたちが集まっていました。

驚いたのは、公立小学校では1番の成績だったのに、学年でビリになったこと。でもそれが面白くて「こんな世界があるんだ」と思いながら、先生にたくさん質問するようになりました。そこでまた衝撃的なことがありました。かなり突っ込んだ、難しい問いを僕がたまたましてしまった時に、先生が僕に向き合って「ごめん。分からない」と言って下さったんです。それまでは先生が「分からない」なんて認めることはなかったのでビックリしました。

さらにその先生は、翌日どっさり資料を持ってきて、「村木くん、今日から昼休みは一緒に勉強しよう」と言ってくれたのです。昼休み返上で僕の「なぜ」に徹底的に付き合ってくれました。その時に僕の「学びのリミッターが外れた」と思いました。


転校先での先生との学びの体験を通して、「勉強って、頑張るものでも無理やりやるものでもない」と感じるようになったという転校先での先生との学びの体験を通して、「勉強って、頑張るものでも無理やりやるものでもない」と感じるようになったという


──山梨学院小学校での3年間で、ほかに印象深い思い出はありますか。


本やパソコンを置いてあるメディアセンターという場所に、コロンブスが新大陸を発見した時に乗っていた帆船「サンタ・マリア号」の巨大な模型がありました。その傾いた甲板に寝そべって本を読むのが大好きでした。そうしていると、海の波の音が聞こえてきたり、夜空に銀河が見えてくるような気がしたりして、「学びって本当に冒険なんだな」と思うようになりました。

山梨学院小学校の芸術棟の壁には、「Find your compass, Set your sails」というプレートが掲げられています。「君の羅針盤を見つけろ。そして帆を張り、風を受けろ」という意味で、僕の恩師の発案による言葉ですが、僕はこの言葉が大好きで、人生の支えにしています。


温暖化対策に必要な意識改革のために、超小型のCO₂回収装置「ひやっしー」を開発

──村木さんのライフワークであるCO₂に関わる研究について教えてください。なぜ超小型のCO₂回収装置「ひやっしー」を開発されたのですか。


中学3年生の時に「ひやっしー」のプロトタイプを作り、自分の手でCO₂を回収する装置が作れることを実感しました。海外では以前から、大気中からCO₂を直接回収する大型装置の開発が進められていますが、日本ではなかなかその動きが見られませんでした。そのことに疑問を感じ、温暖化防止対策を具体的に進めるには意識改革が大切だと考えるようになりました。

そこで、あえて世界で一番小さいCO₂回収装置を作ることにしました。空気清浄機のように簡単に使え、ボタンひとつで温暖化防止に役立つ装置があったらいいなと考え、「ひやっしー」を思いつきました。高校在学中の2017年、総務省の「異能(Inno)vaiton」プログラムの「破壊的な挑戦部門」に採択され、そこから本格的に開発を始めました。


──「ひやっしー」とは、ゆるくて面白いネーミングですね。


親しみを感じてもらうために、あえてゆるいネーミングにしているのですが、アカデミアではウケが悪いです(笑)。でも僕は一般の人に理解してもらいたい。そうすれば一人ひとりのマインドが変わり、地球温暖化が解決できるかもしれません。


スーツケースのような大きさで、簡単に移動できる「ひやっしー」。温暖化対策に興味を持ってもらうきっかけとして、受付に置く企業も増えているというスーツケースのような大きさで、簡単に移動できる「ひやっしー」。温暖化対策に興味を持ってもらうきっかけとして、受付に置く企業も増えているという


──「ひやっしー」はどんな仕組みで、どのくらいのCO₂回収能力があるのですか。


化学吸着という原理を利用しています。「ひやっしー」内部にあるCO₂回収カートリッジにアルカリの溶液を入れ、そこにCO₂を含んだ空気を通すと、CO₂だけが溶けて吸収されます。

問題は、どうやってその吸収効率を上げるか。溶液の中に構造体を入れ、CO₂が反応できる面積を増やすようにしました。現在の4代目「ひやっしー」では吸収効率が84%まで高まり、当初に比べて840倍の性能に向上しています。使う条件によって異なりますが、24時間稼働させて1年間に10kgから数十kgのCO₂を吸収することができます。

これまでCO₂回収量は目に見えませんでしたが、システムをクラウド化することで、数値をグラフなどで「見える化」しました。月額サブスクリプションプランを用意し、CO₂回収カートリッジは一定期間で交換するようにしています。

実は、この超小型「ひやっしー」と大型のCO₂回収装置の中間がすっぽり抜けていて、そこがブルーオーシャン(未開拓市場)になっています。そこで今、その中間帯を狙った「ひやっしーパパ」を開発中です。2メートルぐらいの大きさにして、年間30tほどのCO₂を回収できるようにする計画です。設計は終了していて、1号機を2024年度中に完成させたいと思っています。


CO₂からエタノールを合成する方法を研究中

──「ひやっしー」で吸収したCO₂はどうやって取り出し、どのように利用するのですか。


僕が高校2年生の時に発見した、CO₂と水とアルミから都市ガスにも使用される燃料であるメタンを合成できる化学反応があるのですが、メタンは気体で保存が大変なので、今は電気化学還元法*を用いてCO₂から直接エタノールを合成する研究を行っています。液体のエタノールは、廃油と混ぜることで簡単に燃料に変わります。

まだまだ効率は低いのですが、レアメタル(希少金属)を使うことなく、銅と炭素という一般的な材料の電極を用い、しかも1.5Vほどの低い電圧をかけるだけでCO₂からエタノールを作ることができます。過去には藻などのバイオマス(生物資源)を利用して燃料にする方法も取り入れてみましたが、バイオ燃料はコスト高になるなどの問題があり、それに代わる方法として挑戦しています。

そうしてCO₂から作った燃料を「そらりん」(空から作ったガソリン)と呼んでいるのですが、「そらりん」を使えば、空気中のCO₂を増やさずに自動車や飛行機に乗ることができるようになります。


*電気化学還元法:電子の移動によって新しい化合物を生成する化学反応の方法。


日本にNASAを超える世界最高の研究所をつくりたい

──村木さんは炭素回収技術研究機構(CRRA:シーラ)という社団法人を設立し、代表理事・機構長を務めていらっしゃいます。研究の資金を得るなら米国のほうが環境は整っていそうですが、なぜ日本で研究を続けるのですか。


僕は海外へ行くことも多いのですが、行くたびに日本の良さを再認識しています。もともと高校生の時に米国の高校へ転校しようと思って現地へ見学に行きましたが、治安が良くなくて諦めました。僕は、日本が大好きです。どこよりもインフラが整っていて、何より料理が美味しい。欠けているのは「冒険する心」だけです。より良い環境を求めて海外に行ってしまう大学時代の同期も多いですが、僕は日本にいて日本を良くしていきたいと思っています。

あえて海外には行かないで、国際感覚を持ちながら、日本にNASA(米航空宇宙局)を超える世界最高の研究所をつくりたい。そしてMIT(マサチューセッツ工科大学)やハーバード大学などから日本を目指して人材が集まるような研究機関にしたいと思っています。日本人は、世界大学ランキングなど海外の評判を気にするのはやめて、もっと日本に自信を持つべきです。

「みんながもっと冒険する心を持てたら、日本は最強の国になる」と村木さん「みんながもっと冒険する心を持てたら、日本は最強の国になる」と村木さん


イーロン・マスクを火星から地球に生きて帰せるのは僕だけ

──「火星に住むつもりです 〜二酸化炭素が地球を救う〜」(光文社)というタイトルの本を書かれていますが、どのくらい本気で火星に住むつもりですか。


もう100億パーセント、本気です(笑)。小学生の時に火星に興味を持ち、「いつか火星に行きたい」という思いからCO₂の研究を始めたくらいですから。「人類は火星に移住すべき」と言っている起業家のイーロン・マスクを、火星から地球に生きて帰せるのは僕だけです。イーロンさんの航空宇宙メーカー、スペースXのロケットは技術が確立されていて、火星に行くだけであれば行けるでしょう。ただ片道だけで8カ月ほどかかるので、ロケット燃料は片道で尽きてしまいます。

僕は、大気に含まれるCO₂からロケット燃料を作る研究もしています。火星にガソリンスタンドを作れば、火星から地球に戻るための燃料ができるというわけです。


──化学者、発明家、冒険家、社会起業家とさまざまな顔をお持ちですが、直近ではどんなことをする予定ですか。


今年は大冒険の1年にしようと思っています。「ひやっしー」について言えば、海外販売を始めたいですし、「ひやっしーパパ」は年内の完成を目指しています。海中に溶け込んだCO₂を回収する「ひやっしーまりん」のプロトタイプも今年中に完成させ、僕が所有する船に搭載して実験を行いたい。

冒険家という側面でいえば、今年の初夏に伊豆諸島の無人島「須美寿島(スミスジマ)」と岩礁群「ベヨネース列岩」に上陸する冒険航海に行きたいと思っています。

2025年には「そらりん」を燃料とした航空と船舶の運航開始を予定しており、乗員の採用や訓練を始めています。運輸業で収益を上げ、研究費に投入していきます。


──新たなアイデアと冒険がいっぱいですね。私たちが冒険心を育むにはどうしたらよいでしょうか。


そうですね、1度でいいからスカイダイビングをしてみることをおすすめします。僕は雲を突き抜けて落下していくときに、死ぬ思いを味わいつつも、「なんて小さい枠組みで物事を考えているんだろう」と思考の次元の低さに気づきました。1回4万円ぐらいで体験できますから、大学生でもバイト代を貯めればできます。

それから、若い人には好きなことを好きなだけやってほしいと思います。「この分野のことは世界一好きだ」と言い張れるぐらいまで徹底的にやってみる。どんなニッチな分野のことでもいい。突き詰めてやれば趣味から仕事になり、さらに突き詰めれば「世界で自分しかできない」というレベルに到達できますから。

※記事の情報は2024年4月9日時点のものです。

  • プロフィール画像 村木風海さん 化学者、発明家、冒険家、社会起業家〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    村木風海(むらき・かずみ)
    2000年8月生まれ。山梨県出身。化学者、発明家、冒険家、社会起業家。2017年、総務省の「異能(Inno)vaiton 破壊的な挑戦部門」に採択され、その研究成果により東京大学工学部推薦入学試験に合格し、理科I類に入学する。2020年に一般社団法人炭素回収技術研究機構(CRRA)を設立し、代表理事・機構長に就任。専門はCO₂直接空気回収(DAC)、CO₂からの燃料・化成品合成(C1化学)。気候変動を解決する方法から人類の火星移住を実現するための研究まで、独立した研究をCRRAで行っている。現在、研究員20人を率いる。

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