【連載】創造する人のための「旅」
2020.05.26
旅行&音楽ライター:前原利行
ミナレット(尖塔)を巡る旅 ブハラ(ウズベキスタン)とデリー(インド)
"創造力"とは、自分自身のルーティーンから抜け出すことから生まれる。何不自由のないコンフォートゾーンを出て、不自由だらけの場所に行くことで自らの環境を強制的に変えられるのが旅行の醍醐味です。異国にいるという緊張の中で受けた新鮮な体験は、きっとあなたに大きな刺激を与え、自分の中で眠っていた何かが引き出されていくのが感じられるでしょう。この連載では、そんな創造力を刺激するための"ここではないどこか"への旅を紹介していきます。
※本文の記事で書かれている内容や画像は2000~2018年の紀行をもとにしたものです。
日本を出て旅先に着いた翌朝、モスクから大音量で聞こえるアザーンで目覚めることがある。そんなときに私は、すでに異国にいることを実感する。「アザーン」はイスラム教の礼拝の呼びかけで、それが流れるのはモスクに付随する「ミナレット(尖塔)」からだ。今はスピーカーからその声は流れてくるが、かつては人がミナレットに登り、そこから肉声で人々に呼びかけていた。第2回はそんなミナレットの中から、「創造性」を感じさせる私のお気に入りを2つ紹介したい。
中央アジアの古都ブハラに立つカラーン・ミナレット
かつてラクダの隊商が行き来したシルクロード。そのルート上にある中央アジアのウズベキスタンに行ったら見てみてみたいと思っていたのは、ブハラにあるカラーン・ミナレットだ。ブハラは古代より栄えたオアシス都市で、アラブ人は占領するとその中心部に集団礼拝のための金曜モスクを建てた。そのモスク(カラーン・モスク)に付随する塔として、1127年に建てられたのがカラーン・ミナレットだ。モスクは1220年のチンギス・カンによるブハラ征服の際に、宮殿と勘違いされて破壊されてしまったが(のちに再建)、このミナレットは破壊を免れ、今もブハラの町に残っていた。モンゴルの征服以前から残る数少ない建築物というだけでなく、写真で見たそのプロポーションに惹かれ、私はこのミナレットをぜひ訪れたいと願っていたのだ。
私が初めてこのカラーン・ミナレットの前に立ったのは1995年のこと。当時、あまり整備されているとは言えなかったブハラの旧市街だが、このミナレットは存在感を持って私を迎えてくれた。いや、900年近く、この塔は旅人たちを迎え続けていたのだろう。
ブハラを征服すると市街を破壊するように命じたチンギス・カンだが、伝承ではこのミナレットの姿に感銘して塔の破壊はやめさせたという。そんな伝承も納得できるほど、この塔はシンプルだが美しい容姿をしている。高さは45.6m。優雅さはないが、大地に根ざした素朴な美を持っているとでもいうべき姿だ。
本来、ミナレットの役割は礼拝の呼びかけをする場所だが、この塔からはそれ以上に町のシンボル的な意味合いを強く感じる。名もなき建築家はそれを意識してこの塔をデザインしたのではないだろうか。砂漠に囲まれたブハラの町。今ではビルも立ち並ぶが、このミナレットが建てられた頃は他に高い建物はなく、遠くからでもよく見えたにちがいない。
実際、このカラーン・ミナレットは灯台としての役目も持っていた。夜になるとこの塔の頂上に明かりが灯され、ラクダの隊商はそれを目印にして進んだ。つまりブハラに遠くからやって来る旅人が、最初に目にする建物がこのミナレットだったのだ。塔の頂上部のデザインが一番丁寧に作り込んであるのも、そんな理由ではないかと思ってしまう。人は必要に迫られて何かを作るが、機能を果たすだけのものでは満足しない。どうしても自分なりの「美」を込めてしまうのではないか。
インド初にして最高傑作のミナレット、クトゥブ・ミナール
インドの首都、デリー。人であふれる市の南部に、インドでもっとも高いミナレットのクトゥブ・ミナールがある。高さは73m。ここも私がデリーに行く度に訪れている、好きなミナレットだ。
このミナレットを建てたのは、奴隷王朝の創立者のアイバクだ。トルコ系のマムルーク(奴隷出身の軍人)であるアイバクは北インドを征服すると、ヒンドゥー寺院などを破壊した石材でここにインド初のモスクを建てた。このクトゥブ・ミナールはそれに付随するミナレットで1200年頃に建てられた。モスクの方は大半が崩れて残っていないが、このミナレットは今も空にそびえて立っている。
このクトゥブ・ミナールは「インド初」のミナレットだ。当時建築に駆り出されたインドの職人たちは、それまでに見たこともないものを造らなければならなかった。もちろん設計をした建築家は外国から呼ばれて来た専門家なのだろうが、実際にそれを造る職人たちはミナレットを見たことがないから、インド的な創造性が随所に入ってしまう。そこが面白い。
偶像崇拝を禁ずるイスラム教の建築は、幾何学的な模様やシンメトリーが重視される。整然とした調和とでも言うのだろうか。それに対して近代以前のインドのヒンドゥー建築は、建築物というより、そこにびっしりと施された彫刻が強く印象に残る、建築と彫刻は不可分のものだった。そんな職人たちが造り上げたのがこのミナレットだと想像を働かせば、彼らが制約の中で自分たちなりの色を出そうとしたことが伝わってくる。
このミナレットが素晴らしいのは、彩色せずに石材だけで装飾を作り出していることだろう。赤砂岩と大理石、砂岩といった石材を並べて色の変化を出すだけでなく、表面も円形と三角形を交互に置くようにして、見た目が単調にならないように変化をつけている。そしてアクセントとして塔の表面に帯状に入るアラビア文字の浮き彫りも、インド人としては装飾的にあった方がいいと考えたものだろう。イスラム建築をヒンドゥー建築の感性で解釈したように感じるのだ。工芸品を作るように。
空に向かってまっすぐ伸びるミナレット(尖塔)。多くは宗教施設としての機能を果たす以上のものではないが、中には今回紹介した二つの塔のように強烈に印象に残るものもある。周囲のどの建物よりも高くて目立つというだけでなく、よく見れば機能以上の自己主張がある。私はその"過剰さ"に魅力を感じるのだ。多分、人は頼まれ仕事でも、つい、創造性を発揮してしまうものなのだろう。今では建築家の名前も忘れ去られたそんな建築物に巡り合うのも、私にとっては旅の醍醐味のひとつだ。
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【PROFILE】
前原利行(まえはら・としゆき)
ライター&編集者。音楽業界、旅行会社を経て独立。フリーランスで海外旅行ライターの仕事のほか、映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に関心を持ち執筆活動。訪問した国はアジア、ヨーロッパ、アフリカなど80カ国以上。仕事のかたわらバンド活動(ベースとキーボード)も活発に続け、数多くの音楽CDを制作、発表した。2023年2月20日逝去。享年61歳。
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