高田晃太郎|塩を作ってロバと行商の旅へ。どうなるのか分からないことが、楽しい

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高田晃太郎さん ロバ使い〈インタビュー〉

高田晃太郎|塩を作ってロバと行商の旅へ。どうなるのか分からないことが、楽しい

イラン、トルコ、モロッコ、日本をロバと一緒に歩く旅をして、その様子を書いた著書「ロバのスーコと旅をする」、「ロバのクサツネと歩く日本」(河出書房新社)の著者で、旅人の高田晃太郎さん。現在はロバのクサツネと共に、北海道八雲町熊石地区に塩小屋をかまえ、塩作りをされています。2025年晩秋、北海道から千葉県までクサツネと塩を売る行商の旅へ出るとのことで、10月の下旬、熊石地区にある塩小屋へお邪魔してお話をうかがってきました。

写真:山口 大輝

ヒッチハイク旅のおもしろさを知って新聞記者に

高田晃太郎さん


――北海道大学の学生だったころ、ヒッチハイクの旅をよくされていたそうですね。


そうですね。高校生の時に沢木耕太郎さんの小説「深夜特急」を読んで、旅をしてみたいという思いがありました。沢木さんは26歳の時に旅に出るのが一番いいって書いていたので、それを読んでからずっと26歳っていうのを意識して生きてたんですよ。自分も26歳になったら海外を放浪しようと思って、それまでは国内をじっくり見て回ろうとヒッチハイク旅を始めたんです。


――ヒッチハイクにしたのはどうしてですか。


お金をかけずに旅ができる方法ということと、あと、やっぱりヒッチハイクでいろんな人に出会えるので、旅がおもしろくなるだろうと思って。


――人と話すのが好きだったのでしょうか。


いや、ヒッチハイクするまでは全然そんなことなかったです。むしろ人見知りな方だったし。でもヒッチハイクで車に乗せてもらったら必ず会話をしますよね。ヒッチハイカーはむしろ喋るより、聞くことの方が多いんです。僕はいろいろ聞き出すのが好きだったので、その土地のこと、歴史、いろんな話を聞くのがおもしろいなって、旅を繰り返していくうちに気がついて。聞いて伝える、そういう仕事がしたくて新聞記者になったんです。




歩く旅に目覚めて、モロッコでロバに出会う

――大学卒業後は北海道新聞社に就職して記者をされたんですよね。そして26歳で旅に出たのですか?


はい。26歳で仕事をやめてから、海外放浪の旅に出ました。チェ・ゲバラが好きだったので、最初はキューバへ行って、次はブエノスアイレスへ。ゲバラの若き日の南米旅行を描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ」の経路をたどって南米大陸を縦断したんです。南米の後にスペインに飛んで、カミーノ・デ・サンティアゴという巡礼路を800kmぐらい歩いたんですよ。


――800kmはすごいですね。


南米では主にバスで旅をしていたんですが、バス移動はちょっと物足りないところがあったんです。バスの車窓から見ていて気になる街があっても、通り過ぎていくじゃないですか。もうちょっとゆっくり移動して、その土地の暮らしを見ながら行けたらと。


800 kmを歩くのははじめてだったんですけど、意外と歩けました。1日20 kmずつ歩いたらいつの間にか800 kmになっていて、歩いたらどこにでも行ける、という感覚がすごく自分の心を自由にさせたんです。もっと歩く旅をしてみたいと思いながら、スペインからポルトガルへ。そして、その次に訪れたモロッコでロバとの出会いがありました。


モロッコの遊牧民がロバを生活に使っているのを見て、ロバに荷物を運んでもらったらすごく自由な旅ができるなと、ロバとの旅を始めてみたんです。この時はトータルで2年以上旅をして、そのうちの数カ月、およそ1,500kmをロバと一緒に歩きました。




日本では本物のロバを見たことのある人がほとんどいない

――著書「ロバのスーコと旅をする」で書かれていたように、2022年にイランからモロッコまでロバと旅をして、その後、日本でも2023年からロバのクサツネとの旅がスタートしました。


モロッコでのロバ(スーコ)旅が終わった後、帰国して何カ月かは本を執筆して、その後、日本でもロバ(クサツネ)と旅を始めました。クサツネとの旅は、もっともっとずっとロバと気のすむまで歩きたい、というところから始まっています。


「草と常に出合えるように」との意味を込めて、クサツネと名付けた


――クサツネと日本を旅して分かったことや、気づいたことはありますか。


気づいたのは、日本では本物のロバを見たことのある人がほとんどいない、ということです。本やアニメではよく出てくるので、みんなロバの存在自体は知ってるし、すごく身近に感じてると思うんですよ。


「ブレーメンのおんがくたい」「王様の耳はロバの耳」とか、「ピノキオ」もロバになるし、本当にいろんな作品にロバって出てくるんです。みんな身近に感じている動物なんだけど、本物を見たことがないという、不思議な生き物だなと。実際に歩いてみて、改めてそのことに気づきました。ロバを見てもロバだと認識してもらえることが少ないですね。大体の人はポニーですか? と聞いてきます。


でもロバだって言うと納得してくれるんです。「ブレーメンのおんがくたい」でもロバって一番下じゃないですか。ロバが力持ちだっていうイメージはなんとなく持っているので、そのロバが荷物を運んでる姿を見てもらって、これが本物なんだって知ってもらえました。




ロバが草をはむところを眺めているのが好き

高田晃太郎さん


――もともとひとりで旅をしていて、ロバと出会って、どんどんロバとの旅の魅力にはまって、今は「ロバがいないと旅をする気にならない」と本に書かれていました。


ひとりで歩いてもつまらないです。ロバが草をはむところを、眺めているのが好きなんです。寝ている時に、ロバが草をはんでいる音を聞く時間が、至福です。そういうことがなくなって、ただ歩いて旅をするって、悟りを求める求道者(ぐどうしゃ)みたいになってしまうじゃないですか。僕は悟りを求めているわけではないので、ロバがいなければ、ひとりで歩く旅をしようと思わないです。


――日本で旅が終わったらクサツネとは別れるつもりだったそうですが、途中で一緒に暮らし続けたい、と気持ちが変わったそうですね。


そうですね。知り合いでロバを引き取ってくれる方がいたので、旅を終えたらクサツネはその方に託すつもりだったんですけど、旅を続けていくうちに、これからも一緒に暮らし続けたいという思いが芽生えました。


ただ一緒に暮らすだけじゃなくて、一緒に働いて暮らすことができないかなと。というのも、クサツネと出会った当初は、痩せた、頼りないロバだったんです。でも旅を続けるうちにどんどん体格がしっかりしてきて、毛艶や蹄(ひづめ)の状態がよくなっていった。これはプロの方、北海道の日高地方で馬の生産をしている牧場の方もおっしゃっていました。


――最初は名前を呼んでも来なかったけど、今は来るようになったとか。


気まぐれな動物なので、来ないこともありますが、来ることもあるという感じです。クサツネのもともとの性格もありますが、人から触られるのが好きで、人に対していいイメージを持っているんだろうと思います。旅の間、いろんな人ににんじんの差し入れをもらったり、撫でてもらったりして喜んでいました。


クサツネと高田晃太郎さん


クサツネが旅によって大きく成長したことを明らかに感じて、ロバにとっても荷物を運んで長い距離を歩く、つまり、働くことは悪いことじゃない、むしろいいことなんだと感じました。だから、ただ暮らすだけじゃなくて、何か役割を持たせたい、一緒に働きたいなと思っています。




荷物を運ぶ、ロバの得意分野を活かすのが行商

――それで出てきたアイデアがクサツネとの行商ですね。


クサツネと一緒に働くような暮らしができたら、と考えたときに、自分の中ですぐ行商がいいなって思ったんです。ロバに荷物を乗せて旅をしていると、いろんな人が話しかけてくれます。その土地のさまざまな話が聞けるし、ロバと行商したら、きっと物も売れるんじゃないかって。ロバの一番得意な分野、荷物を運ぶというところを活かすことにもなるので。


――今は塩作りをされています。それを売るということなんですよね。


何を行商するか考えているタイミングで、たまたま熊本県の天草市に立ち寄った時、塩職人に出会ったんです。


自動車などの交通が発達していなかった昔は、塩が非常に貴重なものとされてました。日本の場合、岩塩がないので塩は海水から作るしかほぼ手段がなかったんです。沿岸部で塩を作って、それを内陸部の人たちがどうやって手に入れるのかっていうのは、非常に重要な生活のテーマでした。


内陸部の人たちが塩を手に入れるために、人力だけでなく、牛や馬の背に塩を積んで、険しい山道を越えて運んだっていう歴史がある。塩の運搬には、動物たちが活躍していたんです。そうして塩を運んだ道が「塩の道」と呼ばれて、例えば長野県の塩尻市は、糸井川(新潟県)の辺りで作って運んだ塩の終着点(尻)だったことが由来になったと言われています。


リヤカーを引くために服とハーネスを付けたクサツネ


そういう歴史を知っていたのですぐにピンときました。昔は馬や牛が運んでいたなら、今はロバが塩を運んだらおもしろいんじゃないかなって。最初は小さなタンクを2つ用意して、20kgくらいの海水を背負って運ばせることを考えていましたが、もっと多くの海水を運ぶ手段がある、と旅の途中で立ち寄った遠野市(岩手県)でヒントを得ました。


遠野市には、山で伐り出した木材を馬で運ぶ、「馬搬(ばはん)」の技術を継承する岩間敬(いわま・たかし)さんという方がいて、いろいろと体験させてもらいました。その岩間さんが持っていたセネガル(西アフリカ)のロバの教本にはロバ1頭で500kg、2頭立てで800kgまで牽引できる、と書かれていてひらめいたんです。リヤカーに海水を乗せてクサツネに運ばせたら、よりたくさんの塩が作れるんじゃないかと。


――天草や遠野で今の行商スタイルのアイデアとなる出会いがあったんですね。


そうですね。天草に行かなければ塩に出会わなかったし、遠野に行かなければリヤカーをロバに引かせるという発想を得ることはなかったので、そういう意味では本当に不思議だなと思いますね。


僕は「何かに導かれた」とか、そういう言葉を使うのは好きではないんです。ただ、旅をしていると不思議としか言いようのない出会いがあるというのは、本当に常々思っています。でも、塩に出会わなければ、また別の何かに出会っていたでしょうし、たまたま塩だったという考え方もありますね。


――ロバで行商する人、日本には誰もいないと思います。まさにパイオニアですね。


そんな気負いはないです。ただ楽しそうだからっていう。




クサツネと二人三脚で塩作り

――現在(取材時の10月下旬)はどのような暮らしをされているんですか。


今は1週間区切りで塩を炊いています。クサツネが一回に運べる海水の量がおよそ300リットルなので、クサツネが運んだ海水を、3〜4日ほどずっと煮詰め続けます。300リットルの海水から5kgくらいの塩が取れます。毎週海水300リットル分の塩を作っている感じです。


300リットルの海水を乗せたリヤカーを引くクサツネ


でも今年は塩小屋を建てたり、ほかのいろんな作業があったのであまりできなかったんです。塩を本格的に作り始めたのは8月の下旬から。今年は行商のためにとりあえず50kg作りたかったのですが、少し足りず40kgくらい。今はなんとかそれぐらいを作り終えたところです。


塩釜


海水をただ煮詰めていくと、最初はカルシウムが結晶化する。結晶化して浮いてくる硫酸カルシウムや炭酸カルシウムを丁寧に取り除き、最後に結晶化した塩を収穫する。300リットルの海水を3〜4日煮詰め続ける


――塩作り自体も天草で習ったんですか?


天草では習ってないんです。ただ見学させてもらったという感じで、実際に作る工程を詳しく見せてもらったのはこの熊石で。熊石にはすでに海洋深層水を使って塩を作っている職人がいるんです。その方が応援してくれて、いろいろ教えてくれました。


海洋深層水というのは、水深200mより深いところの海水のことで、生活排水や産業排水の影響を受けにくく、清浄性に優れていて、ミネラルが豊富という特長があります。でも、その取水施設を建てるには莫大な費用が必要で、だから、どこでも取れるわけじゃなくて、全国に15カ所ぐらいしかないんです。


北海道には3カ所あって、そのうちの1つが熊石にあります。塩を作ると決めてから、場所は愛着のある北海道でやろうと考えていたんですけど、海がきれいであること、ロバを放牧できるような広い土地があること、海水の取水施設から放牧地まで平坦であること、という条件が自分の中にあって、それに合致したのが熊石でした。


塩小屋からの景色


――高田さんは少し変わったライフスタイルを送っていますが、山奥で仙人のように暮らすわけではなくて、SNSで積極的に情報発信されたり、本を出したり、人と関わっていこうとされているなと思いました。


寂しいからでしょうか(笑)。でも、それ以上に自分は新聞記者でもあったので、記者の仕事がすごく好きだったんですよ。記者って、自分がおもしろいと思ったことを発信するのも仕事の1つなので。


ロバと一緒につくっている暮らしを、日々自分がおもしろいと思ったことを発信するのは、新聞記者の時にやっていることとそう変わらない、似ていることなんだろうと思っています。




北海道から千葉まで、塩の行商計画

クサツネにハーネスをつける


――「ロバ塩」は行商だけじゃなくて、オンラインなどで売る計画はありますか?


今すぐは無理ですが、そのうちオンラインでも販売しようと思っています。今年は11月頃に北海道を出発して、雪があまり降らない太平洋側を通り、2カ月くらいかけて千葉県まで行く予定です。ロバ塩は「熊石のロバ塩」と名付け、1袋100g入り、800円(税込み)で販売します。


完成した「熊石のロバ塩」


――塩の価格として、安くはないのかなと思いました。


安くはないですね。ただ、私たちの塩は、日数がかかる割に少量しか生産できません。今後も継続的に塩を作っていけるよう値段を考えました。あと、この価格にはクサツネの労賃(餌代)も含まれているんです(笑)。熊石のロバ塩にはカルシウムやマグネシウムなどいろんなミネラルが残っているので、しょっぱさの中に、ほのかな甘みや苦みがあるのが特長です。


―― Xでどの辺にいる、と投稿したらすぐに売れてしまいそうですね。


偶然の出会いを楽しみたいから、場所は明かしません。はじめての試みなので、どれくらい売れるのかっていうのは、僕も想像がつかなくて。本当にやってみないと分からない。そもそもリヤカーに40kgの塩を乗せてクサツネがどこまで歩けるのかっていうのも分からないし。


でもそのどうなるのか分からないことが、楽しみでもあります。塩が売れなくても千葉へは行きます。クサツネは雪が降らない、冬でも青草が食べられるところで越冬させたいと考えていて、千葉にクサツネを預かってくれる知り合いがいるんです。




現代版「塩の道」、「ロバの道」をつくりたい

クサツネと高田晃太郎さん


――いつ北海道に帰ってくるか決めていますか?


帰りは桜前線とともに北上する予定です。3月ごろに千葉を出発して、北海道に桜が咲くのは5月ぐらいだから、そのころに帰ってくる。弘前市(青森県)あたりで桜前線とぶつかるくらいがいいなと。弘前でクサツネと花見ができたらうれしいです。


春から夏は熊石で塩を作って、秋に北海道を出て行商をしながら千葉まで行き、千葉でクサツネを預けて、自分は海外に行きます。海外でロバ文化への学びを深め、春先に帰ってきて北海道を目指してクサツネとまた行商を始めるというのが、今考えている生活サイクルです。


現代版の「塩の道」、そして「ロバの道」ですね。ロバの道をつくって、毎年春先の、桜が咲くころになると、沿線の人たちが「桜が咲いたから、そろそろロバが来るぞ」と思ってもらえるような、そんな風物詩のようになったらおもしろいじゃないですか。


――すごく素敵ですね。ロバ文化の学びを深めるために海外へ行く、とのことですが、どこか行きたい国があるのですか。


次は韓国でロバと旅したいな、と考えています。ロバと旅をするのは、その土地の暮らしや生活を知るための手段になります。ロバと歩いていると、土地の人たちは気になっていろいろ話しかけてくれるんですよ。ロバと一緒に旅してるくらいだから、悪いやつじゃないだろうって。


韓国は大陸なのでロバを使役してきた歴史があるみたいなんです。韓国の田舎をロバと歩いたらどうなるんだろう、そういう好奇心でまた旅が始まるんだろうなって。いずれは、ロバとユーラシア大陸を横断するような、そういう旅もやってみたいなと思っています。


――行商はその後どうなったのか、無事に千葉までたどり着けたのか、現在の様子は太郎丸名義、高田さんのXをご覧ください。


クサツネと高田晃太郎さん


※記事の情報は2025年12月9日時点のものです。

  • プロフィール画像 高田晃太郎さん ロバ使い〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    高田晃太郎(たかだ・こうたろう)
    ロバ使い
    1989年京都府生まれ。北海道大学文学部卒業。北海道新聞、十勝毎日新聞の記者を経て、スペイン巡礼で歩く旅の自由さに触れる。モロッコの遊牧民にロバの扱い方を教わった後、イラン、トルコ、モロッコでロバと旅をする。「太郎丸」名義でその様子をXに投稿し一躍話題に。デビュー作「ロバのスーコと旅をする」(河出書房新社)が第9回斉藤茂太賞選考委員特別賞受賞。近著に「ロバのクサツネと歩く日本」(河出書房新社)。
    X https://x.com/taromar_u

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