【連載】流転のパラダイス人生
2019.12.03
パラダイス山元
マンボでクリスマス!!
あるときはマンボミュージシャン、あるときはカーデザイナー、そしてあるときは餃子レストランのオーナーシェフ、またあるときはマン盆栽家元、さらにグリーンランド国際サンタクロース協会の公認サンタクロース、入浴剤ソムリエ、飛行機のプロ搭乗客?......。あらゆるジャンルを跨ぎながら、人生を遊び尽くす「現代の粋人」パラダイス山元さんに「遊びの発想の素」を教えてもらいましょう!
きっかけは、ちょっとだけよ!
私が、マンボに傾倒するきっかけをお話しすると、大概の方は、
「そんなの絶対に嘘でしょう」
と笑いながら、必ずといって否定されてしまいます。
寒い北国、札幌で生まれ育った私の最大の娯楽は、スキーでも、スケートでも、雪合戦でもなく、ガンガンに焚いたストーブの横で、みかんを剥きながら観るテレビでした。
パンツの中から仕込んでいた凶器を取り出し、ジャイアント馬場や、アントニオ猪木の頭部を執拗に攻撃、流血させる巨体のアブドーラ・ザ・ブッチャー。それを見てんだかどうだかのツルピカ頭のレフリー、ジョー樋口。
「ちゃんと見て、ほら、なんか持ってる!!」
「プロレス中継」の最中、精一杯の正義を振りかざす幼少の頃の私。
それから「キーハンター」野際陽子が歌うテーマ音楽が、半世紀以上経っても体に染み付いたままです。東京パノラママンボボーイズのデビューアルバム「マンボ天国」でも、しっかりカバーさせて頂きました。
そして、なんといっても一番のお楽しみは土曜の夜、
ザ・ドリフターズの「8時だよ、全員集合」でした。
番組のコーナーのなにもかもが好きでしたが、
一番好きだったのは、バックのオーケストラの生演奏。
オープニングから、加藤茶さんの「ちょっとだけよ、あんたも好きねぇ」のタブーも、キャンディーズの歌、体操、エンディングの~エンヤーコーラヨ、ドッコイジャンジャン、コーラヨ!まで、すべて生演奏。
お椀型のミュートをトランペットに押し当てたり、開いたりして、艶めかしくねちっこいソロを奏でていたのは、番組の専属オーケストラ岡本章夫とゲイスターズでした。
禁じられた大人の音楽のように聴こえた、タブーのシンコペーションは、私の脳天を深くえぐりました。
岡本章夫とゲイスターズが演奏する「タブー」のレコードをレコード屋さんへ行って探しまくりましたが、見つからず。店員のススメで、キューバ生まれのメキシコを本拠地に活躍していたペレス・プラード楽団演奏の「タブー」のレコードを手に入れました。それがきっかけで、自分の人生を大きく踏み外すことになるとは、想像できませんでした。
小学校のブラスバンド加入に始まり、中学校でもブラスバンドに入るものの、上手なプレイヤーを引き抜いて自身が率いるマンボバンドを結成。高校では、いっときモダンジャズ研究会でジャズドラマーに転向したものの、大学では念願のビッグバンドに所属、コワ~イ先輩方からコンガ、ティンバレスなどの手ほどきを受け、ラテンパーカッションプレイヤーとしての基礎を固めました。
大学卒業後、自動車会社にカーデザイナーとして就職した後も、学生の頃の仲間とバンドを組んだり、当時レトロ雑貨のお店の店長をしていたコモエスタ八重樫さんのDJに合わせて、パーカッションを演奏する「パノラマスタイル」で、芝浦や下北沢のクラブに出演したりしていました。しかしながら、音楽で食べていけるなどとは、当時はまったく考えてもいなかったので、このまま趣味でマンボやり続けるということで自分自身納得していました。
メジャーデビューしませんか?契約金は・・・
契約金はメンバー3人、とりあえず2年間は暮らせるかという大判振る舞いで、逆にこちらが「このレコード会社大丈夫か!?」と首を傾げたくなるような提示額でした。好きなマンボを思う存分に演れて、レコードも出せてと、夢にすら描いてなかった音楽生活がスタートしました。おふざけというか、趣味でやっていた音楽が、真面目にやってきた自動車デザインの仕事よりも、稼げてしまうという身も蓋もない現実を突きつけられてしまった結果、大学を2浪したりとそれなりに苦労して勝ち取ったはずのカーデザイナーの職をあっさり捨ててしまうのにためらいはなかったのかというと、まったくありませんでした。バブル黄金期は過ぎていたものの、初代レガシィツーリングワゴン、アルシオーネSVXと看板車種を連続で担当させたもらえたおかげで、自動車業界に未練はありませんでした。
自分のしたいことだけをどこまで続けてやれるのか?それには終わりがあるのか?もしかして、不安な気持ちにならなければいけなかったのかもしれませんが、そんなことはまったく感じないまま、今日まで生きているのですから、楽天家というか、しぶといというか、つくづく恵まれた人間関係のおかげだなと、周りの方々に感謝しております。
東京パノラママンボボーイズは、メジャーデビューしてひとまず2年で解散することになりました。理由はいろいろありましたが、バンドブーム、ワールドミュージックブームもひと段落して、客観的に見て、自分達のニーズが先ぼそっていくより前に決断しようということになりました。他のメンバーはそれぞれ、和モノ、ロック、ジャズと元の鞘に収まりましたが、私は、乗り換えのきかないマンボ一筋でその後も活動を続けていきました。グリーンランド国際サンタクロース協会の公認サンタクロースに任命された1998年、ふと、頭に閃いたのが、全編マンボのクリスマスアルバムをレコーディングしなくては!と、神のお告げというより、北極に近いグリーンランドの長老サンタクロースに相談したら「とっとと、おやりなさい!」と。
どうせ演るなら、ゴージャスなビッグバンドで、ゲストボーカルにドリフターズの高木ブーさんを迎えて、編曲はマンボボーイズ解散後、パラダイス山元と東京ラテンムードデラックスでお世話になっていたアレンジャーの清水信之さんにお願いしようと、妄想が沸騰、炸裂しました。極めつきは、あの「タブー」をトランペットで吹いていた岡本章夫さんに直接、あのタブーを彷彿とさせる激しめのフレーズのソロを奏でて欲しいと頼んだところ、すぐにOKのアンサーを頂きました。「東京パノラマラウンジ」というユニットで1999年に発表した「MAMBO de CHIRISTMAS」というアルバムは、グリーンランド国際サンタクロース協会から公認のお墨付きも頂き、公認サンタクロース自身が演奏して「アーーーッ、うっ!!」とか叫びまくっているなんて、なにもかも初の試みでした。
サンタがマンボだ?
「だいたい、サンタクロースが、なんでマンボとかやってんだよ!全然関係ないじゃん!」と、批判気味に突っ込まれる方もいらっしゃいますが、それは、サンタクロースのことも、クリスマスのことも、マンボのことも、ほとんど知識がないと言っているようなものです。ちょっと「マンボ サンタクロース クリスマス」で検索してみて下さい。古今東西、有名アーティストによるマンボアレンジのクリスマスナンバーのなんと多いことか、驚くことでしょう。自分自身が、マンボとクリスマスナンバーの融合なんて、公認サンタクロースになるまで、まったく頭になかったのですから、不思議な縁というか、もはやマンボをやり続けていたからサンタクロースになったという運命であったとしか言いようがありません。
ナンシー関さんが「マンボのフリフリ衣裳のパラダイスさんが、一番パラダイスさんらしいから、ずっと着続けたほうがいいよ。まぁ、サンタ姿でマンボでもいいんだけど、それだとなにがなんだか」とポツリ。ナンシーさんは、若くして天国に召されてしまいましたが、その言葉は今も私の胸に刻まれています。
音楽家として、いろいろ楽しい経験を積ませて頂きながら、飛行機や建設機械など、乗りもの、とくに働くクルマに関わるあれこれにも関われるなんて、もう、どうしたらいいんでしょう。自分のやりたいことは、一つに絞れない性分ゆえ、あれもこれもやりまくっているようにも思われがちですが、これでも実はアレと、コレと、アソコと、アッチあたりに絞ってやっているのです。
十数年前までは、一年365日トナカイのソリに乗り放題の公認サンタクロースでしたが、第55回 世界サンタクロース会議で「トナカイのソリは、一年に一回クリスマスイブの夜にしか使ってはいけない」と議決されてしまいました。ちょうど、その前年「トナカイのソリの操縦ライセンス」を取得したばかりだった私の落胆といったら・・・
年に一回、クリスマスイブの夜だけ、ギンギンにマンボのリズムに乗って日本中を馳け廻るサンタクロースなのでした。HoHoHo~
※記事の情報は2019年12月3日時点のものです。
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【PROFILE】
パラダイス山元 (ぱらだいす・やまもと)
マンボミュージシャンの傍ら、東京・荻窪で、招待制高級紳士餃子レストラン「蔓餃苑」を営む。1962年北海道札幌市生まれ。他に「マン盆栽」の家元、グリーンランド国際サンタクロース協会の公認サンタクロース、入浴剤ソムリエとして「蔓潤湯」開発監修者、ミリオンマイラー「プロ搭乗客」と、活動は混迷を極める。趣味は献血。愛車はメルセデスベンツ ウニモグ U1450。著書に「餃子の創り方」「GYOZA」「うまい餃子」「パラダイス山元の飛行機の乗り方」「なぜデキる男とモテる女は飛行機に乗るのか?」「マン盆栽の超情景」などがある。
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