荒川ロックゲートと倉安川吉井水門-(水門的なもん②) 水位の異なる川を渡す「船のエレベーター」

SEP 15, 2020

三上美絵 荒川ロックゲートと倉安川吉井水門-(水門的なもん②) 水位の異なる川を渡す「船のエレベーター」

SEP 15, 2020

三上美絵 荒川ロックゲートと倉安川吉井水門-(水門的なもん②) 水位の異なる川を渡す「船のエレベーター」 遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか!

片側ずつゲートを開閉することで水位差を調整する閘門

今回の土木探検倶楽部は、前回に引き続き、川に関係する「水門的なもん」をご紹介します。

私がこれまで見た「水門的なもん」の中でも、構造や機能がとくに面白いのが「閘門(こうもん)」です。閘門は、二つの川が合流している箇所など水位の異なる水域に、船を通すために設けられる土木施設。古くから世界各地につくられてきました。広い意味では、中米の「パナマ運河」も太平洋と大西洋を結ぶ閘門です。

日本でも現役で使われているものや、土木遺産として保存されているものなど、各地にさまざまな閘門が存在しています。

閘門は、平たく言うと、プールの前後2カ所に水門が付いたような構造をしています。船を通す仕組みは次のとおり。

プールのような部分を「閘室(こうしつ)」と呼びます。まず、船が閘室の手前まで来たら、進行方向へ向かって前方の水門のゲート(門扉)を閉じます。そうして閘室内の水位が船のいる川と同じになったら、船は閘室の中まで進みます。船が完全に閘室内に入ったところで、後方の水門のゲートを閉じて前方のゲートを開けます。

すると、もと来た川が先方の川より水位が低ければ閘室内に水が流れ込み、反対にもと来た川のほうが水位が高ければ、閘室内の水が流れ出ます。閘室内の水位が、これから進もうとする川と完全に同じになったら、船は閘室を出ていくというわけです。閘室の水面に浮かんだ船が水面の上昇・下降に従って上下する様子は、まさに「船のエレベーター」ですね。

閘門(こうもん)閘門(こうもん)

東京の閘門「荒川ロックゲート」を船で体験!

東京では現在、二つの閘門が現役で稼働しています。荒川と旧中川を結ぶ「荒川ロックゲート」(江戸川区)と、小名木川の水位差のある東西を結ぶ「扇橋閘門」(江東区)です。私ミカミは数年前、船に乗って実際に荒川ロックゲートを通過する体験をしたことがあります。ちなみに、「ロックゲート」とは閘門のこと。

荒川側から見た荒川ロックゲート。手前の水門の奥にもう一つの水門が見える。二つの水門の間が閘室。荒川側から見た荒川ロックゲート。手前の水門の奥にもう一つの水門が見える。二つの水門の間が閘室。

荒川ロックゲートは、2005年に建設されました。荒川のほうが旧中川より水位が3mほど高いため、そのままでは船の往来ができませんが、この閘門ができたことで通行が可能になったのです。旧中川の東端は、江東区を東西に横切る運河・小名木川と合流しており、小名木川の西端は前述の扇橋閘門を挟んで隅田川と合流していることから、二つの閘門を介して荒川、旧中川、小名木川、隅田川がつながりました。

国土交通省がこの閘門を整備した目的は、大災害が起こったときなど鉄道や道路が使えなくなった場合に、船で被災者を救出したり、救援物資や復旧のための資材を運んだりできるようにしておくためだそうです。


閘室の中。写っているのは旧中川側の水門。船は旧中川から荒川ロックゲートへ入り、荒川へ抜けた。閘室の中。写っているのは旧中川側の水門。船は旧中川から荒川ロックゲートへ入り、荒川へ抜けた。

私が乗った船は、旧中川から荒川ロックゲートへ入りました。しばらくして、前方の荒川側のゲートがゆっくりと上がっていきます。閘室の壁に取り付けられた量水標の目盛りを見ていると、水位がぐんぐん上昇していくのが分かりました。本当のことを言うと、下から突き上げられるように船がぐぐぐっと浮かんでいくのかと期待していたのですが、そういう体感はなく、静かに水面が上がっていきました。

20分ほどたったでしょうか。ゲートが完全に上がって、「ゲート稼働中」の赤信号が「通航可」の青信号に切り替わり、ブザーが鳴りました。船長さんがもやい綱をほどき、船は荒川へ滑り出します。引き上げたばかりのゲートの下をくぐるとき、水滴が雨のように降ってきました。ウヒャー、楽しい!

ダムマニアの方々は、ダム放流の水しぶきを「ダム汁」と呼んでありがたがりますが、これはまさに「閘門汁」。

荒川ロックゲートや扇橋閘門を体験できる観光クルーズもありますし、荒川ロックゲートは水門の上に登って見学することもできます。ドボク探検倶楽部のメンバーを自認するみなさんは、ぜひ一度、行ってみてはいかがでしょうか。


荒川側のゲートがゆっくり開いていく。水門の上から見学している人たちも。荒川側のゲートがゆっくり開いていく。水門の上から見学している人たちも。




国内最古級、江戸初期に築かれた「倉安川吉井水門」

一方、岡山には今から340年ほども前の延宝7年(1679年)に建設された閘門の遺構「倉安川吉井水門」があります。現存する閘門としては、日本最古と言われているものです。

倉安川は、新田開発のための灌漑用水と、高瀬舟の舟運(しゅううん)のための水路を兼ねた運河で、岡山藩主・池田光政が、側近の津田永忠に命じて掘削させたものです。岡山城は、藩の西側を流れる旭川を天然の外堀として活用した城。年貢米や城下への物資の輸送には、高瀬舟が便利でした。東側を流れる吉井川の上流地域からは、吉井川を下って南に位置する児島湾を経由して城下へ、というルートで舟運が行われていたのです。

ところが、海を干拓して水田が南へ広がると、船は児島湾を大きく迂回しなければいけません。そこで、倉安川を使ってショートカットできるようにしたわけです。吉井川から倉安川へ入る部分に設けられたのが、両方の水位差を解消する閘門「吉井水門」でした。荒川ロックゲートと同様、二つの水門のゲートを交互に開閉することで船を上下させたと考えられています。

場所は、JR赤穂線長船駅から4kmほどの県道252号沿い。車は通るものの、人は少なく(というより、私が数年前に訪れたときは誰ともすれ違わなかった)、とても静かなところです。よそから見学に来る人も多くはないようで、地元タクシーの運転手さんに目的地を告げても、最初は分からない様子でした。しばらくして思い出してくれましたが、そのきっかけが、以前に「やんごとなきお方」が視察に立ち寄られたことがある、というので、今度はこちらが驚いてしまいました。さすが、やんごとなきお方、お目が高い。

県道でタクシーを降りると、目の前に水をたたえた紡錘形の池が見えました。「高瀬廻し(たかせまわし)」と呼ばれる閘室です。その端が狭くなった部分に水門が付いています。倉安川側の「二の水門」です。反対の端には「一の水門」がありますが、現在は吉井川の堤防で水路を塞がれ、閘門としての機能はすでに廃止されています。


県道側から倉安川側を見る。紡錘形の閘室の奥に「二の水門」がある。住宅のような上屋は「巻き上げ機室」。水門のゲートを上げ下げする装置が格納されている。県道側から倉安川側を見る。紡錘形の閘室の奥に「二の水門」がある。住宅のような上屋は「巻き上げ機室」。水門のゲートを上げ下げする装置が格納されている。

「一の水門」と吉井川の間はすでに塞がれているものの、水門は残っている。「一の水門」と吉井川の間はすでに塞がれているものの、水門は残っている。

「一の水門」を下から見上げる。側面の石柱にゲートを引き上げるための溝が刻まれていた。「一の水門」を下から見上げる。側面の石柱にゲートを引き上げるための溝が刻まれていた。


吉井川から旭川へ至る最短ルートは、当時の人々にとって待ちに待ったものだったようです。吉井水門と倉安川が開通して50日間で、約1000隻もの高瀬舟が通行したという記録が残されています。単純計算では1日に200隻がこの閘門を利用したことになり、当時の賑わいがしのばれます。


吉井水門は昭和時代に岡山県指定史跡となり、2019年には「世界かんがい施設遺産」にも認定されました。どっしりした石積みの護岸や水門は見応え十分。荒川ロックゲートのような現代の閘門と比較してみるのも面白いでしょう。


倉安川・百間川かんがい排水施設群
パンフレット[PDF:0.55MB]


※記事の情報は2020年9月15日時点のものです。

  • プロフィール画像 三上美絵

    【PROFILE】

    三上美絵(みかみ・みえ)

    土木ライター
    大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
    著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
    建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp

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