【連載】ドボたんが行く!
2020.12.01
三上美絵
古戸越川と戸越の川跡 -(本田創さんと行く暗渠さんぽ①)
遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか!
暗渠の"神"が案内するフィールドワークに潜入!
「暗渠(あんきょ)」という言葉を私ミカミが知ったのはずいぶん昔。たしか中学生ぐらいのときでした。川や用水路を埋め立ててしまうのではなく、地面の下にコンクリート管を埋めて、その中に水を通す。ふだん何も知らずに歩いている道の地下を滔々と川が流れているイメージが浮かび、ゾクゾクしたのを覚えています。
何年か前、インターネットで調べものをしていると、暗渠についてむちゃくちゃ詳しいレポートを掲載しているブログに出合いました。本田創さんの「東京の水」です。1997年から断続的に続くこのブログで、本田さんは東京都内の中小河川や用水路の跡と暗渠を、それこそ「しらみつぶしに」という表現がぴったりなほど丹念に探索し、調べ上げています。地形ブーム、まち歩きブームの中、最近は暗渠マニアも増えていて、先駆者の本田さんは、まさにそうした人たちにとっての"神"なのです。
その本田さんがNHKカルチャーでフィールドワークを開催すると聞き、さっそく申し込みました。常連さんが多く、毎回キャンセル待ちが出るという人気講座です。これから3回にわたり、その様子をご紹介します。
戸越公園駅近くに品川用水の貴重な痕跡
2020年6月、コロナ禍で延期されていた講座の1回目がようやく開講しました。この日のフィールドは、東京都品川区の戸越界隈。細川家下屋敷(現在の戸越公園)の池を中心とする用水や川の痕跡と暗渠が見どころです。
スタート地点の東急大井町線戸越公園駅に、20人弱の参加者が集まりました。
まず、駅を出てすぐのところにある、「品川用水」の痕跡(上の地図のA地点)を見に行きます。品川用水は、「ドボたんが行く!」の「水門的なもん① https://note.aktio.co.jp/play/20200616-1015.html」で紹介した羽村取水せきに始まる玉川上水の分水の一つ。現在の東京都武蔵野市から品川区まで全長およそ28kmに及ぶ長い用水路でした。江戸時代から明治時代にかけて200年以上にわたり灌漑(かんがい)用水として品川一帯の田んぼに水を供給し、明治後半には水車の動力や工業用水としての利用も増えていきました。
ところが、関東大震災後に都市化が急速に進み、品川用水は生活排水の流入によって水質の悪化が目立つように。昭和時代には、上流域は三鷹用水として残ったものの、下流域は雨水や下水だけが流れる排水路となり、段階的に埋め立てられて1960年代後半には消滅してしまったといいます。
A地点は、大井町線の線路の前で、道路が唐突に終わっています。この道路こそ、かつての品川用水の跡。「水が流れていた頃は、線路の下をくぐって向こう側へ続いていましたが、埋め立てられて行き止まりになりました」と本田さんが説明します。品川用水の痕跡はもうほとんど残っておらず、明らかにそれと分かるこの場所は貴重なスポットなのだそうです。
自然の河川は、長い年月をかけて台地を削りながら谷を造り、その底を流れます。つまり、川は周囲よりも低くなっているので、水が枯れにくい。これに対し、人工的に開削された用水路は、なるべく遠くまで水を流下させることができるように、高台に取水口を設け、尾根筋を通します。このため、用水路としての機能が廃止されると、すぐに水が枯れてしまうのです。「自然の状態では水が流れないので、痕跡がなくなるのも早いんです」(本田さん)。
細川家下屋敷のために開削された戸越上水
次に向かったのは、文庫の森と戸越公園(地図のB、C)。ここは肥後細川家の下屋敷の一つ、戸越屋敷の跡です。品川用水は、実はこの庭園の池に水を供給するために開削された「戸越上水」が前身でした。庭の池に水を汲むために何十kmもの水路を引いてしまうとは、なんと贅沢なことでしょうか。ただ、さすがに贅沢が過ぎたのか、戸越上水は開削から2年後の1664年に廃止されてしまいました。
けれども、せっかく水路を造ったのに、使わないのはモッタイナイ。というわけで、品川領の村々から「灌漑用水として利用したい」という訴えが起こります。そこで、1669年に水路を拡幅して復活したのが、品川用水です。
戸越公園の入口には、薬医門と呼ばれる大名屋敷の面影を残す立派な門が遺されています。本田さんが門の前でサッと取り出したのは虫除けスプレー。「水辺は蚊が多いですからね。皆さんもよかったらどうぞ」。皆でありがたくお借りして準備万端、門内に入りました。
公園の中は、池を中心として渓谷や滝、築山などが配置され、ぐるりと一周できる池泉回遊式庭園になっています。本田さんによれば、この場所は古戸越川(ことごえがわ)の谷頭にあたり、細川家下屋敷時代からあった湧水地。池のために戸越上水を引いたとはいえ、自然の水も湧いていたわけですね。「公園を建設するときに、今でも水が湧いていることが確認されました」(本田さん)。
コンクリート蓋をかぶせた古戸越川の暗渠
さて、ここから先は、いよいよ暗渠探検です。たどるのは、古戸越川の流路。この川はかつて、細川家下屋敷の池から大間窪と呼ばれた谷を北へ向かって流れ、戸越銀座通りに沿って流れていた川と合流、最終的に目黒川に注いでいました。1960年代に暗渠化され、今も一部にコンクリート蓋をかぶせた暗渠の区間が残っています。
少し歩いて東海道新幹線の高架下をくぐったあたりに、かつて古戸越川に架かっていた小さな橋が移設保存されています。その名も「古戸越橋」。親柱の銘板に「昭和八年二月成」とあり、1933年に架けられたことが分かります。「川が暗渠になった後も親柱と高欄は元の場所にありましたが、数年前、水路敷が避難路として整備された際に移設されました」(本田さん)。
古戸越川の流路に戻って少し進むと、横須賀線の土手に沿って、古そうな暗渠が現れました。側面と底の3面をコンクリートで固めた水路に、コンクリート板の蓋を被せた、いわゆる「蓋暗渠」と呼ばれるタイプです。本田さんは「継ぎ目に2カ所ずつ穴が開いた、ちょっと変わった蓋ですね」とコメント。暗渠から湿気が上がってくるのか、蓋はいい感じに苔むしていて、侘び寂びを感じさせます。
銀座レンガ街の瓦礫で舗装した戸越銀座
古戸越川の暗渠の終点は、三ツ木通りです。戸越銀座通りへ続くこの通りは、かつては川だったそうです。冒頭の3D地図を見ると、通りに沿って東西に谷が続いているのがよく分かります(薄い黄緑色の部分)。「谷底をいく筋かに別れていた川と水田やあぜ道は、大正時代の耕地整理によって直線状の道路とその脇を流れる川に整理されました。その後、昭和初期に川が暗渠化されて現在に至ります」(本田さん)。古戸越川の暗渠は、地下でこの川の暗渠と接続され、合流しているのです。
川が暗渠になったきっかけには、大正末の1923年に起こった関東大震災が関係しています。戸越の通りは耕地整理後も地形的に谷底であることに変わりはなく、雨が降るたびにぬかるみになっていました。そんな折、銀座レンガ街では、関東大震災の復興事業としてレンガ敷きの道路をアスファルト舗装に改修する工事が行われます。戸越の商店主たちは、このレンガを譲り受け、水はけの悪い道を舗装することにしたのです。戸越銀座は全国に広まった「○○銀座」の元祖として有名ですが、それはこの「銀座のレンガ」にちなむもの。レンガ舗装と同時に、道に沿って流れていた川は暗渠になりました。
私ミカミも戸越銀座の名前の由来は聞いたことがありましたが、この通りが元は川だったこと、今も地下に暗渠になった川が流れていることはまったく知らなかったのでびっくり。戸越銀座通りの交差点で直交する道路の先を眺めると、両側が坂になって上がっており、この道が谷底を通っていることを実感しました。
戸越銀座駅の手前からは、品川用水とつながる北側の分流の暗渠道へ進みます。途中、星薬科大学の塀に沿って、一部分だけ暗渠が道路面よりも高くなっている箇所に遭遇。地図のO地点に本田さんは「謎の高所暗渠」と記しています。本田さんは「どうしてこうなったのか分かりませんが、コンクリート板の蓋の上を歩くと音が響いて面白い。いかにも暗渠の上を歩いている感じをお楽しみください」とにっこり。全員でゴトゴトと鳴る蓋の音とガタつく足裏の感触を堪能しました。
そういえば、"20世紀少女"だったミカミの子どもの頃は、コンクリート蓋の側溝がいっぱいあった気がします。令和の今、暗渠さんぽで昭和にプチタイムスリップできるとは......。
ここから終点の武蔵小山駅までは10分ほど。最後に立会川支流跡を通り、駅に到着。解散となりました。
谷頭の地形を生かして池泉回遊式庭園を築いた細川家。その池の水を補うべく引いた戸越上水が、品川用水となって一帯の田んぼを潤し、人々の暮らしを支えた。谷を刻む自然河川は人口の増加につれて暗渠化され、品川用水ともつながった。水田が宅地になり、役割を終えた品川用水は埋め立てられて水を失い、一方で、暗渠になった自然河川は今も静かに都市の地下を流れ続ける――。戸越の暗渠さんぽは、この地に刻印された江戸と東京の水をめぐる歴史に触れるショート・トリップとなりました。
※記事の情報は2020年12月1日時点のものです。
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【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター
大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp
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