【連載】ドボたんが行く!
2021.04.20
三上美絵
北沢川上流部と北沢用水 -(本田創さんと行く暗渠さんぽ③)
遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか!
甲州街道に浮き出た暗渠跡
暗渠(あんきょ)は、蓋をかけたり、地下に埋めたりした水路。東京では昭和の高度経済成長期に、多くの川や用水路が暗渠化されていきました。その痕跡をたどるのが、暗渠さんぽです。
国内の暗渠を知り尽くす「暗渠者」の本田創さんによるNHKカルチャーのフィールドワークのレポートは、今回が最終回。かつて東京都世田谷区を流れていた北沢川と、この川と玉川上水をつなぐかたちで開削された北沢用水の暗渠跡をたどりました(2020年9月に実施)。
当日の集合場所は、京王線・八幡山駅。およそ20人の参加者が、本田さんの引率で出発しました。北沢用水は、暗渠さんぽ①の品川用水、暗渠さんぽ②の三田用水と同じく、玉川上水の分水の1つ。
玉川上水は、多摩川の水を江戸城下へ送るために1654年に開削された水路で、羽村から四谷まで、武蔵野台地の尾根筋を貫いています。この大動脈からそれぞれの地域へ水を分けるための分水が設けられ、「上水記」*1という史料によれば、1791年にはその数は33に及んだといいます。魚の骨に見立てれば、玉川上水を背骨として、その両側へ小骨のように分水が延びていたのです。
*1 「上水記」 1791(寛政3年)、江戸幕府普請奉行上水方道方の石野遠江守広通が完成させた江戸上水に関する幕府公式記録
駅前から出発して甲州街道を渡ると、住宅街の歩道に「北沢用水上堀」の跡があります(地図のA地点)。玉川上水の取水口を起点とする北沢用水は、途中で上堀と下堀に分岐していました。
「南西側を流れる上堀と北東側を流れる下堀の間の細長い土地を水田とし、灌漑(かんがい)を行っていたわけです」と本田さんが説明します。2本の水路は下流で自然河川である北沢川に合流し、最終的に目黒川となって海へ続いています。
北沢用水の始まりは、上北沢村の飲料用水として引かれた「上北沢分水」です。「玉川上水が開通した4年後の1658年のことで、分水の中でも早い時期でした。その後、1670年には近隣の7つの村の農業用水となり、北沢用水と呼ばれるようになりました」(本田さん)。
地図のBからCにかけての一帯は、昭和初期に開発され「金華園文化村」と呼ばれた新興住宅地でした。金華園は鯉や金魚の養魚場で、敷地の一角には北沢用水を利用した池があったそうです。
ここからは再び甲州街道を渡り、北沢用水下堀の跡をたどります。「車に気をつけて、ちょっとあそこを見てください」と本田さんが皆さんに声をかけました。指さされた先は、車の往来が激しい甲州街道の路面。車が途切れた瞬間に、車線を横断する2本の平行線がくっきりと見えました。これこそが、北沢用水下堀の暗渠が埋まっている証拠です。
甲州街道を横切った暗渠は、住宅街に入ると「蓋暗渠(ふたあんきょ)」となって姿を現しました。蓋暗渠とは、水路にそのまま板状の蓋をかけたものです。
松沢病院を水源としていた北沢川
北沢用水下堀の暗渠道を少し離れると、京王線の線路の下をくぐる水路トンネルが見える箇所がありました。中をのぞくと、鉄管の底にはわずかに水が溜まっています。「これが、北沢川の暗渠跡です」(本田さん)。道の反対側には、暗渠の続きが蓋暗渠となって続いています。
線路を越えてしばらく歩くと、都立松沢病院の脇に出ました。「この一帯に滲み出していた湧水が、北沢川の水源でした」(本田さん)。フェンス越しに、池が見えます。精神科の専門病院だった松沢病院(現在は総合病院)が、大正時代に作業療法の一環として築いたもので、作業に参加した"葦原将軍"こと葦原金次郎(あしはら・きんじろう)にちなみ「将軍池」と呼ばれています。池は、地面を掘り下げたことで滲み出た湧水と、北沢用水からの引水で満たされたといいます。
南へ向かってしばらく歩き、北沢用水上堀の下流にあたる江下山堀(えげやまぼり)の暗渠跡に到着(J地点)。上北沢自動車学校(2020年7月末に閉校)の横にある、細長い空き地の下に暗渠が通っていたそうです。江下山堀の跡をたどっていくと、住宅の間にコンクリートの蓋暗渠が見えました(L地点)。この付近は、江下山堀と北沢川の分流の2本の蓋暗渠がほぼ平行して続いています。
さらに進むと、北沢川の分流の合流地点(M地点)に到着。蓋暗渠が数メートルだけ残り、その先は埋め立てられて一段高くなっていました。
上北沢分水の立役者・鈴木左内ゆかりの地
北沢川支流の合流地点から、今度は別な分流の暗渠跡をたどります。すると、公園の一角に小さな祠(ほこら)が祀(まつ)られていました。扁額(へんがく)には「左内(さない)弁財天」とあります(O地点)。「左内」とは、上北沢の礎(いしずえ)を築いた名主、鈴木左内家のこと。当主は代々、左内を名乗っていました。現地の案内板によれば、鈴木左内家の娘が井の頭池の龍神と恋仲になり、池に身を投げたことから弁財天を祀るようになったという伝説があるそうです。
「鈴木左内は、上北沢分水の開削にも深く関わっていました」(本田さん)。近くには、鈴木左内の広大なお屋敷があったとのこと。今は保育園となっている屋敷跡の一角には、見事な黒松が道路に突き出しています(Q地点)。この松は鈴木左内が江戸城に納入した「御囲い松」と同じ苗木とされることから「江戸城の兄弟松」と呼ばれています。江戸時代には、このあたりが上北沢村の中心地でした。
初代・上北沢分水のルートを推理!
左内さんのお屋敷跡を後にした一行は、北沢用水の支流の暗渠道を北上。京王線と甲州街道を越えて、玉川上水が暗渠になっている緑道へ進みます(R地点からX地点)。実は「このルートこそ、北沢用水の初代である上北沢分水ではないか」というのが本田さんの推理です。
1965年に廃止されるまでに、玉川上水からの北沢用水の取水口は3回変遷していることが分かっています。このうち、2回目と3回目の取水口は痕跡が残っており、位置が特定されているものの、最初の取水口がどこにあったかは不明。手がかりとなるのは、江戸時代の甲州街道の絵図に描かれた「用水抜石橋」だと本田さんは話します。
「このあたりの甲州街道には用水を渡る『用水抜石橋』が3本かかっており、そのうちのどれかが最初の取水口からのルートではないかと見ています」(本田さん)。また、当初の上北沢分水が「飲用水として引かれた」という史実もヒントに。「飲用水なら水田の場所は関係なく、むしろ多くの人が住んでいた上北沢村の中心地へ最短距離で引くのが合理的です」と本田さんの推理は続きます。さらに、玉川上水から続く地形が窪地になっていることも考慮し、「3カ所のうち最も東寄りの用水抜石橋のあった水路」を上北沢分水の最有力候補とする結論に達したそうです。
説明を聞きながら歩くうちに、一行は玉川上水の緑道に到着(W地点)。暗渠の上の小高い土手から、問題の水路が玉川上水と直交する箇所(X地点)を確認しました。そこから京王線・桜上水駅までは5、6分。駅前で解散となりました。
3回にわたる暗渠さんぽで私が驚いたのは、東京に張り巡らされていた水路の多さ。玉川上水の分水がたくさんあったことは知識としては知っていましたが、さらにそれらの分水が細かく分岐して縦横無尽の網目を形成していたこと、自然河川に接続して灌漑用水を排水していたことなどは、今回のフィールドワークで実際に歩いてみて初めて体感できました。
東京は下町に運河が多いことから「水都」とも呼ばれますが、かつては郊外だった山の手地区を含めて、まさに「水の都」だったのです。暗渠となって水面が人々の視界から消え、さらに用水路の役目を終えて水が流れなくなっても、その痕跡はまだかろうじて残っています。暗渠道をたどることで、水を中心とした人々の暮らしやその土地の歴史、地形などが見えてくる。本田さんと行く暗渠さんぽには、知的好奇心をかき立てられる面白さがありました。
※記事の情報は2021年4月20日時点のものです。
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【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター
大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp
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