1粒で3度おいしい! 大月市・猿橋は土木遺産パラダイス!

【連載】ドボたんが行く!

三上美絵

1粒で3度おいしい! 大月市・猿橋は土木遺産パラダイス!

遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか!

猿の谷渡りにヒントを得た奇橋「猿橋」

長引くコロナ禍のおかげで、思うようにドボク探検にも行かれない日々が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今回は、私ミカミが以前に取材で訪れた山梨県大月市・猿橋近辺の土木遺産を紹介したいと思います。

何がすごいって、この場所は、土木の好きなドボクスキーなら必見の土木遺産が3つも集積しているのです! ダムや橋などの土木構造物、特に古い時代に建設された土木遺産は、人里離れた山奥にあるなど、足を運ぶのが大変なケースもままあります。それが、ここはJR中央本線の猿橋駅から徒歩15分。周辺を歩いてドボク探検しても、数時間あれば十分堪能できるというわけです。

実は私自身、訪れるまでそのことを知りませんでした。この場所へは、国の名勝・猿橋を見るために行ったのですが、そこから芋づる式に2つの土木遺産を見つけてしまい、とても得した気分になりました。まさに「1粒で3度おいしかった」のです。

さて、この日私が目指したのは、桂川に架かる猿橋。JR猿橋駅は、新宿駅からおよそ1時間半の距離にあります。駅からは国道20号、つまり甲州街道を歩き、新猿橋西という交差点を左に曲がると、間もなく猿橋に到着しました。

すぐ近くに新猿橋という橋ができてから、猿橋は歩行者専用になっていますが、以前は車も通る旧甲州街道の橋として重要な役割を果たしていたそうです。橋の近くで出会った地元の方は、「子どもの頃、富士山の陸軍演習場へ向かう小型戦車が橋を渡るのを見たことがある」と言っていました。


JR猿橋駅から甲州街道を東へおよそ15分で猿橋に到着。対岸の崖の上に住宅が見えるJR猿橋駅から甲州街道を東へおよそ15分で猿橋に到着。対岸の崖の上に住宅が見える

猿橋は「甲斐の猿橋」と呼ばれ、「岩国の錦帯橋」「越中の愛本橋(現存せず)」と並ぶ日本3奇橋の1つ。「奇橋」と称されるだけあって、写真のように、とても面白い構造をしています。橋脚がなく、両岸から「桔木(はねき、刎木とも書く)」という短い部材をせり出すように重ねることで、橋桁(はしげた)を支えているのです。この形式の橋を「桔橋(はねばし、刎橋とも書く)」と言います。

なぜ、橋脚がないか。それは、谷が深過ぎて、橋脚を建てることが難しかったから。桔橋は深い谷や暴れ川など、橋脚を建てにくい場所に多く架けられたといいます。ちなみに、鉄骨や鉄筋コンクリートなどの材料が手に入る現代では、そういう条件の場所には、同じ理由で橋脚のいらないアーチ橋が架けられることが多いようです。


猿橋の全景。橋詰(はしづめ、橋のたもと)に降りられるようになっている。横から見ると、桔木の様子がよく分かる猿橋の全景。橋詰(はしづめ、橋のたもと)に降りられるようになっている。横から見ると、桔木の様子がよく分かる


桔木に小さな屋根が付いているのは、木材が雨で腐らないようにするため。現在の橋は、1984年に、鉄骨の上に薄い木を貼った「鉄骨造木装」に改修されたもの桔木に小さな屋根が付いているのは、木材が雨で腐らないようにするため。現在の橋は、1984年に、鉄骨の上に薄い木を貼った「鉄骨造木装」に改修されたもの

猿橋は、水面からの30m以上も上空に架けられています。創建されたのがいつかは分かっていないものの、江戸中期の1706年に荻生徂徠(おぎゅうそらい)が書いた紀行文に、猿橋はそのときすでに現在と同じ桔橋の形式だったことが記されています。橋の上から谷底を見下ろしてみて「確かに、こんなところに橋脚を建てるのはムリ」と実感しました。


猿橋の上から見下ろした峡谷猿橋の上から見下ろした峡谷

橋の隣に、猿を祀った山王宮の小さな祠(ほこら)があります。石碑には「猿橋記」という碑文が刻まれており、2つの伝説が紹介されていました。1つは、昔、猿王が伸びた蔓(つる)に跳ね上がってよじ登り、対岸へ渡ったのを見た人が、橋の構造をひらめいたという話。もう1つは、推古天皇の時代に、朝鮮の百済(くだら)から来た志羅呼(しらこ)という人が、猿王が藤蔓を伝って対岸へ渡るのを見て、これをヒントに橋をつくったという話です。

2つの伝説に共通しているのは、「猿が蔓を使って谷を渡る様子をヒントに橋をつくった」という点。ここから推測して「創建時の猿橋は、吊り橋だったのではないか」という説もあります。推古天皇の在位期間は593年から628年なので、荻生徂徠が訪れる千年も前。橋の形式も異なっていたことは十分に考えられそうです。

いずれにしても、猿はどんなふうに谷を渡ったのでしょう。猿王と呼ばれたボス猿は本当にいたのでしょうか。想像が膨らみます。


猿橋のたもとにある、猿王を祀った山王宮。かたわらの石碑に、猿王の伝説が刻まれている猿橋のたもとにある、猿王を祀った山王宮。かたわらの石碑に、猿王の伝説が刻まれている

水路が川を渡る?! 八ツ沢発電所の「水路橋」

猿橋の橋詰から谷の方を見ていると、すぐ近くになんだか変わった橋が架かっているのに気づきました。崖の中腹にトンネルの抗口(出入口)があり、道はその奥へと続いています。しかも、トンネルはとても天井が低いように見えます。これは一体、なんでしょう?!


画面の右上側が猿橋のたもと。奥の明るいところにトンネルと橋のようなものが見える画面の右上側が猿橋のたもと。奥の明るいところにトンネルと橋のようなものが見える

私は、カメラのモニターを覗きながら、ズームをマックスにしました。少し、形がはっきりしてきました。橋の下側がカーブしているところを見ると、アーチ橋のようです。でも、やっぱりトンネルの抗口が狭過ぎる。電車やクルマはおろか、人間さえ通るのがやっと、という感じです。うーん。

ハッ! こ、これはもしや、「水路橋では?!」。水路橋とは、水道用水や農業用水、発電用水などの水路が、谷に差し掛かったところにつくられる橋のこと。つまり、谷を越えて水を運ぶための橋です。川を渡る水路は、いわば"水の立体交差"。自称・ドボク探検倶楽部会長としては、これは確かめないわけにいきません。


ズームしてみた謎の橋。橋桁の下側がアーチになっているのが分かる。トンネル抗口の天井の低さが気になる!ズームしてみた謎の橋。橋桁の下側がアーチになっているのが分かる。トンネル抗口の天井の低さが気になる!

猿橋の橋詰から階段を駆け上り、謎の橋の方へ向かうと、あっけないほどすぐに橋の真上に到着。謎橋の正体は、やはり水路橋でした。フェンスに看板が掛かっています。「八ツ沢発電所施設 第1号水路橋」。なんと重要文化財です。


謎の橋は、発電用水を運ぶための水路橋だった謎の橋は、発電用水を運ぶための水路橋だった


山王宮のあたりから見下ろしたところ。画面奥の赤いアーチ橋は国道20号の新猿橋。水路橋は道路よりかなり低いところを通っているのが分かる山王宮のあたりから見下ろしたところ。画面奥の赤いアーチ橋は国道20号の新猿橋。水路橋は道路よりかなり低いところを通っているのが分かる


目を凝らすと、水路橋の中に水が流れているのが見える。トンネル抗口のレンガと石積みの組み合わせが美しい目を凝らすと、水路橋の中に水が流れているのが見える。トンネル抗口のレンガと石積みの組み合わせが美しい

調べてみると、八ツ沢発電所は東京電力の前身である東京電燈という会社がつくったもので、1912(明治45)年に発電を開始しました。もちろん今も東京電力の発電所として現役ですから、すでに100年以上、稼働していることになります。すごいですね!

水力発電は、高い位置から低い位置へ水を落下させ、その力で発電用水車を回して電気をつくります。川の水を取り入れて発電し、使い終わった水は最終的に川へ戻すのですが、その間に複数の発電所を経由することも。つまり、上流のA発電所から出た水を下流のB発電所で使い、さらにそこから出た水をC発電所でも使ってから、もとの川へ返すというわけです。

八ツ沢発電所は、上流にある駒橋発電所から水路で水を引き入れて再利用し、下流にある松留発電所へ放水しています。水を取り込む取水口から水路、水路トンネル、水路橋、そして運んできた水を溜めておく調整池など、およそ14kmの範囲にある発電所施設群が重要文化財になっており、水路橋もその1つ。国の重要文化財としては最大規模だそうです。

さらに、この第1号水路橋は、鉄筋コンクリートでできています。今でこそ珍しくありませんが、日本で鉄筋コンクリートの構造物が初めてできたのは1903(明治36)年。ある程度の規模を持った橋では1906年の佐世保橋が始まり。第1号水路橋が建設された当時、鉄筋コンクリートは最先端の技術だったのです。

旧国鉄時代の廃トンネル「大原トンネル」

思いがけず素敵な水路橋に出合って気分がアガった私は、もう一度猿橋に戻り、桂川の対岸へ渡ってみることにしました。水路の続きがどうなっているか、見えるかもしれないと思ったからです。

猿橋を渡ると、対岸には旧甲州街道が通っています。水路橋のあたりを歩いていると、何やら古いレンガの塀が続いているところがありました。住宅の塀にしてはずいぶん頑丈そうで、違和感があります。回り込んでみると、うっそうと茂った低木の陰に、トンネルの抗口のようなものが見え隠れしています。


旧甲州街道に残る大原トンネルの跡。画面中央の壁柱の右側に、抗口のアーチがかすかに見える旧甲州街道に残る大原トンネルの跡。画面中央の壁柱の右側に、抗口のアーチがかすかに見える

私は最初、これも八ツ沢発電所の施設の一部かと思いました。ところが、違ったのです。これは、旧国鉄時代の廃トンネル「大原トンネル」。廃線マニアの皆さんの大好物ですね。

大原トンネルが使われなくなったのは、1968(昭和43)年にJR中央本線梁川(やながわ)~猿橋間の複線化に伴い、大幅なルート変更が行われたことによります。単線時代の旧ルートは、4つの小さなトンネルを抜けながら桂川北側の山すそを進み、大原トンネルを出て、水路橋のすぐ横に架かっていた鉄橋「第二桂川橋梁」を渡って、南側の猿橋駅へ向かうものでした。

ということは、およそ半世紀前には、猿橋(道路橋)、水路橋、鉄道橋と、3つの橋が並んでいたことになります。そんなことを考えながら、ふと立ち寄った郷土資料館で、私は衝撃的な写真を目撃しました。

ジャーン、これです!


大月市郷土資料館が収蔵する大正時代の猿橋近辺の写真大月市郷土資料館が収蔵する大正時代の猿橋近辺の写真

この写真は大正時代に撮影されたもので、上から猿橋、JR中央本線の第二桂川橋梁、八ツ沢発電所施設の第1号水路橋が、地層標本のように層になって写っています。今回、私がほぼ同じと思われる場所から撮影した写真には、猿橋と第1号水路橋だけが見えています。ああ、かつてはこの中間に鉄道橋が見えていたのね。


上の大正時代の写真とほぼ同じあたりから私が撮影した写真。上に猿橋、下に第1号水路橋。大正時代にはこの中間にJR中央本線の第二桂川橋梁が通っていた上の大正時代の写真とほぼ同じあたりから私が撮影した写真。上に猿橋、下に第1号水路橋。大正時代にはこの中間にJR中央本線の第二桂川橋梁が通っていた

道路も水路も鉄道も、深い谷を越えた

わずか100mほどの短い区間に、道路と水路と鉄道の3つの橋が揃い踏みをしていた奇跡の空間。それが猿橋近くの桂川の景観です。

では、なぜこの狭いエリアに、橋が集中したのでしょうか。理由はいろいろあるのでしょうが、1つには、あたりではここが最も谷の幅が狭まっている地形だからでしょう。猿橋の長さはだいたい30m、第1号水路橋がおよそ43m。橋脚を建てずに橋を架けるには、川幅が狭い場所が好都合。大正時代の写真を見ても、3つの橋にはいずれも橋脚がありません。

桂川は富士山を源流とし、山梨県の東部を東へ流れ、神奈川県に入って「相模川」と名を変えて南下し、相模湾に注ぐ一級河川。上流部である猿橋付近は、丹沢山地と小仏山地の間を流れ、発達した河岸段丘を形成しています。深い谷は、桂川によって侵食されてできたものです。

このあたりの地形は、とてもダイナミック。丹沢山地は、伊豆半島にあった海底火山がフィリピン海プレートに乗って北上し、本州に衝突して生まれました。桂川・相模川が流れているのは、そのプレートの境界部分。猿橋の切り立った岩壁も、大部分が丹沢山地と同じ凝灰岩*でできています。

*凝灰岩:火山から噴出した火山灰が地上や水中に堆積してできた岩石



さらに、桂川の右岸(上流から見て右側。ここでは川の南側)の上部は、富士山の溶岩で覆われているのです。約9千年前の噴火で流れ出て、桂川の谷を埋めながら流下したもので「猿橋溶岩流」と呼ばれています。富士山から猿橋までの距離はおよそ30km以上もあり、猿橋溶岩流は最も遠くまで到達した溶岩だといわれています。溶岩流が押し寄せた谷では、桂川の流れが北の縁に押しやられ、その位置で溶岩と凝灰石を削り込んで深い谷ができたのです。

猿橋のたもとから続く遊歩道を歩いていると、溶岩流が冷えるときに収縮して柱を並べたようになった「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」が露出している箇所がありました。こちらは地質マニアの方の大好物ですね。

3つの土木遺産に加えて、地形や地質の面白さも満喫できる猿橋探検。貴重な遺構を細部まで間近に見られるのも魅力で、ドボクスキーにはまたとない穴場でした。


精巧に作られた猿橋の模型(収蔵:大月市郷土資料館)精巧に作られた猿橋の模型(収蔵:大月市郷土資料館)


※記事の情報は2021年9月7日時点のものです。

  • プロフィール画像 三上美絵

    【PROFILE】

    三上美絵(みかみ・みえ)

    土木ライター
    大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
    著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
    建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp

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