【連載】ドボたんが行く!
2021.12.21
三上美絵
愛媛の内子町で屋根付き橋と木蝋(もくろう)で栄えた町並みを堪能!
遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか!
日本にもあった! 生活に根付いた屋根付き橋「田丸橋」
みなさんは「マディソン郡の橋」という映画をご存知でしょうか? 「4日間の恋と、人生の選択を描いた大人のラブストーリー」ということで、1995年に公開されたときは大ブームになりました。
舞台はアメリカ・アイオワ州のマディソン郡。メリル・ストリープ演じる農場主の妻フランチェスカは、この田舎町で平凡な毎日を送っています。たまたま家族の留守に彼女の前に現れたのが、クリント・イーストウッド演じる旅人のカメラマン、ロバート。
ロバートは、珍しい「屋根付き橋」である「ローズマン・ブリッジ」を撮りに来て道に迷い、フランチェスカが案内を買って出るところから、物語が始まります。家族に対する責任感と、魂が震えるような出会いとのはざまで悩むフランチェスカの心情にはいろいろと思うところがありますが、それはさておき! 屋根付き橋です、屋根付き橋。
マディソン郡には古い屋根付き橋がいくつか残っていて、文化財になっています。映画の撮影はローズマン・ブリッジとよく似た別の橋で行われたようですが、私ミカミの目は2人のロマンスの行方よりも、このかっこいい屋根付きの橋に釘付けになってしまいました。
私はこの映画によって「屋根付き橋」というものの存在を知ったわけですが、日本にも屋根の付いた橋があると知ったのは、つい数年前のことでした。
調べてみると、屋根付き橋は全国に点在しているものの、そのほとんどが神社やお寺の境内または参道に架かる橋のようです。ところが、愛媛県南部の南予地方には、農道などに架かる生活橋で屋根の付いたものがたくさんあったといいます。
私は早速そのひとつ、内子町(うちこまち)の「田丸橋」を訪れました。外観はマディソン郡の橋とはずいぶん異なっていて、幌タイプではなく、木造住宅と同じように柱と梁(はり)で小屋組み(屋根の構造)を支えています。
橋脚はハの字に突っ張る「方丈式(ほうじょうしき)」。柱と梁をがっちり結合した構造を「ラーメン構造」(拉麺は関係ありません)と呼びますが、「方丈式」はまたの名を「頬杖(ほおづえ)ラーメン」とか「π(パイ)型ラーメン」とも言います。確かに、斜めになった橋脚が橋桁を支える姿は、ヒトが頬杖をついている姿にも、ギリシャ文字の「π」にも似ています。ナ~イス・ネーミング!
実はこの田丸橋、もとは屋根のない土橋(木橋の橋面に土をならし固めた橋)でしたが、洪水で流されてしまい、1944年に今の形に再建されました。以前の橋は、橋脚に流木が引っ掛かったことが流出の原因になったことから、地元の大工さんたちが工夫して、川の中に橋脚を立てず、両岸に橋脚を突っ張る形に変えたのだそうです。
このときに、下流にあった屋根付き橋に習い、田丸橋にも屋根が架けられたといいます。雨や風で傷みやすい木造の橋は、屋根を架けることで耐久性がぐんとアップするのです。雨風がしのげるようになったことで、炭俵や農業資材を保管したり、集まっておしゃべりしたりするのにも使われるようになりました。
河野水軍が遺した弓削神社の太鼓橋
内子町には田丸橋を含めて5つ、お隣の大洲市河辺地区にも8つの屋根付き橋「浪漫八橋」があり、観光の目玉のひとつになっています。中には近年に新設されたものもありますが、この一帯に古くから屋根付き橋の文化が根付いていたことは確かです。
その基になったと考えられているのが、田丸橋が架かる麓川(ふもとがわ)の上流の石畳地区に位置する弓削神社(ゆげじんじゃ)の太鼓橋です。弓削神社は、「水軍」で知られる中世の豪族、河野氏ゆかりの神社。瀬戸内海の弓削島にある弓削神社の分社です。室町時代に河野一族が石畳の地を去る際、神社を建てて堀をめぐらし、中央に橋を架けたと伝わっています。
現在の橋は戦後の1951年に架け替えられたものですが、もしもこの場所に架かる橋が1396年の創建時から屋根付きだったとすれば、日本初の屋根付き橋といわれる厳島神社(いつくしまじんじゃ)の回廊橋(1278年以前)と比べても、かなり古い部類に入ると言えましょう。
木蝋生産で栄えた豪商の屋敷と内子座
弓削神社から谷あいの一本道である国道243号を内子町の市街地へ向けて戻ってくると、田丸橋のしばらく先に高昌寺(こうしょうじ)という曹洞宗のお寺があります。伽藍配置(がらんはいち)が本山の永平寺(えいへいじ)に似ていることから、地元では「ミニ永平寺」と呼ばれているそうです。ここが、国の重要伝統的建造物群保存地区、通称「伝建」に選定されている八日市護国(ようかいちごこく)地区の最上部です。
ここから山裾に沿ってゆるやかな傾斜地に、江戸後期から明治にかけて木蝋生産で栄えた内子の面影を色濃く残す町並みが約600mにわたり続いています。
内子は古くからお遍路さんの宿場町としてにぎわっていました。また、大洲街道や小田川の舟運による物資の集積地でもありました。
そんな内子がさらなる飛躍を遂げたのは、江戸時代の18世紀。大洲藩の奨励によってハゼノキが植えられ、その実から木蝋が作られるようになります。19世紀半ばには大量生産と分業制が確立し、明治末には漂白を施した「晒蝋(さらしろう)」の生産量で愛媛県が全国一に。その7割は内子で作られていたといいます。
木蝋で莫大な富を成した内子ではその頃、娯楽を求めて「芝居小屋を作ろう」という話が持ち上がりました。地元の旦那衆18人の出資によって、大正天皇の即位を記念して1916年に創建されたのが「内子座」です。歌舞伎や文楽、活動写真などさまざまな催しが行われ、一時はたいそう賑わったものの、時代の流れとともに映画館や商工会の事務所に改装された時代を経て、昭和の終わりには老朽化を理由に取り壊しの案も浮上。
しかし、「希少な地方劇場をなんとか保存できないか」という声が上がり、1982年には所有者が町に建物を寄贈。同年に町指定文化財となり、修理・復元を経て1985年に劇場として再出発を果たしました。2015年には国の重要文化財にも指定。創建から100年以上経った今も現役の劇場として歌舞伎の興行などが行われています。
中世に瀬戸内海を舞台として活躍した河野水軍ゆかりの弓削神社。弓削神社の太鼓橋がルーツと見られる南予地方の屋根付き橋。江戸後期から大正期の往時をしのばせる八日市護国の町並みや内子座。松山から特急電車で30分弱の内子町は、歴史の痕跡を今に伝える土木と建築の遺構がたっぷりあって、ドボタン三上を魅了してやまない町でした。
※記事の情報は2021年12月21日時点のものです。
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【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター
大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp
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