【連載】ドボたんが行く!
2022.06.21
三上美絵
信越本線の廃線ウォーク、碓氷峠を歩いて越えてみた!〈前編〉
遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか! 今回は信越本線の廃線ウォークに挑戦。前編と後編に分けて公開予定で、本記事は前編です。
日本最大のレンガ造アーチ橋「碓氷第三橋梁」を見に行く
「【ゆる募】5/7廃線ウォーク」。ある日、自称・ドボクスキー(土木好き)の集まる少人数のSNSグループで、こんな告知が! 普段は立入禁止になっている信越本線の廃線跡を案内してもらえるツアーがあるというのです。ドボク探検倶楽部(通称ドボたん)としては、行かないわけにはまいりますまい。実は私ミカミは、以前から廃線というものにかなり興味を持っていたものの、これまでなかなか潜入する機会がなかったのです。
しかし、コロナ禍以来、歩くといえば犬の散歩ぐらいの私。山中の廃線跡を何キロも歩くツアーに、果たしてついて行けるのでしょうか。ゆる募主のKさんに恐る恐る聞いてみると、「いちおう11kmくらい歩くようです(笑)。休み休み歩いて、お子様でも大丈夫だとされているので、大丈夫なのじゃないかと思いますよ」というお返事。うーん、本当に大丈夫なのか、自分。
でも、そんな不安は好奇心にあっさりかき消され、参加することにいたしましたよ! ゴールデンウイーク名残の土曜日、早起きして8時半過ぎに横川駅に集合。ツアー開始は11時ですが、その前に、旧信越本線の遺構である「碓氷(うすい)第三橋梁」を見に行こうという計画です。
国鉄時代の旧信越本線は、「アプト式」の鉄道として知られていました。アプト式は、2本のレールの中央にノコギリ歯状の「ラックレール」を敷き、車両の歯車を噛み合わせることで急勾配をスリップせずに上り下りする「ラック式鉄道」の一種です。
アプト式が採用されていたのは、「碓氷線」という通称で呼ばれた横川駅~軽井沢駅間。そこには、最大の難所である「碓氷峠」が立ちはだかっていました。
旧信越本線は、東京と新潟を結ぶ鉄道路線として明治時代に計画されたものでしたが、この区間(横川駅~軽井沢駅間)はあまりにも急な勾配であったため、前後の上野駅―横川駅間、軽井沢駅―直江津駅間が開通した後も手つかずになっていました。そこで当時の最新技術だったアプト式が採用されることになったのです。
碓氷第三橋梁を通る碓氷線は1893(明治26)年に開通し、1963(昭和38)年まで列車が運行していました。日本でアプト式が用いられたのは、この旧信越本線と静岡の大井川鐵道井川線だけ。井川線のアプト区間ができたのは1990(平成2)年なので、碓氷線が運行していた時代には「日本で唯一」のアプト式鉄道だったことになります。
下調べが完璧なKさんに教えられて、横川駅の駅前、「峠の釜めし本舗おぎのや」の角の側溝を見ると......! そこにはなんと、廃止後に取り外されたラックレールがグレーチング(格子状の蓋)となって第二の人生を送っていました。博物館などに展示されるだけでなく、こうして誰もが見て、触れるところに使われるのは素晴らしいことですが、知らなければただのグレーチングとして見過ごしてしまいそうで、ちょっともったいない(いや、逆にそのさり気なさがいいのか)。
横川駅からクルマで10分ほど走って、碓氷第三橋梁に到着。下から見上げると、写真で見るよりずっと大きくて迫力があります。碓氷線アプト式区間の橋梁は全部で18カ所あり、その全てがレンガ造のアーチ橋でした。バラスト(砂利)を敷いて枕木を緊密に支えることができるため、鉄橋に比べて、急勾配で下り方向にかかる大きな荷重を分散させることができるからです。
「めがね橋」とも呼ばれている碓氷第三橋梁は、全長約91m、谷底からの高さは約31m。4つのアーチが連続した4連アーチ橋で、レンガ造のアーチ橋では日本最大の規模です。イギリスからやってきたお雇い外国人技師ポーナルの指導のもと、古川晴一をはじめとする鉄道院の土木技師たちが設計しました。橋の上に登ってみると、やっぱり高い! 眺望抜群。明治時代に、こんなに高いところを蒸気機関車が走っていたのが驚きです。
旧線の痕跡が残る「アプトの道」を歩く
さて、碓氷第三橋梁を堪能したところで横川駅前へ戻り、観光案内所で受付を済ませたら、いよいよ「廃線ウォーク」です。この日のツアーには、小学生から熟年のご夫婦まで35人ほどが参加しました。
横川駅~軽井沢駅間は、アプト式の旧線が廃止になった後、信越本線新線が運行していました。その新線も、北陸新幹線が開業した1997(平成9)年には廃止されています。廃線ウォークはこの新線の軌道跡を歩くイベントで、観光地域づくり法人である安中市観光機構が月に3回ほどのペースで開催しています。
アプト式の旧線のほうはすでにレールが撤去され、遊歩道として整備されている一方、新線はレールや枕木などの設備がほぼ現役時代のまま残っています。普段は立入禁止になっている新線の橋梁の上やトンネルの中を歩くことができるのは、このツアーだけ。ちむどんどんしますねー。レンタルのヘルメットをかぶり、インカムを着け、ライトを携えて、いざ出発!
スタート地点の「JR横川駅」から温泉施設「峠の湯」までは、旧線の「アプトの道」を歩きます。しばらくすると、道の脇に大きなレンガの建物。1912(明治45)年に建設され、旧線に送電していた「旧丸山変電所」の遺構です。ガイドを務める安中市観光機構の上原将太さんによれば、「碓氷線は日本の幹線鉄道で初めて電化された路線」なのだそうです。
電化が急がれたのは、この区間があまりにもトンネルの連続だったから。蒸気機関車のばい煙がトンネル内にこもり、乗務員にとっては過酷な労働環境だったのです。
旧丸山変電所では交流6,600ボルトを直流650ボルトに変換し、機関車の登坂時の電力を賄っていました。碓氷第三橋梁や丸山変電所、レンガトンネルなど一連の構造物は、「旧碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定されています。
再びアプトの道を進み、峠の湯に到着。ここの庭で昼食休憩です。できたての「峠の釜めし」が配られました。
「片峠」の宿命が生んだ国鉄一の急勾配
昼食休憩が終わり、ここからはアプトの道を離れ、レールが敷かれたままになっている新線の下り線を歩いて軽井沢へ。横川駅―軽井沢駅間は距離が11.2km、標高差は552.5mもあり、勾配は最大で66.7 ‰(パーミル)にもなります。「パーミル」は1,000分の1を単位とする「千分率」。ここでは「1,000m進む間に66.7m登る」ということです。
1桁減らして考えると、「100mで約6.7m登る」となり、それほど急勾配でもないような気がしますが、それは大間違い。アスファルトの上をゴムタイヤで走る自動車と違って、鉄道はレールも車輪も鉄が基本。摩擦力が小さく、動力がレールに伝わりにくいので、鉄道は坂が大の苦手です。日本の鉄道の設計では、原則として25‰が限度。ここはその2倍以上と聞けば、すごさが伝わってきます。
なぜ、碓氷峠はこれほどの急勾配なのでしょうか。それは地形の成り立ちに理由があります。
古代、火山の噴火で流れてきた溶岩によって、碓氷峠一帯は平地になっていました。その後、東側を流れる霧積川(きりずみがわ)によって侵食が進み、急な崖が形成されたのです。このため、東に位置する横川と碓氷峠は約570mに及ぶ標高差がある半面、碓氷峠と西に位置する軽井沢の標高差は約17mしかありません。
片側だけが急峻でもう片側は平坦なこうした地形は「片峠(かたとうげ)」と呼ばれます。両側に等しく勾配がある峠なら、麓にトンネルを掘ることで勾配を回避できるのに対し、片峠の場合はトンネルにも勾配をつけなければ、越えることができないのです。その結果、66.7‰という、当時の国鉄で最大の勾配にならざるを得なかったわけです。
廃線ウォークツアーは、新線に入ってから軽井沢の手前まで、ずっとトンネルが続きます。その数、実に18カ所。なかでも、最も長い下り線の第2トンネルの延長は1,215m。ガイドの上原さんの合図で、全員が手持ちのライトを消すと、トンネル内は深い闇に包まれました。
第2トンネルの出口は、そのまま橋梁につながっています。橋で脱線が起こると落下事故につながりかねないため、この部分はレールが二重になっていました。
碓氷川の橋を渡ると、またすぐにトンネルです。この第3トンネルも946.5mとかなり長い! ここにはツアー用に発電機を用意してあり、坑内の電灯が点灯されました。「機関車の運転士も、これと同じ景色を見ながら列車を運転していたんですよ」(上原さん)。そんな追体験ができるのも、廃線ウォークの醍醐味です。
次に、トンネルの壁に投影された動画を視聴。かつて碓氷線の機関士だった人たちが当時のことを語る内容です。かつての横川は、労働者の約半数が国鉄職員。上原さんの祖父もその一人で、機関士として乗務していたそうです。動画のインタビューでは、皆さんの言葉の端々に、国鉄一の急勾配である峠を任された鉄道マンとしての誇りがにじみ出ていました。それだけに、「碓氷線の新線が廃止されて悔しく思った」というコメントが胸に響きます。
※記事の情報は2022年6月21日時点のものです。
後編はこちら
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【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター
大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp
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