【連載】ドボたんが行く!
2022.06.24
三上美絵
信越本線の廃線ウォーク、碓氷峠を歩いて越えてみた!〈後編〉
遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか! 今回は信越本線の廃線ウォークに挑戦。前編と後編に分けて、本記事は後編です。
前編はこちら
命がけで鉄道を支えた国鉄マンたち
群馬県の横川から長野県の軽井沢まで、廃線となった信越本線新線の跡を歩く「廃線ウォーク」。3つ目のトンネルを抜けると、熊ノ平(くまのたいら)に出ます。ルート上で唯一開けたこの場所は旧線と新線が合流する箇所で、1966(昭和41)年までは「熊ノ平駅」がありました。旧線に蒸気機関車が走っていた時代には、ここに水と石炭を補給する基地があったそうです。電化後も変電所が設置され、職員の官舎もあって、多くの職員と家族が住んでいました。
ところが、1950(昭和25)年に大規模な土砂崩れが起き、復旧作業中の職員と家族の50人が犠牲になるという悲しい出来事がありました。人里離れた山の中に常駐し、命がけで鉄道を支え守った職員たちがいたということも、現地を訪れて初めて身に染みて感じられます。
貴重な平地につくられた熊ノ平駅は、単線だった旧線の交換駅でもありました。それがよく分かるのが、横川側に4つ並んだトンネルの坑口です。4つのうち、左2つは新線の上下線のもの。右2つは旧線時代につくられたもの。ただし、一番右は行き止まりのトンネルで、交換待ちの際、対向列車に線路を譲るために、バックして車両のお尻を突っ込んでおくためのものだったといいます。面白いですね。
碓氷峠を越えた人々の記憶を追体験
中間地点の熊ノ平を過ぎると、残り半分は第4号から18号の短いトンネルが続く「怒濤(どとう)のトンネル15連発!」。この先は、旧線の軌道と重なる部分が多く、レンガのトンネルや橋梁の遺構が見どころです。
例えば、第10号トンネルの脇には旧線のトンネルの坑口があり、封印されたコンクリート壁の中央には「1965~8」と、日付らしきものが刻印されていました。また、その近くには旧線のレンガアーチ橋「中尾橋」があります。レールは撤去されているものの、5連のアーチがほぼそのままの美しい姿を保っていました。
さて、トンネルの連続も残りあとわずか。トンネルとトンネルの合間に、若葉風が頬をなでていきます。暗い坑内から出口に新緑の光が差しているのが見え、その先にまた次のトンネルの暗い入口がのぞいています。
「あ! カモシカがいますね。今日の皆さんは運がいいです」。ガイドを務める安中市観光機構の上原将太さんにそう言われて崖の上を見ると、1頭のカモシカが立ち止まってじっとこちらを見つめていました。
第17号トンネルでは、出口付近でグループごとに写真を撮ってもらいました。トンネル内から次のトンネルが見えるスポットはここが最後。逆光のシルエットで格好いい記念写真を、という心憎いサービスです。
そしてついに、最終の第18号トンネル。坑内に群馬県と長野県の県境を示す標識がありました。そこを越えれば、軽井沢駅はもうすぐです。ツアーは、トンネルを出て少し歩いたところで解散になりました。すぐ脇を北陸新幹線が通っています。
午前11時から午後5時過ぎまで、約6時間少々。鉄道的超急勾配の11.2kmを無事に歩き切ることができました。途中で説明を聞いたり、写真を撮ったりする時間がゆっくり取ってあり、休憩も何度かあったので、疲れを感じることはありませんでした。
山偏に上下と書いて「峠」。この字は、いわゆる「漢字」ではなく、日本で生まれた「国字」です。国土の約7割を山地が占める日本の地形的特徴が、そのまま形になった文字と言えるでしょう。なかでも碓氷峠は古来、日本海側と太平洋側を分ける分水嶺であったり、信州と上州を分ける国境であったりと、重要な"境目"としての役割を果たしてきました。その険しさゆえに交通の難所である半面、「境界を越える」ための要衝(ようしょう)でもあったのです。
江戸時代には中山道が整備され、碓氷峠の手前の横川には関所「坂本宿」が置かれました。明治時代になると峠を越える鉄道が求められ、当時の先端技術「アプト式」を導入。さらに戦後は、輸送量を増やし、所要時間を短縮するためにアプト式に代わって新線が造られ複線化します。そしてその新線も、時代の流れとともに新幹線に置き換えられて......。横川~軽井沢間の移り変わりは、碓氷峠を技術と英知と強い意志で乗り越えてきた人々の歴史です。
地元で育ち、碓氷線の機関士だった祖父をもつ上原さんは「線路や構造物を造った技術者、機関車を運転した機関士、利用した乗客。廃線跡を歩くことで、そうしたかつての人々の想いを感じてほしい」と話します。アプト式の旧線と、複線化された上下の新線が共に廃線跡として保存されている場所は、ここしかありません。それをしっかりと体感できる「廃線ウォーク」、本当に貴重な経験となりました。
■廃線ウォークHP
https://haisen-walk.com/about
※記事の情報は2022年6月24日時点のものです。
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【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター
大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp
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