【連載】ドボたんが行く!
2022.09.22
三上美絵
京都から琵琶湖へ、琵琶湖疏水を船で遡る!〈後編〉
遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか!今回は京都と琵琶湖をつなぐ「びわ湖疏水船」に乗船。前編と後編に分けて、本記事は後編です。
前編はこちら
建築家・片山東熊の設計した旧御所水道ポンプ室
1951(昭和26)年を最後に姿を消してから、およそ70年ぶりに本格的に復活した琵琶湖疏水の船「びわ湖疏水船」。いよいよ乗船時間が近づいてきました。蹴上船溜(けあげふなだまり)の乗船場で受け付けを済ませ、出航までの時間に琵琶湖疏水の開発物語のショートムービーを視聴します。
動画ではまず、疏水事業を立案した、第3代京都府知事の北垣国道(きたがき・くにみち)の肖像画がアニメーションで動き出し、疏水の計画が明治維新後にさびれてしまった京都の復興を目指すものだったこと、主任技師として21歳の田邉朔郎(たなべ・さくろう)を起用したこと、外国人技師に頼らず日本人だけで行った最初の事業であることなどを語ります。
ハイライトは、田邉が工事半ばになってアメリカで視察した水力発電への計画変更を主張するシーン。〈前編〉でも触れたこのエピソードが、再現ドラマで紹介されます。う~ん、田邉朔郎、アツいです。
動画が終わり、船着き場へ移動。その横に、レンガと石でできた重厚な建築物が建っています。ガイドさんによれば、「旧御所水道ポンプ室」とのこと。御所水道は、京都御所で使う水を琵琶湖疏水から引くために設けられた水道です。建屋の中には、水を汲み上げるためのポンプが格納されていました。
御所で火災が発生したときは、疏水の水をポンプで高台にある貯水池まで押し上げ、高圧で送水して消火できるようになっていたそうです。〈前編〉で南禅寺塔頭(たっちゅう)や近傍(きんぼう)の別荘に引き込まれた疏水の水が防火用水の役割を担っていたことに触れましたが、同様に御所の防火機能も支えていたんですね。
ポンプ室は京都御所のための施設なので、宮内庁の管轄です。田邉も計画には関わったようですが、ポンプ室の設計・施工は宮内庁直営で行われました。この素晴らしい意匠が、宮廷建築家としてとても有名な片山東熊(かたやま・とうくま)の手によるものと聞いて納得です。
一つずつ全部異なるトンネルのデザイン
びわ湖疏水船は、10人ほどが乗れる小さな船です。乗船客は片側に5~6人ずつ、背中合わせに座ります。乗船前に、第1疏水のトンネル坑口(トンネルの入口)のデザインと、そこにはめ込まれた扁額(へんがく)の言葉がすべて異なることが説明されました。船着き場のフェンスには、それぞれのイラストが描かれたボードが掛けてあります。例えば、第1トンネルの東口の扁額は、初代内閣総理大臣の伊藤博文による「気象萬千(きしょうばんせん)」の文字。「様々に変化する風光はすばらしい」と、意味もちゃんと添えてあって親切です。
さあ、いよいよ出航です。びわ湖疏水船は、京都府京都市の蹴上と滋賀県大津市の琵琶湖の手前までを往復しています。私が乗ったのは、蹴上から上流へ向かって疏水を遡る上り便。トンネルの順番は、琵琶湖側から下流へ向けて第1、第2、第3となっていて、蹴上の船着き場を出るとすぐに第3トンネルに入ります。西側坑口は、ギリシャ神殿を思わせるデザイン。トンネルを抜けて振り向くと、東側坑口は全く異なるデザインでしたが、どちらもすてきです。
トンネルの中は真っ暗。灯りは船の照明だけです。左側の壁にはロープが渡されていて、昔は京都側から琵琶湖へ遡上するとき、たぐり寄せるようにして船を進めたといいます。
もちろん、今の船はパワフルなエンジンが付いているので、ロープを使うことはありません。しかしその代わり、流れに逆らう上り便では、船が自ら起こす引き波に巻き込まれないように、下り便に比べてかなりスピードを上げて航行する必要があるそうです。このため、乗船時間も下りが約55分なのに対し、上りは約35分と短くなっています。琵琶湖疏水は勾配が緩やかだとはいえ、やはりけっこうな流速があるのだな、と感じました。
120年近く前にできた日本初の鉄筋コンクリート橋
船が第3トンネルと第2トンネルの間の開渠(かいきょ)に差し掛かった時、小さな橋が架かっているのが見えました。長さ7.2m、幅1.5mの日ノ岡(ひのおか)第11号橋です。知らなければ見過ごしてしまいそうな何の変哲もない橋ながら、実はこの橋、「日本初の鉄筋コンクリート橋」なのです。
1903(明治36)年に田邉朔郎が設計したもので、当時、鉄筋コンクリートはフランスで生まれたばかりの技術でした。この橋は、国産セメントの試験のための試作品として架けられ、まだ現在のような専用の鉄筋がなかったことから、疏水の工事用軌道のレールで代用したといいます。試作品であったにもかかわらず、120年近く経った現在も持ちこたえているとは、すごいことですね。
船は上り便の最後となる第1トンネルへと進みます。全長2,436mと、第1疏水の中で最も長いトンネルです。ここで見落とせないのは、〈前編〉でもご紹介した工事用の「竪坑(たてこう)」。工事を早く進めるために、トンネルの両側からだけでなく、山の上から竪穴を掘り、そこからも掘っていったわけですが、その竪穴がそのまま遺っているのです。
「上り便は船の速度が速いので、一瞬で通り過ぎてしまいますから、天井をよく見ていてください」というガイドさんの案内で、気合を入れてカメラを上向きに構えていたのですが――。本当に一瞬にして竪坑の下を通り抜けてしまい、残念なことに写真はうまく撮れませんでした(泣)。でも、暗いトンネルの天井にぽっかりと丸い穴が開き、そこから光が差し込んでいるのは、確かに目撃しましたよ! じっくり見たい人は、下り便を選ぶといいかもしれません。
その後、トンネル内で壁面に投影したビデオを観賞。乗船前に観たビデオにも登場した、第3代京都府知事の北垣国道が再び現れ、工事の大変さを語ってくれました。
水害の記憶を刻む疏水トンネルの鉄扉
第1トンネルを抜けてすぐのところが下船場になっています。船着き場から琵琶湖まではもう目と鼻の先。船を降り、琵琶湖側にある大津閘門(おおつこうもん)を見学して、本日のクルーズは終了となりました。乗船時間がわずか35分間とは思えないほど、充実したツアーでした。
さて、第1トンネルの東側坑口には、これまでのトンネル坑口とは明らかに違っている点があります。そう、写真のように分厚い鉄扉が取り付けられているのです。この扉は、1890(明治23)年の開通時にはなかったもの。すぐ近くの大津閘門とこの坑口の扉には、開通から6年後に起こった水害が深く関わっていました。
1896(明治29)年8月末、台風の豪雨により、琵琶湖の水位はどんどん上昇していきました。第1疏水に流れ込む水量も増え過ぎて、そのままでは京都市内に洪水の被害が及んでしまいます。そこで、琵琶湖疏水を管理する京都市は大津閘門を閉鎖し、水害を食い止めたのです。
閘門については過去のドボク探検倶楽部(荒川ロックゲートと倉安川吉井水門)でも取り上げましたが、本来は2つの川や水路間の水位差を解消して船を通過させるための施設です。ただ、船を待機させる閘室(こうしつ)の前後の水門を閉め切ってしまえば、水路への水の流入を防ぐことができます。
京都市はさらに、150人の作業員を投入して第1トンネルの坑口にも応急処置として鉄扉をはめ込み、トンネル内への流入を阻止。鉄扉はその後、より頑丈なものに取り替えられて現在に至っていますが、ダムや堰(せき)による琵琶湖の総合的な治水対策がなされた今、この鉄扉はすでに役割を終えていると言えるでしょう。
せっかくなので、大津閘門の先まで歩いてみました。国道の橋の向こうはもう琵琶湖。大きいです。
琵琶湖疏水の工事が始まる前、北垣国道や田邉朔郎もこの景色を見たのでしょうか。日本の近代土木の黎明期に、日本人だけで成し遂げられた大事業。2人のヒーローのほかにも、有名無名の大勢の人たちが命がけで建設した琵琶湖疏水は、明治維新後の京都の発展の礎となり、今の時代にもなくてはならないインフラであり続けています。
※記事の情報は2022年9月22日時点のものです。
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【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター
大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp
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