【連載】創造する人のための「旅」
2022.08.23
旅行&音楽ライター:前原利行
大河アマゾンで過ごす大人の夏休み。マナウスのジャングルツアーと川下り(ブラジル)
"創造力"とは、自分自身のルーティーンから抜け出すことから生まれる。コンフォートゾーンを出て、不自由だらけの場所に行くことで自らの環境を強制的に変えられるのが旅行の醍醐味です。異国にいるという緊張の中で受けた新鮮な体験は、きっとあなたに大きな刺激を与え、自分の中で眠っていた何かが引き出されていくのが感じられるでしょう。この連載では、そんな創造力を刺激するための"ここではないどこか"への旅を紹介していきます。
※本文の内容や画像は2014年の紀行をもとにしたものです。
アマゾンに開けた都市・マナウス
仕事がまだ少ない最初の2~3年を除けば、旅行ライターを始めてからずっと、旅といえば仕事関連ばかりだった。それが15年目ぐらいにちょうど仕事が切れるタイミングがあり、久しぶりに仕事抜きの長期海外旅行に出た。毎月のレギュラーの仕事はあるが、何とか旅先でもこなせる量だったこともある。初心に戻るつもりで、行き先はそれまで1度も訪れていない南米を選んだ。スペイン経由でベネズエラの首都カラカスに入り、ブラジル、ボリビアを回って、ペルーの首都リマからまたスペインへ戻るという7月から9月までの3カ月の夏休みだ。この旅のうちウユニ塩湖とイグアスの滝の記事は以前に書いたが、今回もその時の旅の話から。
1週間のベネズエラの旅を終え、陸路国境を越えてブラジルに入国し、北部最大の都市マナウスへと向かった。マナウスはネグロ川とソリモンエス川という2つの川が合流し、大河アマゾンとなる合流地点にある都市で、19世紀末の空前のゴムブームにより発展したという歴史がある。新大陸を発見したコロンブスが初めてゴムをヨーロッパに伝えたが、人々は当初はその使い道が分からなかった。18世紀になり、ようやくゴムを利用した防水布やゴム靴(長靴)、消しゴムなどの商品が考案されるようになったが、需要が一気に高まったのは19世紀末に自動車用タイヤにゴムが用いられてから。アマゾン川上流にゴムの木のプランテーションがつくられ、多くの移民労働者が押し寄せた。マナウスの町はその収穫物の集積港として発展していったのだ。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、マナウスは黄金時代を迎える。1895年にブラジルで初めて電気が開通し、1896年には世界三大劇場に挙げられたオペラハウスが完成、1909年にはブラジル初の連邦大学が設立された。この頃のマナウスは実にブラジルのGDPの45%を稼いでいたのだ。しかし天然ゴム栽培の中心が東南アジアに移ると、そのゴム景気も衰退していく。20世紀中頃にはさびれていたマナウスだが、その後、税制優遇などの効果により世界各国から工場が進出し、今では人口200万人の大都市に再発展している。
アマゾン川のジャングルツアーへ
そのマナウスの安ホテルに荷を下ろし、ブラジルでの目的のひとつであるアマゾンのジャングルツアーを申し込んだ。マナウス郊外の熱帯雨林のジャングルには、豪華なリゾートホテルからバックパッカー向けのロッジまでさまざまな宿泊施設がある。それらは川の支流にあり、食事や送迎が付いたツアーで行くのが一般的だ。
申し込んだツアーは2泊3日の標準的な内容で、各国の旅行者は港で車からボートに乗り換え、アマゾン川を横断した。その途中で、2つの川の合流点を通過した。泥で濁っているネグロ(黒い)川と、青く澄んだソリモンエス川の2つの川の水は、すぐに交わるわけでなく何kmも平行して色を変えずに流れていた。
アマゾン川の支流からさらに小さなボートに乗り換え、1時間半ほどで川沿いのそれほど大きくはない木造ゲストハウスに到着した。初日はここに荷物を置き、さらに小さなボートに乗り換えて小1時間ほどのジャングルの中に泊まることになる。到着した場所には、ハンモックと蚊帳が屋根の下に吊るされているだけで、電気はない。その夜、そこに宿泊したのはガイドのほか旅行者5人。オーストラリアから来たスケボーファッションの若者3人組とブラジルで働いているイギリス人女性。僕以外はみな英語ネイティブで、会話についていくのが大変だった。
電気はないので、夕食が終わって日が暮れたらもう何もすることがない。全員、ハンモックに揺られてすぐに寝てしまった。幸い夜には気温は下がり、日本の夏のような寝苦しさはない。覚えているのは、夜中にトイレに起きた時のこと。森のそこら辺で用を足すのだが、小屋に近いと丸見えで恥ずかしい。だが、小屋が見えなくなるくらい離れてしまうのも怖い。危険な動物はいないと聞いてはいるが、それでも暗闇は不気味だ。懐中電灯片手に適当な距離のところで用を足して振り返ると、小屋が見えず焦った。そのまま後ろに真っ直ぐ戻ると、数歩で月明かりの下に小屋が見えてきて安心した。普段は気がつかない灯りの大切さを思い知った。
ピラニア釣りにGO!
翌日、午前中はガイドの案内で、近くの民家の暮らしを垣間見た。"近く"といっても、ボートがなければ行けない場所にその民家はある。簡素な木造家屋の中に戸棚などの収納の類はほとんどなく、生活用品は壁際の床に無造作に置かれていた。そんな家でも、衛星放送用のパラボラアンテナがしっかりあるのが奇妙に感じた。
ゲストハウスに戻り昼食。2、3時間の休憩を取った後の遅い午後、小さなボートで川の水がよどむ穏やかな入江に行き、鶏肉を餌にしてピラニア釣りをした。子どもの頃は、アマゾン川ではどこもかしこもピラニアがいて、うっかり落ちたらすぐに食べられてしまうと思っていた。しかし川にはいろいろな生き物が暮らしているし、泳いでいる人も見かける。けがをして血を流していない限り、ピラニアが人を襲ってくることはあまりないのだろう。むしろ気をつけなければならないのは、ワニの方だ。
さて釣りだが、日ごろ釣りなどしていないので感覚が分からず、毎回エサを取られてしまう。結局、旅行者4人のうち、釣れたのは僕を含めて2人だけだった。夜はそのピラニアをフライにして食べた。小骨が多くておいしいというほどではなかったけれど。
アマゾン川を定期船で川下り
アマゾン川というと、やはり広大な川幅を船で旅する光景が浮かぶ。ツアーから戻った翌日、筆者はアマゾン川を下る定期船に乗り、アマゾン川中流域にある町サンタレンへと向かった。1泊2日30時間の旅だ。船の1階は乗船口のある貨物スペースで、2階が個室のキャビンとハンモックが40ぐらい吊るせる乗客スペースになっていた。ハンモックスペースの船賃は安いが、ハンモックは持参で貴重品を入れるロッカーもない。そこで飛行機並みの値段になったが個室を選んだ。個室は鍵がかかるのと、暑い中でエアコンがあるのもうれしい。上の3階は、甲板と売店がある半オープンデッキになっていた。
昼過ぎに船は出港した。川幅は平均で4~5kmぐらいあるので、川というより湾を航行しているように感じる(東京湾の狭いところよりも広い)。それまで毎日しっかりと観光をしていたので、ここでようやく「優雅な休日」が過ごせると期待した。"のんびり感"を自ら演出しようと、売店で買ったビールをデッキで呑みつつ、テーブルにノートPCを広げた。最初は川面を見ていたが、風景がなかなか変わらないので飽きてしまった。圏外なのでインターネットは使えず、強制的に外とシャットアウトされる。そんな中でPCに文章を打ち込むが、別に仕事をしているわけではない。ほろ酔いになってウトウトしたら部屋に戻り、エアコンの中で寝ればいい。昼寝をしてまたデッキに出ても、風景は大して変わっていない。数時間おきに寄港するが、途中に町はないので乗客の乗り降りはほとんどなく、荷物が積み下ろしされる程度。港近くでは、時折アマゾンカワイルカの背びれを見かけた。
太陽が雲を金色に染めて周囲が次第に暗くなってくると、まもなく夕食の時間になる。食事は2階後方に米、豆、サラダ、肉か魚などのおかずが入った大皿が並べられ、それを自分でプレートに盛るビュッフェ形式で提供される。夕食が終わるともうすることはない。ハンモックに揺られ早々と寝る人もいる。寝るにはまだ早いので、私は暗いデッキに立ち川岸を見つめた。周囲はジャングルなので真っ暗だがたまに灯りがポツンと見え、あんなところにも人が暮らしているのだろうかと思った。
その灯りを見ているうち、子どもの頃の夏休みを思い出した。当時、田舎の家へ行くのにいつも都心を夕方4時に出る直通列車に乗っていた。途中で窓の外がどんどん暗くなり、田畑や山々の輪郭がぼやけていく。その中で時折人家の灯りがポツポツと見えた。その時はどこかの異世界に連れて行かれそうで心細く見えた灯りだが、今はジャングルの中の灯りは人が暮らしている証として心強く感じた。
アマゾンのジャングルツアーも自分の中の子ども心をそそるものだったが、この川下りですっかり子どもの夏休み気分になった。すべきことがない、仕事目的でない旅の良さ。この南米の旅以降、自分が選ぶ仕事に変化が生まれたが、そのきっかけになったのがこの旅だった。
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【PROFILE】
前原利行(まえはら・としゆき)
ライター&編集者。音楽業界、旅行会社を経て独立。フリーランスで海外旅行ライターの仕事のほか、映画や音楽、アート、歴史など海外カルチャー全般に関心を持ち執筆活動。訪問した国はアジア、ヨーロッパ、アフリカなど80カ国以上。仕事のかたわらバンド活動(ベースとキーボード)も活発に続け、数多くの音楽CDを制作、発表した。2023年2月20日逝去。享年61歳。
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