テクニックで自然は撮れない。自然に撮らせてもらうのです。

アート

相原正明さん フォトグラファー〈インタビュー〉

テクニックで自然は撮れない。自然に撮らせてもらうのです。

フォトグラファーの相原正明さんは、世界各地の魅力的な大自然の景色を撮影するネイチャーフォト(自然写真)の第一人者。地球(Earth)と肖像画(Portrait)を組み合わせた「アースレイト(Earthrait)」という造語を自ら創造し、その言葉通り、地球の肖像画といえる神々しい自然写真の数々で世界的に高い評価を得ています。相原さんに、アースレイトの誕生秘話、そして良い写真を撮るためのコツについても教えてもらいました。

文:井上 健二
写真:三井 公一

"撮り鉄"からフォトグラファーを志す

――フォトグラファーを志したきっかけから教えてください。


小学生の頃から、熱心な鉄道ファン。いわゆる"鉄ちゃん"でした。鉄ちゃんのなかでも、僕はSL(蒸気機関車)などの写真を撮るのが大好きな"撮り鉄"。子ども心に、将来は好きな鉄道を撮る仕事ができたらいいなと思っていました。


高校1年生のとき、郵便局の集荷トラックの助手のアルバイトに励み、10万円ためて「ニコンF2」という銀塩カメラを手に入れました。当時最高峰のプロ用カメラだったので、販売店で「F2をください」と言ったら、お店の人に「君は高校生? これはプロが使うカメラだからね」とあきれられました。「はい、将来プロになるので」と返したら、「プロになるのは大変だよ。趣味にしておきなさい」と諭されましたが、最終的には向こうが折れて売ってくれました(笑)。


フォトグラファー 相原正明さん


このカメラはオーバーホールをしながら、今でも使っています。極地では繊細なデジカメが故障することもあるので、予備機で持っていくのです。


高校生からは、北海道や東北のローカル線の撮影に出かける機会も増えましたが、その頃にはすでにSLが日本列島から姿を消しつつありました。


ここで、僕の周りの撮り鉄は大きく2つのタイプに分かれました。1つはSLが消えて、鉄道にも写真にも興味を失うタイプ。もう1つは、鉄道そのものだけではなく、その周辺の景色や人間模様も併せて撮るようになるタイプです。僕は後者だったので、フォトグラファーを諦めることはありませんでした。そのうちにジャーナリズムにも興味が出て、フォトジャーナリストを志して日本大学法学部の新聞学科に進みました。


鉄道を撮るには、並走する"足"がないと困ります。自分が列車に乗ってしまうと、好きに撮れないからです。そこで大学生のときにバイクの免許を取り、バイクで走りながら写真を撮っているうちに、モータースポーツにも興味が湧いてきて、モータースポーツのカメラマンになるのも悪くないと思い始めました。とにかく動くモノが大好きだったのです。


高校1年生のとき、アルバイトをして買った「ニコンF2」は今も現役だ高校1年生のとき、アルバイトをして買った「ニコンF2」は今も現役だ



大卒後、広告代理店の営業マンとしてがむしゃらに働く

――その頃はネイチャーフォトには興味はなかったのですか。


まったくなかったですね。友人に「富士山を撮りに行こう」と誘われたとき、「動かない山を撮って何が面白いの? 万一噴火でもしたら一緒に行くよ」と答えたことをよく覚えています。自然写真の本当の魅力に気づいていなかったのです。


――大学卒業後、1度広告代理店に勤めたのですね。


大手出版社をカメラマン希望で受けましたが、募集枠1名の狭き門で最後の最後で落ちました。「記者でどうだ?」と誘われましたが、写真が撮りたかったのでお断りしました。


就職したのは広告代理店です。その会社には撮影スタジオがあり、バスケットボールの国際親善試合の仕事もしていたので、「きっと何か写真を撮らせてもらえるだろう」とニラんで入りました。でも、配属先はまさかの営業部。バブル経済の真っ只中でしたから、不動産や金融関連の広告営業マンとして、寝る暇もないくらい、がむしゃらに働きました。


フォトグラファー 相原正明さん



――30歳でフォトグラファーとして独立します。きっかけは何だったのでしょう。


以前から、「フォトグラファーとして独り立ちするなら、20代のうちがいい」と先輩たちに助言されていました。広告代理店にいつまで居ても、忙しいばかりだし、好きな写真は満足に撮れませんから、腕前も一向に向上しない。激務がたたって身体も壊してしまった。30歳になって今が潮時だと思いました。


もう1つの理由は、パリダカ(パリ-ダカール・ラリー。現ダカール・ラリー)を撮りたくなったから。1985年に日本チームが初優勝し、日本人の参加も増えていました。アフリカの砂漠を1万km以上走破するこのレースを撮るには、フォトグラファー自身もレースに参加して走破するほかない。当時、取材用の交通手段は用意されていなかったのです。


「1日1,000km走る技量と体力がないとダメ」とされていたので、片手間ではとても無理だと思い、退職してフォトグラファーに専念すると決心しました。30歳でした。


フォトグラファー 相原正明さん




オーストラリアとの出合いで、自然写真に開眼する

――パリダカを撮るためにフリーになり、最初に何をしましたか。


広告代理店時代から、余暇でバイクのレースにはちょくちょく出ていました。しかし、砂漠はまったく未体験。1日で1,000kmも走破するには本格的なオフロード仕様のマシンが不可欠です。そこで、パリダカに出ている日本のバイクメーカーの人に勧められたのは、オーストラリアの砂漠地帯でのツーリングでトレーニングと経験を積むことでした。


奇しくも、少し前に広告代理店時代のアルバイトの学生がオーストラリア旅行をして、エアーズロック(ウルル)の写真を見せてくれたのがきっかけで、オーストラリアにはいずれ行ってみたいと思っていました。同時期、オーストラリアのバイクツーリングから帰ってきたばかりのグループとも知り合い、オーストラリアの自然の魅力を教えられました。すべてのピースがオーストラリアを指し示していましたから、これは行くほかないと決意。単身オーストラリアへ渡り、シドニーで現地仕様のタフなオフロードバイクを購入しました。


オーストラリアで購入し、長年使い込んだ愛用のカウボーイハットオーストラリアで購入し、長年使い込んだ愛用のカウボーイハット


オーストラリアというと、シドニーやゴールドコーストといった沿岸の都市部のイメージが強いのですが、僕が1人で目指したのはオーストラリア内陸部に広がる、砂漠地帯を中心とするアウトバックと呼ばれる未開の地。そこを「∞の字」を描くように回るプランを立てました。内陸部には宿泊施設がほとんどありません。そこで、キャンプをしながら巡ることにしました。キャンプや野宿は撮り鉄時代に経験済みでしたし、オーストラリアには大型の肉食獣がいないので、キャンプをしても安全なのです。


始めは、砂漠地帯で暮らす人々の営みをドキュメンタリータッチでカメラに収めようとしたのですが、アウトバックには肝心の人がほとんどいません。シドニーを出て3日ほど走ると、その先は人どころか鳥さえもいない荒れ地がどこまでも広がっていました。


――そこで風景に目を向けることになったのですね。


あるとき砂漠でキャンプをしていたら、月が沈みかけた夜明けに、逆方向から朝日が昇りました。そして夕方になると、夕日が沈みかけた刹那(せつな)、逆方向から月が昇りました。そのとき生まれて初めて地球の自転を肌で感じ、地球は生きていると体感できたのです。


フォトグラファー 相原正明さん



日本の自然写真の定番テーマといえば、四季折々の花鳥風月です。でも、世界最古の大陸ともいわれるオーストラリアで感じたのは、自然は太古から今この瞬間まで刻一刻と表情を変えながら、ノンストップでダイナミックな変化を続けているという事実。「富士山は動かないから撮ってもつまらない」とうそぶいていた自分は、間違っていると気づいたのです。それ以降、40億年も生きてきた1つの生命体としての地球のポートレートを撮る「アースレイト」というコンセプトで撮影を続けています。


オーストラリアには結局、3カ月間滞在しました。何度訪れても、もっと撮りたい景色があり、毎回ここをどう撮るかという宿題をもらうので、今でも毎年訪れています。


「オーストラリアの何もない砂漠をいくら撮っても、誰も注目しないよ。ヘアヌードでも撮った方が稼げるぞ」と忠告してくれる知人もいたのですが、バブルが終わってエコロジーの時代になり、風向きが一気に変わりました。僕の自然写真に共感して評価してくれる方が徐々に増えるようになり、写真展を国内外で数多く開けるようになったのです。


――ところで、パリダカはどうなったのですか。


レースよりも自然写真に興味が出てしまったので、結局行かずじまいです(笑)。あるとき砂漠の真ん中で、僕を猛スピードであっという間に追い抜いたバイクがいました。次の給油地点で再会して話をしたら、ドイツから来たパリダカ志望のライダーでした。彼は「俺はめちゃ遅いから、ここで必死に練習している」と言っていました。その彼に置き去りにされるくらいでしたから、仮に出たとしても早々のリタイアが関の山。パリダカならぬ(出発点のパリだけ撮る)"パリダケ"になり、何1つ撮れなかったかもしれませんね。


フォトグラファー 相原正明さんと写真集




良い写真を撮るのにテクニックは要らない

――アースレイトを撮るときの心構えを教えてください。


自然写真を撮るのに、特別なテクニックは要らないと思っています。写真撮影を1週間ほど続けていれば、誰でも身につくくらいの基本的なテクニックで十分です。


かといって、良い自然写真は、その場に行きさえすれば、誰にでも撮れるものではない。インスタ映えスポットで、他人と同じアングル、同じ光で撮っても、それは没個性のつまらない写真でしかない。たとえ作者の名前を隠しても、誰が撮ったかが分かるような独自の世界観を反映した作品を、僕は撮りたいと願っています。


そのために求められるのは、何よりも生きている地球と自分自身をシンクロさせること。撮影名所に観光バスを横付けして写真を撮り、3分後には次の場所に移動するようなやり方では、残念ながらインスタ映えする写真しか撮れないでしょう。初対面の人を3分で撮ったポートレートより、その人のことをじっくり知って丁寧に撮ったポートレートの方が、きっと心を動かされる作品になりますよね。自然写真もそれと同じなのです。


フォトグラファー 相原正明さん



ある場所にしばらく留まり、土地の空気に馴染んで地球と共鳴できるようになると、自然はきっと素晴らしい表情を見せてくれます。そこを自分らしく切り取るのです。


ある年、オーストラリアの砂漠で1カ月ほど過ごした際、ソロキャンプをしている自分の隣に、常に誰かがいるような不思議な感覚に襲われました。神様というか、人智を超えた存在がそばで見守ってくれている感触があったのです。以来、写真を撮るというより、そうした存在に撮らせてもらっているという謙虚な気持ちでシャッターを切っています。


テクニックを駆使して撮った写真は、一時的に盛んにもてはやされたとしても、いずれ廃(すた)れます。なぜなら新しいテクニックが次々と登場してくれば、どんどん古くなるからです。テクニックに頼らず、自らの世界観を反映した写真は唯一無二なので古びることはなく、長く愛され続けます。そんな作品を1枚でも多く後世に残すのが、僕の望みです。


アンセル・アダムス(1902~84年)は、そんな自然写真を数多く残した巨匠であり、僕の学生時代からの憧れです。あるとき僕の作品を買ってくれたアメリカ人から、「君の写真にはアンセル・アダムスに通じるところがある」と言われたときは、うれしかったですね。


テクノロジー全盛の時代ですが、写真では自分は一体何を撮りたいかを内観することの方が大切だと思っています。僕はオーストラリアの砂漠を1人で旅する間に徹底的に内観し、アースレイトというコンセプトと出合えたおかげで、今日まで写真が撮れています。


オーストラリア 南オーストラリア州 シンプソンデザート (C)相原正明オーストラリア 南オーストラリア州 シンプソンデザート ©相原正明


オーストラリア 西オーストラリア州 ナラボープレーン (C)相原正明オーストラリア 西オーストラリア州 ナラボープレーン ©相原正明


タスマニア ブルーニーアイランド 夜明け (C)相原正明タスマニア ブルーニーアイランド 夜明け ©相原正明


――日本のアースレイトは撮らないのですか。


撮っていますよ。日本人が日本という国を撮るのではなく、地球人がユーラシア大陸の東の端に浮かぶ島国のポートレートを撮るというコンセプトで臨んでいます。ずっと通っているオーストラリア大陸の内陸部は、世界で最も乾燥した場所のひとつとされています。そこを体験してから改めて日本列島を眺めると、対照的に湿潤で豊かな「しずくの国」だと気づかされました。


それ以来、湿潤な四国、紀伊半島、信州、東北などをバイクで周り、キャンプをしながら、列島の息づかいが感じられる写真を撮っています。行き先はガイド本やスマホの地図アプリなどに頼らず、自然が発する引力に導かれながら、自らの嗅覚と勘を頼りに決めています。いわゆる撮影名所の写真は撮っていません。


青森県津軽鉄道 飯詰駅 1番列車 (C)相原正明青森県津軽鉄道 飯詰駅 1番列車 ©相原正明


――これから撮ってみたいところはどこですか。


月に行って撮影してみたいですね。月のクレーター越しの青い地球とか、虚空に光輝くアンドロメダ星雲とか。地球と同じように宇宙も生きていますから、その息吹を切り取りたい。真空だから、エッジの効いたシャープな写真が撮れる気がします。


――誰もがスマホ片手に手軽に写真が撮れる時代です。最後に写真を上手に撮るコツがあったら教えてください。


「うちの子どもをかわいく撮ってください」と依頼されることもあります。そのときは「上手に撮ることはできますが、ご家族よりもかわいく撮ることはできませんよ」と答えています。たとえピントが合っていなくても、愛情があれば下手でも良い写真になるのです。


結局は被写体をどこまで好きになれるかが勝負。良い風景写真が撮りたかったら、人気の場所ではなく、自分が恋に落ちるくらい愛すべきスポットを見つけてレンズを向けましょう。


フォトグラファー 相原正明さん



――興味深いお話、ありがとうございました。小手先のテクニックよりも、内観が大事だというお話は特に心に残りました。そして久しぶりに、物入れの奥にしまい込んだ一眼レフカメラを探し出し、近所で好きな場所を探して撮ってみたいという気持ちになりました。今後発表される作品も楽しみにしています!


※記事の情報は2022年3月8日時点のものです。

  • プロフィール画像 相原正明さん フォトグラファー〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    相原正明(あいはら・まさあき)
    1958年 東京都出身。
    1980年 日本大学法学部新聞学科卒業。
    学生時代より、北海道や東北地方のローカル線とその沿線のドキュメンタリー、野生動物、スポーツなどを写真に収める。
    1980年 広告代理店勤務。
    1988年 8年間勤めた広告代理店を退社。
    この年、オートバイによるオーストラリア単独撮影ツーリングに向かい、彼の地にてネイチャーフォトの虜となる。
    1993年 ドイフォトプラザ(東京)で初個展「The Light From Downunder」開催。以降、日本各地で写真展を開催する。
    1995年 写真集「砂の大陸」(星成出版)を刊行。以降、写真集を多数出版。
    2004年 日本人として初めてオーストラリアでの大規模な写真展を、オーストラリア最大の写真ギャラリー「ウィルダネスギャラリー」で開催。以降、世界各地で写真展を開催。
    2005年 オーストラリア・タスマニア州親善大使に就任(~2022年現在)。
    2008年 世界のトップフォトグラファー17人を集めた「アドビフォトアドベンチャー」に日本代表として参加。
    2014年 写真集「しずくの国」(Echelle-1)を刊行。日本を舞台としたアースレイトを披露する。
    2019年 写真集「Earthrait」(アイイメージングフラッグ)を刊行。
    2021年 11月から三和酒類「koji note」で大分県の風景や寺社、建造物などを紹介する連載「風林光水」を連載中
    https://www.sanwa-shurui.co.jp/kojinote/from-oita/

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