【連載】映画の中の土木
2025.07.15
熊本大学 くまもと水循環・減災研究教育センター教授 星野裕司
映画の中の土木――ささやかだけど、大切な場所を描いた映画3選
"土木"という視点から映画を紹介し、その魅力を紐解いていく連載「映画の中の土木」。映画を解説いただくのは、「自然災害と土木-デザイン」の著者であり、景観工学や土木デザインを専門とする熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター教授の星野裕司(ほしの・ゆうじ)氏です。連載第2回は、映画に描かれた「ささやかだけど、大切な場所(土木)」にフォーカスしました。何気ない日常の中に、土木の豊かさにふれることができる3作品を紹介します。
イラスト:広野りお
連載第1回は人々の移動を支える土木をテーマに映画を紹介しました。しかし現代における「移動」の問題は、社会的不平等などと大きく関連しているようです(伊藤将人、『移動と階級』、講談社現代新書、2025)。もちろん、飛行機で世界中を自由に飛び回れなくても、日々に必要な移動を使いやすく、豊かなものにしていくことは、土木の大きな仕事であることに変わりありません。
一方で、なかなか自由に移動したり、暮らす場所を変えられない人々に対して、土木は何ができるのかということを考えると、そうした人たちの暮らしのそばで、"ただそこにあり続ける"というあり方も土木にとっては必要なのではないかと思います。
忙しく活動している人にとっては、あってもなくても気にならないけど、ちょっと疲れた時や悩んだ時、ふらっと立ち寄ったり、息抜きできたりするような場所。ささやかだけど、大切な場所。今回は、そのような場所(土木)に関わる3本の映画を紹介します。
「セトウツミ」
2016
監督:大森立嗣
出演:池松壮亮、菅田将暉、中条あやみ
「この川で暇を潰すだけの青春があっても、ええんちゃうか」
ほぼ、この一言に集約されるような、男子高校生の2人が"川辺"で、ただただ喋っているだけの映画。CGを多用した大アクション映画とは全く逆の意味で、どんなことも映画にすることができるんだなと思わせてくれます。しかし、本当になんでもない日常を描いてくれているからこそ、土木や公共空間に関わる私にとっては学びの多い映画でもあります。ここではその3つのポイントを紹介しましょう。
まず1つ目。映画の舞台の中心となるこの川辺は、彼ら2人にとって、「ささやかだけど、大切な場所」になっていると思うのですが、そのような場所は、人に与えられるものではなくて、自ら発見することが必要だということです。この映画では、いくつかのエピソードがオムニバスのように描かれているのですが、あるエピソードでは、クールで優等生らしい内海(池松壮亮)が、この川辺を発見するシーンが描かれています。
部活も含めて学校の全てに興味がなく、家もあまり居心地が良くなさそうな彼は、塾までの時間潰しのための場所を探しながら街をさまよい、「あっ、ここだ」とこの川辺を発見するのです。特徴のない場所ですので、おそらく、初めて出会った場所ではなく、その脇をいつも通りながらも、気づかなかった場所だったのではないかと想像します。
デザインというのは、何かをつくるだけに限りません。自分にぴったりのものを見つける、ありふれたものの中に自分なりの使い方を見つける、それらもデザインの大事な第一歩です。つまり、見つけるという行為そのものが、場所のデザインともいえるのです。発見というデザインを施したその川辺に、瀬戸(菅田将暉)が初めて座ってくれた時、内海とともに観客の私たちも、自ら発見(デザイン)した場所を他者と共有する喜びを感じてしまいます。
一方、その瀬戸は、サッカー部を先輩と揉めて退部した、チャラチャラした感じの高校生で、内海とは真逆の学生のように見えます。対比的な2人の会話を漫才のように楽しむのがこの映画です。おそらく、学校では決して交わらないし、会話もしないのではないかと思う異質な2人が、フラットな関係を結ぶことができる場所。それは、公共空間が持つべき価値の1つなのではないでしょうか。これが2つ目のポイントです。
そして最後は、なぜ、2人がフラットな関係を結ぶことができる場所になっているのか、ということです。ここに階段という空間の働きがあるのではないかと思っています。実は、内海が発見するのは、正確にいえば、川辺ではなく、川辺にある階段です。それは道路の高さと、水際に面して少し低くなった平場をつなぐ1mにも満たない段差です。彼らは常にここに座って会話をしています。道路のレベルでは、彼らの存在とは無関係に日常が過ぎていきますし、怖い先輩と父親との再会や瀬戸の両親の夫婦喧嘩などのちょっとした事件は、水際の平場で起きます。その中間にある階段は、内海と瀬戸の、大人でも子どもでもない中途半端な世代を表しているのかもしれませんが、空間のデザインという点では、視線の高さが変わることだけで、1つの場所ができあがるという単純な事実を、豊かに表現してくれているように感じます。
「ちょっと思い出しただけ」
2022
監督:松居大悟
出演:池松壮亮、伊藤沙莉、河合優実、大関れいか、屋敷裕政(ニューヨーク)、尾崎世界観、鈴木慶一、國村隼、永瀬正敏
アメリカのインディーズ映画の作家、ジム・ジャームッシュ監督作品の1つに、「ナイト・オン・ザ・プラネット」(1991)という、私も大好きな映画があります。「ちょっと思い出しただけ」は、クリープハイプという日本のバンドがその映画をオマージュしてつくった「ナイトオンザプラネット」という曲を原作としているそうです。
「ナイト・オン・ザ・プラネット」は、タクシー運転手と乗客の会話劇なのですが、夕方のロサンゼルスから、ニューヨーク、パリ、ヘルシンキと舞台を東に移すことによって、ほぼ同じ時間帯の出来事ながら、夕方から夜明けへとシーンが移っていくという、着想がユニークな映画です。
「ちょっと思い出しただけ」では、タクシー運転手(伊藤沙莉)と怪我で踊れなくなった元ダンサー(池松壮亮、2回目の登場!)の出会いから別れ、そして昔の恋人をちょっと思い出すということを、元ダンサーの誕生日である7月26日の1日に限定して、2021年から2015年まで、時間をさかのぼりながら描いています。両方の映画とも、夜明けのシーンで幕を閉じるのですが、映画は、音楽のように時間の芸術ともいえるので、時間の組み立て方自体が表現になるのだということを、これらの映画は教えてくれます。
それぞれの年の街の様子を丁寧に描いてくれるこの映画は、まるで、ここ数年を題材とした風景の変化のスケッチ集のようです。文芸評論家・小林秀雄の評論「無常といふ事」に「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。」という有名な言葉がありますが、コロナ禍という社会の大きな変革をともに乗り越えた私たち観客も、この映画を通して、「ああ、そうだったなあ」と、"ちょっと思い出す"という行為に誘ってくれる映画です。
さて、この映画で描かれた「ささやかだけど、大切な場所」とはなんでしょうか。もちろん、恋する2人にとっては、一緒に過ごす全ての場所がそうだとも言えるのですが、ここでは、役名があるのかもわからないおじさん(永瀬正敏)がいつもベンチに座っている公園に着目したいと思います。ジャームッシュ映画ファンとしては、永瀬正敏がベンチに座っているというだけで、彼が出演した「ミステリー・トレイン」(1989)や「パターソン」(2016)を彷彿とさせて、感激してしまいます。
この公園は、池松の住むマンションから、(おそらく)駅に向かう途中にある、どこにでもありそうな滑り台などの遊具がある街区公園です。2021年の段階では、公園を掃除する近所のお母さんたちに邪険にされつつも、永瀬は「未来から来る妻を待っている」と言ってベンチからどきません。主人公のカップルがアツアツだった2017年には、失くした奥さんの月命日に、そのベンチに座っているということが池松から伊藤に語られ、池松と伊藤が付き合い始める2016年には、大雨の中、なんらかの理由で離ればなれになった奥さん(その時は存命)とやっと出会えたというシーン、そして最後の2015年には、ベンチで仲良く座っているシーンが描かれます。
映画そのものは、1年ずつ過去をさかのぼっていくのですが、永瀬が登場するシーンだけは、奥さんと出会う未来に向けて進んでいくように感じます。このベンチは2人にとって大切な場所だったのでしょう。「ささやかだけど、大切な場所」とは、この公園やベンチのように、移り変わっていく時間に対する錨(いかり)のように、変わらない場所でもあるのかも知れません。
「生きる」
1952
監督:黒澤明
出演:志村喬、小田切みき、小堀誠、金子信雄
最後は、"ささやかだけど、大切な場所"を実現することに奔走した人の物語を紹介したいと思います。2022年には、小説家として知られるカズオ・イシグロの脚本によってイギリスでリメイクされた作品です。映画は、およそ2部構成となっていて、前半は、胃ガンによって余命を知った小役人の苦悩が直接的に描かれ、後半は、この小役人の、人が変わったような奮闘を、彼の葬式への弔問客の会話を通して、間接的に描きます。苦悩は主観的に、善行は客観的に、という描き方のコントラストは、古い映画ながらも、やっぱりすごい、と思わざるをえません。
近年の、例えば上に紹介したような映画と比べると、画面の中の密度に驚くのではないでしょうか。縦横比が4:3のスタンダードサイズの画面の中に、役者の顔や終戦直後の風景がみっちりと詰め込まれています。特に前半は、息苦しさすら覚えるでしょう。私自身もそれなりの年齢になっていますし、もしかすると、この映画の登場人物は年下の方が多いかも知れませんが、彼らと並んで立てるような顔になっているのか、不安で仕方ありません。
一方で、この映画で描かれている状況は、全く古びているようには見えません。映画序盤に描かれる、主人公の市民課長(志村喬)を中心とした役所の仕事は、まさに仕事のための仕事(まさにブルシット・ジョブ*!)をこなすのみで、貧しい母親たちの訴えもたらい回しにするだけです(今ではこんなにわかりやすく失礼な態度は取らないでしょうが)。彼女たちの訴えとは、汚水の溜まる土地に下水道を整備し、子どもたちが遊べる公園にしてほしいというものです。つまり、「セトウツミ」の川辺や「ちょっと思い出しただけ」の公園のような場所がほしいというのです。
*ブルシット・ジョブ:連載第1回に登場。アメリカの人類学者、デヴィッド・グレーバーが創出した概念で、どうでもよい仕事という意味。
余命を悟った市民課長は、今までの真面目だが事なかれ主義だった暮らしを投げ捨て、酒場で出会った小説家に誘われて、夜遊びに繰り出したり(ダンスホールの映像の密度たるや!)、職場の若手女性職員に付きまとったりします。この女性は、まるで狭い画面から飛び出るんじゃないかってほど、生き生きとしています。その彼女の一言が、彼を職場に復帰させ、公園づくりに邁進させることになります。その言葉とは、こうです。
「これ(ウサギのおもちゃ)をつくるようになってから、日本中の赤ん坊と仲良くなった気がするの」
これは、つまらない職場だった市役所をさっさと辞めて、おもちゃ工場に再就職した彼女が、しつこい市民課長にうんざりし、少し恐れも抱きながら、こんなお爺さんと付き合っている暇はないんだということをわからせるため、ウサギのおもちゃを見せて、「こんなものでもつくっていると楽しいものよ、あなたも何かつくってみたら」という言葉とともに発したものです。
おもちゃと土木では相当に規模は異なりますが、この言葉は、同じものづくりに関わっている私にとっても心にしみる言葉です。おもちゃというもの、あるいは、公園という場所を通して、見知らぬ人々とつながっているという感覚。これこそ、ものづくりの醍醐味なのではないでしょうか。
市民課長はこの公園で凍死するみたいですが、雪降る中、ブランコに揺られながら、「いのち短し〜、恋せよ乙女〜」と「ゴンドラの唄」を歌う有名なシーンがあります。映画の中盤でも、一度この唄を歌っているのですが、その時は、キャバレーか何か、多くの客とホステスがいる中での唄で、まわりのみんなは、何か怖いものを見ているように遠巻きにしています。この2つのシーンは、たくさんの人と一緒にいるのに孤独だという感覚と、1人だけど、懸命に働き実現した公園という場所を通して、多くの人々につながっている感覚が強く対比しているように思います。この唄を偶然聴いた巡査が言うように、公園での独唱時の彼は、しみじみと幸せだったのではないでしょうか。
映画の最後は、この公園で遊ぶ子どもたちで終わります。1952(昭和27)年の上映なので、この子どもたちの多くは戦後すぐの生まれ、私の両親の世代だと思います。大変だったあの時代に、このテーマで映画を撮り、かつ「生きる」というシンプルなタイトルを黒澤明がつけたことの意味を、私もしっかりと考えていきたいと思います。
以上、「ささやかだけど、大切な場所(土木)」というテーマで3本の映画を紹介しました。ぜひ皆様も、これらの映画に導かれて、身の回りに「ささやかだけど、大切な場所」を探していただけると、私もとてもうれしいです。また、公共空間に関わるものとしては、いろいろなことが複雑に、難しくもなっている今も、仕事の大小などにかかわらずに、まだまだやるべきことがあるのではないかと感じます。
ぜひ、次回も楽しみにしていてください。
※記事の情報は2025年7月15日時点のものです。
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【PROFILE】
星野裕司(ほしの・ゆうじ)
熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター教授
1971年、東京都生まれ。1996年に東京大学大学院工学系研究科を修了し、株式会社アプル総合計画事務所入社。その後熊本大学工学部助手を経て、2005年博士(工学)取得。2023年より現職の熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター教授に就任。専門は景観工学・土木デザインで、社会基盤施設のデザインを中心にさまざまな地域づくりの研究・実践活動を行う。主な受賞に、土木学会出版文化賞、土木学会論文賞、グッドデザイン・ベスト100、グッドデザイン・サステナブルデザイン賞、土木学会デザイン賞最優秀賞、都市景観大賞など。
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