国生さゆり|小説を書くことでフラットになれた。デビュー40周年で新しい自分へ

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国生さゆりさん 俳優〈インタビュー〉

国生さゆり|小説を書くことでフラットになれた。デビュー40周年で新しい自分へ

1985年の「おニャン子クラブ」デビューから40周年を迎える国生さゆりさん。コロナ禍に書き始めた小説のことを中心に、創作の裏側をたっぷりうかがいました。また40年の芸能生活を振り返り、今の心境もあわせて語っていただきました。

写真:山口 大輝

国生さゆりさんが、國生さゆり名義で書いた原作小説「国守の愛~群青の人・イエーガー~」がフルカラーでコミカライズされました。配信先はインタビュー記事の最後にご紹介しています。ぜひご覧ください。



<「国守の愛~群青の人・イエーガー~」あらすじ>

科学者の盾石富士子(たていし・ふじこ)は最先端技術を駆使して「液体デバイス」の開発に成功する。それを狙う秘密組織から守るため、陸上自衛隊・特殊戦群の尾長要(おなが・かなめ)は富士子に近づく。事情を知る富士子の幼馴染かつ要の同僚である素水宗弥(もとみず・そうや)、要、富士子の三角関係を軸に、国のために懸命に生きる男女を描いたミリタリーアクション。




何かを残そうと思って書き始めた

――小説を書くようになったきっかけを教えてください。


コロナ禍で人とのつながりや環境との接点が断たれて、自分の内面と向き合う時間が増えました。正直に言うと、その時に発熱したんです。


まだコロナという病気がどうなっていくか分からないころで、発熱した人が1週間足らずで亡くなっていました。私もこのまま......と思ったら、私は「国生さゆりというタレントに何もしてあげていないな」と思ったんです。


プライベートで足を引っ張ってばかりで、芸能人としての彼女に恩返しができていなかった。このまま終わるのは嫌だなと。頭の中にあったシナリオを、箇条書きでもいいから残しておこうと思って書き始めたのが、「国守(くにもり)の愛」です。


――頭にあったシナリオというのは、いつからあったものなのでしょうか。


何かを残そうと思った瞬間に湧きました。芸能の世界で生きてきたので、最初はドラマや映画になるようなアイデアを残したいと思って、箇条書きから始めて。私はきちんと共感や理解を得たいタイプなので、例えば第1章の冒頭、主人公の盾石富士子(たていし・ふじこ)がお墓参りに行く場面で、「どんな靴を履いて、どんな階段を上って、どんな髪型で、どんな気持ちなのか」を細かく描写していて、気づいたら自然と一つの文章になっていました。


でも、それまでまともに文章を書いたことがなかったので、どこで句読点を打っていいのかも分からないんです。言葉の順番を変えただけで受け取るイメージが変わるということにも気づいて、ものすごく苦労しながら書いていました。


――小説投稿ウェブサイト「小説家になろう」に投稿したんですよね。


うまく書けないことをマネージャーに相談したら「できたら送って」というので、1日1話ずつ送っていました。第1章は全92話あるのですが、途中から「誤字脱字をなくしてから送って」と言われて(笑)。その後、第3章まで完成した時点で、出版できないかと出版社に持ち込みましたが、どこからもいいお返事をいただけなかった。


それなら直接読者に判断してもらおうと、「小説家になろう」に投稿したんです。5年もかけて書いた作品なので、この熱量を無駄にしたくなかった。文章を書くなんて、私にとっては一番遠いイメージだったと思うんですよ。快活なタレント"国生さゆり"という面だけしか見せてこなかったから。でも、人ってもっと多彩で多面的で、それを知ってほしかったというのもあります。





表現者として形あるものを出したいという思い

――第1章だけでも90話以上あって、1話も短くないです。どういうモチベーションだったんでしょうか。書くことは楽しいですか。


最初は泣きながら書いていました。言葉を知らなかったので、毎回Googleで調べて、特殊部隊などミリタリー要素も、自分で調べたりYouTubeなどにも頼って。


頭の中にあるビジョンを明確に文章にするのが1番難しくて、なんでこんなにできないんだって、本当に何度も泣きながら書いたし、でもそこで折れることはなかったんですよ。やっぱりどうしても書き上げたかったから。はがゆかったんだと思う。できないこともそうだけど、自分が評価を得ていないというもどかしさがあった。


私っておニャン子クラブから出てきて、アイドルになって女優になって、タレントになったというイメージしか持たれていないと思っていて。表現者として形あるものを出したい、という思いがありました。




キャラづくりに今までの経験が生きている

――「国守の愛」はミリタリーアクション小説ですね。ファンの皆さんも驚いたと思います。なぜこのジャンルだったのでしょうか。


人として「正義と愛」を書きたかったからだと思います。忠誠、大義、そういうテーマが昔から好きでしたし、時代劇やミリタリーものが好きだったから、どうしてもそちら寄りになってしまいました。正義と任務と愛、どれを選ぶのかという葛藤に惹かれます。


――お父様が自衛官だったそうですが、その影響もあったのでしょうか。


もちろんあります。何をおいても仕事を優先する父で、教官のような立場でもあったんです。仕事に尽くす姿勢をずっと見て育ったし、自衛隊の祭りにも参加させてもらって、制服フェチになりましたし、そういう環境も作品に影響を与えていると思います。


――ストーリーの完成までは、どういうプロセスがあったんですか。


ストーリーをつくるというより、自分の中でも不思議なぐらい「書かされている」という感覚がありました。第1章から第3章までの構成だけは決めていたけれど、その間に起こる具体的な出来事は自然に出てきた感じ。自分以外の誰かが書いているような感覚があって......たぶん私じゃない人が書いてる(笑)。


――そんなことはないと思いますが(笑)、「降ってきた」みたいな感じだったんですね。


自分でも思いつかないようなことをしたり、言ったりしているんですよ。でも、そのことをずっと考えているから出てきたのかもしれないですね。


芸能の仕事をしていて良かったなって思うのは、この役の人間だったらこれはやらない、言わない、行動しない、といった"役の人格をつくる"訓練をずっとしてきたこと。これまで自分がドラマや映画の撮影現場で見てきたものや、やってきたことで、このキャラクターが次にどういう行動をするか、は体感してきました。だから、キャラクターのつくり込みはわりと得意です。




毎日少しずつでも努力しながら生きればどうにかなるんじゃないか


――読者、ファンの方たちからの反響はどうでしたか。


本当ですかっていう(笑)。「本当にさゆりさんが書いたんですか」とか、「事務所スタッフやゴーストライターが仕上げたんじゃないか」とか言われました。だからやっぱり、私と小説、文章を書くって一番遠いイメージだったんだと思います。


――「国守の愛」はタイトルに入っているように、「愛」についての話でもあると思いますが、ご自身の人生観が反映されているんですか。


私の人生観から言うと、「愛」は一番遠いものですね。でも作品について言うと、国を守る人の愛はどういうものか、というのがテーマで。個人の愛と国に対する愛、任務に対する愛と忠誠心とかそういうことを大きく膨らませました。


――主人公の盾石富士子さんにも、富士子さんが好きになる尾長要(おなが・かなめ)さんにも幼い頃に親に大事にされなかったという傷がありますね。


何かを背負ってほしかったんですよね。子どもから大人になって社会に出た時、誰しも傷つくことはいっぱいあって。会社に認められない、正当な評価を得ていない、大切にされてないとか。


そんな日常を、誰しもが傷を負いながら懸命に生きています。毎日何か少しずつでも努力しながら生きればどうにかなるんじゃないか、何かを得ることもできるし、今からでも修正できるだろうし、ということが書きたかったと思います。





「怒り」は生きていくための原動力

――インスピレーションの源というか、アイデアはどういうところから湧いてきますか。


たぶん自分の中の「怒り」だと思う。自分の真髄みたいなものを残して削っていくと、私の中に褒められたいとか、認められたい、認知されたいという強いものがあるんです。


それは18歳から人に「OK」って言われている仕事をしているので、染みついてるんだと思うんですよ。人に認められることが全て、ということがベースにあるので、認められなかったときに自分に向ける矢とか、人に向ける矢が鋭いんだと思う。


認めてもらえない自分に怒りがあって、悶々として、だから何万字も書ける。それはもはや生きていく原動力にもなっていると思うんです。


――「怒り」というのはすごく強い感情です。それをずっと持ち続けてきたのですね。


芸能に100%かけてきたけど、もうこの歳になってくると、芸能の世界でできることとできないこと、達成できることとできないことが明確になってきていて、自分に対して何か結果を求めようとはあまり思っていません。芸能の世界ではここが精一杯かと。


それで違う場所で自分が表現できることをつくっていかなきゃいけないなと、その1つが小説です。芸能の仕事でやりたいことがいろいろとあったけど、できなかった。できている人を羨ましいと思いながら。その世界をあまりにも近くでフォーカスして見ていると、そこにしか目がいかない。だからものすごく息苦しかった。自分にできないことを見つめ続けていることになるから。


「国守の愛」が漫画になったときに、監修としてプロデューサー的な立場で入ったりして、芸能に対して少し距離を置けるようになったんじゃないかな。




フィクションだから正々堂々と書けた


――文章を書くのはすごくいいことだったのですね。


いいことだったと思う。自分に対して優しくなれていると思う。できないことをあげつらうこともやめたし。仕事には格の違いとかギャラの違いもあって、そういうのを見せつけられた時に「チキショー」って思います。思うんだけど、私にはほかにやることがあるからまあいいかって。


全部フィクションという形だから吐き出せるんだと思う。「国生さゆりが言っていたんだけど」ってなると、書けることと書けないことがあるけど、「フィクションです」って言うと、何でも本気で書けちゃう。


自分の中でちゃんと線があって、例えばノンフィクションの告白本みたいなのはちょっと厳しいなと思っていて、それは国生さゆりにやらせたくなかった。だからフィクションにして、自分が本当に経験したことを、名前やシチュエーションを変えて書いてます。小説に出てくるキャラクターはみんな、本当に実際にいた人たちなんです。


――それは誰が誰なんだろうって気になります......。


疎下サヤ(なりした・さや、主人公・盾石富士子の友人)が、なんであんなにねじくれた性格かというと、そのねじくれた原因をつくった言葉が、私が実際に言われてつらいことだったんです。フィクションだからこんなに正々堂々と書けたんだと思う。それはもしかしたら、言った本人が見れば分かるかもしれない。


そうすることで、私は自分に対して仇討ちしていることになりますよね。あと、自分の中に実在する人間をモデルにした方が書きやすかったんです。その人が言いそうなこととか、やりそうなこととかを骨にして肉づけしました。


――なるほど。「国守の愛」にはリアルな背景があるってことなんですね。いろんな人に読んでいただきたいですね。


そうなんです。だからアニメ化して映画化して、最後に実写化するのが夢です。




「おニャン子クラブ」、「夕やけニャンニャン」がなかったら今の私はなかった



――話は変わって、芸能活動についておうかがいします。今年でデビュー40周年ですが、振り返ってみていかがでしょうか。


40年もよく走ってこれたなぁと思うけど、もうちょっとやりようがあったかなって、やり残したことがたくさんあります。芸能の仕事って共同作業だからいろんな方が関わっていますよね。


で、いつも待っている状態なんです。「私はここにいます、その仕事私にください、選んでください、お願いします」って。芸能の仕事は好きだけど、ちょっと疲れちゃった。


――いろんなお仕事をされていますが、今でも印象に残っている仕事はありますか。


やっぱり「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)に出演させてもらったことですね。テレビに出て歌って、コンサートをしたり、お芝居をしたり、写真集や雑誌の取材を受けたり、全部の仕事の基礎をつくってくれた番組でした。


私を最初に見つけて、導いてくれたのは「おニャン子クラブ」、「夕やけニャンニャン」で、そこがなかったら今はありません。今インスタライブをすると、毎週会いに来てくれるのは、やっぱり昔から応援してくれていた方たちが大半だし、そのファンの方たちに恵まれるようにしてくれたのも"夕ニャン"でした。


――書いたものを実写化する以外に、今後やってみたいことはありますか。


もう1回、芸能をきちんとやるってことかな。お芝居をする、歌を歌う、テレビに出演するってことをきちんとやりたいです。以前誰かに「芸能に関して、もうあんまり興味がないのかなって思っていました」って言われて、すごく意外でした。全然そんなふうに思っていなかったから。あと2年で還暦なので、それまでに、2年かけてもう1回、脱皮と再生をしたいと思っています。


――そう思ったのは、やっぱり書くことを始めたからっていうのもあるんでしょうか。


うん。なんか一度フラットに、ゼロにできたんだと思う。書くことによって、内省して自分と向き合って、自分の中にたまっていたヘドロみたいな、汚濁した感情を全て吐き出して、それが小説や漫画という形になって。だからもう1回ちゃんとやりましょうって思えるようになった。


40周年の今は、すごく前向きになっています。あと、正直に言うと、人って勝手だなってことが分かったんです。いろんな人の反応や言葉を気にして、振り回されて生きてきたけど、人の言うことに対して自分が振り回される必要はないって気づいて。


もうちょっとラフに生きたい。自分にかわいそうなことをしてきたと思います。だって判断基準がいつも自分じゃなかったから。本当は自分じゃなきゃいけないでしょ、自分の人生なんだから。芸能人でも、自分をいかに生きるかということに邁進している人の方が、魅力的に映ります。そういう心境の変化がコロナ禍から今までの5年のあいだに徐々に起こっていって、今があるという感じなんです。


◾️配信中

「国守の愛~群青の人・イエーガー~」
 ©國生さゆり・舟崎泉美(脚色)・おえかき(作画)
LINEマンガ https://lin.ee/1Anu2EzD/pnjo
DMMブックス https://book.dmm.com/product/6043803/s539ahuat03168/
ebookjapan https://ebookjapan.yahoo.co.jp/stories/148086/
※先行配信(1~3話無料)


◾️衣装協力

SVロジウムリング白蝶貝 /¥19,800(税込)
SVロジウムリング淡水パール /¥24,200(税込)
バングル /¥22,000(税込)
(以上、全てete)


ネックレス /¥29,700(税込)
イヤリング /¥14,300(税込)
(以上、全てJouete)


【衣装お問い合わせ先】
0120-10-6616(ete, Jouete)


※記事の情報は2025年7月8日時点のものです。

  • プロフィール画像 国生さゆりさん 俳優〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    国生さゆり(こくしょう・さゆり)
    俳優。鹿児島県出身。高校在学中に、フジTV「オールナイトフジ」美少女コンテストに応募し優勝。それを機に、「夕やけニャンニャン」スタート時から「おニャン子クラブ」のメンバーとして出演。1986年2月に「バレンタイン・キッス」でCBSソニーよりレコードデビュー。1987年3月、おニャン子クラブを卒業。俳優活動を中心に多岐に渡り活躍中。焼酎アドバイザー、鹿児島(鹿児島県茶葉会議所)お茶大使、かのやばら(鹿屋市)大使、本場大島紬大使、薩摩大使。

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