映画の中の土木――移動の豊かさが描かれた映画3選

【連載】映画の中の土木

熊本大学 くまもと水循環・減災研究教育センター教授 星野裕司

映画の中の土木――移動の豊かさが描かれた映画3選

"土木"という視点から映画を紹介し、その魅力を紐解いていく連載「映画の中の土木」。映画を解説いただくのは、「自然災害と土木-デザイン」の著者であり、熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター教授の星野裕司(ほしの・ゆうじ)氏です。連載第1回のテーマは、土木にまつわる「移動の豊かさ」。人々の生活と密接にかかわる土木にフォーカスして映画を観ると、作品の新たな魅力が垣間見えるはずです。

イラスト:広野りお

映画を通じて、土木の「values」を伝えたい

はじめまして、星野裕司と申します。熊本大学の工学部土木建築学科で、景観デザインを教えています。みなさま、よろしくお願いします。


土木の映画というと、多くの方は「黒部の太陽」(熊井啓、1968)を思い浮かべるのではないでしょうか。日本が高度経済成長に向かう時代を背景に、土木が持つ意義やその困難な任務に捧げられた努力を、往年の大スターたちの共演によって描いた素晴らしい映画です。ただ、この連載では、このような土木そのものを主題とした映画ではなく、もっと違う視点から、映画に描かれる土木について語っていきたいと考えています。


土木は人々の暮らしを、身近なところから支えているものです。どんな映画であっても、それが人の暮らしを描いているのであれば、土木も必ず描かれているはずです。この連載で取り上げる「映画の中の土木」とは、そのようなものです。まずは、その鍵となる考えを紹介したいと思います。


「ブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)」という概念を創出し、現代社会を鋭く批判したアメリカの人類学者、デヴィッド・グレーバーは、現在使われている英語において、単数形の「value」と複数形の「values」が区別される傾向にあることを指摘しています。「value」は「価値」を意味し、経済的で計量可能なもの。一方「values」は、一般的な翻訳では「価値観」と訳されますが、彼の書籍の中では直訳的に「諸価値」と示され、なかなか計量が難しいもの、例えば、家族愛や美しさなどが「values」とされています。


私の専門は景観ですが、土木における景観やデザインの意義とは、堅実な「value(価値)」に基づいてつくられ維持されている土木の中に眠る「values(諸価値)」を見つけ、磨くことだと考えています。こうした眼差しは、私たちに"土木の豊かさ"を再認識させてくれるでしょう。この連載が、映画を通じて、土木の「values」を私たちに体感させてくれる旅のようなものになれば良いなと思っています。


さて、前置きが長くなりました。やっと本題に入ります。第1回のテーマは、土木にまつわる「移動の豊かさ」です。土木の仕事は本当に多岐にわたりますが、市民にとって最も身近なのは、道路や鉄道によって、日々の移動を支える交通の分野なのではないでしょうか。交通にはさまざまな手段があります。今回紹介する3本の映画には、それぞれ移動の手段が異なるシーンが登場しますが、目的地に到着するという「value(価値)」だけではない豊かな「values(諸価値)」を移動の中に見出せるものだと思っています。




「夜明けのすべて」

映画:夜明けのすべて

2024
監督:三宅唱
出演:松村北斗、上白石萌音、渋川清彦、芋生悠、藤間爽子、久保田磨希、足立智充、りょう、光石研


2024年に公開され、第48回日本アカデミー賞で優秀作品賞を受賞している作品ですので、ご覧になった方も多いかもしれません。PMS(月経前症候群)に悩む女性(上白石萌音)と、パニック障害を患い一流企業から町工場に転職した男性(松村北斗)の、特に大きな事件も、若い男女なのに恋愛すら起こらない、そんな日々を淡々と描いた作品です。


この時代にデジタルではなくフィルムで撮影した映像は質感にあふれていて、物語のほとんどの舞台となる、子ども向けの顕微鏡や望遠鏡、プラネタリウムをつくっている町工場(粟田科学)の人々も本当に素晴らしい。実際は辛い話なのかもしれないけど、社会はこうあってほしいなあと思わせてくれます。では、この映画の中で、どのような"移動の豊かさ"が描かれているのでしょうか。注目すべきは、自転車です。


鑑賞済みの方々は、「そんなに自転車ってたくさん出てきたっけ?」と思われるかもしれません。確かに、自転車に乗っていることをメインに映しているシーンは後半に出てくるのみです。それは、PMSによって調子が悪くなり早退した上白石が忘れた携帯電話や資料を、松村が彼女の自宅まで届けるというものです。このシーンが印象的に感じるのには、いくつか伏線があります。


まずは、松村が前職の上司とビデオ通話をしながら町工場への不満を語っている時、彼はどこにも行けないフィットネスバイクに乗っていること。パニック障害を発症して以降、彼は外食や散髪にも行けず、電車にも乗れません。映画の中では、電車に乗ろうとして失敗するというシーンもあります。また、電車に乗れないことを強調するかのように、線路沿いの道や線路を渡る鉄橋を歩くシーンも頻出します。


一方、上白石は控えめそうに見えながら、結構、自分勝手なおせっかい焼きで、外出した時は、職場のみんなに手土産を買って来ずにはいられません。そんな上白石が松村に、半ば押し付けるようにして自転車をあげるのです。この自転車のプレゼントは、物語の前半で起きるのですが、その後、ずいぶん長い間放っておかれます。物語も後半、上白石の忘れ物を届ける時、松村は思い出したようにこの自転車にまたがるのです。


冬の午後の柔らかな光の中で繰り広げられる、この自転車のシーンは、本当に美しい。一般的に、私たちが初めて自由に操れるようになる乗り物は、自転車ではないでしょうか。初めて自転車に乗れるようになった時の、どこへでも行けるという自由さや世界が急に広がった感じを、私も強く覚えています。その喜びがこのシーンに凝縮されているように感じます。


忘れ物を届ける行きの道のりでは、いわば受動的に世界に出会い直す驚きが描かれていて、帰りは、公園に立ち寄るなど、能動的に世界に出会い直しているようです。さらには、職場のみんなにたい焼きを買って帰るのです。このたい焼きには、職場の同僚とともに、私たち見る側も驚き感動してしまいます。このような、大袈裟に言えば"再生"のようなものを支えること。まさに土木の本領発揮と言えるのではないでしょうか。


鑑賞時にはぜひ、粟田科学の(おそらく)昼休みの情景を映したエンドロールも、松村が自転車で出かける最後まで見てほしいと思います。この映画が、人々の暮らしを映しているということが実感できるはずです。




「幸福の黄色いハンカチ」

映画:幸福の黄色いハンカチ

1977
監督:山田洋次
出演:高倉健、倍賞千恵子、桃井かおり、武田鉄矢、渥美清


今の若い人たちはそうでもないみたいですが、私たちの世代は、自転車の次はバイクや車に乗れるようになることが大切でした。私も、免許を取ってすぐに開通したばかりの横浜ベイブリッジへ、父親の車を借りて向かったものでした。


映画にはロードムービーといわれるジャンルがあります。車や鉄道で動き回ること自体を主題とするもので、このジャンルの映画はすべて土木的な映画といえるかもしれません。アメリカ映画「イージー・ライダー」(デニス・ホッパー、1969)が、最初のようです。2021年にカンヌ映画祭で様々な賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介、2021)もロードムービーといえるかもしれません。


「幸福の黄色いハンカチ」は、「男はつらいよ」で知られる山田洋次監督が撮ったロードムービーの傑作です。刑務所を出所した男(高倉健)が、今時の若者(といっても、当時のですが)2人(武田鉄矢と桃井かおり)と、服役中に別れた妻が暮らしている(と思われる)自宅を目指す、北海道を舞台とした3泊4日の珍道中です。任侠映画の大スターであった高倉健が、その迫力をちょいちょい垣間見せながらも、意気地なく逡巡する姿を、あっちに行ったりこっちに行ったりする道中とリンクさせながら、軽妙に描いている映画です。車による移動の醍醐味は、このような逡巡、言いかえれば、その自由さにあるのだと思います。「ドライブ・マイ・カー」による主人公の苦悩に対して、その移動には迷いがないことと比較してみるのも興味深いかもしれません(同じように北海道を目指します)。


現在の私たちがこの映画を見て驚くのは、道路環境の整備状況ではないでしょうか。まだ未舗装の道路も多いですし、彼らがトイレに困るように、沿道にコンビニもありません。ただその分、余白が多いように感じます。北海道という広大な土地ということもありますが、彼らはすぐ路肩に車を停められますし、農家でトイレを借りたり、泊まらせてもらったり、空地でのミニコンサートのようなものにも、ふらっと立ち寄ったりもします。もしかすると、「幸福の黄色いハンカチ」と「ドライブ・マイ・カー」の相違は、このような道路環境の変化に基づくのかもしれません。


また、北海道の雄大な風景が存分に映されているのですが、「映(ば)える」イメージばかり見慣れている私たちにとっては、いわゆる「美しい風景」とは異なるものに映るかもしれません。炭鉱などもまだ稼働していた1970年代後半の北海道は、観光地である以上に産業や暮らしの土地であったのでしょう。実際は今でもそのはずですが、私たちの眼が無意識のうちに選択してしまっているのかもしれません。


風景が抱かせる印象、つまり、絵のような美しさではなく、薄汚れてるように見えるかもしれないけど生き生きとした感じは、季節の設定に大きく影響を受けているように思います。山には雪が残り、未舗装の道はぬかるみ、フキノトウが芽生え、タンポポが咲く季節。つまり、長い冬の終わりと遅い春の訪れの間です。


鑑賞に2時間程度かかる映画は、時間の芸術といえるでしょう。古い世代の炭鉱夫と、新しい時代を生きるカップルの交流を描くこの映画は、両者の間を、時間の経過(プロセス)そのものとして映す、優れたロードムービーなのだと思います。




「奇跡」

映画:奇跡

2011
監督:是枝裕和
出演:前田航基、前田旺志郎、大塚寧々、オダギリジョー


移動の手段は、自転車や車だけではありません。鉄道や駅も、多くの映画で描かれてきました。「奇跡」は、2018年に「万引き家族」で、第71回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門最高賞であるパルムドールを受賞する是枝監督の一風変わった鉄道映画です。何が変かというと、九州新幹線全線開業に向けたJR九州を中心とした企画映画らしいのですが、登場人物たちが、その九州新幹線には乗らないのです。この発想には、新幹線が開通することの「value(価値)」ではなく「values(諸価値)」への着目があるのではないかと、私は感じました。


ストーリーは、親の離婚によって鹿児島と福岡に別れて暮らしていた兄弟(兄弟漫才師のまえだまえだ)が、新幹線の一番列車が高速ですれ違う時にすごいエネルギーが生まれ、そこで願い事をすれば奇跡が起きるという噂を信じて、それぞれの友達(小学生の橋本環奈も出演)とともに、上下線の一番列車がすれ違いそうな熊本市の川尻あたりに向かうというものです。これも一種のロードムービーといえるでしょう。くるりによる音楽もすごくいいです。


映画を見ていてまず感じるのは、兄が住む鹿児島と弟の住む福岡の違いです。大きく違うのは、新幹線に期待する空気です。鹿児島ではその期待が溢れているのに対して、福岡では特に感じません。熊本在住の私としては、まさにそうだったろうなあという感じです。


また映画の中盤までは、兄弟それぞれの通学風景や小学校での様子、習い事からの帰り道など、彼らの日常が丁寧に描かれています。子どもの頃は、それらが世界のすべてですし、その風景は、子どものアイデンティティそのものといっていいかもしれません。この映画でも、鹿児島や福岡それぞれの風景が、兄弟それぞれの性格や暮らし方の違いとして表現されているように感じます。桜島の火山灰に悩まされながら、起伏の激しい道をえっちらおっちら進む、家族での暮らしに未練たらたらな兄。一方、両親が喧嘩ばかりしていた時の記憶が強い弟は、賑わいのある都会の中を走り回り、多くの大人に触れたり、異性の友達もつくったりしながら新しく暮らし直そうとしている、という具合です。


このように、彼らの日常が丁寧に描かれるからこそ、電車に乗って(開業の前日なのでローカル線)、その世界から外に出ることが、大きな冒険として私たちも強く感じることができるのでしょう。この冒険を支えるのが、きっかけ(新幹線)としても、実際の手段(ローカル線)としても、鉄道という土木です。加えて、子どもたちの挑戦は、川尻に住む見知らぬ老夫婦にとっての奇跡ともなります(その内容は、ぜひ映画をご覧になってください)。


さすがに是枝監督、脇役の大人の俳優もとても豪華なのですが、彼ら大人たちは、子どもたちの企みをわかっていながらも受け入れる、寛容な人々として描かれています。このように子どもたちを受け入れ、見守り、迎える大人たちの姿は、暮らしを縁の下から支える土木としてのあるべき姿を表しているように思えて仕方ありません。


実は、この映画の撮影は2010年の9月から10月にかけて行われたらしいので、現実の全線開業とは少し季節が合いません。九州新幹線全線開業は2011年3月12日、東日本大震災の翌日です。私も熊本駅周辺整備の仕事に関わっていたので、開業の前日、完成した整備を多くの関係者と見て回っている時にその報に触れました。夜にかけて状況がわかってくるにつれ、どんどん愕然としていったことを覚えています。


この映画は、震災後の6月に上映が開始されましたが、スケジュールの関係上、当然震災には触れていません。しかし、川尻の駅で雲仙普賢岳の噴火という自然災害に触れていますし、何より、この兄弟のように、自分ではどうにもならない理由で暮らしを大きく変えざるを得なかった方々に対して、強い希望を与える物語になっているような気がします。これも、名作の不思議な力なのかもしれません。


以上、移動にまつわる3つの映画を紹介しました。もちろん、それぞれの映画を全く語り尽くせていませんし、見る人、見る時によって、さまざまな印象を与えるのも、映画の豊かさだと思います。とはいえ、映画を見る楽しさや、映画を通して土木を考えることの楽しさを、少しでも伝えられたとしたら、これに勝る喜びはありません。まだまだ紹介したい映画がありますので、ぜひ、これからもよろしくお願いします。


※記事の情報は2025年6月3日時点のものです。

  • プロフィール画像 熊本大学 くまもと水循環・減災研究教育センター教授 星野裕司

    【PROFILE】

    星野裕司(ほしの・ゆうじ)
    熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター教授
    1971年、東京都生まれ。1996年に東京大学大学院工学系研究科を修了し、株式会社アプル総合計画事務所入社。その後熊本大学工学部助手を経て、2005年博士(工学)取得。2023年より現職の熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター教授に就任。専門は景観工学・土木デザインで、社会基盤施設のデザインを中心にさまざまな地域づくりの研究・実践活動を行う。主な受賞に、土木学会出版文化賞、土木学会論文賞、グッドデザイン・ベスト100、グッドデザイン・サステナブルデザイン賞、土木学会デザイン賞最優秀賞、都市景観大賞など。

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