【連載】映画の中の土木
2025.08.19
熊本大学 くまもと水循環・減災研究教育センター教授 星野裕司
映画の中の土木――外からのまなざしで日本を捉えた映画3選
"土木"という視点から映画を紹介し、その魅力を紐解いていく連載「映画の中の土木」。映画を解説いただくのは、「自然災害と土木-デザイン」の著者であり、景観工学や土木デザインを専門とする熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター教授の星野裕司(ほしの・ゆうじ)氏です。連載第3回は、外国人監督が日本で撮った映画をピックアップ。外国人が捉えた何気ない日本の日常、その中にも土木の豊かさにふれることができる3作品を紹介します。
イラスト:広野りお
いきなり連載第2回とは逆のことを言うようだけれど、やっぱり、海外旅行は楽しい。テレビで見た名所などを訪れることももちろんですが、その土地の普通の場所、例えば地元のスーパーなんかに立ち寄って、「へえ、こんなものがこんなふうに売ってるんだ」なんて経験するのも、とても新鮮な気持ちになります。私の知り合いには、必ず理容室で散髪してもらうなんて人もいますが、それも、その国の日常に触れたいという気持ちなのでしょう(私は怖くて無理です)。
これらは、単なる好奇心という側面もあるでしょうが、自分が常識だと思っていることとは異なる"普通"に触れることによって、良いところ悪いところを含めて、自分の"普通"を改めて見直したいという気持ちが強いのではないかと思います。
この連載は、映画に描かれている風景(土木)をみなさまに身近なものとして感じてほしいという思いから、邦画に絞って紹介していますし、その縛りは、できるだけ続けていこうと思っています。ただ、異なる世界に触れるということもまた、映画鑑賞の醍醐味ですので、今回は外国人監督が日本で撮った映画を紹介し、私たちとは異なるまなざしに触れていきたいと思います。
「ロスト・イン・トランスレーション」
2003
監督:ソフィア・コッポラ
出演:ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン、ジョバンニ・リビシ、アンナ・ファリス
日本にやってきたアメリカ人が過ごす、およそ1週間を描いた映画です。主な登場人物は2人。カメラマンの旦那さんの仕事についてきた若い奥さん(スカーレット・ヨハンソン)とアメリカでは落ち目っぽいが、日本のウイスキーのCMに起用された有名俳優(ビル・マーレイ)。彼らが、それぞれにぼんやりとした悩みを抱え、一方で自国とは全く異なる文化に戸惑いながら、交流し関係を深めていく物語です。海外旅行そのものを描いているとも言えます。ただ、2人とも自分から望んで日本に来たのではないので、無批判な日本礼賛という感じの映画にはなっていません。日本人としては居心地が悪い思いをするところもありますが、「ああ、そんなふうに見えるのか」と、気持ち悪い感じはしません。
もちろん、彼らにとって日本滞在が不満のあるものだったわけではなく、ポジティブなものだったと思います。映画の最初と最後は、ビル・マーレイがハイヤーから見上げる東京の街並みが映し出されるのですが、なんとなく、最後の街並みの方が優しく見えます。それは、夜のギラギラしたネオンか、夕暮れになろうかという時間帯の違いや、混雑した一般道から見上げた街並みか、首都高速からほぼ同レベルで見た街並みかという視角の影響も大きいと思うのですが、それ以上に、ビル・マーレイの"まなざし"が変わったから、と私は思います。
この映画で着目したいのは、音です。他の映画と比べて、環境音が大きいような気がしました。しかし、それに違和感があるというよりは、私自身の経験を思い出すというものでした。10年ぐらい前、ドイツで10カ月ほど暮らす経験をさせてもらいました。ドイツから帰国した時、一番気になったのは、「日本って、音が多いなあ」ということでした。さまざまな公共的な場所で流れる丁寧すぎるアナウンス、お店からあふれ出る大音量の音楽や呼び込み。そんな音たちが、とても気になりました。映画でも最初の方で成田空港のアナウンスが流れますが、海外の方が日本を訪れて最初に感じるのは、音の過剰さなのかもしれません。
この映画でも、街の喧騒だけではなく、クラブやカラオケ、ゲームセンター、レストランの生演奏、プールでさえ音楽がかかっています(丁寧に、ビル・マーレイが水に潜っている間はこもって聞こえます)。お寺の読経も、スカーレット・ヨハンソンにとっては、歌と表現されていました。
映画のラストでは、雑踏の中で、ビル・マーレイがスカーレット・ヨハンソンの耳元で何かを囁きますが、何を言っているか聞こえず、字幕にも表現されません。そこで交わされた言葉は、2人だけのものなのだと強く印象づけられます。日本の街の大きな雑音を、うまく映画に活かしているといえるでしょう。
街の景観をコントロールするために景観計画というものがありますが、その計画で対象とするのは、色や大きさなど、つまり視覚的なものだけです。しかし、サウンドスケープ*という言葉もあるように、音もまた、大切な景観の要素です。むしろ、視覚情報より聴覚情報の方が暴力的かもしれません。オーバーツーリズムなどを嘆く前に、まず私たちの環境の設え方を振り返ってみる必要があるように感じます。
*サウンドスケープ:ある場所の音響環境全体を「音の風景」として捉える概念。
最後に、「ロスト・イン・トランスレーション」というタイトルについて。直訳すれば、「翻訳によって失われるもの」という意味だと思いますし、映画の序盤でも、そのような状況が表現されています。しかし、映画を見終わると、もう少し広く理解したい気持ちになります。
ビル・マーレイもスカーレット・ヨハンソンも自分の状況の変化に戸惑っているようですし、東京を彷徨(さまよ)う2人はまるで迷子のようです。つまり、このタイトルを広く取れば、「変化の中で迷子になっている状態」を示しているのかもしれません。その舞台に、東京が選ばれたこと。常に変わり続けることが東京の魅力でもありますが、私たちも迷子になっていないか。そんな問いかけにも感じられてなりません。
「PERFECT DAYS」
2023
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、田中 泯、三浦友和
近年、外国人監督が日本で撮った映画として最も有名なものは、この映画だと思いますし、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
物語は、渋谷区の公衆トイレの清掃人(役所広司)の生真面目な日常と、その日常をザワザワさせるちょっとした事件を描いていくものです。といっても、淡々と描くというのとは少し違うように感じました。主人公は無口で、あまり感情を表に出しませんが、さまざまな出来事や現象に心を動かしている様子が丁寧に記録されています。ちょっとした表情や仕草で、それらを表現する役所広司は、さすが男優賞(カンヌ映画祭)という感じです。
この映画はもともと、渋谷区内の公共トイレを、さまざまな建築家によって斬新なものとするプロジェクト「THE TOKYO TOILET」のPR映画として企画されたもののようです。半透明のガラスで覆われ、鍵を閉めると不透明になるものや、傾きを持った縦格子でぐるりと囲まれたもの、さまざまな木材がランダムに貼り付けられたものなど、たくさんのトイレが登場します。それらを、「なんじゃこりゃ」とか「めっちゃきれい」なんて思いながら見るのも楽しい映画です。
正直、海外で公衆トイレを使うのは、本当に不快な経験です。逆に言えば、これらの奇怪なトイレが、清潔に維持され、普通に使われていること自体が、外国人監督にとっては驚くべきことなのでしょう。トイレや電車などのインフラもつくるだけでは機能しません。適切に維持、運営されること、つまりケアされてこそ、私たちの日常を支えるものとなるのです。そこには、必ず、人の手が必要です。この映画でも、早朝、おばあさんが道路を掃除する、ザッ、ザッという箒(ほうき)の音から始まるのは象徴的です。普段の暮らしでは、そうした方々のことはなかなか目に入りません。映画を通して、切り取られてこそ、気づくこともあるのだと思います。
また、この映画にはたくさんの橋が登場します。役所広司の住む浅草界隈から、職場の渋谷に向かうために利用する、隅田川沿いの首都高速の高架橋。銭湯や居酒屋に行くために自転車で通る桜橋。同僚にお金を貸して無一文の時に、車がガス欠になって途方に暮れるのも橋の上です(これは、どこだかわかりませんでした)。橋は、陸と水が出会うところです。職場の渋谷では出会わない水が、役所広司の暮らしの周辺にはあふれてる、つまりは東京の基盤をつくっているのは水なんだということを、この映画は自然に感じさせてくれます。
これらの橋の中でも、桜橋は特権的に描かれています。寡黙な主人公が、珍しく自分の意見らしいものを述べるシーンが2カ所ありますが、それらは、桜橋の上で姪(中野有紗)の質問に答えるシーンと、桜橋の下で行きつけのバーのママの元夫(三浦友和)と影踏みをしているシーンです。それらの言葉は、前者が「この世界にはたくさんの世界がある。つながっているようでつながっていない世界がある」と「今度は今度、今は今」で、後者は「何も変わらないなんて、そんな馬鹿な話ないですよ」です。それらの言葉の本当の意図はわかりませんが、映画の主題を端的に表現しているように思います。それらが語られる場が橋の上下なのは、見晴らしや川の流れ、水面にきらめく光の反射などの景観や、誰の場所でもないからこそ誰の場所にもなりうる開かれた公共性が、人の内面を開放させるということを表現しているかもしれないなと思います。この桜橋も、連載第2回で紹介した「ささやかだけど、大切な場所」なのかもしれません。
もう1つ、この映画で描かれた、主人公にとって「ささやかだけど、大切な場所」を紹介したいと思います。それは、お昼のサンドイッチを食べ、趣味の写真を撮る、代々木八幡宮の境内です。映画の中で、この境内に限らず何度も、主人公が木漏れ日に笑みをこぼしているシーンが出てきますし、木漏れ日という日本語に対応する英語はないみたいで、映画の最後には英語での説明文まで入ります。確かに、木漏れ日は光でも、影でもあるし、光と影の共演ともいえます。先に紹介した影踏みと合わせて、この映画の大事なテーマを表しているのでしょう。この映画の中で、木漏れ日が最も豊かな場所が、この境内なのです。
この原稿を書くために見直して気づいたのですが、この境内のベンチでのお昼のシーンが、映画の中に数回出てきますが、毎回、彼の座るところが異なっているのです。これは私にとって、大きな発見でした。なんとなく、この主人公は淡々と暮らしていると思っていたのですが、一見そのように見えても、自分の外側で起こるさまざまなことに、敏感に反応し、自分の位置や姿勢を変えながら暮らしているのだということを実感できたからです。同じように見える日常も、自分のあり方やまなざしを少し変えるだけで新鮮に見えてくるということを教えてくれた気がします。
そのように考えると、主人公にだけ見えるらしいホームレス(田中泯)は、インフラを支える"不可視の存在"という主人公を象徴するものなのかなと思っていましたが、それだけではなくて、ありふれた日常に潜む、豊かな世界への扉みたいなもので、それを見つけるまなざしさえあれば、どこにでも見つけられるんだということを表現しているのかもしれないなと感じます。
「珈琲時光」
2004
監督:侯孝賢
出演:一青窈、浅野忠信、萩原聖人、余貴美子、小林稔侍
今回のテーマは「まなざし」ですが、私が専門とする景観デザインにおいては、どこからどう見るかという視点や目線は、とても重要です。そういう私から見ると、映画には大きく3つの目線(まなざし)があるのではないかと思っています。その目線とは、端的には被写体に対するカメラの位置であり、理念的には監督の物語に対する姿勢を表していると思います。
1つは、物語を客観的、俯瞰的に眺める鳥の目。もう1つは、物語の中にどんどん入り込んでいく犬の目。これらは、マクロ・ミクロや鳥の目・虫の目という表現で、対のものとして理解されているものだと思います。ただ映画には、もう1つあって、それが猫の目だと思うのです。この目線の映画では、登場人物が勝手に画面から消えたり、背中を向けていたりするのですが、鳥と犬の目線の間というか、物語に関心がないのかあるのかわからないけど、なんとなく愛情は感じる、そんな目線です。この猫目線に気づかせてくれたのが、この映画なのです。
この映画は、日本映画の巨匠である小津安二郎監督の生誕100年を記念し、その代表作である『東京物語』のオマージュという形で、台湾人の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督によって製作された映画らしいのですが、直接的に、『東京物語』へ言及しているわけではありません。台湾人の恋人との子を妊娠しているが、彼と結婚せずに1人で育てようと考えているフリーライター(一青窈)と、友人で音鉄(鉄道の音を採集している鉄道ファン)の古本屋店員(浅野忠信)が、台湾出身で日本に留学していた江文也という作曲家の足跡を辿る様子を淡々と映している映画です。
なぜ、猫の目というものに気づかせてくれたかというと、実はすごく直接的です。小津映画の大きな特徴の1つに、低いところにカメラを置くローアングルというものがあり、日本人が畳に座った時の目線だとも言われています。この『珈琲時光』でそのアングルが初めて現れるのは、一青窈が群馬の実家に帰った時の居間の様子を映したシーンです。映画の最初に、「小津安二郎生誕百周年記念」と出てきますので、このシーンに私たち観客は、おお、と思ってしまいます。もちろん全く一緒というわけではなく、小津映画との大きな違いもあります。例えば、小津映画では、不自然なほど登場人物はカメラの真正面から話しますが、ここでは一青窈が背中を向けている、という具合です。しかし、このアングルの登場は記念映画としては、とても大切なポイントだと思います。この大切なシーンでカメラが切り替わった時、その前のローアングルのシーンでカメラを置いていただろう場所から、スッと猫が動くのです。あっ、さっきのローアングルの景色は猫が見ていたものだったんだ、と。
猫目線の映画は、一応、犬目線のように、物語にカメラはついて行くのですが、出来事と映像がピッタリ合っていません。そこに豊かな余白が生まれます。この映画では、その余白にこそ、生き生きとした東京の風景が描かれているのだと思います。鬼子母神やお茶の水、神保町の古本屋街などは、先に紹介した「ロスト・イン・トランスレーション」とはまた異なる、江戸時代からの歴史を色濃く感じさせる東京です。小津映画では、風景だけのシーンがたびたび挿入されますが、このような余白は、小津映画への侯孝賢的な解釈(オマージュ)なのかもしれません。
また、映画の中の土木という点では、主人公の相手役が音鉄だけあって、この映画ではたくさんの電車が出てきます。都電や山手線、中央線や高崎線。これほど多様な電車が、縦横無尽に、かつ正確に走っている東京は、『PERFECT DAYS』の清潔な公衆トイレと同様、外国の方から見たら驚嘆すべきことなのでしょう。彼ら音鉄は、驚嘆すべき日常の採取者だと言えるかもしれません。映画のラストは、神田川を渡る丸ノ内線と、東京駅に向かう中央線、それを跨いで秋葉原に向かう総武線が交差する、お茶の水の聖橋から見た風景です。この風景は、『すずめの戸締まり』(新海誠、2022)でも描かれていますが、地形的なものや歴史的なものを含めて、東京らしさの一面が集約された風景なのでしょう。
以上、「外からのまなざし」というテーマで外国人監督が日本で撮った映画を紹介しました。これらの映画は、連載第1回のテーマ「移動の豊かさ」という視点で、それぞれの移動のモード(タクシー、車や自転車、電車)の違いから見てみるのも面白いかもしれません。
一方、『珈琲時光』で紹介した目線で言えば、『ロスト・イン・トランスレーション』は、映画の冒頭に出てくるスカーレット・ヨハンソンのお尻のアップなんかも、いやらしいというよりは、大好きな飼い主が起きるのをじっと待っている愛犬の目線のようだし、『PERFECT DAYS』は、なんとなく猫目線のようでいて、同じ監督の『ベルリン・天使の詩』ではありませんが、より俯瞰的な鳥目線のような気がします(だからこそ、私たち観客もあのホームレスが見える)。
もちろん、多くの人が強い気持ちでつくる映画を、そんな単純な目線でまとめられるわけはないのですが、そんな目線を持っておくと、たとえ退屈そうな映画だとしても、楽しく見られるのではないかなと思っています。またそれは、映画の見方だけではなく、日々の仕事などを反省したり、提案を検討したりする時にも応用できるのではないかと思っています。ぜひ、次回も楽しみにしていてください。
※記事の情報は2025年8月19日時点のものです。
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【PROFILE】
星野裕司(ほしの・ゆうじ)
熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター教授
1971年、東京都生まれ。1996年に東京大学大学院工学系研究科を修了し、株式会社アプル総合計画事務所入社。その後熊本大学工学部助手を経て、2005年博士(工学)取得。2023年より現職の熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター教授に就任。専門は景観工学・土木デザインで、社会基盤施設のデザインを中心にさまざまな地域づくりの研究・実践活動を行う。主な受賞に、土木学会出版文化賞、土木学会論文賞、グッドデザイン・ベスト100、グッドデザイン・サステナブルデザイン賞、土木学会デザイン賞最優秀賞、都市景観大賞など。
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