仕事
2021.03.16
本間義広さん クックピット株式会社 代表取締役社長〈インタビュー〉
ラーメン業界を長時間労働から救う。スープ供給の革命、世界への挑戦
日本の国民食ともいえる「ラーメン」は、繰り返し起こるブームと激化する競争の中で大きく進化してきました。しかしそのおいしさは、ラーメン店で働く人たちの長過ぎる労働時間に支えられているという一面があります。この現状を改善するため、ラーメン店の支援事業を展開しているのが、スープの製造と供給を行う、クックピット株式会社の本間義広社長です。破天荒なまでにエネルギッシュな本間さんに、これまでの道のりと、今後の展望についてうかがいました。
いまでは世界中で愛される料理となった「ラーメン」。しかしその一方で毎年多くのラーメン店経営が廃業に追い込まれる。その大きな原因が労働環境の悪さ。中でも深夜の長時間労働を強いられるスープの仕込みが大きな負担になっている。そこに革命ともいえる解題解決をもたらしたのが、ラーメン店での修業を経て2006年に「クックピット株式会社」を設立した本間義広さん。完全無添加の業務用ストレートスープを供給する「味分け」という店舗支援システムで、日本全国1500店ものラーメン店経営者や従業員を支援している。
スープの「味分け」でラーメン店の労働環境を改善
――「味分け」はあまり聞きなれない言葉ですが、どのようなシステムなのですか。
ラーメン店にとって一番過酷な仕事はスープの仕込みです。自家製のスープを作るために8時間以上かかります。一般的なラーメン店の場合、11時に開店して22時に閉店するとして、店主は閉店後に調理器具の洗浄、店内清掃、売り上げ計算と記帳をやります。深夜に家に帰り、夜明け前に起きて店に出て、8時間かけてスープを仕込みます。スープはただ火にかければいいのではなく、基本的に鍋から離れられません。それでようやく開店に間に合うのです。
――それではほとんど眠る時間がありませんね。
まともな睡眠時間はとれないし、家族とのコミュニケーションも全部犠牲です。そういう生活を続けられずに廃業する店が多いのです。それを肩代わりして労働環境を改善する仕組みが「味分け」です。のれん分けやフランチャイズとは違う、独自の店舗支援システムです。
ラーメン店のスープは、鶏ガラや豚骨、魚介類などでとった「スープ」をベースに、味噌や醤油などを配合した「タレ」(かえし)を加えるのですが、この「スープ」の部分に時間と手間がかかります。クックピットはスープを工場で一括して作った状態でラーメン店に届けます。店側はスープ作りに時間をとられることなく、「味分け」されたスープに独自のタレを加えて、個性あるラーメンを作ることができます。このシステムを使えば、スープ作りの重労働は半減します。誰でもラーメン店が始められて、無理なく続けられるのです。
エリートコースを捨てて飛び込んだラーメン店
東京都内の進学校である高校を卒業しながら、料理人の道を選んだ本間さん。20代は板前として、仲間とともに厳しくも充実した青春時代を過ごした。味覚で人を喜ばせることに生きがいを感じ、店も任されるようになった。しかし、いつしか板前としての自分に限界も感じ始め、「人生を変えるときだ」と、28歳で外資系レストランチェーンの「レッドロブスター」に転職する。そこでアメリカ式マネジメントのノウハウを学び、自身の板前時代の経験も生かしながら店長として懸命に働いた。店はUSA本社が視察に来るほどの好成績をあげ、本間さんは31歳の若さで13店を統括するスーパーバイザーに昇進。そのままいけばやがて部長、本部長と進めるエリートコースだった。ところが、ある日フラッと入ったラーメン店が、人生を再び一変させてしまう。
――ラーメンの世界で働くことになったきっかけは何だったのですか。
東京の西麻布を歩いていたら、ラーメン店の前に人が行列をつくっていました。なぜか気になって行列に並んでみたんです。それが豚骨ラーメンの「赤のれん」でした。その味に感動しました。居ても立ってもいられなくなって、次の日に店主のオヤジさんに働かせてくれと頼みに行きました。私の経歴を見たら不審に思われて断られましたが、3回お願いしに行って、ようやくアルバイトで雇ってもらうことになったんです。
――それはまた衝動的ともいえる転職ですね。不安はなかったのですか。
レッドロブスターの上司や同僚には「無謀過ぎる」と止められました。高収入を捨てて時給800円の洗い場からのスタートでしたが、板前を10年やって、レッドロブスターで8年間やったスーパーバイザーとしての自信もあったので、どんなに大変でも絶対に負けないと思ってました。ただ、妻には言い出せずに、スーツを着て家を出て、店で着替えて厨房に入るという生活をしばらく続けたんです(笑)。半年くらい経ってからようやく告白したら「知ってた」と笑われました。
「赤のれん」は、店主が博多で修業してのれん分けを得た、東京に初めてできた本格的な豚骨ラーメンの店。当時、12坪の店に連日500人の客が押し寄せていた。本間さんは洗い場からすぐに盛りつけ担当に変わり、戦場のような仕事の毎日を過ごす。
ランチタイムにはお客さんが250人ぐらい来ちゃうので、ものすごいスピードなんですよ。僕はスピードについていけなくて、盛りつけしながら、ずっと下を向いて、自分の手と丼しか見ていませんでした。でも次第に仕事に慣れてきて、2カ月ぐらい経ったあるとき、ふっと余裕ができて、ほとんど初めて顔を上げました。そうしたら、お客さんが、芸能人や裕福そうなおじさんたちで占められていたんです。
――バブル期の西麻布ですね、何となく想像がつきます。
それに気づいたとき、僕が惚れたこのラーメンの味は、家で留守番してる妻と子どもは知らないんだ、もしかしたら一生知らずに終わっちゃうのかなと、がくぜんとしたんです。
――奥様とお子さんにおいしいラーメンを食べさせたい。本間さんの「味分け」の原点でしょうか。
そうかもしれません。それで、この「赤のれん」のラーメンを広く展開したいと考えました。それを、その日のうちに店主のオヤジさんに申し入れました。そしたらオヤジが「お前できんのか」って聞くから、「はい、できます」と言いました。僕も調子がいいよね(笑)。
それを聞いたオヤジさんが「オレも忘れてた。1軒だけで終わるつもりはなかったんだ」と。
人気ラーメンの多店舗展開、そして会社設立
――本間さんの行動も速いですが、オヤジさんの決断もすごいですね。
オヤジさんというのは西麻布「赤のれん」初代店主の赤坂英晃さんですが、すごい人ですよ。「できます」と言った翌日、オヤジさんから紙袋を手渡されました。中を見ると無造作に札束が入ってる。
「3,000万円あるから、それでお前の夢をかなえてみろ」って。
――3,000万円の札束って滅多に見られるものじゃないですね。
でしょう。でも驚いたけど、僕はそれを見て言ったんです。
「オヤジさん、これじゃ足りません」(笑)。
多店舗展開は、原料を安定的に調達しなければならなくて、個人店舗と同じようにはできないんですよ。しかも「赤のれん」の味を出すためには、1日に100キロ、1カ月で3トンの豚骨を使います。良いものを作るには経費もかかるし、「利権」つまり原料を利用する権利が必要です。豚は半年かけて100kgに育ちますが、ラーメンの原料になる骨は一頭から8kgしかとれません。一店舗で375頭の命が必要になります。これに店舗数をかけた原料が確保できなければ他店舗展開は不可能なのです。
――そのためにもっと大きな資本と一緒にやる必要があったわけですね。
はい。結局、そのあとオヤジさんに紹介されて、大手食品会社に僕の企画書を提出することになりました。そちらの創業者一族の取締役の方が、学生時代に「赤のれん」でアルバイトをしていたんです。グループ企業の商社から出資を受ける形で1994年に「株式会社福のれん」を設立しました。
「赤のれん」の味を多店舗展開する「福のれん」で、本間さんは奮闘の末、スープを工場で一括製造するシステムを確立。これによって店のスタッフは仕込みの長時間労働から解放され、福のれんは12年間で18店舗まで事業を拡大した。ところが突然、この「福のれん」が親会社に吸収合併されることになった。本間さんは社員になってほしいと言われたが、この要請をその場で断り、また無職になってしまった。
――独立して自分の会社を立ち上げる過程はどんなものだったのでしょうか。
そうですね、無職になって改めて「自分の武器は何だろう」と考えました。まず僕には豚骨スープ作りの技術がある。そして店舗開業と運営のノウハウもある。それらを活かし、スープ製造販売の会社を立ち上げようと決意したんです。それが「クックピット株式会社」です。でも創業時は最初の月の売り上げが7万円で、翌月は0円でしたから、苦しかったです。自分1人だったらまだしも、社員がいましたんでね。だから商品が認められ、売れるようになってきて、月の売り上げが500万円を超えたときはすごくうれしかったですね。そこに至るまでは何人もの恩人にも支えられました。本当に感謝しています。
取引先第1号の店内掃除からスタート
――最初に「味分け」をした先はどんなお店でしたか。
とあるFCの加盟店だったラーメン屋ですけど、その本部が潰れちゃって食材の供給が止まったんですね。店主は一人でがんばっていたけど、僕がたまたま入ったらすっごくまずかったので、「どうなってんの」と聞いて調理場を見せてもらったら、スープが腐ってた。
いろいろ話してみると、店主が店を出るのは夜中の12時過ぎで、家に帰ってもみんな寝てる。朝は仕込みがあるので子どもが登校する前に店へ行く。だから家族との会話もないって言うんですね。疲れ果てている様子でした。
それで「まず店をキレイにしよう」ということになり、ウチの社員を5人連れて行って掃除したんですよ。
――なるほど、スープの契約以前に、掃除ですか。
そうです。その後でスープの供給を始めました。その店は半年後に2軒目を出しましたが、店主は夜奥さんと1時間の会話ができるようになって朝も子どもを見送った後に出勤できる、と報告してくれました。彼は今もうちのスープを使ってくれています。そこから始まった「味分け」は、その後1500店舗くらいに広がりました。
――その1500店の中で、特に印象に残っている店舗はありますか。
広告代理店に勤めていた人が「50歳になったからラーメン屋をやりたい」って飛び込んできたことがあります。博多生まれだから九州ラーメンをやりたい、物件も決まってるので見てほしいと言われ、行ってみたら郊外の住宅街なんですよ。僕が「ここじゃお客さん来ないんじゃないですか」と言ったら「私の器は1日40人です」って。けっこう広い店だったんですけどね。そこは今も続いてるんですよ。コンスタントに売り上げがあるんです。
無添加、ストレート。常圧釜でじっくり仕上げる
――クックピットにはどんな種類のスープがあるんですか。
鶏白湯、豚骨スープ、牛白湯、鯛スープなどです。全て無添加で、濃縮還元ではない、ストレートタイプのスープを、冷凍の状態でお店に届けます。ほかに、タレや麺も作っています。
――それにしても1500店の仕込みを請け負うとなると、スープ工場の方は、かなりの重労働になりませんか。
そうなんですよ。ウチは加圧釜ではなく、店舗でやるようにゆっくりスープを仕込むために、常圧釜でやっています。この設計には試行錯誤を繰り返して3年かかりました。5トン用の常圧釜は2階建てくらいの高さがあります。それで沸騰させるから、工場の建屋に雲ができるぐらいの蒸気が出て、見ている私たちに雨として降ってくるんです。もうビシャビシャです。
ハラール認証のスープで東南アジア進出
クックピットは、2017年に海外進出を果たす。タイに工場を作り、そこからインドネシアをはじめとする東南アジアのラーメン市場に向けてスープの供給を開始した。
――海外に工場を作ったのはどのような目的でしょうか。
以前、ある企業の商品開発顧問を任されていた時期に、インドネシアとマレーシアを視察して、工場やスーパーでハラール認証のマークを見ました。ハラールは、厳しい食事制限のあるイスラム教徒の方々が食べることを許された食品です。
2017年時点で世界のイスラム教徒は18億人を超えていて、そのうちの半分は東南アジアと南アジアで暮らしています。そのニーズに応えたいと思い、工場を作りました。
大手食品会社のOBの方に相談すると、工場を作るならインドネシアよりタイのほうがいいということでした。タイはアメリカ、ブラジル、中国と並ぶ鶏肉の4大輸出国の1つです。タイには驚くほど大きな鶏肉の会社がいくつもあって、僕は「捨ててしまう骨をスープにして、もうちょっともうけましょうよ」と提案して回りました。インドネシアやマレーシアのイスラム教徒の人たちに安心して食べてもらえるような原料を調達できる工場が完成するまで、8年かかりました。
――現地の人たちにとって、ラーメンというのはどんな存在なんですか。
いま世界的にもラーメンが大人気で、寿司や天ぷらを抜いて「食べたい日本食」のナンバーワンなんですよ。タイでもインドネシアでも、みんなラーメンを食べたがってます。日本に来ればラーメンは800円で食べられるけど、タイのラーメンは1000円ぐらい。現地の収入から計算するとめちゃくちゃ高いけどそれでも行きます。ラーメン屋ってデートコースになってて、内装もオシャレです。
――東南アジア以外にも海外での展開を考えていますか。
もちろんです。アメリカでは、子どもが病気のときに親がチキンスープを作ってくれますが、ラーメンの味は、このアメリカ人のソウルフードに近い。40年くらい前にはアメリカの学生たちの間で日本のカップ麺が流行って、いまは一流ホテルでもラーメンを出しています。
――高級ホテルのラーメンはおいしそうですね。
まずいんです(笑)。カギはやはりスープです。いまそれを変えたいという話がアメリカからウチに来ています。行き来できるようになったらすぐにスタートする予定です。1年間コロナで苦しめられた中で何か違うことをして、5年後10年後に「あのときの経験からこういう売り上げの柱ができたね」って言えるようになりたいですね。
ピュアなラーメンスープは、身体に良い
――その他に手がけられている新しいプロジェクトをいくつか教えてください。
そうですね、まずボーンブロスかな。これは骨を煮出してスープにしたもので、ニューヨークのセレブの間から広がってきました。出勤前のコーヒーをボーンブロスに代えていくっていうことで、いまニューヨークなどではメジャーになってるんですね。それを日本でも、と考えています。
ファスティング*にピッタリで、健康と美容にもいいそうですよ。スープ作りの際に骨髄から出たエキスが、体に眠っているケトン体を目覚めさせるとも言われています。
――ラーメンスープで健康になるというのは不思議な気もしますが。
そうでしょ。ラーメンスープって、なんとなく健康に悪いイメージですよね。でもうちの場合は無添加で、本当に水だけで煮出し、濃縮もかけないピュアなスープなんです。だからボーンブロスにぴったりなんですよ。純粋なラーメンスープは身体に良いということを皆さんに伝えたいですね。
ボーンブロスはペット向けにも展開しています。ペットって人間以上に正しいものを食べないと体が壊れちゃうので、添加物が入っているものはダメなんです。添加物が入った餌と無添加の餌を並べておくと、犬はちゃんと無添加の方に行きます。野菜もダメなので、うちのスープなら安心なんですよ。「ピュアボーンブロス・ペットウィズミー」という商品を青山のペットショップに卸し始めています。
――ラーメン以外の食品にもスープを応用できるのでしょうか。
例えば、老舗のお蕎麦屋さんが、うちのスープと鰹節の出汁をぶつけたらどうなるかと考えて、どんどん新しい味を生み出してくれています。煮干しや鰹節と合わせれば、海のある国の人はみんなおいしいって言います。沖縄ではソーキそばにも使われています。鶏白湯のうどんもすごく出ます。ジェノベーゼを入れればイタリアンに寄っていってスープスパゲッティにもなる。いろんな発想が生まれています。僕が言うとちょっと気持ち悪いけど、うちのスープは「あなた色に染めて」っていう感じなんです。工夫次第で「あら不思議」っていう感じに全然違うものになるんですね。
考えるのは最後。「知覚動考」の精神で行動する
――事業の創造者、革新者として、大切だと考えていること、また実行されてきたことはなんでしょう?
個人的な哲学としているのは「義理と人情とやせがまん」ですかね(笑)。辛くても「辛い」って言わずに、笑っていれば福が来るのかなあと。レッドロブスター時代の上司に「禍福は糾(あざな)える縄の如し」と教えられて以来、悪いときがあるってことはまた良いときがあるんだと信じています。
それともう1つ、「巌頭(がんとう)に悍馬(かんば)を立てよ」という言葉も好きです。崖っぷちに荒々しい暴れ馬を立たせろ、つまり後ずさりはできない、退路を断って前へ進めっていう意味です。
――そういう哲学は、これからの時代を創る若い人たちにも伝えたいですね。
はい、どんなときも失敗を恐れず、最初の一歩を踏み出してほしいと思います。もし何かやりたいことがあったら、まず行動に移す。行動に移して本当に間違っていれば誰かが止めてくれますよ。
そして自分の望みを口に出すこと。僕は結構いろいろな会社から高額の出資を受けました。ラッキーですよね。でもやっぱりそれは口に出したから実現したわけです。誰かに「自分はこんなことやりたいんだ」って話したことが、周囲の力添えで形になっていったんですね。
ウチの社訓は「知覚動考」(ちかくどうこう)です。禅語なんですが、物事を知って、覚えたら、まず動く。考えるのは最後でよい。社員には、これは「とも・かく・うご・こう」だと言っています。面白い言葉でしょう? この感覚を若い人たちに身に付けてほしいと思います。
――これからラーメン屋さんを開業してみたいという方々に対して、本間さんからのアドバイスはありますか。
そうですね、若い人だけじゃなく、中高年の第2のステージとしてラーメン屋さんに挑戦するのもよいんじゃないかと思っています。今は70代でも元気でしょ。長い時間営業しなくたって構わないんですよ。手の空いてる4時間ぐらい、例えばお昼に開けると忙しくて大変だから1時からにしようとか。楽しそうですよね。
――それはラーメンに限らず、あらゆる飲食店に応用できそうですね。
ええ、鍋でも雑炊でもカレーでも、化学調味料の代わりにウチのスープを少し入れるだけでおいしさが上がるんです。行列ができる親子丼の店で、ほんのちょっとだけ調味料として使ってくれているところもあります。これからは僕の方からも、そういう方向でどんどん提案をしていきたいと思ってます。
――ところで「赤のれん」時代に思った、奥様とお子さんに自分のラーメンを食べてもらいたいという願いはかなったのでしょうか。
妻と娘たちが初めて僕のラーメンを食べたのは「福のれん」の東京・日本橋1号店を出したときです。下の子が4歳ぐらいだったかな。味についてどんな感想を言ったかは覚えてないんだけど、「パパかっこいい!」と言われたのは覚えてるなあ。鉢巻してラーメン作ってたら「かっこいい」ってね、うん。
――素敵な思い出ですね! 今日は本当にありがとうございました。
お忙しい中、取材に応じてくれた本間さん。気さくなお人柄で、社長自ら車を運転し最寄り駅まで私たちを送迎してくださいました。「パパかっこいい」というお嬢さんの言葉を話してくれた笑顔がとても印象的でした。これからも、世界を股に掛けたご活躍が楽しみです。
※記事の情報は2021年3月16日時点のものです。
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【PROFILE】
本間義広(ほんま よしひろ)
クックピット株式会社 代表取締役社長/白湯師
1957年、東京都北区生まれ。服部栄養専門学校卒業後、和食の板前として飲食業界に入る。10年間の板前修業を経て外資系レストラン「レッドロブスター」に転職し、スーパーバイザーとして国内店舗の統括を担っていたが、在職中に東京・西麻布の老舗とんこつラーメン「赤のれん」の味に出合い、1992年から同店で時給800円の皿洗いとして再スタート。「この味を全国に広めたい」という思いで、大手企業の協力を得て「赤のれん」を「福のれん」として多店舗展開し、12年間で18店舗までの拡大に成功する。2006年、培ったノウハウとスープの製造技術を活かし、完全無添加の鶏白湯ストレートスープを業務用として、日本で初めて製造・販売する「クックピット株式会社」を創業し、長時間労働に苦しむラーメン店経営者の労働時間を大幅に削減。多くの飲食店経営者に支持され、約1500店舗で採用されている。また、「味分け」と呼ばれる独自のシステムでラーメン店の新規開業支援も行い、2017年にはイスラム教徒のためのハラール対応スープ工場をタイに設立。外食産業界にあっていま大きな注目を集めている気鋭の起業家である。
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