食
2019.08.30
渡辺玲さん カレー&スパイス伝道師〈インタビュー〉
インドで初めて食べたカレーの感動を、そのまま伝えたい
カレーといえばもとはインド料理でありながら、同時に今や国民食ともいえるほど日本の食卓で人気の料理です。そのカレーをより美味しく、そして本格的に作るコツやノウハウを、書籍や雑誌、そして自身が主宰する料理教室などで積極的に紹介している「カレー&スパイス伝道師」の渡辺玲さんに、カレーとの出会いについて、そしてインド料理やスパイスカレーへの思いになどについて、お話をうかがいました。
ミュージシャンから、レコード会社、そしてインドへ
――渡辺さんは、最初はミュージシャンだったと聞きました。
大学時代にGOGO BOYS というロックバンドを組んでギターを弾いていました。渋谷の「屋根裏」にもよく出ていましたね。当時の屋根裏は、RCサクセション、BOOWY、レベッカ、ECHOES、爆風スランプなども出ていて、80年代ライブハウスシーンの象徴的な存在でした。私たちのバンドにもメジャーデビューの話はあったんですが、結局大学を卒業する頃にバンドは辞めました。
――その後はどうされたのですか。
新聞で求人を見つけて、あるレコード会社に就職しました。ディレクターとして国内のロック系のバンドをいくつか担当していたんですが、自分もなまじ音楽をやっていたせいか、どうもうまくいかなかったんです。また当時JAGATARAやTHE FOOLSなどといったいいバンドがあって、まだ彼らのレコードが出ていない状況だったので、世に出したいと思って会社になんども言ったんだけど、全然認められなかった。自分としては、こんな感じで音楽の業界にいてもダメだなと思って3年ぐらいでレコード会社を辞めました。
――そこからどうしてカレーの世界に行ったのですか。
バンドマンにありがちな話なんだけど、仕事を辞めてインドに行ったんだよね。「ビートルズもローリング・ストーンズもインドに行ったんだから、俺も行くぞ」っていう完全に勘違いパターン(笑)。レコード会社に勤務してた頃、九段下にインド料理レストランがあって、そこのマトンカレーが美味しかったから、インドに行ったらマトンカレーを食べようと思って行ったわけ。それでカルカッタで本場のカレーを食べたら、これが全然日本のカレーと違うんだよね。そしてとても美味しかった。インドには1ヶ月ぐらいいたけど、とりあえずカレー食べてブラブラしていた感じだった。
インドレストラン10年分の修行を3年間で終える
――そしてインドから日本に戻って、カレーをはじめるのですか。
自分では特にカレー屋をやろうといったような、具体的なことは全然考えてなかったけど、インドで美味しかったカレーに近づいてみようっていう程度の考えで、麹町の老舗インド料理店の「アジャンタ」でアルバイトを始めました。そこで3年間、普通の料理人なら10年かかるぐらいのインド料理の技術を集中して習得しました。ひととおりインド料理の技術を覚えたところで、次は素材の勉強をしようと思い、当時創業したばかりの、オーガニック食品をオンライン販売する「らでぃっしゅぼーや」で野菜や肉などの素材の仕入れ、そして製品開発に10年ほど携わりました。その後は基本フリーで、インド料理系の仕事とオーガニック食品系の仕事をメインとしてやっていますが、今は比率としてはカレーがほとんど、という感じです。
――この流れだと、普通ならカレー屋さんをはじめたりすると思うのですが、渡辺さんは、どうして「カレー伝道師」になったのですか。
らでぃっしゅぼーや在職中にある出版社から声がかかって『誰も知らないインド料理』という本を書きました。それが僕にとっての最初の書籍だけど、この本を出したら、読者から「実際に作った料理がどんな味なのかわからない」とか「どこに行けばこの料理が食べられるのか」といった問い合わせが来るようになりました。それで出版社に頼まれて、月に一度ぐらい料理を作って食べさせる会をはじめたんです。それが今の料理教室につながっています。まぁ、お店もちょっとやったことがあるんだけどね。
――どんなお店をやられていたのでしょうか。
西荻窪に伝説的な元ヒッピーの人たちがやっている八百屋さんがあって、そこの2階のレストランでシェフを3年ぐらいやったことがあります。ただ店をやると12~15時間ぐらい店にいる必要があるんだよね。お店をやってると本が書けないな、と思って、店はその時だけにしました。それ以降は、インド料理とスパイスをテーマに掲げた「カレー伝道師」的な活動をしています。
――「カレー伝道師」としての活動には、どんなものがあるのでしょうか。
まずカレーやスパイスに関する書籍の出版、そしてインド料理の教室ですね。あとはレトルトカレーなどの製品開発やアドバイスもしますし、店舗支援や起業支援などもしています。店舗支援というのは、具体的にはお店の経営指南やメニュー開発などです。たとえばお店の立ち上げであれば、メニューのレシピを書き、それを売れる状態にし、さらにお店のキッチンの設計などもします。そうしたノウハウは一式まるごと提供しています。
――多岐にわたるお仕事ですが、比率として多いのはどれですか。
今は料理教室が一番大きいですね。自分で主宰しているクッキングスタジオ「サザンスパイス」で、週に4、5回やっています。
――今日は取材前に料理教室を見学しましたが、プロの料理人の方も習いにいらっしゃってましたね。
教室には、もっと美味しいものを作りたいとか料理のレパートリーを増やしたいという方の他に、これからお店をやりたいという方やプロの料理人もいます。極端な例ではインド人やネパール人に教えたこともありました(笑)。最初に料理の説明をして、その後レシピを見ながらいっしょに料理を作り、最後は作ったものを食べていただく、という形でやっています。
――教室やレシピで、スパイスなどの分量の指示が、とても厳密なのにちょっと驚きました。
僕は「少々」っていうのはほとんど使わないんです。具体的に何グラム、とちゃんと客観視できるようしています。だから受講者の中には、理科の実験みたいで楽しいという人もいますね。あと、自分も料理を始めた頃、分量で苦労した経験がある、というのもあります。まだ素人の頃、当時有名なインド料理の本を見て作ったんだけど、全然上手にできなかった。実は、その本の分量の数値がおかしくて、誰が作っても美味しくできなかったんです(笑)。だから自分が料理の本を出す時には誠実でありたいし、数値もちゃんと入れたいと思いました。それもあって、分量は厳密に伝えるようにしています。
異質なものがドカンとくるのが面白い
――渡辺さんは「カレー伝道師」として、カレーとスパイスなど、インド料理を日本で啓蒙されているわけですが、渡辺さんのモチベーションはどこにあるのでしょうか。
インドに対してのリスペクトですね。インドという国をよく知らないで、料理への興味からインド料理に入る人もいるけど、僕はインドという国からインド料理に入って、「インド料理という文化」を日本でやらせてもらっている。だから料理に関しては、インド人が日本で見たらガッカリするようなことはしたくないし、してほしくないと思っています。
――そういう事例は多いのでしょうか。
料理を取り巻く世界ではスパイス、カレーに関しての誤った情報はかなり蔓延しています。だから、それを正したいという、インド料理に関する社会正義的な気持ちですね。
――それはインドで食べた料理の感動が原点にあるのでしょうか。
それはありますね。インドはやっぱり異質で、日本で育った自分の中には全くないようなものを、ドカンと激しく持ってきてくれる。その衝撃がすごいし楽しいんですよ。だからジョージ・ハリスンやジョン・レノンがぶちあたったインドってものが自分にも面白かったんだろうし、その異質なものの楽しさを、もっと日本人に知ってもらえたら面白いんじゃないかな、と思っています。ただ、本当のインド料理の感動ってのは、ある意味「行かなきゃわからない」面もあるので、今でも年に一度はインドに行っていますし、お客さんを募って10~15人ほどでインドでの食べ歩きツアーも行っています。
「スパイスカレー」はインド料理の技術を使った日本のお総菜料理としての提案
――その一方で近著の「スパイスカレー」では、日本の食材と組み合わせていますね。
スパイスカレーは今話題になってますが、スパイスカレーの定義があやふやなんです。市販のカレールーを使ってないのはスパイスカレーと言う人が多いんだけど、それだと広すぎると思う。僕は「インド料理やインドカレーに対してスパイスカレーがある」という言い方をしています。つまりインド料理のテクニックを使ってるけど、食材にレンコンを入れてますとか、里芋が入ったカレー、あるいは厚揚げが入ったカレーというように、日本の総菜料理みたいなカレーをスパイスカレーとして本などでご紹介しています。
カレー&スパイス伝道師がおしえる
四季の食材でつくる スパイスカレー入門
渡辺 玲 (著)
――それはインドのカレーとはまた違いますね。
インドカレー原理主義者みたいに言われることもあるんだけど、僕は実は、決して頑固なわけじゃなくて、もともと柔軟性がある、応用が効く人間なんですよ(笑)。
――カレー伝道師として、今後やってみたいことはありますか。
ひとつはお酒にあうスパイス料理の追求です。「カレーやインド料理ってお酒に合わない」と言われることが多いですが、お酒を飲みながら食べて美味しいカレーもあるんですよ。それに実際芋焼酎と南インドのアラックという蒸留酒が似ているので、それに合うスパイスフードはあるんです。それを追求していくというテーマがあります。もう一つは、音楽とカレーをなんらかの形でつなげる、ということもやりたいと思っています。自分は熱しやすく冷めやすい性格で、今まであまり物事が長く続いたためしはないんですが、音楽だけは長くて、料理よりも長く付き合ってます。だからどんな形になるのかはわかりませんが、カレーと音楽で何かやってみたいと思っています。
取材に先立って見学したクッキングスタジオ「サザンスパイス」での料理教室は、スパイスの豊潤な香りにあふれ、BGMにはエルビス・コステロやJAGATARA。ロックからインドへ、そしてカレーへという渡辺さんの軌跡を感じさせてくれる、素晴らしい雰囲気のなかで行われていました。また、料理教室で作ったカレーを取材中に出していただき、これまた最高に美味で幸せな取材でした。読者のみなさんもぜひ、スパイスカレー、挑戦してみてください。とっても美味しいですよ!
※記事の情報は2019年8月30日時点のものです。
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【PROFILE】
渡辺玲(わたなべ・あきら)
東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒。ミュージシャンやレコード会社ディレクターを経て、1987年、都内の老舗インド料理店にて料理人生を開始。以後、日本とインドを往復しながら、本場ならではの深遠な食世界を体と心に染み込ませる。インド料理、和食、アジアエスニック料理などを提供する料理店のシェフ等を経て、現在は執筆、料理教室(クッキングスタジオ「サザンスパイス」主宰)、テレビや雑誌の料理監修、店舗プロデュース、企業の商品開発など幅広く活動している。
サザンスパイス ウェブサイト
https://www.southernspice.tokyo/
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