日本各地で進む街の再開発。誰が青写真を描いているのか?

都市計画

都市を創る ~都市計画のいま~

日本各地で進む街の再開発。誰が青写真を描いているのか?

いま、世界の人口の半数以上が都市に暮らしていると言われます。人間が創る最も巨大なものともいえる「都市」。私たちの生活と密接にかかわっていながら、知っているようで実は知らない「都市づくり」のさまざまな側面を、都市計画の専門家にお聞きします。第一回は「計画と開発は誰が担っているのか」に焦点を当てます。

大きく変貌しつつある東京・JR渋谷駅前

――いま東京では、JR渋谷駅の東口で、大掛かりな再開発工事の真っ最中ですね。

渋谷駅前の再開発は、ずっと以前、昭和30年代にはじまった、東京に副都心を作ろうという計画の延長線にあるものです。当時は企業は丸の内あたりに集中しすぎて通勤ラッシュや道路の渋滞もひどくなっていました。都庁も有楽町にありましたし。そこで、都市機能の分散化を図ったんです。その主な場所が池袋、新宿、渋谷という皇居を挟んで西側の三地域でした。

新宿には広大な淀橋浄水場の跡地があって、それが超高層ビル街になりました。池袋は巣鴨プリズンの跡地がサンシャインシティになった。でも渋谷にはそういうまとまった種地がなかったから、三つの地域のなかでは大規模な再開発はいちばん遅れていました。その代わり面白い街として若者が集まるようになり、パルコやBunkamuraもできて、文化の発信地として発展していったのはご存じの通りです。でも、まとまった都市開発という意味ではなかなか動かなかったんですね。21世紀を迎えるころに、日本の都市がこういう現状ではシンガポール等のアジアの都市に負けてしまうという危機感が出てきて、行政が本腰を入れて都市の再開発を推進するようになったのです。

――いまの渋谷のような都市開発を見ていて思うのですが、あれは全体の指揮をとっている総合プロデューサーのような人がいたり、部署があったりするのですか。それとも、不動産会社や電鉄会社などが、それぞれの事業としてやっているのでしょうか。つまり、再開発の主体は誰なのか、ということなのですが。

都市開発は、まず行政が大きな方針を決めます。方針の決定の前に、外部の有識者を招いて「懇談会」などを開催して意見を求めることが多いですね。その懇談会の意見を受けて、それじゃこの地域の再開発を進めようということになります。そういう意味でいうと、大枠を決めるのは行政です。渋谷の例で言うと、2005年に内閣府が渋谷を都市再生緊急整備地域というのに指定しました。2012年にはそれをさらに進めた特別都市再生緊急整備地域に指定しています。そうした地域に指定して、土地利用の規制や建物の容積率を緩和したり、税制や金融面での優遇策を取ったりして、再開発をやりやすくするんです。その国の旗振りに、不動産会社や鉄道会社などデベロッパーと呼ばれる民間の開発業者が呼応する形で、再開発が進みます。


再開発が進む東京・JR渋谷駅東口再開発が進む東京・JR渋谷駅東口



行政ができるのは誘導まで。実行は民間が担う

――でもそれだと、整備地域に指定したからといって、地主さんのほうが「いやウチは建て替えはやらないよ」と言ったら何も起きないように思いますが。

それはそうですが、渋谷駅前の場合は、不動産会社や鉄道会社などのデベロッパーはみんな、再開発はできるものならやりたかったわけです。

――なるほど、そうだったのですか。

ただ、自分たちだけ単独では進まないから、そうした行政の支援が必要だった。その支援が整備されたので、再開発が始まっているのです。つまり誰がやっているのかということで言うと、大きな方針を決めて後押しするのは行政。実際に計画を立てて、設計図を描いて実行しているのは民間のデベロッパーだということになります。

――つまり最終的な青写真は行政側が描くのではなく、民間企業がそれぞれ独自に計画を立てているということなんですか。

そうですね。大規模開発では、デベロッパーと行政は、かなり密に協議はしています。でも、内閣府がやるのは区域を指定することまでです。東京都もかかわっていますが、個別のプロジェクトについては、ある程度の方向はつけられるけれど、その後どこまで発展できるかというのは、民間に任せられます。行政は都市の発展を完全にコントロールはできません。

いま「特区」というのがいろいろ指定されています。例えば「どぶろく特区」なら、国が、お酒の製造を特区内の農業者に限って認めます。そういう規制緩和があると民間が参入してきます。でもだからといって強制的に参入させることはできません。都市開発なら、そこに国際会議向けのセンターを作るなら規制も緩和するし優遇しますよ、というところまでは行政はやるけれど、誰がやれとか、どういう形のものを作るのかまでは決められないわけです。それは現在の日本の都市づくりの仕組みの限界です。システマチックにやっているようで、将来どうなるかはわからない部分はあるんです。都市の開発は、ひとつの開発業者が絵を描く、それに誘発されて次の計画が始まる、というように進んでいきます。そこで企業が自由に発想を競うからこそ、街に活力が生まれているとも言えます



都市づくりにおける懇談会、協議会の役割

――昔の中学校の地図帳にはキャンベラとかブラジリアなんていう計画都市の地図が必ず載っていて、21世紀の世界はこういう都市ばかりになるものだと思っていました。でも現実は、ああいう都市を日本にドーンと作るのは難しいわけですね。

キャンベラやブラジリアは、元がほとんど何もない土地だったから、全く新しい首都を作ることができたのです。しかし、今ではああいうやり方はいろいろ問題があるということもわかってきています。

――でも、ヨーロッパの歴史がある古い都市などは、どこも町並みが整然としていて、統一感があって景観がキレイですよね。

それはやはりかつての領主や王様や教会などの強大な権力が統治していた時代に都市ができたためです。日本でも、平城京や平安京の区画などはまさにそれですし、江戸時代の江戸は2階建てよりも高い建物が禁止されていたから、屋根の高さが美しく揃っていました。フランスのパリは19世紀の中ごろに当時の知事だったジョルジュ・オスマンという人が大きな都市改造をやったのですが、それも皇帝ナポレオン3世という権力が後ろ盾にあったからできたんです。このときパリには、新しい道路や橋ができたり、上下水道が整備されたり、建造物の高さに制限が設けられたりしました。1870年代に日本が欧米に派遣した岩倉使節団も、完成した新しいパリを見てその美しさにとても驚いたということです。その後のパリは、基本的に現状を維持するという規制で、今も古くて統一感のある町並みが残っています。ヨーロッパの町並みがキレイなのはかつてつくられた都市を規制で守っているからです。

――つまり都市づくりというのは、昔のように強力な権力があったり、全くの更地にゼロから建設でもしない限り、なかなか一気にやるということはできないわけですね。

現代の、民主主義の国では難しいですね。その代わりに、面白い動きがこちらにあるよ、ということで民間を誘導していくわけです。誘導のために行政側は「アメ」と「ムチ」を設定します。アメは「これからはこういうことができます」というもので、ムチに当たるのが例えば「ここに高層ビルを建てるなら必ず文化的な施設も作るように」というような決まりごとのことです。ただ日本はこの「ムチ」の部分が弱いです。

――A社とB社が協力してひとつの再開発をやる、ということはないのですか。

デベロッパーは、他の開発業者との連携が可能ならば協議会を作って同時に進めます。有名なのは「大丸有」のまちづくりです。つまり大手町、丸の内、有楽町の再開発ですが、これは地権者である大手不動産会社が音頭をとっているものの、一社だけでやっているわけではありません。1980年代に俗に「丸の内マンハッタン計画」と呼ばれた丸の内再開発計画があったのですが、バブル崩壊などもあってこの計画は頓挫して、1996年発足の大手町・丸の内・有楽町まちづくり懇談会として、さまざまな企業や行政を巻き込んで再スタートしています。都市景観やにぎわいを創出するために、今回はきちんと下地を作ったうえで、慎重に進められています。結果として、歩行者空間を拡大したり、丸の内仲通りにオープンカフェが作られたりして、丸の内は人でにぎわうようになりました。こうした動きを、最近はまちづくりのエリアマネジメントと言ったりするのですが、そういうのを考える母体として協議会や懇談会が活動するわけです。

丸の内仲通り。昼間の一定時間、ランチの販売車など許可を得た車両以外は進入できない。石畳の道路上に出されたテーブルで人々がくつろぐ。丸の内仲通り。昼間の一定時間、ランチの販売車など許可を得た車両以外は進入できない。石畳の道路上に出されたテーブルで人々がくつろぐ。


――なるほど、丸の内はいまでは休日の人通りも増えて、観光名所になりつつありますが、改革の裏には、町づくりを進めるためのさまざまな新しい試みがあったわけですね。都市は、人間がパーフェクトに作り替えることは難しいけれど、だからこそ面白い、生き物のようなものだと思えてきました。渋谷の街も将来どうなっていくのか、都市計画の視点で未来像を予想するとワクワクしてきます。今日はどうもありがとうございました。


次回は、一極集中と地方都市の現状について、桑田教授にうかがいます。




※記事の情報は2019年3月15日時点のものです。

  • プロフィール画像 都市を創る ~都市計画のいま~

    【PROFILE】

    桑田仁(くわた・ひとし)

    芝浦工業大学建築学部建築学科教授(都市プランニング研究室)。1968年埼玉県所沢市生まれ。1991年東京大学工学部都市工学科卒業。1993年東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了。1995年芝浦工業大学システム工学部環境システム学科助手。講師・准教授を経て建築学部教授。日本建築学会、日本都市計画学会、都市住宅学会所属。著書に「まちを読み解く ─景観・歴史・地域づくり」(共著)、「成熟社会における開発・建築規制のあり方―協議調整型ルールの提案」技法 (共著) 「まちの見方・調べ方―地域づくりのための調査法入門」朝倉書店 (共著)など。

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