都市計画
2019.04.02
都市を創る ~都市計画のいま~
メガシティ東京と面白くなってきた地方都市
いま、世界の人口の半数以上が「都市」に暮らしているといわれます。人間が創る最も巨大なものともいえる都市。私たちの生活と密接にかかわっていながら、知っているようで実は知らない「都市づくり」について、都市計画の専門家、芝浦工業大学の桑田仁教授に、素朴な疑問をぶつけます。今回は都市機能の集中と、地方都市についてお話していただきます。
東京は周囲の街を飲み込んで大きくなった
――都市を、行政上の境界ではなく実質的な都市圏の大きさで比べた「メガシティ」としてみると、東京は、神奈川も千葉も埼玉も、茨城の一部までも含めてひとつの大きな都市圏になっていて、その人口はなんと3800万人もいるんですね。世界のメガシティのランキングでも、東京は半世紀以上にわたって世界一らしいです。なぜこんなに東京は大きくなったのでしょうか。
日本は、都市が大きいというよりも、都市と都市との間がないんです。ヨーロッパなどでは、都市の外側に農地や緑地があって、それらをしっかり守っています。
――そういえば、ヨーロッパの街は突然街が終わって田園地帯になるという印象があります。
なぜそんなふうにできるかというと、ヨーロッパは、実は可住地面積が広いからです。日本は、国土の面積でみればドイツよりも少し広いのですが、可住地面積はずっと少なくて、ドイツの半分くらいしかありません。日本の国土のうち7割は人の住めない山地で、残りの3割が可住地で、その中に農地もあるので、住む場所というのは実はとても限られているのです。
――東京の西部などは、つながっていた都市が急に深い山に行き当たりますからね。
可住地面積が少なく、人口が多いうえに、日本では農地や緑地を守っていこうというルールも弱かった。そのために、都市と都市がつながってしまった。第二次世界大戦のあと、イギリスのロンドンは「大ロンドン計画」で都市の外側にグリーンベルトを作りました。加えて「土地を開発する権利を国有化」するといった改革もやって、国が政策として進めたのです。それに範を取って東京も、1950年代にグリーンベルトを作ろうという計画が持ち上がりました。そうしたら、緑地に指定されそうになった自治体から猛反対にあってしまいました。これは当然の反応です。当時日本は急成長しようとしていたのに、なぜ我が町だけが商業地にも宅地にもできずに、農地や緑地に決められるのかと、誰でも思いますよね。そういうこともあって、グリーンベルト政策はうまくいかず、都市が広がっていきました。
――東京が中心から外側に膨らんだというよりも、農地という緩衝地帯がないから、周囲の街とつながった状態なわけですね。それで世界一のメガシティになっている。
でも、ひところに比べて中心部の人口密度は下がっているんですよ。一例をあげると東京の中野区の人口が最も多かったのは昭和40年代です。あのあたりは学生も多くて、狭いアパートに大学生が二人で住んでいたりしました。中野区は神田川が流れていますが、まさにフォークソングの「神田川」の世界です。かなりの高密居住でしたよ。いまはもうそういう学生は少ないでしょう。中野区も当時よりはゆったりとした街に変貌しています。
――「神田川」は3畳に二人ですからね。でも大学生のライフスタイルくらいで人口密度が変わるものなんですか。
東京には大学生だけで何十万人もいるのだから、その人たちが住み方を変えれば人口も変わりますよ。いまの学生は多少郊外になってもキレイで広い部屋に住んでいます。そういうこともあって、都市は広がっていますが、密度は下がっています。
――たしかに、平成のはじめのころの東京は、平日の昼間にクルマで新宿から上野まで移動することになったりしたら、2時間は覚悟することもありました。でも今なら40分もあれば着けると計算できます。地下鉄ができたり、道が広くなったり、首都高速道路も新しい環状線ができたりして、確実に住みやすくなっていますね。
行政や企業がいろいろな苦労をしながら町作りをしていますから、どんどん良くなっていきます。一方で、千代田区や中央区など都心部は、90年代の半ばくらいまで人口が減り続けていました。そこで、いろいろな規制緩和をしたり、オフィスだけではなく一部に居住もできるビルを作ってもらうというような規制も行って、湾岸地区を中心に、いまでは人口が大幅に戻ってきています。
――東京が住みやすくなったのはいいのですが、これから少子化が進んでいくので、広がってしまった東京の外側の部分は少し心配ですね。
それはあります。高度経済成長期にマイホームは郊外に広がりましたが、高齢化が進む一方で新しい人が入ってこない結果、人口が減って空地・空き家が増えてしまう、いわゆる「スポンジ化現象」というのが起きているんです。こうした場所では、そもそも土地や建物を新たに使いたいという人が少ないうえに、持ち主が管理を放棄してしまうのです。その結果、使いたい人がいても手続きが進まず放置されてしまう、という悪循環に陥っているのが現状です。
――東京の西部にある多摩ニュータウンでも、高齢化が心配されていますね。
多摩ニュータウンは1960年代に、新たに丘陵地を切り開いて作った街なので、坂道や階段が多くてバリアフリーでないことが、いま高齢者が住むにあたって課題になっています。街を作った当時は若い人が住んだので問題はなかったのですが。
――少子高齢化が進んで状況が変わってきたのですね。
ここまで急速に進むとは予測できていなかったと思います。あるいは懸念はあったかもしれません。でも、当時は何とかして人が住む場所を作る必要があったのです。ニュータウンを作って、その人たちが働いて子育てをして、一定の役割はちゃんと果たしたんですよ。これからどうするかは難しい面があるのですが、高齢者に住みやすい住宅に建て替えたり、民間による高層マンションの建設など、一部では再開発も進んでいます。デイサービスのような生活支援施設にしても、今までは規制が厳しくてそういうものを作るのは難しかったところを、規制緩和して参入できるようにしようとか、そういう動きになっています。
インバウンドを機に進む魅力的な街づくり
――東京が世界一に大きくなって、いまその反動で周囲にスポンジ化も起きているのはわかりました。もうひとつ「東京だけ」が大きいという課題もあると思います。例えばアメリカでもドイツでも、いろいろな都市に世界的な有名企業の本社がありますが、日本はなかなかそうなっていきませんね。
アメリカは「合衆国」、ドイツも「ドイツ連邦共和国」ですから、法律も違ったりして、州が強い権限を持っています。先ほど言ったよう可住地も広いから都市と都市の間は農地や緑地で切り離されていて、各都市それぞれが個性的に発展していきました。それに対して日本では地方分権や機能分散はあまり進まず、戦後ますます東京に集中しました。とはいえ、いまは地方都市も元気なところが出てきていますよ。たとえば北九州市。小倉や門司など、リノベーションがうまくいって魅力的な街になっています。九州は総じてとても元気ですね。金沢でも姫路でも、歴史的な建造物や町並みをうまく保存しながら人が暮らしやすくて魅力的な街づくりを進めています。インバウンド人気で日本にたくさん海外から観光客が来るようになったこともあって、街づくりという点ではどんどん面白くなっているのです。
――これから各都市がいい感じに魅力を増していったら、企業も本社を置くようになるのではという期待ができますね。ところで、街づくりというもので、一番大切なポイントになるのは何なのなのでしょうか。建物ですか。道路なのでしょうか。
都市にはいろいろな要素がありますが、道路はとても重要ですよ。
――それはクルマ社会だからですか。
その前に、人だってその上を移動するし、上下水道やガス、電気なども道路がなければ通せません。
――上下水道やガスは、地下をどこでも縦横無尽に通っているのかと思っていました。
いや違います。基本的に公共空間である道路の下を通っているのです。水やガス・電気にアクセスしていなければ今の人は生きていけませんから、都市には必ず道路が必要です。だから道路は、新しく作るのも難しいけれど、廃路にするのはもっと難しかったりします。もちろんクルマの走る道としても重要です。ところが、ヨーロッパでは60年代から徐々に、、街の中心市街地を大切にしようということで、クルマが入ってこないようにして、中心部に人のにぎわいを作る都市が増えました。アメリカでもニューヨークの真ん中、タイムズスクェア周辺などブロードウェーの一部が歩行者専用化されました。また、車の代わりに、LRT(新しいタイプの路面電車)のような公共交通機関を充実させる傾向にあります。ヨーロッパの中では国を超えてどんどんこういう都市が増えていきました。道路の役割も変わってきているのです。
――日本だと、都心でも住宅街でも、クルマがけっこうな速度で走っているから、素敵なオープンカフェに座ってもちょっと落ち着かないことがありますよね。
日本では、店舗の前に駐車できないとお客さんが来なくなるのではないか、商用車が締め出されたら物流ができなくなるのではないか、という不安が先に立って、街の中心部から車を締め出すのはなかなか難しいのが現状です。しかし、工夫の余地はあります。中心部に車が入ることのできる時間を決めたり、荷さばき集約場を作ってそこから先は荷車で荷物を運ぶようにしたり、そういうルールを整備する試みが始まっています。そうした都市における物流機能のあり方を専門にしている研究者もいますよ。
――そういえば宅配便も、都心では手押し車で配送するようになっていますね。
そうですね。私の勤めている大学は東京の江東区豊洲にあるのですが、最近では、大学の前の道路でも、クルマは比較的ゆったり走るようになって、横断歩道では確実に停まってくれるようになりました。道路の使い方や制度面でも、ドライバーの気持ちという面でも、車社会のあり方が、少しずつ変わってきているような気がします。
――なるほど、都市の魅力というのは、自然環境や景観、道路や建物はもちろん、ルールや、そこに暮らす人の心持ちまでが積み重なって、作り上げられるということですね。今回も興味深いお話をありがとうございました。
※記事の情報は2019年4月2日時点のものです。
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【PROFILE】
桑田仁(くわた・ひとし)
芝浦工業大学建築学部建築学科教授(都市プランニング研究室)。1968年埼玉県所沢市生まれ。1991年東京大学工学部都市工学科卒業。1993年東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了。1995年芝浦工業大学システム工学部環境システム学科助手。講師・准教授を経て建築学部教授。日本建築学会、日本都市計画学会、都市住宅学会所属。著書に「まちを読み解く ─景観・歴史・地域づくり」(共著)、「成熟社会における開発・建築規制のあり方―協議調整型ルールの提案」技法 (共著) 「まちの見方・調べ方―地域づくりのための調査法入門」朝倉書店 (共著)など。
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