ヨーロッパの都市で進む歩行者空間化

JUL 2, 2019

太田浩史さん(建築家), 桑田仁さん(芝浦工大教授) ヨーロッパの都市で進む歩行者空間化

JUL 2, 2019

太田浩史さん(建築家), 桑田仁さん(芝浦工大教授) ヨーロッパの都市で進む歩行者空間化 世界の人口の半数以上が暮らしているといわれる「都市」。今回は「都市の再生」をテーマに、建築家の太田浩史さんと、芝浦工業大学の桑田仁教授にインタビューしました。2回に分けてお届けする本編、前編ではイギリスの例を中心とした、ヨーロッパの街づくりに関するお話です。

人間のための道。グラスゴーのブキャナンストリート

――お二人は昨年、イギリス各地の都市を視察して来たそうですが、どのような目的で、何を見てきたのですか。

建築家 太田浩史さん

太田:桑田さんと去年イギリスに行ったのは、その15年前、2003年にも一緒に旅してまわったからなんです。2003年のイギリス行きは、建築家のリチャード・ロジャースさんの「都市、この小さな国の」という本を翻訳したことがきっかけで、彼が書いていたイギリスの都市再生をよく見てみようと考えたからでした。

桑田:本は太田さん中心に翻訳をしたのですが、同時に研究チームを結成して、都市再生をテーマに日本の事例や海外の事例も含めてまとめてみようということで、助成金を受けて視察に行ったというのが経緯です。

太田:翻訳してからイギリスの都市再生を見に行ったわけで、順番は逆になってしまいましたが、おおむね翻訳は間違っていなくて良かったです。その旅で行ったイギリスの街は、すでに想像以上に活気があって、結構なショックを受けました。ロンドンはもちろんですが、バーミンガムがとても活気があって、いいなと思ったんですよね。その後マンチェスター、リバプール、グラスゴーまで行きました。

桑田:あのときに行ったグラスゴーのブキャナンストリートも、歩行者で活気にあふれていて、すごくいい景観だったのを覚えています。

太田:ブキャナンストリートはその後も3回ほど行き、最近では東京渋谷区の都市再生のための調査で、一昨年訪れました。渋谷の宮益坂や道玄坂に歩行者空間化の構想がありまして、坂道の歩行者空間であるブキャナンストリートは参考事例として最適なんです。

グラスゴーは道路が碁盤目状になった工業都市ですが、その街のど真ん中の道を1本、歩行者空間にしてしまった。クルマはなかなか渡れない。ここまでやるかって思いました。こういうところを止めてでも、人間のための街路を作るんだなって感動しました。

歩行者空間化されたグラスゴーのブキャナンストリート歩行者空間化されたグラスゴーのブキャナンストリート



コペンハーゲンからはじまった歩行者空間化

――道路を歩行者専用にする動きはヨーロッパの都市の潮流なのでしょうか。

桑田:たぶんはじめは60年代、デンマークのコペンハーゲンのストロイエという通りを歩行者専用にしたのがきっかけだったと思います。

桑田仁さん(芝浦工業大学建築学部建築学科教授)

ストロイエの歩行者空間化の話が持ち上がったとき、コペンハーゲンの市民は「我々はイタリア人じゃないんだから、道が歩行者専用になったからといって沿道のカフェでお茶を飲んだりしないって」などと言っていたんですよ。ところがフタを開けたら大人気になった(笑)。北欧だから寒いんですけど、カフェの街路沿いの席でお茶を飲むという習慣があっという間に広がっていきました。

――それが他の都市にも伝播したんですか。

桑田:ヤン・ゲールという有名な都市デザイナーがいて、その人がストロイエをきっかけに都市のペデストリアン化つまり歩行者空間化のことを研究して、論証・実証していったんです。それが世界に広まって、日本でも紹介されるようになりました。

太田:ヤン・ゲールの事務所はコペンハーゲンの事例を紹介しながら、世界各国、いろいろなところでコンサルテーションをやっているんですね。メルボルン、ニューヨーク、ハノイの歩行者空間化にも関わった。特にニューヨークは、コペンハーゲンの空間の作り方を学んで、実行していった経緯があります。日本でも2014年に国交省がヤン・ゲールを呼んでから、社会実験のデータを使って実証的に歩行者空間化を推進するようになりました。

桑田:ニューヨークのタイムズスクエアあたりは、そうやって歩行者空間化をどんどん進めているけど、アメリカのほうがヨーロッパよりちょっと遅かったですよね。



工業都市バーミンガム、戦後二度目の再生

――そして昨年またイギリスに視察に行って、15年前と比べて進化が顕著だった都市はどこだったのでしょうか。

太田:それはもうバーミンガムですね。都市の構造をどんどん作り変えているのにびっくりします。ダイナミックなんですよ。三次元的に。

――バーミンガムは、イングランド中部の都市ですね。

桑田:ロンドンの北西にある内陸の街です。街の中に運河が通っています。幹線道路の上に、都市の再開発でできた歩行者用道路が交差しているんですけど、そのことに全く気づかないぐらい極めて自然に、人が通る空間がつながっているんですよ。

太田:バーミンガムは産業革命発祥の地で、いろいろな工業製品を作っていたので、第二次世界大戦でドイツ軍の標的にされて空襲を受けてしまいました。そして戦後、焼け野原になってしまった街の真ん中に、立派な自動車用の環状道路を作ったんです。バーミンガムは当時のイギリスのなかでも最も近未来的な街、通称「モーターシティ」になった。中心部を囲む環状道路はコンクリートカラーと呼ばれました。つまりコンクリートの「襟」です。

桑田:渋滞する中心市街を避けて、クルマが外へサッと出ていけるようにコンクリートカラーを作って、中心市街を残したわけです。ところがそうしたら逆に、街の中心部がすごくアクセスしにくくなってしまって、さびれていってしまいました。

――道が城壁のようになってしまったんですね。

太田:そうです。道路によって街の真ん中と外が隔絶されてしまって、元々の中心市街から人がいなくなって衰退してしまいました。

でも、それに早く気づいて、80年代後半から都市の再生、再開発が始まった。そのコンクリートカラーを壊すのではなく、それを越えるブリッジをいくつも作っていきました。そのひとつがこの橋です。運河のところに集合住宅とか国際会議場を作って、そこから街の中心部まで人が行き来できる道を作ったんです。

バーミンガムの「コンクリートカラー」を渡る歩行者専用の街路バーミンガムの「コンクリートカラー」を渡る歩行者専用の街路


桑田:日本でブリッジというと、いわゆる「橋」という感じですけど、バーミンガムのブリッジは周辺とのつながりがすごく自然で、あまり意識しないで歩けて、そのままフラッと建物に入れるんです。建築と空間が一体化している印象を受けます。


――「Googleマップ」を見ると、工業都市というより、観光に行きたくなるような街ですね。


太田:都市開発ということでは、ヨーロッパ大陸も含めたなかで、僕はいまバーミンガムが一番面白いと思っています。

――つまりバーミンガムは、戦後の二度目の街づくりをやっているんですね。

桑田:そうです。バーミンガムに限らずイギリスの多くの都市で大戦後に街が再建されましたが、その後70年代から80年代は不況でイギリス全体に元気がなくて、街も荒廃して、パンクロック等のカルチャーを生む土壌にもなったりしました。

太田:工業国だったイギリスが、70年代ころに自動車メーカーをはじめとする産業が衰退して、それと連動して街も寂れたんですね。その街の再生が90年代後半から進んできたんです。

桑田:現在のイギリスの都市は、非常に元気ですよ。

出会いや発見を生み出すことが、街の大事な機能

出会いや発見を生み出すことが、街の大事な機能

――歩行者用の道路を作ると、何がどう良くなるのですか。

太田:先ほど話に出たヤン・ゲールの言い方を借りれば「社会的インタラクションが増える」ということです。街を歩いている人は目的があって歩いているわけですが、歩いている途中に何か素敵なものを見かけたら、それを買ったりするという付随的なアクションがあります。その付随的なアクションが大事なんです。歩いていると知り合いと会ってちょっと立ち話するとか、待ち合わせまでの時間をカフェで過ごすとか、そういう目的とは別の行動がいろいろな出会いや発見を生むので、それが大事だとゲールは言ったんです。

――そのアクションが、人生も社会も豊かにするということですね。

太田:そうです。そしてそういうのを見つけることができるというのが、街の大事な機能なんです。

桑田:近代都市計画の反省もあったと思います。コペンハーゲンのストロイエも、かつては中心街にクルマが入ってきた時期があって、街の広場が駐車場になってしまったという経緯があった。ヨーロッパは古くからの街を残しているから、都市の住人の多くは自宅の敷地内に駐車場がありません。すると路上駐車が多くなる。だから日本より路駐が多くて、そのことも歩行者を歩きにくくしていたんですね。

太田:映画の「ニュー・シネマ・パラダイス」を憶えていますか。イタリアのシチリア島の小さな街の映画館で多くの時間を過ごした少年が、大人になって映画監督になって帰ってくるという話ですが、あれは街の広場をめぐる話でもあるんですよ。主人公が少年だったころは広場にたくさんの人がいて、いろんなドラマがあった。大人になって街に戻ってくると広場がクルマで埋め尽くされて、みんなが集まっていた広場の面影はなくなっている。

――「ニュー・シネマ・パラダイス」は80年代後半に公開された映画ですから、時期が合っていますね。

太田:実際に、あの映画のような街の変化は、当時のヨーロッパのあちこちで起こっていました。その反動で「アメリカ的なクルマを中心とした空間作りはヨーロッパには合わない」という議論が巻き起こったんです。1963年にイギリスで自動車中心のまちづくりを見直すレポートが出て、それがヨーロッパ中に影響を与えました。前年に歩行者空間化をしていたコペンハーゲンへの注目もあって、各地で歩行者空間化の事例が続きます。象徴的なのは1972年で、ドイツのミュンヘン、ブラジルのクリチバ、日本の旭川に恒久的な歩行者専用道が作られます。

――日本での草分けは北海道の旭川ですか。意外です。

太田:そうなんです。このときはまだ交通問題への対応策としての側面が強かったと思いますが、次第に中心市街地の活性化、特に都市生活の質の向上という視点で評価されてきます。それが1990年代以降のヨーロッパの都市再生の中心的な考えになっていきます。

――「都市の再生」を考えるうえで、歩行者が自由に歩ける道路を作ることは、いま世界的なテーマなのですね。

太田:東京だって、人気がある場所といえば上野のアメ横や浅草の仲見世通り、渋谷のセンター街、原宿の竹下通りとか、みんな歩行者用の道ですよね。自由に歩けるところに人は集まってくるんですよ。それをもう少し大きなスケールでやっているのがイギリスを含めたヨーロッパなんです。


※記事の情報は2019年7月2日時点のものです。


後編へ続く

  • プロフィール画像 太田浩史さん(建築家)

    【PROFILE】

    太田浩史(おおた・ひろし)
    建築家。博士(工学)。1968年東京都大田区生まれ。1991年東京大学工学部建築学科卒業。1993年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。1993~1998年東京大学生産技術研究所助手。2003~2008年東京大学国際都市再生研究センター特任研究員。2009~2015年東京大学生産技術研究所講師。2015年より株式会社ヌーブ代表取締役。東京ピクニッククラブを2002年より共同主宰。主な作品に「久が原のゲストハウス」「PopulouSCAPE」「矢吹町第一区自治会館」など。著書に「SSD100-都市の持続再生のツボ」(共著)、「シビックプライド」「シビックプライド2」(共著)、「コンパクト建築設計資料集成[都市再生]」(共著)など

  • プロフィール画像 桑田仁さん(芝浦工大教授)

    【PROFILE】

    桑田仁(くわた・ひとし)
    芝浦工業大学建築学部建築学科教授(都市プランニング研究室)。1968年埼玉県所沢市生まれ。1991年東京大学工学部都市工学科卒業。1993年東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了。1995年芝浦工業大学システム工学部環境システム学科助手。講師・准教授を経て建築学部教授。日本建築学会、日本都市計画学会、都市住宅学会所属。著書に「まちを読み解く ─景観・歴史・地域づくり」(共著)、「成熟社会における開発・建築規制のあり方―協議調整型ルールの提案」技法 (共著) 「まちの見方・調べ方―地域づくりのための調査法入門」朝倉書店 (共著)など。

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