大切な時間、そして別れ。S君に捧げる

【連載】仲間と家族と。

ペンネーム:熱帯夜

大切な時間、そして別れ。S君に捧げる

どんな出会いと別れが、自分という人間を形成していったのか。昭和から平成へ、そして次代へ、市井の企業人として生きる男が、等身大の思いを綴ります。

イラスト:Hiromichi Ito

 昨年、60歳を迎え、法律上は高齢者とは言えないようだが、「シニア」という世代に入ったようである。記憶をたどれば、世の中にも自分の人生にもいろいろなことがあったと思う。年末には昭和の大事件とか、未解決事件とか、懐かしい歌の番組が放送され、こんなことあったなあとか、この歌が流行っていた時にこんなことがあったなあなどと、ノスタルジーに浸ったりしてしまう。これが年を取るということか。


 人生も60を超えると、寂しい別れも増えてくる。昨年4月には、高校時代に一緒にバンド活動を行っていた時のギターの友人S君が鬼籍に入った。彼とはいつでも会えると思い、30数年も会っていなかった。特に何かあって疎遠になったわけでもないのに。心から悔やまれる出来事だった。


 たまたま3年ほど前に別の友人、以前この連載で紹介した友人K君と再会する機会があり、そこからK君とは定期的に会っていた(記事はこちら)。彼と会う中でドラムを担当していたH君とも再会し、そのH君がS君とずっと交流があるということで、今度4人で会おうとなったのが、昨年の1月頃の話。4人のLINEグループをつくってもらい、そこから私はS君とLINEでのやり取りが始まった。


 その時、S君は入院中だったが、近々退院する予定なので久しぶりに会おうという話になったのである。一旦退院したようなのだが、すぐに容態が悪くなり、再入院したと聞き少しだけ嫌な予感がした。再入院後もLINEで数度やり取りできたのだが、時々文章の中に誤字や脱字があり、あまり本調子ではないのかと思っていた。


 2週間ほどしてH君から連絡があった。S君が緩和ケア病棟に入っていて、ご家族が会える時に会ってほしいとおっしゃっているとのことだった。バラバラと行くのもどうかと思い、H君、K君と私の3人で病院を訪れた。


 すでに麻酔で眠っている状態で会話はできなかった。S君の耳元で名乗り、また君のギターで歌わせてくれと伝えた時、偶然だと思うが彼の目から涙がすっと流れた。聞こえたのかな、聞こえたと思いたいと涙があふれた。


 いつでも会える、まだまだ時間はたくさんある、そんなことを理由に30年以上が経ってしまった。病室で横になっているS君の姿に、悔やんでも悔やみきれない後悔と痛恨の念があふれ出した。時間は戻せない。戻りたくても戻れない。


 S君は、ブリティッシュロックが好きだった。高校時代に彼と気が合ったのは、お互いにレッド・ツェッペリンという英国ロックバンドが特に好きだったこと。私が憧れたジミー・ペイジというギタリストのリフ(フレーズ)やソロを完璧に弾きこなしていたS君。私はチャレンジしたものの、ギターは挫折した人間。S君が本当に羨ましかった。いや憧憬の念を抱いていた。


 バンドでの練習以外に個人的に自宅を行き来していた。そんな時は彼がギターソロを聴かせてくれ、それに合わせてボーカルを合わせるなんて遊びを良くしていた。私は音楽の才能がないので、楽譜も読めなければ、当然アドリブなんてもってのほか。そんな私に「良いんだよ、感じたとおりに声を出せば」と彼はよく言ってくれた。


 レコード(当時はCDもなく、ましてや音楽配信なんて影も形もない時代)と全く同じギターソロやフレーズを弾きこなしたかと思うと、聞いたこともないフレーズやバッキングを弾き始める。あふれ出るような彼のギター演奏に圧倒された。彼のフレーズは基本的にはマイナー調で、どこか物悲しいものが多かった。当時のブリティッシュロックはそういう曲が多かった気がするから、そこからの影響なのかもしれない。


 H君から聞いたのだが、S君は大学に進んでからもギターを離さなかったようである。病室のお見舞いには大学時代の仲間の方々もいらしていた。詳しくは聞かなかったが、大学生になったら、きっとブリティッシュロックなんて弾かずに、ジャズとかブルースとか大人な音楽を演っていたんだろうな。そんな彼の演奏も一度は聴いてみたかったと思う。私には、小柄な身体で仰け反り、ステップを踏みながらハードロックを演奏するS君の姿しか想像できないが、きっとムーディーな雰囲気の中、ハットでもかぶりながら、すまして演奏していたのかなと考えてしまう。少し笑ってしまうが......。


 社会人になって一度だけ彼と演奏したことがあった。先ほど書いた高校時代の友人(K君、H君、S君とは別の)SS君の結婚式2次会でK君、S君と私で余興として音楽を演奏してほしいと、SS君自身からの依頼があって集まったのである。


 演奏したのはエルビス・プレスリーの曲。S君がギター、K君がベースと足でタンバリン、私が歌。ドラムなしで3曲ほど演奏した。エルビス・プレスリーの曲を選んだのはK君だった。1950年代の第一期黄金時代からの選曲で、私は恥ずかしながら全く知らなかったが、やはりK君はさすがで、その軽快なテンポとノリが結婚式2次会の雰囲気に妙にマッチしていた。高校生の時の殺気立った感じは抜け落ちて、SS君を祝う会という本来の目的よりも3人が音楽を楽しんでしまった。


 私はSS君の友人をほとんど知らなかったので、勝手に自分たちの演奏の「観客」だと思い込んで陶酔していた。正直に言うとS君のギターはアメリカンロックには合わない。それはK君も指摘していた。でも多感な時期に全力で向き合い、意見をぶつけ、時には喧嘩にまで及んだ仲間との演奏は、お互いを知り尽くしている安心感と懐かしさがあった。まさに至福の時間だった。


 2025年4月、3人で病室を訪れたわずか1週間後にS君は天に召された。享年59歳。


 彼からLINEで送られた最後のメッセージ。


 「君の格好良いトーンとフレーズに合わせて、またギターを弾きたいな」


 このメッセージをもらった時には、こんなに早く彼が逝ってしまうとは思っていなかった。今更ながら自分の浅はかさを呪う。


 彼が逝ってからもうすぐ1年。また春の風が吹くころに彼を思い出す。


 こちらに4人でそろうことはできないけど、そっちに4人がそろうことはできるな。その時には演奏する曲で喧嘩せずに、楽しくやりましょう。みんなで集まった自由が丘の「LOFT」も閉店してしまいました。渋谷の「B.Y.G」はまだあるみたい。そっちでまた4人で飲めるアメリカンバーとイケてるライブハウスを探しといて。


With all my love, I look forward to the day we meet again.


※記事の情報は2026年3月17日時点のものです。

  • プロフィール画像 ペンネーム:熱帯夜

    【PROFILE】

    ペンネーム:熱帯夜(ねったいや)

    1960年代東京生まれ。公立小学校を卒業後、私立の中高一貫校へ進学、国立大学卒。1991年に企業に就職、一貫して広報・宣伝領域を担当し、現在に至る。

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