「らしくない」生き方

【連載】仲間と家族と。

ペンネーム:熱帯夜

「らしくない」生き方

どんな出会いと別れが、自分という人間を形成していったのか。昭和から平成へ、そして次代へ、市井の企業人として生きる男が、等身大の思いを綴ります。

 2023年の誕生日を迎えると私は58歳になる。若い頃には自分の人生を思い返すことなど全くなかったが、近頃はそんな時間も少し増えてきたような気がする。昨年、4年患っていた母が鬼籍に入り、両親がこの世からいなくなった。次世代を担う息子や甥を除けば、血のつながった家族はいよいよ妹だけになった。その妹も50歳。妹も私も人生の岐路は過ぎている。


 そんな私が自分の人生を振り返ってみて思うこと。なんとも素直ではなく、真っ直ぐでもなく、回り道ばかりで、寄り道が多かったと思う。どうしてもっと素直に真っ直ぐ歩むことができなかったのだろうか。後悔しても何も取り返せないのであるが、改めて振り返ると考え込んでしまう。 かすかな記憶でしかないが、幼少期は気弱であったが、素直な子どもだったと思う。事実そのように母からも聞いていたので。それがいつからか体制に迎合することを認めず、反抗し集団に染まらないことを自己表現だと思うようになってしまったのか。どうしてもそのきっかけは父との死別に行き着いてしまう。


 母子家庭になると当然のことだが、親は母親だけになる。親を敬い、大切にすると、「マザコン」という言葉がついて回る。本当は自分が意識するほどには周囲は何も感じていないのに、勝手にそう思われると勘違いをして、先回りしてわざと母親を突き放すような生き方や言動をするようになっていく。いつの間にかそれが自分の生き方や考え方になっていくのだろう。ただ本当に自分の素直な気持ちは全くそんなことは求めていないのに、である。自意識過剰というか、若気の至りというか。


 顕著になってきたのは中学以降である。私の通った中高一貫校(以下T学園)は当時校則が厳しく、文武両道を謳い、創立間もなかったが、いわゆる一流大学への進学率を急速に伸ばしていた。本当に優秀な人間が集まる中学や高校ではなく、名門と呼ばれる優秀な中学や高校に入れなかった人間を集めて、厳しい校則や指導方法で強制的に教育していく学校だった。それゆえ、当時のT学園の生徒は素直で優秀だが、自分の意志で進むことができない、という評判だった。自分の意志を持つことを要求されなかったからであろう。また厳しい校則で髪型や服装まで強制されていたので、T学園生は「ダサい」と言われていた。思春期の男子にはとても耐えがたいレッテルだった。


 当時の私はそういう学校に反抗し、T学園の生徒「らしくない」と言われるような言動を続けていた。世の中に勝手に貼られるレッテルに抵抗し、自分だけは違うのだと主張したいがために、やる必要のないことまでやり過ぎて、自分の素直な気持ちを封印してしまっていた。例えば髪型を決められれば従わず、隠れて服装も違反のものを身に着ける、先生には授業で異なる意見をぶつけていくなどなど。


 自分の本質を見つめて、そこに向けての疑問や質問であれば進歩にもつながるが、当時の私の生き方は、「らしくない」ことにこだわるばかりに、なんにでも反抗する単なる自分勝手な人間のそれだったのである。


 大学生になっても、私の通った大学は変人が多いといわれる学校だったので、「らしくない」ね、と言われることが自分の承認欲求を満たすことになっていた。研究室に進んでも、研究者「らしくない」ね、と言われることで、就職しても、その会社「らしくない」ね、と言われることで承認欲求を満たしていたのだと思う。なんでもっと素直に組織や仲間と一緒に進むことができなかったのだろうか。余計なことにエネルギーを使ってきてしまった気がする。


 ここまでは自分の生き方をネガティブな面で振り返ってきたが、別の面、いやほかの考え方で振り返ると、「らしくない」ことにこだわることで生まれてきた面も多くあったとも思う。組織やグループに対してアンチテーゼを投げかけるには、その良い面と悪い面を把握しなくてはならない。


 中学時代は単なる反抗だったと思う。でも高校ぐらいからはもう少し深く考えるようになっていった気がする。そうなると、盲目的に組織に従うことでは見えないものが見えてくる。そこに一石を投じることは勇気とともに意志も必要になる。特に社会人になると批判するだけでは評論家で終わってしまう。自分の意見を具現化できなければ、それは仕事とは言えない。


 こんな生き方だったので、組織の伝統とは違った位置から見たり、感じたりすることが身に付いている。58歳を迎える今は、伝統や良い面をいかに殺さずに、より良いことやさらなる進歩をどうするかということにつなげるように考えていくことを学んだと思う。そこには今までの、「らしくない」生き方が生きている面も多くあると思う。


 自己中心的な単なる反抗のための反抗から、少しずつ変わってきた遠因には2つの出来事があった。1つは息子の所属する学童野球の監督を引き受けたこと、もう1つは6年前の転職である。前者では、バックグラウンドが全く異なる父親たちと一緒になって、小学生が野球を楽しむための指導をするという経験。それは従来のチームの伝統とともに時代に合った練習や指導をしなくてはならない。野球経験のない私が、経験のあるほかの父親の助けを借りて子どもたちと向き合う。ここには自分の「らしくない」ことなどは全く意味を持たない。捨て身でやるしかない。子どもたちにとっての時間はその時しかないから。


 後者の転職では、新しい会社では、私の存在自体が「らしくない」そのものであり、そのままでは異物でしかないという経験をしたこと。「らしくない」異物の私が、新しい会社の伝統ややり方、考え方などを少しでも理解して、この会社を心から敬愛することが何よりも大切だと感じた。5年経ってはいるが、まだまだである。それでも少しずつ仲間と認めてもらえたと感じる瞬間が増えた。自分の経験や考え方を私がさらけ出すことで、この会社のために少しでも利用してもらえたらうれしい。この2つの経験が独善的な私の「らしくない」生き方を進化させてくれたと思っている。


 あと何年働くことができるのか。先のことは全く分からない。再来年には息子も社会人になる。今のところ息子は私とは異なり、組織の中でも、グループの中でもきちんと行動できているようだ。時に意見の違いに悩むこともあるようだが、それはどこでも、いつでも必然なので、今の経験から学んでくれればよいと思う。彼は自分の生き方を模索している。私も58年間の人生で行き着いてきた生き方をこれからも続けていく。でももう少しだけ素直に、真っ直ぐに進めるように、「らしくない」にあまりこだわらないようにしたいと秘かにもくろんでいる。


※記事の情報は2023年2月7日時点のものです。

  • プロフィール画像 ペンネーム:熱帯夜

    【PROFILE】

    ペンネーム:熱帯夜(ねったいや)

    1960年代東京生まれ。公立小学校を卒業後、私立の中高一貫校へ進学、国立大学卒。1991年に企業に就職、一貫して広報・宣伝領域を担当し、現在に至る。

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