40年の時を経て始まった「理想の町づくり」

【連載】人生100年時代、「生き甲斐」を創る

小田かなえ

40年の時を経て始まった「理想の町づくり」

人生100年時代、「あなた」はどう変わるのか。何十年も前から予測されていた少子高齢社会。自分に訪れる「老い」と家族に訪れる「老い」。各世代ごとの心構えとは? 人生100年時代をさまざまな角度から切り取って綴ります。

イラスト:岡田 知子

駅前通りに建機が集結!

あれは40年ぐらい前のこと。役所から最寄り駅周辺の再開発計画に関するチラシが届いた。一般家庭向けのお願いとして"2階の窓辺にプランターボックスを設置し、花を植えましょう"とイラスト入りで書かれている。当時の我が家は木の香り漂う新築で、私も希望に満ちた20代。景観を良くする案には協力を惜しまず、もともと付いていたプランターボックスに大好きなパンジーを植えた。


そして月日は流れ真新しかった家は煤(すす)け、パンジーどころかプランターもなくなって、夢いっぱいの20代だった私は......いや、多くは語るまい。


その忘れ去られた(と思っていた)再開発計画が、昨年ようやくスタートしたのである。駅前通りの左右にあった建物は1車線分後ろに下がり、あちらこちらで工事が始まった。


工事となれば建機の出番! アクティオノートにエッセイを掲載している身でこんなことを言うと嘘っぽいかも知れないが、実は私、子どもの頃から建機が好きだったのですよ、ホントに。とくに建機の中でも大きいものや背の高いもの、いわゆる重機と呼ばれる種類を見かけるとワクワクする。


一般住宅の建築に重機の出番はほとんどないけれど、以前、近くでマンションを建設していた時期は楽しかったな。事前に近隣調査が入ったときからどんな重機が来るのか待ちわびて、工事中は駅までの往復に現場付近を通るのがうれしかったものだ。


そして今、最寄り駅近くにはさまざまな建機が集結している。空高く伸びるクレーン、ちょっといかついバックホー、もちろんアクティオのロゴが入った建機も常駐。単純な私は自分まで工事の関係者みたいな気持ちになり、交通整理をしている方たちにニッコリ笑って挨拶する。べつに話しかけたりはしないが、もしかすると愛想の良い......いや、愛想が良すぎて不気味なオバさんだと思われているかも。


というわけで駅周辺の再開発には興味津々なのだが、人間は天邪鬼なもので何かが変わるとなると必ず寂しさもセットになってやってくる。とくに私はその傾向が強く、ちょっとした変化にも狼狽(うろた)える。部屋のカーテンを取り替えただけで1週間ほどプチ鬱になった時は、さすがに自分でも驚いた。


それがわかっているので、私は工事が始まる前の古い駅前をスマホで撮影しておいた。40年前からあったケーキ屋さんはやがてアイスクリーム屋さんになり、最後はコンビニ。アルバムには今や道路となった懐かしいコンビニが残っているが、これ、あったほうが良かったなあ。心理的なことだけじゃなく、利便性でも。住民にとって、お店は多ければ多いほど良いのだ。


などと思っていたら、役所の市街地整備に関する部署からメールが届いた。町がどんなふうに変われば居心地が良くなるか、というアンケートである。対象者は現在工事中の駅前通り近辺に住む人たち。面白そうなので思いつくままにポチポチと書いて返信したら、後日、未来の町づくりを考えるワークショップのお知らせが届いた。未来のことなんか何ひとつ考えていない私ではあるが、せっかくの機会なので参加させていただくことに。




ワークショップで"幸せな時間"を描こう

さて当日、家の近くにある公民館(ここも建て替えたばかりでピカピカ)へ行くと、老若男女合わせて40名近い人々が集まっている。私と同世代の仲間もチラホラ。


役所の方によれば、アンケートの回答者を世代別にざっくり分けると、シニア、壮年、子育て層、学生がそれぞれほとんど同じ割合で、男女比もピッタリ半分ずつだったとか。面白いだけじゃなく、これはかなり注目すべき点だ。なぜなら年齢性別関係なく、地域住民全員が町づくりに興味を持っている証拠だから。


このワークショップは第1部と第2部に分かれており、第1部は町づくりの専門家が進行役で、さまざまな活動をしている方たちと、それをフォローする役所の担当者の話を聞く。個人的に面白かったのは「健康のためにラジオ体操を始めようと思ったけれど、1人でやっても続かない気がして、まず自分が指導員の資格を取りました。そうしたらだんだん参加者が増えちゃって、やめたくてもやめられない状況に......」という女性の話。あははは、こういうことってあるよね。


また、何十年か前に地元の商店が集まって月イチで開いていた市場のお話は、とても懐かしかった。当時まだ80歳ぐらいの若々しい(笑)母が、毎回必ず友達と一緒に行っていたから。私はお土産の揚げたて熱々コロッケがお楽しみ。そのコロッケは子ども会のイベントにも必ず登場する地元民のソウルフードみたいなものだったが、残念ながら一昨年、お肉屋さんが廃業してしまった。


ワークショップ第2部は5人ずつに分かれてディスカッション。"どんな1日を過ごせたら幸せか"という観点で話し合う。私のグループには「帰路を心配せず、お客さんにゆっくり過ごしてもらえる送迎付きのバーを開きたい」という女性と、「子どもを寝かしつけた後でフラッと飲みに行くことができる店がほしい」という若いお父さんがいて、あらら、さっそくの絶妙なマッチング!


ほかのグループでも「地元でゆっくり過ごせる居酒屋があったらいいな」「いちばん楽しいのは友達と一杯やる時間」などという意見がチラホラ。コロナ禍を経て飲み会が減り、さらに外食費全般が値上がりしたため仲間と集う機会も少なくなって、寂しさを感じている方が多いのかもしれない。


それを聞いた役所の若い男性が「何事も望めば叶うと言いますから"宴会やりたい"とみんなで願えば、この町に居酒屋さんが増えるかもしれませんね」とユーモアたっぷりに締めくくる。


そういえば......と再び回想する私。昔はもっと飲食店がたくさんあったのになぁ。


駅直結の居酒屋チェーン、ここはとても便利だったのよ。子連れでランチ、ママ友たちとおしゃべり、家族みんなで夕食など、日々の暮らしの飲食シーンに欠かせなかった。また、家の近くの本格中華レストラン。この店は都内の高級中華と同列か、またはそれ以上の味で、我が家から徒歩1分だったこともあり、よくお邪魔した。位置付けは町中華だったせいか出前もしてくれて、Uberなど存在しない時代は急な来客にも重宝したのだが......ああ、あの鯉の丸揚げをもう一度食べたい。




町はみんなのセーフティネット

毎度のことながら食べ物の話になると次から次へ記憶がよみがえって止まらなくなるので、話を元に戻そう。このワークショップでいちばん印象に残ったのが「町は人間のセーフティネットになり得る」という言葉だ。


第二次世界大戦中に「隣組」というものがあった。あれは政府がとつぜんつくったものではなく、江戸時代の「五人組」という仕組みから生まれた制度である。「隣組」も「五人組」も住民同士の助け合いシステムなのだが、当時は連帯責任(悪いことしたら逃がさへんでぇ)という側面もあり、ちょっと怖い。


現代にも「向こう三軒両隣」という言葉があるが、これは引っ越しの際に挨拶する目安といった程度でぜんぜん怖くない。それどころか我が家はご近所さんからおいしいフルーツや珍しいお菓子などを頂戴することもあり......おっと、また食べ物の話になってしまった。


ほとんどの皆さんは自分の住む町に愛着を抱いていると思う。仕事帰りはもちろん、楽しかった旅行の帰りでも自宅の最寄り駅に降りるとホッとする。向こう三軒両隣に限らず、週に何度も行くスーパー、馴染みの美容室、かかりつけの病院などなど、町並みを見ただけで癒やされるのは生き物の習性か。


人間は弱いものだ。災害時はもちろん、ごく普通の日々でも体調が悪かったり嫌なことがあったりすれば心の拠り所が欲しくなる。だって私たちは群れで生きてきた動物なのだから。


そんなとき「自分の町が好きだ、安心する」という気持ちに加えて、さらに住民同士をつなぐ安らぎの場所や助け合いの輪があったら......それは人生のさまざまな局面で、必ずみんなのセーフティネットになるに違いない。


また、こういう取り組みを町単位で推進してくれるのは大変ありがたいと思う。殺伐とした事件が多い昨今、知らない者同士でも役所が介して繋いでくれるなら安心。改めて、良い町に住めてラッキーだと感じた次第である。


※記事の情報は2026年5月12日時点のものです。

  • プロフィール画像 小田かなえ

    【PROFILE】

    小田かなえ(おだ・かなえ)

    日本作家クラブ会員、コピーライター、大衆小説家。1957年生まれ、東京都出身・埼玉県在住。高校時代に遠縁の寺との縁談が持ち上がり、結婚を先延ばしにすべく仏教系の大学へ進学。在学中に嫁入り話が立ち消えたので、卒業後は某大手広告会社に勤務。25歳でフリーランスとなりバブルに乗るがすぐにバブル崩壊、それでもしぶとく公共広告、アパレル、美容、食品、オーディオ、観光等々のキャッチコピーやウェブマガジンまで節操なしに幅広く書き続け、娯楽小説にも手を染めながら、絶滅危惧種のフリーランスとして活動中。「隠し子さんと芸者衆―稲荷通り商店街の昭和―」ほか、ジャンルも形式も問わぬ雑多な書き物で皆様に“笑い”を提供しています。

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