【連載】仲間と家族と。
2020.01.07
ペンネーム:熱帯夜
ターニングポイントの出会い
どんな出会いと別れが、自分という人間を形成していったのか。昭和から平成へ、そして次代へ、市井の企業人として生きる男が、等身大の思いを綴ります。
人生にはターニングポイントがあって、その時々に必ず傍らに影響力の大きな人がいる。
18歳になった息子にもいたらしい。彼の最初のターニングポイントは中学時代で、そこにいた人は中学の野球部の監督である。その監督は高校時代に神奈川の強豪校で甲子園にも出場した選手。大学野球に進み、ノンプロでも短期間だが活躍された人だ。
その監督に、息子は12歳のときに出会ったのである。息子に大きな影響を与えた監督の言葉がある。それは、
「結果の出ない努力は、努力ではない」
という言葉だ。それまで私に「努力をすることが大切。結果は後からついてくる」と教わってきた息子は、監督の言葉に全てを否定されるような衝撃を受けたという。
息子は、とにかく努力をすること、そして努力を続けることこそが大切なのだと理解していたのである。これに対し、一見厳しく思える監督の言葉だが、ビジネスの世界に身を置く人間としては真理を突く言葉である。
結果を出すために努力をする。でも努力をすることで満足していないか。漫然と日々何の工夫も情熱もなく続けていることは、本当に正しいことなのか。
そのようなことを問うている言葉に聞こえる。私は息子に「努力」を教えながらもどこかで、結果がダメでも絶望しないでほしいという甘い考えがあったのではないかと思う。
もっと言えば、息子は結果を出せないかもしれないと思ってしまっていた私が、自分を納得させるために言っていた言葉だったのかもしれない。ダメな親である。
それでも親から少しずつ独り立ちして、監督のような人とたくさん出会い、親だけでは全く足りていないことを学んでいってほしい。そう切に思える出来事であり、実は息子のみならず、私にとってもこれはターニングポイントだったかもしれないと思っている。
そんなダメな父親にも、かつて人生を変える出会いがあった。高校時代の古文の先生である。
私は10代の半ばごろから反抗期になっていた。勉強は拒否し、好きな音楽や夜遊びに明け暮れていたが、なぜか学校には休まず行く。ただし授業は睡眠と食事と曲作りの時間となっていた。
服装は乱れ、常に反抗的な言動で教師を挑発し、動揺する教師をあざけ笑うような、本当にみっともない学生だったのである。こんなことをしていたらダメだと自分でも思いながらも、自堕落な生活から抜け出せず、素直になれず、口にするのは強がりと不平不満ばかり。全く出口が見つけ出せずもがいていた。
そんな反抗期ピークの高校二年のとき、古文を教えてくれたK先生と出会う。K先生は母と同い年であったが、母とは似ても似つかない、当時のアイドル歌手の河合奈保子にも似た素敵な先生だった。
いわゆる不良と言われていた私は、最初の古文の授業から反抗した。今だから言えるが、私はK先生に憧れていたのだと思う。
他の教師はみんな、私に対して怒り狂う人、お前の気持ちは分かると表面的なドラマのようなセリフを吐く人、とにかく学校の権力で排除しようとする人、腫れものに触るように接する人、そんな人ばかりだった。私は余計に挑発して、慌てふためき自分を見失う教師たちの様子を見て、自分を誇示していた。
ただ、K先生は全く違って、見事なまでに私を無視し続けた。私はありとあらゆる抵抗を試みたが、全て無視されてしまった。それが私のプライドをズタズタにした。なんとか私の存在を認めてほしいと最後にいきついたのが、古典の勉強だった。
決して古典が好きだったわけではない。ただK先生はほかの教師と違い、先生自身の古文への感性を中心に授業を進めていたのが印象的だった。受験校と呼ばれる高校にありがちな、受験のテクニックばかりを教える授業とは明らかに一線を引く内容だったので、私は実は、とても興味を持っていた。
古典で全校一位をとってやる! そして絶対に自分に注目させてやる! バカで自意識過剰な高校生男子が出した稚拙な「先生に意識させる大作戦」である。バカだけに進み始めると一直線で、開けても暮れても古典の勉強ばかり。結果一位が取れたのである。
その直後、K先生の言葉に私はノックアウトされた。
「あなたの言動を聞いたときから、あなたは自分にウソをついていると分かりました。素質があるのに無駄にしている。それに早く気づいてほしかった。あなたのプライドを傷つけてごめんね」
単純な私は彼女を振り向かせるという不純な動機で、見事なまでに彼女の術にはまったのである。K先生はそんな私の気持ちも見透かしていたのかもしれない。
そのときは古典だけしか結果を出せなかったが、不思議なもので、それが立ち直るきっかけになり、少しだけ自信が持てるようになった。その後、少しずつ私は自分の人生を正直に歩み始めることができたのである。
今でもK先生とは年に一度だけ、年賀状で近況を報告しあっている。私に息子ができ、18歳になったことを本当に喜んでくれている。あのころのあなたと同い年ねと。
息子のターニングポイントと私のターニングポイント。そのそれぞれに存在感を放ち現れてくれた恩人たち。息子にも私にも一見すると厳しい言葉や態度を投げかけた。でも、その奥で、恩人と呼ばれるほどの人間力のある人だけが持つ影響力によって導いてくれた。
息子は今、野球を終え、次の夢に向かって進んでいる。いろいろな事情を抱える子どもたちを教える教師になりたいという。その原点が、中学野球部のあの監督からの言葉にあると、話してくれた。
「結果の出ない努力は、努力ではない」
この言葉は、息子のなかで
「自分の人生に本気で向き合えない者は、人を幸せにはできない」
このように変換されたと息子は言う。それがゆえに新しい夢が持てたと。どうやったら、そのような言葉に変換されるのかは謎であるが。
私も、いろいろなことがある人生ではあるが、なんとか生きている。K先生が立ち直らせてくれた。だから息子とも会えたのだと思う。
あらためて、月並みだが、感謝の心を忘れずに生きていきたい。
※記事の情報は2020年1月7日時点のものです。
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【PROFILE】
ペンネーム:熱帯夜(ねったいや)
1960年代東京生まれ。公立小学校を卒業後、私立の中高一貫校へ進学、国立大学卒。1991年に企業に就職、一貫して広報・宣伝領域を担当し、現在に至る。
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