【連載】創造する人のためのプレイリスト
2021.01.19
音楽ライター:徳田 満
「日本語をビートに乗せる」ために試行錯誤を繰り返した40年
ゼロから何かを生み出す「創造」は、産みの苦しみを伴います。いままでの常識やセオリーを超えた発想や閃きを得るためには助けも必要。多くの人にとって、創造性を刺激してくれるものといえば、その筆頭は「音楽」ではないでしょうか。「創造する人のためのプレイリスト」は、いつのまにかクリエイティブな気持ちになるような音楽を気鋭の音楽ライターがリレー方式でリコメンドするコーナーです。
「ラップ(RAP)」という言葉は、今では地方のおじいちゃん・おばあちゃんでも知っている。メロディー(旋律)に言葉を当てる従来の歌ではなく、リズムに言葉を「乗せる」というこのスタイルは、1970年代初頭にニューヨーク・ブロンクス区で誕生。80年代以降はラップを前提とした「ヒップホップ」という音楽ジャンルが確立される一方で、ラップは世界中のロックやポップスにも取り入れられてきた。しかし、こと日本では当然ながら、英語ではなく日本語でラップしなければならない。「日本語はラップに不向き」と言われながら、それでも試行錯誤を繰り返した結果、ヒップホップアーティストはNo.1ヒットを出し、NHK紅白歌合戦に選ばれるまでになった。今回は、約40年間にわたる、その過程を、一般の音楽ファンの目線からたどってみたい。
1.かまやつひろし/ゴロワーズを吸ったことがあるかい
「日本語ラップ」の第1号がどれかというのは諸説あるが、筆者は1975年に発表されたシングル「我が良き友よ」のB面であるこの作品が先駆けではないかと思っている。よく知られているように、この曲は大ヒットしたA面の陰に隠れ、当時はほとんど注目されなかったが、1990年代半ばの渋谷系ブームで、「ジャパニーズ・レアグルーヴ」として再評価された。タワー・オブ・パワーがホーンに参加していることもあり、ニューソウル系のテイストを持ったトラックに、かまやつひろしが「語り」を入れているもので、現在の一般的なラップのイメージである、韻を踏んだり早口だったりというものではないが、リズムにはしっかり乗っている。その意味で、この作品は重要な意味があると思うのだ。
2.佐野元春/COMPLICATION SHAKEDOWN
1980年代に入ると、日本のアーティストもラップに関心を持ち始める。そんな中、細野晴臣がYMOのアルバム「BGM」(1981年)に収められた「ラップ現象」という曲でいち早くラップに挑戦したが、これは英語詞だった。日本語だと、その4年後の1984年に発表された、この「COMPLICATION SHAKEDOWN」が嚆矢(こうし)だろう。佐野元春はこの前年にニューヨークに1年間滞在し、ラップなど「旬」の要素を取り入れた斬新なアルバム「VISITORS」を制作。この曲はそのオープニングを飾っていたのだが、歌詞もアレンジも以前とはまったく異なるサウンドだったため、ファンには猛反発されてしまう。ただ、今聴き返してみても、日本語ラップの欠点としてよく指摘されるアクセントやイントネーションの不自然さが感じられない上に、言葉が16ビートにすんなり乗っかっていて、すでにここで日本語ラップは完成されてしまっているとさえ思える。
3.吉幾三/俺ら東京さ行ぐだ
1984年にRun-D.M.Cがミリオン・ヒットを飛ばしたことで、ラップ&ヒップホップブームが日本にも波及。翌年、いとうせいこうが全編日本語ラップによるアルバム「業界くん物語」をリリースし、藤原ヒロシと高木完がヒップホップユニットのタイニー・パンクスを結成するなど活気づいてくる。この現象はあくまでマイナー・シーンでのことだったが、実に意外なところから日本語ラップの名曲が生まれる。それが1984年にリリースされたこの曲。吉幾三によると、たまたま知り合いがアメリカから送ってくれたレコードの中にラップの曲があり、それをヒントに作り上げたという。なんと言っても、故郷の田舎性を自虐的に綴った歌詞をラップにしたという斬新さが素晴らしいが、当時リアルタイムで聴いた人間の多くは筆者も含め、コミックソングとしか認識していなかった。のちに国内外のアーティストに多数カバー&リミックスされ、今では日本語ラップの古典として知られている。方言によるラップの元祖でもある。
4.ビブラストーン/金っきゃねえ
前述のタイニー・パンクスともコラボしていたのが、それまでもソロやさまざまなバンドで活動してきた近田春夫。彼もまたニューヨーク発のヒップホップに敏感に反応し、1985年にPresident BPM名義でラップによる12インチシングルを発表する一方、多様なアーティストとライブ活動を展開。その発展形が、翌年結成したビブラストーンだ。このバンドの特色は、生バンドによる演奏でラップをやること。JAGATARAのOTOや元ジューシィ・フルーツの沖山優司にホーン隊も加わった凄腕ミュージシャンたちが奏でるファンキーなリズムに乗せ、近田は自身が経験してきた芸能界など社会の闇をユーモアも交えつつ、Dr.Tommyとの絶妙な掛け合いでラップ。最盛期はこの「金っきゃねえ」も収録されたメジャーデビューアルバム「ENTROPY PRODUCTIONS」が出た1991年頃で、筆者もライブに通うほどハマった。YouTubeに公式チャンネルはないが、ライブ映像は残っているので、思わず体が動き出してしまうビブラストーンのノリの良さを感じてほしい。今こそ再評価されるべき存在。
5.スチャダラパーとEGO-WRAPPIN'/ミクロボーイとマクロガール
1990年代で忘れてはならないラップ&ヒップホップアーティストといえば、このスチャダラパー。メジャーデビューは1991年だが、彼らの名を一躍有名にしたのは1994年、人気爆発中の小沢健二とのコラボ曲「今夜はブギー・バック」だろう。彼らは、それまで主流だったアッパー系のラップではなく、「脱力系」とも言うべき自然体のラップで、ラップやヒップホップに関心のなかった音楽ファンにヒップホップを紹介する「入り口」的役割をも担った。「今夜はブギー・バック」は残念ながらYouTube承認チャンネルにはなかったので、今回は2017年にEGO-WRAPPIN'とコラボした「ミクロボーイとマクロガール」を紹介。このオフィシャルミュージックビデオ自体、のん主演の短編映画のようなハイクオリティな作品となっている。
6.EAST END×YURI/DA.YO.NE
スチャダラパー以上に、一般のリスナーにラップを身近にしたのが、この曲。同じ1994年にリリースされた「今夜はブギー・バック」以上にヒットし、ラップ曲としては初のミリオンヒットを記録、NHK紅白歌合戦に出場した、初のヒップホップユニットとなった。EAST END×YURIは、1992年にデビューしたヒップホップグループのEAST ENDと、東京パフォーマンスドールの市井由理によるコラボユニット。おそらく日本人女性によるラップとしても初だろうが、どこにでもいるような普通の女の子が普通の口調で普通のなんでもない日常をラップするこの曲は、ある意味でヒップホップの革命だったのではないだろうか。
7.Dragon Ash/陽はまたのぼりくりかえす
1997年に結成されたDragon Ashが翌年にリリースした2ndシングル。Dragon Ashは、それまでのさまざまなジャンルの音楽を再構成した音楽性のロックバンドで、現在も活動している。ほぼ同時期にデビューしたヒップホップ&ダンスユニットのDA PUMPほどの大衆性は獲得できなかったが、ある世代には忘れられない存在だろう。この「陽はまたのぼりくりかえす」は、ギター、ベース、ドラムスというシンプルな編成が奏でるグルーヴに乗せてヴォーカルのkjがラップする、静かな雰囲気をたたえた作品。コロナ禍の現在と同様、バブルが崩壊して希望が見えなかった当時の日本に生きる人々へのメッセージとして、のちにロスト・ジェネレーションと呼ばれる若者たちの心に深く残った、時代を象徴する曲だと言える。ラップが深い精神性を持ちえることを証明したという意味でも特筆すべき作品。
8.RIP SLYME/楽園ベイベー
2000年代に入ると、「第1次ラップブーム」と呼ばれるほどのヒップホップブームが到来し、数多くのヒップホップグループがブレイクする。中でも2002年のNHK紅白歌合戦に出場したKICK THE CAN CREWと並んで一般受けしたのがRIP SLYME。1995年にインディーズ、2001年にメジャーデビューした4MC+1DJ(当初は3MC)のヒップホップグループだが、田辺エージェンシーという大手芸能プロダクションに所属しただけあり、メジャーデビュー以降は万人受けする明るさと軽さが特徴となった。当時のメンバーも、新人ラッパーコンテストを勝ち抜いてきた、ハイレベルの「プロのラッパー」たち。2002年リリースの「楽園ベイベー」は、タイトル通りの夏向きリゾートサウンドに軽快なラップを乗せたという意味で画期的。この曲が収められたアルバム「TOKYO CLASSIC」は3週にわたりオリコン1位を獲得する人気で、もはやラップは特殊なものではなく、普通の歌と同様に世間に受け入れられるということを証明した。
9.RHYMESTAR/人間交差点
サブカル評論家・ライターとしても活躍する宇多丸が属する3MC(うち1DJ)のヒップホップグループ、RHYMESTAR。現在のヒップホップ界では大御所的存在の彼らがデビューしたのは1995年で、2001年にメジャーデビューしている。そもそも早稲田大学ソウルミュージック研究会の部員たちで結成されたということもあり、サウンドは1970年代ソウルのテイストが強い。その意味では生演奏とDJユニットという違いはあるが、ビブラストーンの後継者的存在とも言える。この「人間交差点」は2015年リリースのシングル。歌詞はメッセージでもプロテストでもないが、よく聴き込むと深い内容で、きっちり韻を踏みつつタイトにラップする、「熟練の技」が感じられる楽曲だ。
10.DOTAMA/謝罪会見
最後に紹介したいのが、「サラリーマンラッパー」として知られるDOTAMA。PVでもライブでもメガネをかけたスーツ姿で活動している彼は、実際に約10年間、地方都市で会社員を続けながらインディーズでヒップホップアーティストを続けていた。2017年に発表された、この「謝罪会見」もそうだが、題材は一貫して会社・仕事関係。ラップスタイルもアクセントやライム(韻を踏むこと)を強調する従来のラッパーとは違い、マシンガンのような早口で言葉を畳みかけるという独特さだ。しかし、このような従来の歌の歌詞にはなりにくいものを違和感なく扱えるのもラップという表現手段だからこそ。これからも、もっと自由なスタイルで、いろんなテーマをラップするアーティストが出現してくることを期待したい。
それでは次回の「創造する人のためのプレイリスト」もお楽しみに。
※記事の情報は2021年1月19日時点のものです。
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【PROFILE】
徳田 満(とくだ・みつる)
昭和映画&音楽愛好家。特に日本のニューウェーブ、ジャズソング、歌謡曲、映画音楽、イージーリスニングなどを好む。古今東西の名曲・迷曲・珍曲を日本語でカバーするバンド「SUKIYAKA」主宰。
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