【連載】創造する人のためのプレイリスト
2025.06.10
クラシック音楽ファシリテーター:飯田有抄
"癒やし"だけじゃないクラシック!
クリエイティビティを刺激する音楽を、気鋭の音楽ライターがリレー方式でリコメンドする「創造する人のためのプレイリスト」。今回はクラシック音楽への先入観を変える作品を、クラシック音楽ファシリテーターの飯田有抄(いいだ・ありさ)さんに選んでもらいました。さあ、まだ触れたことのないクラシック音楽の世界へ!
アクティオノートの連載「創造する人のためのプレイリスト」に、まだクラシック音楽が出ていないということで、お呼びいただきました。クラシックは「ちょっとハードルが高い」だの「眠くなる」だの「難しい」だの、さんざんな言われようのジャンルでもあります。まぁ実際に眠くもなるし、予備知識なしに聴き通すのは困難な作品もありますから、そう安易に「親しみやすいよ」とは言えないのが正直なところです。
ですが、「ちょっと待ってくれ」と抵抗したくなるのは、「クラシック音楽ってぇ、癒やされますよね〜♡」みたいな(たぶん普段あまりクラシックを聴いていない方からの)フンワリとした発言です。はい、あの、もちろん「癒やされる」ものも少なくはございません。しかし、なんとなく「クラシック音楽=穏やかで癒やされる」といった先入観をお持ちになられますと、いやいやいやいや......と。
むしろ、ド迫力で泣きそうになる曲だとか、心をズタズタに傷つけんばかりの壮絶な作品もありますよ、と。なぜか、そう無性にアピールしたくなるのです。世界や人間のグロテスクな面を浮き彫りにしたり、泣いちゃうほどホラーな作品すらございます。そうかと思えば聖人のごとくピュアな世界や、神に限りなく近い天上の光り輝く世界まで、めちゃくちゃレンジが広いのがクラシックであります。
そのようなわけで、今回はクラシック担当の矜持を持って、「"癒やし"だけじゃないクラシック!」を特選してご紹介します。あまりに怖い曲などは入れませんのでご安心を。
〈"癒やし"だけじゃないクラシック!〉目次
- リスト「スケルツォと行進曲 S.177」/ホロヴィッツの奏でる悪魔的行進曲
- マーラー「交響曲 第1番《巨人》」/マーラー若き日の熱量たっぷり交響曲
- ショパン「前奏曲 第24番」/心の痛みを共有する音楽
- ヴィヴァルディ『四季』より「夏」/自然の猛威をロックに表現!?
- メシアン『世の終わりのための四重奏曲』より第5曲「イエスの永遠性への讃歌」/洗練された音運びによる、神の領域に近い音楽
1. リスト「スケルツォと行進曲 S.177」/ホロヴィッツの奏でる悪魔的行進曲
まずは、わかりやすく悪魔的な作品を、凶悪なまでに迫力のある演奏で。
フランツ・リスト(Franz Liszt)作曲の「スケルツォと行進曲 S.177」です。リストといえば、超絶的な演奏技巧を誇る19世紀のピアニスト=コンポーザー。リストは、「悪魔に魂を売ったらしい」とウワサされるほどの高度な演奏技術を持ったヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(Nicolò Paganini)に憧れを抱き、自分もピアノ界のパガニーニになろうと、他人にはなかなか弾きこなせない難曲を書きました。
この「スケルツォと行進曲」も、作曲当初はこれを弾きこなせるピアニストはなかなか出てこなかったそうな。1851年の出版時にこの曲に付けられていたタイトルは「死霊の群れ」! なんと恐ろしい......。
しかしまぁ、20世紀最大のピアニストと称される、ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz)によるド迫力のライヴ演奏の録音(古い録音につき、咳などのノイズ入り)を聴けば、まさに悪霊たちが群がってきそうであります。
2. マーラー「交響曲 第1番《巨人》」/マーラー若き日の熱量たっぷり交響曲
再生ボタンをポチッとする前に、ボリュームにお気をつけくださいませ。いきなり衝撃的なシンバルの打音から開始しますので、お耳を痛めないように......。動画は、グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)作曲の交響曲 第1番、通称「巨人」の第4楽章です。
どうですか、このヒロイックでありながらも苦悩を感じさせる冒頭。しかし、しばらくすると、弦楽器の優雅でロマンティックな楽想も広がります。最終的には勝利に輝く、力強く明るい音楽となります。
当初は交響詩として発表され、その時にはマーラーの愛読書であるドイツの小説家ジャン・パウルの小説「巨人(Titan)」というタイトルが付けられていました(のちに本人はこのタイトルを引き下げたけれど、今も「巨人」の愛称で親しまれている)。
ちなみに、本作を第1楽章から聴き通すと1時間弱。「クラシックは長いんだよ!」と文句を言われがちなんですが、はい、長いんです。ただし、マーラーの9つある交響曲には1時間超えもザラにありますので、これはまだコンパクト。明暗のコントラストも美しく、感情をグワングワンと揺さぶられたい時に聴きたい1曲です。聴き終わったら、なぜかちょっとスッキリしているかもしれません。20世紀を代表する指揮者・作曲家であるレナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)の指揮でどうぞ。
3.ショパン「前奏曲 第24番」/心の痛みを共有する音楽
小林愛実 ショパン国際コンクールのライヴ、前奏曲 第24番
以下、同曲。小林愛実「ショパン:前奏曲集」より
一般的に「ショパンのピアノ曲」というと、可憐で優雅な「小犬のワルツ」や「別れの曲」あたりを想像される人が多いみたいなのですが、あれらの軽快さや柔和さを持つ有名曲がもたらす雰囲気は、"ピアノの詩人"と称されるフレデリック・ショパン(Frédéric Chopin)の一面でしかありません。ショパンはむしろ、引き裂かれるような心の痛みを持った音楽や、雄々しい中にもエレガンスを宿した非常に複雑な音楽、情感の移り変わりの激しい音楽をピアノで表現した人物です。
彼の生まれ故郷ポーランドで5年に一度開催される「ショパン国際ピアノコンクール」は、日本でも猛烈に関心度の高いピアノコンクールで、2025年10月にも開催されます。早くも予選が開始しており、日本の若いピアニストたちの動向が注目されています。前回2021年のコンクールでは、反田恭平さんが2位、小林愛実さんが4位に輝きました。のちにお二人はご夫婦に。輝かしい活躍は目を見張るばかりであります。
その2021年、筆者は現地のワルシャワで取材を続けていましたが、全コンテスタントの全ステージで、最も印象に残っているのは、小林愛実さんが第3ラウンドで聴かせた、ショパンの前奏曲 op.28であります。全部で24の小品からなるこの曲集を一気に弾き切るわけですが、コンクールも佳境を迎え緊張と興奮に包まれた会場で、小林さんが鬼気迫る集中力で聴かせた演奏は、一生忘れることができないと思います。
ショパンの心の嘆き、慰め、諦念、痛み、叫びが、めくるめく展開で続き、聴いているこちらの心がズッタズタになり、果たして最後まで持つのか......と思うほどの激しさ。とくに最終曲の第24番の締めくくりは、奈落の底に突き落とされるかのようなD(レ)音の3連発で締めくくられるのですが、小林さんがもう、命をも捧げるように強烈な打音を響かせたのでした。会場が凍りつくような凄み、そして終わると怒涛の拍手!
ちなみに、映像でもご確認いただけますが、弾き終わって、秒でスンッと真顔に戻る小林さんがちょっと怖くて、カッコいいのです。
4. ヴィヴァルディ『四季』より「夏」/自然の猛威をロックに表現!?
佐藤俊介、オランダ・バッハ協会
以下、同曲。コンチェルト・ケルン & 佐藤俊介「四季」より
筆者の世代ですと(昭和49年生まれ)、たしか中学1年あたりの音楽の教科書に載っていたと記憶する、アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi)作曲の「春」。明るくて、爽やかで、なんとも軽やかな音楽です。聞けば必ず「ああこれね」となるクラシックのひとつで、「癒やされますよね〜♡」のイメージを強化する作品と思われます。
ただ、大半の人が知るこの「春」第1楽章は、作品全体のごくごく一部。ヴィヴァルディはヴァイオリン協奏曲『四季』として春・夏・秋・冬をそれぞれ3楽章構成で作曲していますから、全て合わせると12楽章。全体では40分ほどかかります(ほんとクラシックは長くてすみません)。
ここで聴いていただきたいのは、世界的に活躍するヴァイオリニスト、佐藤俊介さんが独奏を務める「夏」第1・2・3楽章です。ヴィヴァルディは17世紀後半から18世紀前半にかけて活躍したヴェネツィアの音楽家であり聖職者ですが、現代人がうだるような夏の暑さに朦朧(もうろう)としたり、ゲリラ豪雨の激しさに動揺するような情景を、そのまま共有しているようで驚きます。
佐藤さんはピリオド楽器(作曲家の時代の楽器や演奏習慣を研究して実践する)パフォーマーですが、実に激しく演奏する様はほぼロック! とくに第3楽章の締めくくりは凄まじいものがあり、自然の厳しさとそれに対峙する動物や人間の様子が生き生きと描かれます。動画は、彼がコンサートマスターおよび芸術監督を務めていたオランダ・バッハ協会との演奏です。
なお、ヴィヴァルディはこの曲に、次のようなソネット(詩)を付けています。
「灼熱の太陽に 動植物は朦朧とする/カッコー、鳩、ゴシキヒワが泣き出す/急に冬のような北風が吹く/羊飼いは嵐を恐れるが、雷鳴と蚊と蜂が襲ってくる/雹(ひょう)が降り 穀物を荒らしてしまった」
5. メシアン『世の終わりのための四重奏曲』より第5曲「イエスの永遠性への讃歌」/洗練された音運びによる、神の領域に近い音楽
ガベッタ(チェロ)、シャマユ(ピアノ)
以下、同曲。イッサーリス(チェロ)、ムストネン(ピアノ)による演奏
ここまでの作品紹介で、ひょっとしたら気づかれたかもしれませんが、人間や自然の激しい様相を描くクラシック作品ですが、決して「救いのない音楽」ではありません。究極の感情を共鳴させることができる音楽体験は、むしろ聴き手を救済してくれるような面すらあります。
ん? ということは、かの「クラシックってぇ、癒やされますよね〜♡」発言は、実は一周回って的を射ているのかもしれぬ。う〜む。ともあれ、キリスト教音楽を根源として発展してきたクラシック音楽には人々を戒め、救済へと導こうとする性質は、やはりあるわけです。
最後は、敬虔(けいけん)なカトリック信者であり、優れた教会オルガニストでもあった20世紀のフランスの巨匠、オリヴィエ・メシアン(Olivier Messiaen)の作品より、『世の終わりのための四重奏曲』 の中の1曲をご紹介します。
第二次大戦中、フランスは実質的にドイツの占領下に置かれました。1940年、メシアンはドイツ軍の捕虜となりシレジア地方の収容所に入れられますが、彼はそこで3人の音楽家(ヴァイオリニスト、チェリスト、クラリネット奏者)と出会います。彼らと演奏するために、ピアノを加えて、やや変わった編成の四重奏をつくりました。それが名曲『世の終わりのための四重奏曲』です。
第5曲「イエスの永遠性への讃歌」はピアノとチェロの二重奏です。透明度の高いハーモニーで織りなされる、無機質なほどの洗練。神の領域に近いと感じさせる音楽をお聴きください。動画はアルゼンチン生まれのチェリスト、ソル・ガベッタ(Sol Gabetta)と、フランス人のピアノの名手、ベルトラン・シャマユ(Bertrand Chamayou)の演奏です。
※記事の情報は2025年6月10日時点のものです。
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【PROFILE】
飯田有抄(いいだ・ありさ)
東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Macquarie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。「クラシック音楽ファシリテーター」を肩書としながら、クラシック音楽の普及にまつわる幅広い活動を行っている。音楽専門誌、書籍、楽譜、CD、コンサートプログラム、ウェブマガジンなどの執筆・翻訳、市民講座講師、音楽イベントの司会やトークの仕事に従事。ラジオやテレビなどのメディアに出演。書籍に「ブルクミュラー25の不思議〜なぜこんなにも愛されるのか」(共著、音楽之友社)、「ようこそ!トイピアノの世界へ〜世界のトイピアノ入門ガイドブック」(カワイ出版)、「さぁはじめよう!オーディオのある暮らし」(音楽之友社)、「クラシック音楽への招待〜子どものための50のとびら」(音楽之友社)などがある。公益財団法人福田靖子賞基金理事。
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