中島さち子|ピアノ、数学オリンピック、そしてジャズ

FEB 16, 2021

中島さち子さん ジャズピアニスト、数学研究者、教育家〈インタビュー〉 中島さち子|ピアノ、数学オリンピック、そしてジャズ

FEB 16, 2021

中島さち子さん ジャズピアニスト、数学研究者、教育家〈インタビュー〉 中島さち子|ピアノ、数学オリンピック、そしてジャズ 数学研究者であり、ジャズピアニストであり、メディアアーティストであり、STEAM(スティーム)教育者であり、そして2025年に開催される大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーにも就任された中島さち子さん。その多岐にわたる創造性の源泉はどこにあるのでしょうか。今回は音楽や数学との出合いについてお話をうかがいました。

ピアノが好きだった

――ジャズピアニストであり、数学者でもある中島さんですが、数学とピアノ、どちらに最初に出合ったのですか。


最初はピアノで、4歳ぐらいから弾いています。でも真面目に練習することより自由に弾くのが好きでした。ピアノだけではなく作曲も好きで、ヤマハの作曲コースに通って自分の曲を作りながら自由にピアノを弾いていて、途中から日吉(横浜市)にあるヤマハの「ネム音楽院」という専門的なコースに入りました。当時はかなり本格的にやっていて、週に3、4日くらいはネム音楽院に行っていました。PE'Zのヒイズミマサユ機君と同じクラスだったことがあります。


――ピアノはいつまで習っていたのですか。


中学2年ぐらいまでです。その頃ちょうど現代音楽も学び始めて、作曲がより面白くなってきたところでもあったのですが、なんとなく自分が作る曲が似てきたなと感じていたのと、他のことを学ぶことが楽しくなってきたのもあり、思い切ってピアノをやめてしまいました。


ジャズピアニストであり、数学者でもある中島さん


――音楽の他に面白いと思ったのが、数学だったのですか。


もちろん数学も好きになっていて、○×で採点するような数学ではなく、学問としての数学だったんですが、そこには哲学みたいな深いところがあって、とても惹かれました。でも当時は数学だけでなく、いろいろな小説などを読むことにもはまり込んでいました。




国際数学オリンピックに2年続けて出場し金メダルと銀メダルを受賞

――その後、数学にのめり込んだのはどんなきっかけですか。


当時「大学への数学」という雑誌で、ピーター・フランクル先生※1が担当していた宿題のコーナーがあって、そのコーナーに毎月1問出題される問題を解くのが好きでした。それは決して難しい問題ではなく、素材自体は小学生でも分かるシンプルなものですが、アイデア1つで世の中の見方が変わるような問題なんですね。そんな数学的な考え方がとても面白く感じられました。ある時、なかなか解けない問題があって、朝から晩までずっとその問いを考えていて、結局締切ギリギリで急にふっとアイデアが閃いて解けたりしたこともありました。そういうところが好きでした。その後ピーター・フランクル先生には大変お世話になりました。


学問としての数学の世界はかなりニッチなので、数学が好きな人たちとだんだんつながるようになってくるんです。それで同世代の子たちが国際数学オリンピック※2を目指していることも知りました。数学オリンピックは証明問題が多く、答えは本当に多種多様! その解き方・考え方には個性が出るんです。そんな自由なところが面白く感じられて、私も数学オリンピックに出たいと思うようになりました。


※1
ピーター・フランクル:数学者・大道芸人。ハンガリー出身。1988年から日本在住。1998年にハンガリーの最高科学機関であるハンガリー学士院のメンバーに選ばれる。現在算数オリンピック専務理事。NHK教育番組などでもおなじみ。

※2
国際数学オリンピック:国際数学オリンピック(International Mathematical Olympiad:略称IMO)。高校生を対象に、全ての国の数学的才能に恵まれた若者を見出し、その才能を伸ばすチャンスを与えることを目的として開催されている、数学の問題を解く能力を競う国際大会。1959年より毎年7月に開催されている。競技は2日間、時間は朝9時から午後1時半までの4時間半で出題は3問、合計6問が出題される。各問7点で42点満点で上位1/12には金メダル、次の2/12には銀メダル、3/12には銅メダルが授与される。1カ国あたり、最大6人の選手が参加できる。



――国際数学オリンピックでは高校2年の時に金メダル、高校3年時に銀メダルを受賞されました。日本人チームでは唯一の金メダリスト(2020年現在)だそうですが、国際数学オリンピックは楽しかったですか。


国際数学オリンピックで日本人女性では唯一の金メダリスト


数学オリンピックに出るには、まず日本で予選があって、私の時で100人ぐらいが予選に参加しました。そこから20人ぐらいに絞られて、そのメンバーで合宿があります。そこでみんな仲良くなるんですけど、そこからさらに6人が選ばれて日本代表になります。


国際大会になるとこんどは世界中から数学が好きな高校生が来ます。これはとにかく楽しかったですね。国際数学オリンピックでは2日間で6つの問を解きます。その後採点になるんですが、簡単に採点できるような問いではないので、審判員が数日かけて協議しながら採点します。その間出場者はみんなで遊ぶんですよ。その時にいろんな国の子たちと仲良くなれたのも楽しかったですね。私の時で80カ国以上の国が参加しました。イタリアの子は遊びに来てるみたいだったし、アゼルバイシャンとか、マケドニアとか、それまで社会の教科書でしか知らない国の人たちとも仲良くなれたので本当に面白かったです。


――数学に夢中だった頃は、ピアノは弾いていないのですか。


本当に時々、気晴らしに弾くだけでした。ただ高校3年の時に音楽の授業で、友だちとグループを組んで好きなことをやっていいというのがあって、バイオリンが上手な子と一緒にアンサンブルをやったら、これがとても楽しくてゾクゾクしたんです。ピアノをやっていた頃の楽しさを思い出しましたし、人と一緒にアンサンブルをするってこんなに面白いのかと思って。それで大学に入ったらもう1回音楽をやってみたいと思いました。




東京大学でジャズ研究会に入り浸る


――中島さんは東京大学理学部数学科に進学されるわけですが、同時にジャズピアノの演奏も始められていますよね。なぜジャズだったのですか。


やっぱり即興で何かを生み出すことが好きだったんです。ジャズの知識はゼロだったんですが、イメージとしてジャズって、人の生き様が音になるみたいな感じがして、なんとなくいいなと思いました。それで東大の駒場キャンパスにあったビッグバンドに入部しました。


――最初はビッグバンドだったんですね。


はい。カウント・ベイシーやサド・ジョーンズ&メル・ルイスオーケストラのようなビッグバンドでピアノを弾きました。みんなで一生懸命曲を聴いて覚えてっていうサークルっぽい感じでした。それもとても楽しかったのですが、でも私自身はもしかしたらより自由に即興的に密なやりとりをするジャズの方が合っているかもしれない......と思い始めていたところで、後にプロドラマーとなる田村陽介くんから、それならば......と東大の本郷キャンパスにあるジャズ研究会に誘われて、行くようになりました。


カウント・ベイシーとかのビッグバンドでピアノを弾きました


――東大のジャズ研究会はプロをたくさん輩出している名門サークルですよね。そこからジャズにハマっていくわけですか。


そうですね。本郷キャンパスのジャズ研は当時24時間いつでも音を出せて夜中でもセッションできたので学外からもジャズミュージシャンがたくさん来ていて、盛んに演奏していました。私も気づいたら大学後半はジャズ研に入り浸りになっていました。


――当時はどんな曲を演奏していたんですか。


ビル・エバンスも美しいと思ったし、ハービー・ハッコックのエレクトロニックな部分も面白かったし、もちろんセロニアス・モンクも、マイルス・デイヴィスもすごいと思っていました。またロックのジミ・ヘンドリックスやピンク・フロイドも聴くようになっていて、いろいろ聴いては模索していました。


大学4年の時、ドラムの田村陽介くんと、もうひとり、現在もプロとして活躍中のフレットレスベースの織原良次さんとピアノトリオを組んで、アーマッド・ジャマルというジャズピアニストのコピーバンドをやったんですよ。それがとても良くて、その後音楽をやっていこうと思ったきっかけの1つとなりました。

アーマッド・ジャマル「One」


――あのマイルス・デイヴィスが影響を受けたというピアニストですよね。


そうなんです。私は自由に演奏するのが好きでしたが、このアーマッド・ジャマルのコピーバンドは、ほぼ完全コピーでした。アーマッド・ジャマルって、演奏の「間」をとても大事にするんですね。私はいつもつい思いきり弾いてしまうんですが、このアーマッドのバンドの時は、我慢して「弾かないぞ」みたいな感じで演奏していたんです。そうしたらだんだん音楽全体が聴こえるようになってきました。ガンガン弾きまくるのではなく、間を大切にしてフレーズの弾き出すタイミングをちょっと溜めるとスイング感もすごく出ることにも気づきました。そんな風に演奏しているうちに、ジャズが自分にとってどんどん面白くなっていきました。


――大学卒業後はプロのミュージシャンとして活動を始めたんですよね。


はい。大学4年の夏にかなり悩んで、何人かに相談もしながら、最終的に大学院には行かずにミュージシャンになりました。当時の大学の仲間たちはけっこう驚いたみたいでしたが(笑)。




東大を卒業して「渋さ知らズ」加入、そしてソロ活動へ。


――卒業してすぐプロミュージシャンになったのですか。


そうですね。結局大学を卒業してすぐに「渋さ知らズ」※3というプロのバンドに入ってしまったので、音楽メインの生活となりました。大学卒業が2002年の3月で、その年の5月に浅草の「なってるハウス」で初めて自分のピアノトリオTrio Da Vidaで演奏したときに、店長のリマさん(広沢哲:渋さ知らズのサックス奏者の1人)から7月「渋さ知らズオーケストラ」に来てみない? と誘われて行ったらいきなりものすごい熱量の本番(笑)......。そのとき、リーダーの不破さんに気に入っていただき(?)そのまま「渋さ知らズ」に入り、2006年頃まで参加していました。


※3
渋さ知らズ(しぶさしらズ)は、ベーシスト不破大輔を中心とする大所帯バンド。ジャズ、ロック、ラテン、歌謡曲などの要素を内包したフリーミュージックを演奏する。それに加え、舞踊や美術、映像、照明、音響など表現手段が渾然一体となった同時多発的な「イベント」がステージ上で展開され、観客を熱狂させていくことから、祝祭的なバンドとも評される。フジロックフェスティバルなどの国内フェスはもとより、グラストンベリー(英)、メールス(独)、ロッチェッラ(伊)、ナント(仏)、ケベック(加)をはじめ海外のフェスティバルにも招聘され、世界的にも高く評価されている。

渋さ知らズオーケストラ
- 本多工務店のテーマ @ KAIKOO POPWAVE FESTIVAL'10

渋さ知らズオーケストラ - ナーダム @ 頂2014




――超アカデミックな数学の世界と海千山千のジャズミュージシャンが大勢集まっている渋さ知らズとでは、ものすごいギャップですよね。


それが、私にはあまり違和感はなかったんです。渋さ知らズの音楽って、1は1であると同時に1は1でないみたいな、禅みたいなところがあると思っていて、同じように実は現代数学も、ほとんど哲学っぽくなってくるんですよ。「全てを証明できないということが証明された」とか。そんなところが似ていると感じました。あとは、数学の人たちも渋さ知らズの人たちも、何かにハマり込んでしまった変な人たちという意味では同じかな(笑)。


――並行して自分のリーダーバンドもやられていますよね。


はい。自分で曲を作って演奏することが好きなので、自分のバンドでの演奏活動をやりながら、渋さ知らズにも参加していたという感じです。当時は結構たくさんのライブをやっていましたね。そして中島さち子Trioとして最初のアルバム「REJOICE」を出したのが2010年です。その後もライブ活動を継続しています。


Trio Mathemata  ピアノ=中島さち子、サックス=鈴木広志、パーカッション=相川瞳Trio MATHEMATA  ピアノ=中島さち子、サックス=鈴木広志、パーカッション=相川瞳

中島さち子 Sachiko Nakajima 米木康志 Yasushi Yoneki 本田珠也 Tamaya Honda ▶︎ Rejoice!!!(Sachiko Nakajima)


REJOICE
中島さち子Trio


Time, Space, Existence
Space - Sachiko Nakajima's Project


希望の花 Flower Of Hope
中島さち子 Piano Trio



――ありがとうございました。この前編では中島さち子さんのピアノから数学オリンピック、そしてジャズピアニストと、クリエイティビティのほとばしりを感じる激動の道のりについてお話しいただきました。後編では数学と音楽の関係、そしてSTEAM教育、さらにテーマ事業プロデューサーに任命された2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)のお話などをおうかがいします。



後編へ続く

  • プロフィール画像 中島さち子さん ジャズピアニスト、数学研究者、教育家〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    ジャズピアニスト、数学研究者、教育家、メディアアーティスト。1979年生まれ。東京大学理学部数学科卒業。幼少時からピアノや作曲に親しみ、高校2年生の96年に国際数学オリンピックインド大会で日本人女性初の金メダルを獲得。大学時代にジャズに出合って本格的に音楽活動を開始、フリージャズビッグバンド「渋さ知らズ」に参加しながらソロ活動も活発に行った。2017年に株式会社steAmを設立し、最高経営責任者(CEO)としてSTEAM教育の普及に努めている。著書に「人生を変える『数学』そして『音楽』」、「音楽から聴こえる数学」(講談社)、絵本「タイショウ星人のふしぎな絵」(文研出版、絵:くすはら順子)ほか、音楽CDは「REJOICE」、「希望の花」、「妙心寺退蔵院から聴こえる音」ほか。国際数学オリンピック金メダリスト(日本人女性唯一)。内閣府 STEM Girls Ambassador(理工系女子応援大使)。経済産業省「『未来の教室』とEdTech研究会」研究員。日米リーダーシッププログラムフェロー/フルブライター。NY大学 Tisch School of the ArtsのITP (Interactive Telecommunications Program) M.P.S.

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