【連載】創造する人のためのプレイリスト
2021.10.12
音楽ライター:徳田 満
日本のポップスを世界がカバーする「逆カバー・バージョン」の歴史
ゼロから何かを生み出す「創造」は、産みの苦しみを伴います。いままでの常識やセオリーを超えた発想や閃きを得るためには助けも必要。多くの人にとって、創造性を刺激してくれるものといえば、その筆頭は「音楽」ではないでしょうか。「創造する人のためのプレイリスト」は、いつのまにかクリエイティブな気持ちになるような音楽を気鋭の音楽ライターがリレー方式でリコメンドするコーナーです。
現在「J・POP」と呼ばれている日本のポップスの歴史は、外国曲のカバーから始まっている。初めて音盤化された日本語によるポップスは、1928(昭和3)年に発売された、二村定一と天野喜久代が歌う「あほ空」だが、これは前年アメリカで大ヒットした「My Blue Heaven」に、堀内敬三が日本語の訳詞をつけたものだ。その後も、外国曲に日本語詞をつけたカバー・バージョンは1960年代中頃まで隆盛だったが、日本人が作るポップスが洗練されてくるにつれ、次第にオリジナル曲のほうが人気を呼ぶようになった。そしてその現象は、日本国内だけではなかった。最近のシティポップ・ブームからも分かるように、今では世界中でメイド・イン・ジャパンのポップスが愛聴され、各国でカバー・バージョンが作られる時代となっている。今回は、そんな「逆カバー・バージョン」の歴史をたどってみたい。
1.上を向いて歩こう/Ben E. King(ベン・E・キング)
おそらくは、世界中で最も多くカバーされている日本の楽曲。後にも先にも、ビルボードでNo.1となった唯一の日本人作品なので当然ではあるが、曲自体に尽きぬ魅力があるからこそ、現在もなおカバーされ続けているのだろう(個人的には、この歌を日本の国歌にすればいいとまで思っている)。地域もアメリカからヨーロッパ、南米、アジアまで幅広く、インスト/ボーカルを問わず、バラエティーに富んだカバーが存在する。中でも有名なのは、1981年にテイスト・オブ・ハニーがカバーしたもので、当時ビルボード3位というミリオンヒットを記録。アジアンテイストのソウル・バラードといった仕上がりは、今聴いても新鮮だ。今回は、東日本大震災復興アルバム「Dear Japan, 上を向いて歩こう」のために、「Stand By Me」で知られるベン・E・キングが日本語で歌ったバージョンを。彼の味わい深いボーカルはもちろん、黒人の子どもたちによるコーラスも素晴らしい。
2.說不出的快活(ジャジャンボ)/葛蘭(グレイス・チャン)
少し時代は遡る。「上を向いて歩こう」の中村八大と同じく日本が誇る作曲家・服部良一の作品も、中国や台湾など中国系の歌手を中心にカバーされ続けている。代表的なものが、1940(昭和15)年、映画「支那の夜」の劇中歌として作られた「蘇州夜曲」。1943年には中国人女性歌手の白虹が中国語で歌ったカバー・シングルが発売されているので、これがおそらく外国で日本人の作品がカバーされた「逆カバー」の第1号だろう。そして、服部らしいリズム歌謡として1955年に作られたのが、ラテン風味のこの「ジャジャンボ」である。オリジナルは"ブギの女王"笠置シヅ子と旗照夫のデュエットだが、この葛蘭(グレイス・チャン)によるカバーは抜群のリズム感と表現力で、オリジナルを凌駕(りょうが)している。葛蘭は中国生まれながら、その後、一家で香港に移住。1953~64年に女優・歌手として活躍した。オリジナルの「我要你的愛」、「Cha-Cha (Mambo Girl)」といったアップテンポナンバーも、同じ服部の名曲「胸の振子」のようなバラードも難なくこなした、香港ショービズ界の伝説的ディーバである。YouTubeには非公式ながら当時の映像もアップされているので、ぜひその時代を超えたパフォーマンスを確かめてほしい。
3.У моря, у синего моря(恋のバカンス)/Нина Пантелеева(ニーナ・パンテレーエワ)
1963年に大ヒットしたザ・ピーナッツの「恋のバカンス」は、現在でも新たなカバーを生んだり、カラオケで歌われたりして、すっかり日本のスタンダード・ナンバーとして定着しているが、実はロシアで一番有名な日本の歌も、この楽曲なのだそうだ。なんでもソビエト連邦だった当時、国営放送局から東京に派遣されていた人が「恋のバカンス」を気に入り、本国へ持ち帰って大プッシュ。ザ・ピーナッツのオリジナルもヒットしたが、さらに人気歌手のニーナ・パンテレーエワがロシア語でカバーしたことで大ヒットとなったという。その後も現在に至るまで世代を超えて愛される歌となり、今では若手歌手がダンサブルなアレンジとともに日本語でカバーしている。確かにこのロシア語バージョンを聴いてみると、ザ・ピーナッツが日本語でカバーした「モスコーの夜は更けて」にも通じる、ロシア民謡っぽい哀愁があるような気がする。
4.Kaze Wo Atsumete(風をあつめて)/Priscilla Ahn(プリシラ・アーン)
「日本語ロック」のパイオニアとして知られるはっぴいえんどの「風をあつめて」は、1971年のセカンド・アルバム「風街ろまん」に収められたが、当時はシングルカットさえされなかった。つまりこの曲が評価され始めたのは、バンドが解散したはるか後のことだったのである。さらに、海外で知られるようになったのは、2003年公開のソフィア・コッポラ監督の映画「ロスト・イン・トランスレーション」に使われてから。このアメリカのシンガー・ソングライター、プリシラ・アーンもそれでこの曲を知ったという。なにせ、はっぴいえんどどころかYMOが活動していた頃さえ知らない1984年生まれなので無理もないが、それでいて、完璧な日本語で歌っているのには驚かされる。いつだったかラジオで松本隆が「これで当時言われていた、『外国で成功するには英語か日本語か』の論争は決着ついたんじゃないの」と笑っていたが、本当にはっぴいえんどは「40年早かった」バンドだったのかもしれない。
5.Vapor Trail(ひこうき雲)/Susan Boyle(スーザン・ボイル)
1973年に発売された荒井由実のデビュー・アルバムのタイトル曲「ひこうき雲」は、最近では2013年公開の宮崎駿監督のアニメ映画「風立ちぬ」の主題歌としても知られている。それだけにカバーされることも多くなったが、「奇跡の歌声」と讃えられたスーザン・ボイルの、まるで賛美歌のような歌唱を凌ぐのは難しいだろう。ちなみにこのバージョンは「風立ちぬ」以前の2010年にリリースされたセカンド・アルバム「The Gift」の日本盤限定ボーナストラックだったのだが、原曲の佇まいを保ちつつも、完全に自分の歌として消化しきっているところがすごい。ただ、デビュー当時のユーミンは(当時の主流とは異なり)完全にヨーロッパ志向で、「ひこうき雲」もプロコル・ハルムのようなイギリス的な繊細さが感じられるメロディーなので、スコットランド出身のスーザンとは感性が近かったのかもしれない。なお、ユーミンの楽曲は他にもパティ・オースティンや、1990年代に一世を風靡(ふうび)したA.S.A.P.など、欧米の女性アーティストによくカバーされている。
6.Ellie My Love(いとしのエリー)/Ray Charles (レイ・チャールズ)
たぶん今回紹介するカバーの中で、最もよく知られているのがこの曲だろう。1979年にサザンオールスターズ3枚目のシングルとしてリリースされた「いとしのエリー」を、レイ・チャールズがカバー。CMに使われたこともあって当時かなり話題になり、レコードの売り上げも彼の日本での最高枚数だったという。その要因としては、レイほどの大物アーティストが日本人アーティストの作品を取り上げたということも大きかっただろうが、もうひとつ考えられるのは、このカバーがリリースされた1989年には、「いとしのエリー」は日本国内では桑田佳祐の歌声と歌詞込みでのスタンダード・ナンバーとして定着していたということだ。それをレイが英語で歌い上げたことで、実は珠玉のソウル・バラードでもあったということに日本人が気づいた、ということが大きかったのだと思う。
7.Behind the Mask(ビハインド・ザ・マスク)/Michael Jackson (マイケル・ジャクソン)
「いとしのエリー」と同じ1979年、なんと後にマイケル・ジャクソンにカバーされる曲が生まれていた。それがこの「ビハインド・ザ・マスク」である。YMOのセカンド・アルバム「Solid State Survivor」に収録された作品だが、発売当時はシングルカットもされなかった。ただし、作曲した坂本龍一によると、海外でのライブでは異様に反応がよく、その理由を坂本自身も分からなかったという。ともあれ、この曲はまずクインシー・ジョーンズが気に入り、マイケルが歌詞を書き足して、1982年の彼の大ヒットアルバム「Thriller」に収録される予定だったが、トラブルがあって見送られ、正式にリリースされたのはマイケルの死後の2010年であった。動画を視聴してもらえば分かるように、マイケルらしいダンサブルなテイストを加味しつつも、原曲のテクノっぽさやグルーヴ感も生かされた好トラックになっており、「Thriller」に収められていれば、YMOの世界的な評価も全然変わっていたのではないだろうか。
8.Shimauta(Cancion de la Isla) (島唄)/Alfredo Casero(アルフレド・カセーロ)
「島唄」は、言うまでもなくTHE BOOMが1992年に大ヒットさせた曲だが、なんと地球の裏側でこの歌を、しかも日本語でカバーしたアーティストがいた。それがアルゼンチンのアルフレド・カセーロである。2001年に出したアルバム「Casaerius」の中に収録されたが、日本語で歌ったのは、単に意味が分からなかったためだという。しかし、このアルバムはアルゼンチンで大ヒットし、「島唄」も人気の曲となる。アルフレドはそれが縁でTHE BOOMの宮沢和史との交流が始まり、挙げ句には2002年の紅白歌合戦にもTHE BOOMとともに出場するという、できすぎたようなストーリーをたどることになった。このカバー自体は、三線(さんしん)もちゃんと入っており、おそらく原曲に忠実にやっているつもりなのだろうが、なぜか歌も演奏も少し暴力的に聞こえるのが面白い。やはりアルゼンチンは情熱の国、ということなのだろうか。
9.戀愛革命21(恋愛レボリューション21)/冰淇淋少女組。(アイスクリー娘。)
再びアジアに戻って、台湾である。原曲は、まだ安倍なつみや後藤真希がセンターを務めていた頃のモーニング娘。が2000年末にリリースした「恋愛レボリューション21」だが、どう聴いてもオケが一緒で、これはバッタもん? かと思ったら、実はこの「アイスクリー娘。」というのは、モー娘。が所属するハロー!プロジェクトが海外オーディションを経て結成させた台湾女子たちだったのだ(不勉強で申し訳ない)。本家に比べると衣装の露出もダンスも控えめで、メンバー全員黒髪のまじめそうな女の子たちといったところが、今見るととても新鮮で、中国語による歌も日本語バージョンより可愛らしい印象だ。アイスクリー娘。は、この曲が収録された2009年リリースのミニアルバム1枚を残して解散してしまったようだが、筆者的には、こういう70年代ディスコテイストの楽曲によるアイドルグループが、世界のどこかからまた出てきてほしいものである。
10.눈의 꽃(雪の華)/Park Hyo Shin(パク・ヒョシン)
最後は、お隣の国、韓国。かつて日本が植民地化していた過去から、韓国では日本大衆文化の流入制限策を取っていたが、20世紀の終わり頃には、それがかなり緩和されてきた。逆に現在は、韓国のアイドルやスターが日本で大人気となっているが、その意味で、中島美嘉による2003年の大ヒット「雪の華」が翌年の連続テレビドラマ「ごめん、愛してる」の主題歌になったというのは、画期的なことだったのではないだろうか。そして、この韓国語による主題歌を歌ったのが、韓国の大人気歌手、パク・ヒョシン。日本で言えば德永英明のような、裏声を巧みに使い、しっとりと聴かせるような歌声は、さすがである。さて、2020年代以降は、世界のどの地域でどんな音楽が生まれ、どんなカバーが作られていくのだろうか。
※記事の情報は2021年10月12日時点のものです。
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【PROFILE】
徳田 満(とくだ・みつる)
昭和映画&音楽愛好家。特に日本のニューウェーブ、ジャズソング、歌謡曲、映画音楽、イージーリスニングなどを好む。古今東西の名曲・迷曲・珍曲を日本語でカバーするバンド「SUKIYAKA」主宰。
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