【連載】創造する人のためのプレイリスト
2023.04.07
音楽ライター:徳田 満
ニューミュージックは歌謡曲よりも売れる音楽に | 1973年、ニューミュージック「生誕」の年へ【後編】
ゼロから何かを生み出す「創造」は、産みの苦しみを伴います。いままでの常識やセオリーを超えた発想や閃きを得るためには助けも必要。多くの人にとって、創造性を刺激してくれるものといえば、その筆頭は「音楽」ではないでしょうか。「創造する人のためのプレイリスト」は、いつのまにかクリエイティブな気持ちになるような音楽を気鋭の音楽ライターがリレー方式でリコメンドするコーナーです。
J・POPは、その昔、「ニューミュージック」と呼ばれていた。その言葉の由来には諸説あるが、仮に荒井由実(あらい・ゆみ)が「ひこうき雲」でアルバムデビューした1973年を起点とすると、2023年でちょうど半世紀になる。今回は50年前にタイムトリップし、当時の社会状況とともに、ニューミュージックのどこが「新しい音楽」だったのか、現在のJ・POPとはどこがどう違っていたのかを、時代を象徴する作品とともに考えてみたい。
1.吉田美奈子/週末
1973年9月21日、今はなき東京都文京区にあった文京公会堂で、のちに伝説となるライブ「CITY―Last Time Around」が開催された。実際は前年に解散していたはっぴいえんどの解散コンサートであり、彼らの新しいプロジェクトのお披露目コンサートでもあった。
そこでステージに立ったのが、同じ日、1stアルバム「扉の冬」をシングル「ねこ/扉の冬」と同時発売した吉田美奈子(よしだ・みなこ)。彼女はストリングスを従え、ピアノの弾き語りで、同アルバムから、この「週末」を含む3曲を歌った。
考えてみれば、吉田美奈子は不思議な存在だ。これといったヒット曲もないのに、音楽ファンにはよく知られている。いや、知られているどころではない。筆者が2021年に観た松本隆(まつもと・たかし)作詞活動50周年記念イベント「風街オデッセイ2021」でも、2015年の「風街レジェンド 2015」でも、吉田美奈子への拍手は並み居る著名アーティストの誰よりも大きかった。それは、彼女が一度聴けば誰もが納得する、飛び抜けた歌唱力の持ち主、まさにミュージシャンズ・ミュージシャンだからである。
「扉の冬」は、彼女が20歳の時のアルバム。細野晴臣率いるキャラメル・ママの全面サポートを受けているとはいえ、彼女は全曲の作詞作曲を手がけ、アレンジし、歌っている。この初期の歌声は、のちのソウルフルなスタイルとは違い、透明感あふれる叙情的な印象で、なぜこの素晴らしさが一般に理解されなかったのか、いや素晴らし過ぎたから理解されなかったのか、とさえ思ってしまう。
吉田美奈子という才能が真に評価されるには、50年でもまだ早いのかもしれない。
2.南佳孝/おいらぎゃんぐだぞ
その吉田美奈子と同じく、「CITY―Last Time Around」に出演し、同日レコード・デビューしたのが南佳孝(みなみ・よしたか)である。
吉田美奈子は以前から細野晴臣らと知り合いで、ライブ活動も1969年頃から始めていたが、南佳孝の場合はこのコンサートがステージデビューだった。彼はのちに「スローなブギにしてくれ(I want you)」で大ヒットを飛ばし、現在ではシティ・ポップを代表するアーティストのひとりとして知られる。
この「おいらぎゃんぐだぞ」が収められた1stアルバム「摩天楼のヒロイン」は、南佳孝と知り合ってすぐに意気投合した松本隆が、「都会」をコンセプトに作詞・プロデュースしたものだ。ただそれは、1920~30年代のジャズやハリウッド黄金時代などをイメージしたノスタルジックな都会であり、いわゆるシティ・ポップとは趣が異なる(松本隆は、はっぴいえんどが続いていたら、このアルバムの詞のような方向性になっただろうと述懐している)。
「摩天楼のヒロイン」も、吉田美奈子の「扉の冬」も、当時は数千枚しか売れず、制作した事務所は解散に追い込まれ、スタッフは借金を背負う。だが、50年後の現在では、どちらも名盤としての評価が定まっている。それは、売れる/売れないという尺度ではなく、いいものを作るために時間とお金を惜しまなかったからだろう。
この頃は、そうした試みが可能だった、最後の時期だったのかもしれない。
3.泉谷しげる/国旗はためく下に
※iTunes Storeにはアルバム「光と影」がないため、リンク先はアルバム「GOLDEN☆BEST~Early Days Selection~」に収録されたものです。
1973年9月25日にリリースされた、泉谷しげる(いずみや・しげる)4枚目(スタジオ盤としては3枚目)のアルバム「光と影」の実質的なラスト曲が、「国旗はためく下に」である。
「ニューミュージック」という名は、前編のチューリップ「心の旅」の項でも触れたように、当時圧倒的なシェアを誇っていた「歌謡曲」と区別するために生まれた。ただ、この呼称が一般的になる前は、吉田拓郎や井上陽水(いのうえ・ようすい)、そしてこの泉谷しげるのような、アコースティックギター1本で弾き語りをしていたアーティストは「フォーク」、サディスティック・ミカ・バンドのようなバンド編成のアーティストは「ロック」と呼ばれていた。
現在から見ると、楽器編成の問題でしかないのだが、当時はそうカテゴライズされていた。その背景には、かつてボブ・ディランがエレキギターを持ってステージに現れただけで「裏切り者」と批判されたような、フォーク派とロック派の対立があったと思われる。
では、楽器編成ではない「ロック」とは何か? 個人的には「強大なものに刃向かい自由を求める精神が音に現れているもの」と考える。その意味で、「君が代」のメロディーで始まるこの「国旗はためく下に」は、詞もサウンドも泉谷のボーカルも含めて、紛れもないロックであり、強大な権力に刃向かう心をなくした2023年のこの国でこそ、聴かれるべき1曲である。
4.五輪真弓/煙草のけむり
1973年は、前年から「週刊漫画アクション」(双葉社)に連載されていた「同棲時代」(作・上村一夫)という漫画が単行本化され、話題となった年でもある。
「同棲」という言葉自体、70年代以降に一般化したもので、60年代までは「内縁関係」とか「事実婚」という言い方しかなかった。それは、女性は男性(とその家)に従属するもの、という認識が多くの日本人にあったからだろう。対して、「同棲」は結婚という制度からも家からも自由な、個としての男女が対等な立場で一緒に暮らすということ。そして、この「同棲時代」をきっかけに、同棲ブームが起こる。戦後30年近くが経ち、日本はようやくそこまでたどり着いたのだ。
2ndアルバム「風のない世界」からのシングルカット曲として、1973年10月1日にリリースされた五輪真弓(いつわ・まゆみ)の「煙草のけむり」は、同棲についての歌ではない。煙草の火がきっかけで知り合い、ほんのわずかな時を過ごした男と女の、心のすれ違いを歌ったものだ。しかしそこには一対一の、対等な関係が当たり前のように描かれている。それは従来の歌謡曲では存在しなかった世界である。
五輪真弓は、前編のりりィの項で触れたように、1972年10月、アルバム「少女」と当時発売の同名シングルでデビューした。「少女」は、はっぴいえんどの解散前最後のスタジオ・アルバム録音に数カ月先駆けて、アメリカ・ロサンゼルスで録音。キャロル・キングがデモテープを聴いて感動し、ピアノで参加したことがよく知られているが、「風のない世界」でも引き続きキャロルや彼女の代表作「つづれおり」をアレンジしたデヴィッド・キャンベルなどが参加し、すでに完成されていた五輪真弓の世界をグレードアップさせている。
5.はちみつぱい/塀の上で
1973年10月22日、川上哲治監督率いる巨人が前人未到、そしておそらく今後もないと思われるセ・リーグ9連覇を達成(翌月に日本シリーズで南海を破り、9年連続日本一になる)。その翌々日に発売されたのが、はちみつぱい唯一のオリジナル・アルバム「センチメンタル通り」である。
はちみつぱいは、1970年に鈴木慶一(すずき・けいいち)とあがた森魚(あがた・もりお)らにより結成された「あがた精神病院」が前身。その後、あがたとは別に「蜂蜜ぱい」(1972年頃「はちみつぱい」に変更)として活動し、1971年頃にメンバーがほぼ出そろうが、1974年11月20日のコンサートをもって解散。その後、メンバーの約半数が、現在も活動を続けるムーンライダーズに参加する(今年2月に亡くなったキーボーディストの岡田徹〔おかだ・とおる〕もそのひとりだった)。ただし音楽性は全く異なり、はちみつぱいはザ・バンドやグレイトフル・デッドの影響を受けた、温かみのあるバンドサウンドとなっている。
この「塀の上で」は、1年間付き合った女性が、羽田発ロンドン行きの飛行機で自分から去っていくのを見ている――という歌詞が、ゆったりとしたワルツ(三拍子)で歌われる。実際に羽田で生まれ育った鈴木慶一ならではの切ない心情が、メロディーを通して伝わってくる、というより、つい口ずさんでしまう。
「塀の上で」は、「センチメンタル通り」のラストチューンであり、解散コンサートで最後に歌われた曲でもある。だから余計にそう思うのかもしれないが、ただの男女の別れという以上に、一つの時代の終わりを強く感じさせる。
6.荒井由実/ベルベット・イースター
筆者がある会社に勤めていた2016年頃、ランチを食べに通っていた居酒屋が東京・新橋にあった。そこは、いつ行っても荒井由実だけが流れていた。決して松任谷由実(まつとうや・ゆみ)時代の曲はかからないので、ああこれはこだわりなんだと思った。
荒井由実時代と松任谷由実時代の違いについては、よく云々されるが、結局のところ、「プロとしてやり続ける」意識の有無ではないだろうか。
アルファレコードの社長であった村井邦彦が社運を賭し、キャラメル・ママとともに1年を費やしてレコーディングさせた荒井由実の1stアルバム「ひこうき雲」は、1973年11月20日にリリースされた。だが、当初は「ロック」でも「フォーク」でも「アイドル」でもない音楽に、発売元の東芝EMI(現・ユニバーサルミュージック)さえ困惑するなど、業界内の反応も売れ行きも芳しくなく、デビュー・コンサートの集客にも苦しむほどだったという。
翌年の2ndアルバム「MISSLIM」にしても似たような状況だった。1975年にテレビドラマの主題歌として作られた「あの日にかえりたい」と、同年の3rdアルバム「COBALT HOUR」が売れていなければ、荒井由実(=松任谷由実)というアーティストは、そこで終わっていたかもしれないのである。
しかし、だからこそ、荒井由実時代、特に最初のアルバム「ひこうき雲」は、プロになりきっていない「半アマチュア」ならではのピュアさや繊細さにあふれているとも言える。おそらく、初めて彼とデートする日曜の朝の気分をそのまま歌った、この「ベルベット・イースター」は、歌唱スタイル、アレンジ(演奏)も含めて、そうした透明度が極まった1曲だと思う。
7.井上陽水/氷の世界
10月初旬に起きた第4次中東戦争の影響で、原油の供給が制限され、日本は一気に物価高となった。いわゆる第1次石油ショックである。筆者もテレビに映る、トイレットペーパーを求めてスーパーに群がる主婦たちの姿を覚えている。そして年の瀬の12月29日、3月に出版された小松左京(こまつ・さきょう)の小説を原作とする映画「日本沈没」が公開され、当時の興行収入記録を塗り替える大ヒットとなった。11月に出版された五島勉(ごとう・べん)の著書「ノストラダムスの大予言」もミリオンセラーとなり、一気に終末ブームが到来する。
そんな1973年の最後の月、12月1日にリリースされたのが、井上陽水3枚目のアルバム「氷の世界」である。
本作はアルバム(LP)としては日本レコード史上初のミリオンヒットとなり、なんと1974年、75年の2年にわたってオリコンの年間1位も獲得している。ニューミュージックは、ようやく、歌謡曲よりも売れる音楽になったのである。
洋邦を問わず、名盤というものは「捨て曲」がなく、どの曲も粒ぞろいで魅力にあふれている。この「氷の世界」も、ヒットした「心もよう」と、そのB面である忌野清志郎(いまわの・きよしろう)との共作「帰れない二人」以外はシングルカットされていないにもかかわらず、「あかずの踏切り」「小春おばさん」「桜三月散歩道」など、陽水の代表曲となった楽曲が多い。
中でもタイトル曲「氷の世界」は、心の中をブリザードが吹きすさぶような歌詞と、スティービー・ワンダーの「スーパースティション」を思わせるような16ビートのソウルフルなサウンドが印象的で、当時よりもむしろ90年代以降に評価が高まっているようだ。
それにしても、山手線(当時・国鉄)の初乗り運賃が30円、かけそば120円、カレーライス230円の時代に、LPレコードは2,300円。現在の感覚なら1万円程度の金を惜しまず、100万人以上が、決して分かりやすいとは言えない、この「氷の世界」を買ったのである。50年前の日本人の優れた鑑賞眼に改めて驚かされるが、もしかすると「氷の世界」というタイトルそのものに、時代とシンクロする何かを感じていたのかもしれない。
※記事の情報は2023年4月7日時点のものです。
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【PROFILE】
徳田 満(とくだ・みつる)
昭和映画&音楽愛好家。特に日本のニューウェーブ、ジャズソング、歌謡曲、映画音楽、イージーリスニングなどを好む。古今東西の名曲・迷曲・珍曲を日本語でカバーするバンド「SUKIYAKA」主宰。
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