音楽
2023.09.26
アン・サリーさん 歌手・医師 〈インタビュー〉
音楽のそのものが持つ美しさを、そのまま歌いたい
透明感ある歌声で、聴く人の心の奥深くに届けるシンガーソングライター、アン・サリーさん。2001年にアルバム「Voyage」(ヴォヤージュ)でデビューし、NHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」の挿入歌「おかえり」を手掛けるなどの実績を持ついっぽうで、デビュー以前から内科医として患者と真摯に向き合っています。ジャズからアニメソング、童謡までの幅広いジャンルで聴く者を魅了するアンさんに、音楽のこと、医師と歌手という2つの仕事を持つことなどについてうかがいました。
写真:小林 みのる
憂歌団がきっかけでブラックミュージックに目覚めた
──アンさんは、どのように音楽と出合ったのですか。
子どもの頃にピアノは習っていましたが、特別なことはしていませんでした。ただ思い出すのは家にステレオセットとLPがあり、サラ・ヴォーン*1のレコードがあったので、こっそり聴いては、誰もいない所でサラ・ヴォーンの節回しをまねして遊んでいました。
──学生時代はどんな音楽を聴いていたのですか。
中学生の頃は、ビートルズなどの有名アーティストの曲をよく聴いていましたが、高校生の頃からは憂歌団*2が好きになりました。
──憂歌団がお好きだったとは意外です。
憂歌団を教えてくれた友人がいたんです。私、名古屋出身なんですけど、当時憂歌団は名古屋のライブハウスでよくライブをやっていて、友達と観に行っていました。その後、憂歌団が歌っている曲のルーツをたどって、原曲のブルースを聴くようになりました。18歳ぐらいの頃です。
──歌を歌い始めたのはいつ頃ですか。
人前で歌うようになったのは大学に入ってからです。大学でリズム&ブルース研究会というサークルに入り、憂歌団のカバーバンドを始めました。憂歌団の曲には女性が人前で歌えないような歌詞の曲もありますが、「嘘は罪」などスタンダードナンバーを日本語訳した曲があって、そんな曲をやっていました。あとはボニー・レイット*3やフレディ・キング*4の曲も歌いましたね。
──フレディ・キングを歌うんですか。
はい! ブルースという感じじゃなくて、バラードでわりと雰囲気のいい曲を歌っていました。フレディ・キングの「Same Old Blues」という曲を歌った時、初めて人に「いいね」って言ってもらえたのがうれしかったです。
*1 サラ・ヴォーン:1924~1990年。アメリカの黒人女性ボーカリスト。ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルドと並び、女性ジャズボーカリスト御三家と称される。
*2 憂歌団(ゆうかだん):大阪出身のブルースバンド。1975年にデビューし、木村充揮、内田勘太郎、花岡献治、島田和夫の4人で長年にわたり活動。1998年に活動休止するも、2013年に再結成した。
*3 ボニー・レイット:アメリカ・カリフォルニア州出身のギタリスト、シンガーソングライター。1971年にデビューし、1989年の「Nick Of Time」で全米1位となり、グラミー賞3部門を獲得。
*4 フレディ・キング:アメリカ・テキサス州出身のブルースギタリスト。B.B.キング、アルバート・キングとともに3大ブルースギタリストとして知られ、ロック界にも多大な影響を及ぼした。
人間について知りたかったから医療の道へ
──アンさんは、お医者さんでもいらっしゃいます。医師を目指したのはどうしてですか。
以前から人間について知りたいと思っていました。そして医療が人間について知る一番よい方法だと思うようになりました。人の体や病気を勉強することで「人」をより深く知ることができると考えたのです。
──医師としての専門分野はなんですか。
内科医です。中でも循環器の分野、心臓や血管の病気、特に高血圧が専門です。その勉強をするためにアメリカのニューオーリンズに留学しました。
──内科医にはどんなやりがいがありますか。
実際に医療に従事すると、実は人との関わりがこの仕事の一番大きな部分であり、魅力であると気づきました。外来での患者さんとの対話はもちろんですが、最近は在宅医療で、患者さんの家を訪ねて治療をする機会が増え、より人を深く知ることができる仕事だなと思っています。
──専業のミュージシャンにならなかったのはどうしてですか。
音楽もやりたかったのですが、医療にも携わりたかったんです。先に音楽をメインに選んでしまうと医療に関わる機会はなくなってしまいますが、医療の道に進めば、時間をつくって音楽もできるだろうということで、両方できる道を選びました。そして「最終的にどっちを選ぶのか」という選択を、先延ばし、先延ばしにしているうちに、いつのまにか両方をやることになっていました。今は1つに絞らずこれまでやってきてよかったと感じています。
──第一線のボーカリストと医師、2つを同時にやることは、大変ではないですか。
もちろん大変なこともあります。医師としての修業の時期は医療にかなり濃く関わりましたし、国家試験の時期も音楽活動はできませんでした。でもどんなに仕事が忙しい時でも、音楽を聴いていました。医師になってからも多忙ではありますが、休日や夏休みはありますからね。
Ann Sally アン・サリー うたの診療所 Vol.7「ゴンドラの唄」
多くの人の前で歌うことより、「こういう感じで歌いたい」という理想を追求していきたい
──歌手としての活動を本格的に始めるきっかけはどんなことでしたか。
実は私、他力本願というか、自ら進んで大勢のお客さんの前で歌いたいというよりは、導かれるままに「はいはい、やってみます」ってやっているうちに、だんだんと今のような状況になっていたというのが正直なところです。CDにしても「人生で一度くらいは出してみたいな」と漠然と思っていた程度です。でも、レコード会社から「音源を録ってみませんか」と声がかかって、「まぁやってみようかな」って感じで流れに任せてやってみました。そしてCDとなってリリースされましたが、その後私はすぐに医師としてニューオーリンズに留学してしまったんです。
──そのデビューアルバム「Voyage」がヒットしたわけですね。
ジャズの分野では異例なぐらいの売れ行きだったらしいんですけど、私はその間留学していたので、実感はありませんでした。
──「なんか評判になっているらしい」という感じでしょうか。
そんな感じです。ただ1枚目の評判がよかったので、その後2枚目、3枚目のCDを出さないかと、また周りから提案いただいて、それならまあやってみるか、みたいな感じで今に至っています(笑)。ですから歌は楽しいから続けているだけで、聴いてくれる人が多くても少なくてもあまり関係ないんです。歌いたいから歌ってる。そんな感じでずっとやってきました。
──では「より多くの人に自分の歌を聴いてもらいたい」という気持ちはあまりない?
たくさんの人に聴いてもらいたいから、石にかじりついてでも頑張るっていう気持ちは、正直あまりないです。それよりも「こういう歌を歌いたい」とか「こういう感じで歌えるようになったら、すてきだな」という、歌に対する自分の理想に近づきたいという気持ちで続けています。
──それはどういう歌い方ですか。
音楽の持っている美しさを表現するために、自分という存在すら忘れて歌そのものになるような歌い方ができたらどんなに素晴らしいだろうと思います。
──そんな歌を歌っているのは、たとえばどんなアーティストですか。
やはり時代を経ても人の心に残る偉大なミュージシャンには、共通してそういった素晴らしさがあるから胸を打ち続けるのだと思います。たまたま今朝聴いていたジョアン・ジルベルトも、サム・クックも、ナット・キング・コールも、我を見よというのでなく利他的な演奏であると感じるのです。
ニューオーリンズでの収穫と、日本語で歌うこと
──先ほどニューオーリンズに留学した話をうかがいましたが、ニューオーリンズはジャズの街として有名ですよね。
ニューオーリンズはジャズの発祥の地です。小さな町ですが、毎晩街の至る所でジャズが演奏されていて、そのレベルの高さに圧倒されました。よくライブを観に行きましたが、日本でCDをリリースした歌手だと分かって顔見知りになると、ちょくちょくステージに呼ばれて歌わせてくれました。
──ニューオーリンズで歌ったことで得たものはありますか。
とてもいい経験になりました。ニューオーリンズで特に感じたのが「歌詞」の大切さです。英語の国だから当たり前ですが、ミュージシャンたちは歌詞にビビッドに反応します。日本でもフレージングやリズムに対して演奏が反応することはありますが、彼らは歌詞の意味や歌い方にすぐ反応してくれるんです。もちろんお客様もそうです。ジャズが生まれた場所だけあって、歌詞に対する聴衆の反応も、とても鮮やかでした。
──ファーストアルバムは英語やポルトガル語の歌のみでしたが、その後のアルバムには日本語の歌が入ってきます。その経験と関係があるのでしょうか。
2枚目、3枚目から日本語の曲を入れるようになりましたが、ニューオーリンズでの経験が大きいです。やっぱり日本で日本語の曲を歌うと、歌詞が直接お客様に伝わるという実感があります。その方がやっていて楽しいし、お客様もうれしいかなと思って、日本語の曲が増えていきました。
──英語でしか歌わないジャズボーカリストの方も多いと思いますが、アンさんは違うんですね。
私、ジャズシンガーだという自覚はあまりなくて、自分は「ジャズが好きなシンガー」だと思っています。だからアルバムに、ジャズは入ってる、日本語の曲は入ってる、ボサノバも入ってるってなっちゃう。そのアルバムをCDショップに置く時には、担当者が売場のどこに置くのか困るんだそうです。
Ann Sally アン・サリー 最新アルバム「はじまりのとき」ダイジェスト
「白か黒か」ではなく、グレーのまま両方続ける
──アンさんにとって医療と音楽は両立するもの、というよりどちらも欠かすことのできないものなんですね。両方やっていてよかったと思うことはありますか。
音楽の演奏ではそこにいる皆さんに「いい音楽を届けたい」という気持ちで、一期一会と思って集中し、その場で私にできる限りを尽くします。ライブのたびに、ある意味、腹が据わった状態でお客様と対峙するわけです。その腹の据え方みたいなものが、診察で患者さんと向き合う時の腹の据え方と似ているような気がしています。しかもこれを両方やると、音楽も医療もダブルで鍛えられる気がします。修羅場を幾つも乗り越えてきたんだから、この歌を歌えないわけがないっていう気持ちになれるんです。修羅場ってちょっと言葉が怖いですよね(笑)。
──日本では「ひとつのことに専念し、技を磨くのが本当のプロ」とされる風潮があるように感じます。しかし別の仕事を持ちながら、音楽やアート、スポーツなどを真剣に続ける人がもっといていいのでは、とも考えられます。シンガーと医師の両方をされているアンさんはその素晴らしいロールモデルだと思っているのですが、この二刀流のスタイルについてどう考えますか。
たぶん皆さん、すごく真面目だから「白か黒か」でなくては、と考えてしまうんじゃないでしょうか。でも私は「白か黒か」でなくてもいいと思うんです。本当に好きなことであれば、仕事や家事の合間の短い時間でも続けることはできますから。好きなことや興味があることは、仕事をしながらでもやってしまえばいいと思います。
私も今に至るまでには「いずれひとつに絞らざるを得なくなる」と何度も言われました。でもそういう時は「ああ、そうですね」って受け流して、そのままスルスルってすり抜けてきました。白でも黒でもなく、なんとなくグレーのままやりたいことを続けていく。私はそんなふうにやってきました。
そういえばニューオーリンズで出会った世界的なベーシストがいました。その人の手がすごくゴツかったんですよ。なるほど、ああいうベースを弾くとこんなに手がゴツくなるんだって思っていたら、実は水道管の工事の仕事をしながら音楽をやっている人でした。水道管工事の仕事をしている指でベースを弾くから、すごくいい音が出ていたわけです。そのように両方やるからいいことだってありますし、どっちかが忙しかったら休めばいいですしね。
──今後、音楽で挑戦してみたいことはありますか。
これまでは日本での活動がメインでした。ときおり台湾やシンガポールで歌ったことはありましたが、今後は海外でももっと歌ってみたいです。ただ平日は医療の仕事をしていて、週末しか音楽活動ができないんですね。ですからあまり遠くの場所に行くのは難しい側面もありますが、チャンスを見つけて海外にも自分の音楽を届けてみたいと考えています。
──具体的に行ってみたい国はありますか。
私は日本で生まれ育ちましたが韓国籍です。でもまだ韓国での演奏経験がありませんから、一度韓国でも歌ってみたいと思っています。また、ヨーロッパやアジアの国々でも歌ってみたいですね。もともと私は旅好きが高じて、ニューオーリンズへの留学も、言われてその場ですぐ「行きます!」って言ったぐらいなので、旅をしながら歌うのもいいな、と思います。
──ニューオーリンズに凱旋するのもいいかもしれないですね。
そうですね。ニューオーリンズならどこでも飛び入りで歌えますから。当時よりもちょっと肝も据わったので、いずれ歌いに行きたいです(笑)。
──お話をうかがって、アン・サリーさんの伸びやかで温かく優しい歌声は、内面にも通じるものがあると感じました。自分の思うままに、好きなことや興味があることを続けていく、真っすぐな生き方がとてもすてきです。今後のご活躍を応援しています!
※記事の情報は2023年9月26日時点のものです。
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【PROFILE】
アン・サリー
ほころぶ花のように芳醇な歌声が聴くものを魅了するシンガー・ソングライター・ドクター。2001年のデビュー以来、医師として勤務の傍らコンスタントに音楽活動を行い、これまで多数のアルバム作品のほかCMや映画主題歌などを歌唱。デビュー20周年となる2021年にはNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の挿入歌を歌唱。2022年2月にはオリジナル曲を中心とした最新アルバム「はじまりのとき」をリリース。その唯一無二の印象的な歌声とジャンルレスな音楽性は幅広い層に届けられている。
アン・サリー オフィシャルサイト
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