「かつて川は道だった」を実感する舟遊び

JUL 16, 2019

三上美絵 「かつて川は道だった」を実感する舟遊び

JUL 16, 2019

三上美絵 「かつて川は道だった」を実感する舟遊び 遊びは創造の源泉。どんなことから「遊び」が見出せるか、そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略してドボたんは、さまざまな土木構造物を愛でるコーナー。第4回は「川」。自動車が道を闊歩するまで、都市の物流の中心を担っていたのは川でした。かつて水の都と呼ばれた東京、大阪、広島などの川で、川が都市交通の中心だった頃の痕跡を探したり、川面から橋のリベットを間近に見たりしながら川を愛でる、ドボたんならではの「舟遊び」の世界をご紹介しましょう。

こんにちは。舟大好きミカミです。今回のドボク探検倶楽部(ドボたん)では、小舟で川をゆく楽しみをお伝えします。

私たちの暮らしでは、まちなかの川を舟で移動する機会はほとんどありません。けれども、まだ鉄道の普及していなかった明治の初め頃まで、水上交通は陸路と同じくらい発達していました。川が"道"の役割を果たしていたのです。そして今、再び水辺の魅力に注目が集まっています。舟から眺めるまちの顔は、いつもとひと味違いますよ!



「水の都」から川が消えた?!

東京、大阪、広島などなど、「水の都」「水都」と呼ばれる都市は、全国にたくさんあります。

広島には、それぞれの家には裏木戸から川へ下りる「雁木(がんぎ)」という階段がついていました。階段状になった"プライベート船着き場"です。今も、京橋川のほとりには家はなくなっているものの、雁木がほぼ等間隔に並んで残っています。舟で運んできた荷を下ろしたり、舟で出かけたりしていた証です。

広島には、それぞれの家には裏木戸から川へ下りる「雁木(がんぎ)」という階段がついていました。↑京橋川の雁木群(広島県広島市)。「ちょっと舟で出かけてくる」なんて言って家を出ていったのだろうか↑京橋川の雁木群(広島県広島市)。「ちょっと舟で出かけてくる」なんて言って家を出ていったのだろうか
東京も、江戸時代には水の都の一つでした。徳川家康によって川や堀が縦横に張り巡らされ、人や荷物を運ぶ高瀬舟で賑わっていたのです。武家は豪華な屋形船、庶民は小さな屋根船で遊覧する「舟遊び」も盛んでした。当時の浮世絵には、隅田川の花火を船から眺める人々の様子などがいきいきと描かれています。

けれども、明治になると全国的に、主な交通手段が舟から鉄道へ移り変わっていきました。船着き場を使う必要がなくなった川や水路では、水害から都市を守るために高い堤防が築かれ、人々は水辺から遠ざかることになったのです。東京では昭和の高度成長期には水質の汚染が進み、川から悪臭が漂うようになりました。私も幼稚園児の頃、澱んだ神田川からメタンの気泡がポコッポコッと、坊主地獄のように湧き上がってくるのを見た覚えがあります。こうなるともう、舟遊びどころではありません。まちなかの川や水路はどんどん覆われて、暗渠になっていきました。まさに「臭いものにフタ」をしたんですね。



復活! 東京の舟遊びで"江戸"を味わう

今では、東京の川はかなりきれいです。かつての舟遊びも復活し、さまざまなクルーズ船が運航しています。なかでも私のお気に入りは、屋根のない船で神田川から隅田川界隈を巡るコース。深い谷になった御茶ノ水駅の真横を通ったり、日本橋の高速道路を真下から見上げたり。隅田川の手前には、多くの屋形船が係留されていて江戸情緒が味わえます。

神田川の柳橋界隈には屋形船の舟宿が並ぶ神田川の柳橋界隈には屋形船の舟宿が並ぶ
↑クルーズの種類によっては、三味線演奏を聴けることも↑クルーズの種類によっては、三味線演奏を聴けることも
暑い日でも、水の上では風が心地よく頬をなでていきます。場所によっては橋の下がかなり近く、満潮に近い時間には手を伸ばせば橋に届きそうなところもあって、ちょっとしたスリルも楽しめます。

↑橋の下が近い! 船頭さんの合図で、全員が頭を下げてくぐり抜けたりする(汗↑橋の下が近い! 船頭さんの合図で、全員が頭を下げてくぐり抜けたりする(汗
橋の上や、川に面したビルの窓から手を振ってくれる人がいるのも嬉しいもの。舟に乗り、建物に挟まれた細い川を滑るように進んでいくと、「ああ、川って道だったんだ!」と実感できるのです。



東京オリンピックへ向けて活気づくクルーズ

隅田川での見どころは、なんと言っても永代橋や清洲橋、勝鬨(かちどき)橋などの「復興橋梁群」。関東大震災の復興のために、大正末から昭和初期にかけて建設された6つの橋です。景観を重視して、すべて異なるデザインになっているので、見応えもたっぷり。

橋好きの人々は、間近に見えるリベットの美しさに大興奮です。リベットは鉄の橋の部材を接合するための部品で、赤く熱した鉄片を1本ずつハンマーで打ち込み、頭を半円形につぶして施工します。作業が危険だし、手間と時間がかかることから、今ではボルトに代わっていますが、昔の橋では整然と並んだリベットを見ることができるのです。

↑隅田川の復興橋梁の一つ、勝鬨橋。大型船が通るときに上に跳ね上がって開く「跳開橋」で、今では稼働していないものの、完成当初は1日5回、開いていたという↑隅田川の復興橋梁の一つ、勝鬨橋。大型船が通るときに上に跳ね上がって開く「跳開橋」で、今では稼働していないものの、完成当初は1日5回、開いていたという
2020年の東京オリンピックを目前に、国や都、区なども防災用の船着き場を開放するなど、東京クルーズを応援しています。外国からの観光客にとっても、舟から眺める東京のまちや橋は魅力的に映ることでしょう。

↑総武線の鉄橋と東京スカイツリー。船の上からは、陸上とはちがう構図で街を眺めることができる。↑総武線の鉄橋と東京スカイツリー。船の上からは、陸上とは違う構図で街を眺めることができる。


※記事の情報は2019年7月16日時点のものです。

  • プロフィール画像 三上美絵

    【PROFILE】

    三上美絵(みかみ・みえ)

    土木ライター
    大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
    著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
    建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp

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