スリバチ地形を愛でながら谷歩きする「東京スリバチ学会」に潜入!

NOV 26, 2019

三上美絵 スリバチ地形を愛でながら谷歩きする「東京スリバチ学会」に潜入!

NOV 26, 2019

三上美絵 スリバチ地形を愛でながら谷歩きする「東京スリバチ学会」に潜入! 遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略してドボタンはさまざまな土木構造物を愛でるコーナーですが、第 6回のテーマは「地形」。すり鉢状の地形を愛するタニアルキストの集い「東京スリバチ学会」に、ドボタン三上が潜入します。

凹凸地形を求めてスリバチ学会50人が集合

11月初旬の晴れた午後、東京・新橋駅前のSL広場に「谷歩き」を愛好する"タニアルキスト"たちが続々と集まってきました。その数、およそ50人! 谷歩きといっても、山岳地帯ではありません。これから繰り出すのは東京都心の六本木・赤坂。じつは東京の山の手は、すり鉢状の谷の宝庫なのです。なかでも六本木・赤坂は、世界に類を見ないほど谷や窪地の密集地帯と聞きました。

こうした窪地や谷は、武蔵野台地を湧き水や川がえぐり取って生まれたもので、険しいV字谷ではなく、U字型あるいはなだらかなすり鉢形状なのが特徴。東京スリバチ学会の会長である皆川典久さんは、この地形を「プリンをスプーンですくったときにできる形」と例えます。なんとシズル感のある表現でしょうか。

東京スリバチ学会会長である皆川典久さん(写真中央)東京スリバチ学会会長である皆川典久さん(写真中央)


皆川さんは、15年ほど前に東京の地形の面白さを発見し、「東京スリバチ学会」と称して友人たちと谷歩きを始めた第一人者です。やがて、皆川さんのイベントに参加した人たちなどが、スリバチ地形ならうちの地元にもある! と立ち上がり、各地でご当地スリバチ学会が誕生しました。

学会といっても、メンバーの大半は地形マニアや谷好き、街歩き好きの一般の人々。誰でも参加でき、規約も名簿もない、自由な趣味の会です。ハードル、低いですねっ^^

さて、この日の趣旨は、皆川会長率いる東京スリバチ学会が、名古屋スリバチ学会のメンバーを招いて東京のスリバチを自慢しよう、というもの。我が町自慢ならぬ"我が谷自慢"です。ドボク探検倶楽部を代表して、ワタクシ三上も参加させていただきましたよ。


新橋駅前のSL広場には集まったメンバー。多くは、はるばる名古屋から東京のスリバチを味わいに来た皆さん新橋駅前のSL広場には集まったメンバー。多くは、はるばる名古屋から東京のスリバチを味わいに来た皆さん


一行はまず、新橋から霞が関コモンゲート、虎ノ門ヒルズといった再開発ビルの敷地を通り、愛宕神社へ向かいました。これら大規模な再開発ビルは、土地の高低差をうまく利用した設計になっています。道路からビルのエントランスまで印象的な階段が続いていたりするのも、都心ならではの凹凸地形に起因するもの。普段は気づかずに通っていた階段も、皆川会長の説明を聞くと「なるほど!」と面白く見えてきます。

さて、愛宕神社に着きました。鳥居の先にはめちゃめちゃ急な階段が、ぎょっとするほど上まで続いています。愛宕山と呼ばれるだけあって、周辺の土地からここだけ標高が高くなっているのです。配付された3Dの地図を見ると、島のように浮かび上がっているのがわかります。


愛宕神社の参道の階段。後ろを振り向くと足がすくむほどの急階段愛宕神社の参道の階段。後ろを振り向くと足がすくむほどの急階段


愛宕神社の裏参道を下りる。崖に寄り添う階段は、愛宕山の愛宕神社の裏参道を下りる。崖に寄り添う階段は、愛宕山の"山感"を味わうのに最高


高台には高いビル、谷底には住宅が密集するスリバチ法則

愛宕山登山を終えた一行は、虎ノ門から六本木方面へ。新しくなったホテルオークラ東京や高級マンションとオフィスからなる虎ノ門タワーズ、六本木一丁目駅と直結した泉ガーデンと3つの再開発ビルを巡りました。いずれも、敷地内に土地の高低差を生かした庭園や広場やテラスがあります。


武蔵野台地の東端に位置する虎ノ門・六本木・赤坂エリアには坂がいっぱい武蔵野台地の東端に位置する虎ノ門・六本木・赤坂エリアには坂がいっぱい


泉ガーデンの敷地は最大20mほどの高低差があり、地中海の街並みを想わせる階段状のにテラスが設けられている。広場や通路を通りながら、いろいろな高さの視点で開ける景色が面白い泉ガーデンの敷地は最大20mほどの高低差があり、地中海の街並みを想わせる階段状のにテラスが設けられている。広場や通路を通りながら、いろいろな高さの視点で開ける景色が面白い


次に向かったのは、少し前まで典型的なスリバチ風景が見渡せていた我善坊谷(がぜんぼうだに)。皆川さんによれば、ここは「スリバチの第一法則」がよく現れている見どころの一つ。その法則とは、高台にはオフィスビルや高層マンションなどの高い建物が建ち、スリバチの底の低地には木造の戸建て住宅など低い建物がみっちりと広がっている傾向があるということ。つまり、土地の起伏を建物が増幅しているのです。

特に東京は、この傾向が顕著。江戸時代に高台につくられた大名屋敷や武家屋敷などの広い敷地が、明治になって政府機関や軍事施設、学校、病院など大規模な建物に継承されていきました。一方で谷や窪地には水田や町人の住宅がつくられ、小さな町割りがそのまま更新されていったのです。

周囲を高台に囲まれた我善坊谷にも、つい最近までこの法則どおりの風景が広がっていました。しかし、すでに再開発の工事が始まり、坂の下の広大な窪地を埋め尽くしていた低層の住宅街の姿はなくなっています。それでも、工事の仮囲い越しに覗いてみると、崖の下に低地が広がっているのがわかりました。


3方向を丘に囲まれたスリバチ、我善坊谷を覗き込む3方向を丘に囲まれたスリバチ、我善坊谷を覗き込む3方向を丘に囲まれたスリバチ、我善坊谷を覗き込む
我善坊谷を見下ろした後は、六本木の「スリボチ」へ。「ボチ」じゃなくて「バチ」でしょ、って? いやいや、ボチでいいんです。だって「墓地」だから。スリボチ、すなわち「スリバチの底にある墓地」なんです。

神社やお寺といった宗教施設は、昔から存在していた場合が多く、土地の用途が比較的変わりにくいので、土地の履歴を物語る絶好のランドマークです。愛宕神社もそうでしたが、これらは台地の突端の高台に建っていることが多いもの。ただし、お寺の場合、高台だけでなく、スリバチの奥に建てられていることも少なくないのだそう。

たしかに、六本木界隈には「崖の下を覗いたら墓地だった」ということが結構よくあります。いわゆる「裏六本木」と呼ばれる丹波谷には、六本木墓苑という共同墓地が広がっていました。


六本木駅の南東には、まわりをビルに囲まれたスリボチがあった六本木駅の南東には、まわりをビルに囲まれたスリボチがあった




川がつくった谷と窪地を源流部から一望

スリボチの脇を抜けて六本木通りを渡り、赤坂の東京ミッドタウンに隣接する檜町公園へ。この公園は、大きな池を中心に構成されています。ワタクシごとで恐縮ですが、私は幼稚園から小学1年生までの2年間だけ、このすぐ近くに住んでいました。毎日のように檜町公園を駆け回って遊んでいたのですが、かすかな記憶の中の公園とはかなり面影が違っています。

それもそのはず、檜町公園は、東京ミッドタウンが建設されたときに再整備されたのだそうです。私が住んでいたころ、東京ミッドタウンの場所には防衛庁があり、2007年にその跡地が再開発されました。もっと遡って江戸時代には、毛利家の下屋敷があったところで、当時から斜面の下には湧き水を利用した池があったといいます。

だんだん日暮れが近づいてきました。次は薬研坂(やげんざか)です。薬研といえば、よく時代劇でお医者さんがゴリゴリと薬草を引いて粉にしている、舟形の道具。緩やかに下って上る、坂が向かい合う形が薬研に似ていることから、そう名付けられたといいます。まさにスリバチですね。


薬研の形の薬研坂。皆さん大喜びでスマホを向ける薬研の形の薬研坂。皆さん大喜びでスマホを向ける


この谷地形をつくったのは、今は暗渠(あんきょ)になっている大刀(たち)洗(あらい)川という川。薬研坂から東側の下流方向へ細長い窪地が連なっています。そして、この太刀洗川の源流部と思われるのが、現在の高橋是清(これきよ)翁記念公園のあたり。公園内には水の溢れる井戸があり、かつての湧き水を連想させます。


高橋是清翁記念公園にある井戸高橋是清翁記念公園にある井戸


すっかり日が傾いたころ、この日いちばんの「スリバチ景」が待っていました。付近の再開発によってつくられたブリッジから、大刀洗川のつくった谷が一望できたのです。谷の底には低層の住宅群、そしてそのまわりを囲む高台には高層ビル。地形の凹凸がそのまま反映された街なみです。


太刀洗川の谷に広がる絶景スリバチ太刀洗川の谷に広がる絶景スリバチ


このあたりで本日の谷歩きは終了。たくさんの坂を上っては下り、下りてはまた上り。坂の上から見晴らす都心の谷間には、タワーや超高層ビルの展望室から見下ろす眺めとはまた違った、身近な東京の面影がありました。地形を愛でるようなスリバチ巡り、病みつきになりそうです。


日も暮れて。皆さん、お疲れさまでした日も暮れて。皆さん、お疲れさまでした


※記事の情報は2019年11月26日時点のものです。

  • プロフィール画像 三上美絵

    【PROFILE】

    三上美絵(みかみ・みえ)

    土木ライター
    大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
    著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
    建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp

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