【連載】ドボたんが行く!
2020.03.17
三上美絵
ひたすら真っすぐな「旧渋谷町水道みち」を皆で歩いてみた!
遊びは創造の源泉。身近にあるコトやモノ、どんなことにも遊びを見出してしまう。そこに本当のクリエイティビティがあります。このドボク探検倶楽部、略して「ドボたん」はさまざまな土木構造物を愛でるコーナー。土木大好きライター、ドボたん三上は今回何を見つけたのでしょうか!(この記事は2020年1月25日に行われたまち歩きツアーをレポートしたものです)
三軒茶屋の展望室から一直線に続く道
「水道みち」「水道道路」と呼ばれる道は各地にありますが、その共通点は、ひたすら真っすぐ続いていること。なぜかって? それは、浄水場や給水所などの水道施設を最短距離で結ぶため。とはいえ、「道路の下に水道管を埋める」としたら、なかなかそうもいかないでしょう。水道みちの場合は、「更地(さらち)に水道管を埋め、その上を道路として使っている」のです。だから、真っすぐ。シンプルですねっ!
多摩川べりにある東京・世田谷区鎌田の砧下浄水所(きぬたしもじょうすいじょ)と同区三軒茶屋の間をほぼ一直線に結ぶ道路も、水道みちの一つ。大正時代、東京の郊外だった豊多摩郡渋谷町(現在の渋谷区)が建設した町営渋谷水道の名残です。
2020年1月下旬、この旧渋谷町水道みちを歩くツアーがあると聞きつけ、ワタクシ三上がドボク探検倶楽部を代表して参加してきました! 集合は三軒茶屋のキャロットタワー。スタート前に26階の展望ロビーに上がってみると――。どうでしょう、ビル街を切り裂くように、西南の方向へ直線の道が通っています。目を凝らすと、道の先にうっすらと2つの塔が! どうやら、あれが駒沢給水塔のようです。
今回のまち歩きツアーを主催したのは、多摩武蔵野スリバチ学会。昨年11月に潜入した東京スリバチ学会の分科会で、東京西部の多摩と武蔵野エリアのフィールドワークを実施しています。この日集まった参加者は、およそ50人。会長の真貝康之さんと副会長の和田文雄さんの案内で、さあ出発!
川は谷を流れ、用水と古道は台地を通る
キャロットタワーを出た一行は、世田谷通りを少し歩き、斜め前方の弦巻通りへと進みます。ここが水道みちの入口です。渋谷町水道の水道管は当初、渋谷まで延びていましたが、前回の東京オリンピックの頃に撤去されてしまい、三軒茶屋から先は水道みちの痕跡も残っていないようです。
途中で、弦巻通りと平行する蛇崩川(じゃくずれがわ)緑道に入りました。ここは、暗渠になった蛇崩川の上を遊歩道として整備したもの。水道管の上を道路にしたのと似たような出自です。緑道が道路をまたぐ箇所の車止めには、「水道橋」や「駒沢橋」など、かつてここにあったと思われる橋の名前が。「親和橋を偲ぶ」と彫られた石碑もありました。
当日配られたルート図は、高台が茶色、平地が緑色、谷筋が白っぽく色分けされていました。スリバチ学会系のまち歩きではおなじみの「カシミール3D」という地図ソフトで作成された自作の地図。白い点線で示された渋谷町水道みちの高低差がよく分かります。
この地図には水道みち以外に、古鎌倉街道や旧大山道などの古道、呑川(のみかわ)や谷戸川などの自然河川、品川用水や六郷用水といった用水路が、それぞれ色分けされていました。真貝さんは、「自然にできた川は谷筋を通っていますが、人がつくった古道や用水は台地の上を通してあります」と説明。なるほど、地図を見るとそのとおりになっています。
丘の上に立つ双子のクラウン、駒沢給水塔
蛇崩川緑道と弦巻通りが水道みちと離れていくところからは、再び水道みちを歩きます。ほどなく、同じ形をした2つの塔が見えてきました! これが、駒沢給水塔です。近くで見ると、思ったより大きくて迫力があります。王冠のような凝ったデザインが施されており、地元では「丘の上のクラウン」というおしゃれな愛称で呼ばれていたそうです。
明治末期から大正初期にかけて、旧渋谷町では人口が急増し、安全な飲料水が不足していました。そこで計画されたのが、町営上水道の敷設です。途中で関東大震災に見舞われながらも、1924年(大正13年)には工事が完了。当時の日本の水道普及率は、まだ20%程度でしたから、かなり早い時期と言っていいでしょう。
渋谷町水道の設計と建設を担ったのは、「近代水道の父」と呼ばれた中島鋭治博士。超高層ビルの建ち並ぶ新宿新都心の場所にあった旧淀橋浄水場をはじめ、日本各地の近代水道システムを手がけたすごいお方です。
その中島博士が考え出したのが、多摩川の伏流水を取水し、浄水場から地中の鉄管を通してポンプで駒沢の給水塔に押し上げ、そこから自然流下によって渋谷方面へ送水するという案。「コマQ」の愛称で活動する駒沢給水塔風景資産保存会の作成した資料によると、駒沢給水塔のある弦巻の標高は46m。水道みちのルート上で最も高台にあたります。カシミール3Dの地図でも、このあたりは台地を示す茶色になっていました。
さらに、給水塔の内部を満水にしたときの水面の標高は64mになります。渋谷町の平均標高は36m。28mの高低差による重力を利用して、駒沢から渋谷までの距離を送水していたというわけです。
舌状台地の下を通る水道管トンネル
次に向かったのは、岡本八幡宮や民家園もある岡本公園。ここは国分寺崖線(こくぶんじがいせん)の上に位置し、水道みちの中では駒沢給水塔のある場所の次に高台です。さらに、東側は谷戸川によって削られた谷が迫ることから、崖と谷に挟まれた「舌状台地(ぜつじょうだいち)」になっています。舌先のように細長く尖った台地、ということですね。
水道みちは、この舌状台地を横断する形で通っています。平地では、地表から浅い溝を掘って水道管を設置し、上に土を被せます。しかし、ここでは台地を貫通するトンネルを掘って水道管を通しているのです。公園の中に見えているアーチ型の入口上の銘板には、「岡本隧道(おかもとずいどう)」と彫られていました。隧道とは、トンネルのことです。
これから向かう砧下浄水所からこの台地まで、いったんポンプで水を押し上げ、120mのトンネルを抜けた後、駒沢給水塔のある台地の手前でもう一度ポンプアップして塔まで水を上げているそうです。
岡本公園からゴール地点の砧下浄水所まで、あと1kmもありません。その中間あたりで野川に差し掛かり、「野川水道橋」という名の橋を渡りました。野川は、国分寺崖線に沿って流れ、二子玉川で多摩川に合流する一級河川です。「水道橋」とは、水道管に川を越えさせるために架ける橋。でも、橋の下を横から覗き込んでも、水道管の姿は見えません。
橋のたもとの案内板によれば、渋谷町水道が完成した当初、水道管は野川の川底に埋設されていたそうです。それが、1960年の野川の改修によって掘り出され、川の上を橋で渡すことになりました。それが、初代の野川水道橋です。ところが、2006年の河川改修で再び水道管を川底に埋めることになり、水道橋は撤去。現在の歩行者専用の橋が新たに架けられました。あえて「水道橋」という名を残したのは、以前の橋へのオマージュなのでした。
「近代水道の父」中島鋭治博士の斬新なアイデア
野川を渡るとほどなく、砧下浄水所の門の前に着きました。内部の見学はできませんが、奥には大正時代に建てられた風格のある建物がいくつか見えています。建物は古くても、中の設備は新しいものに更新され、現役で稼働中。自動化により遠隔操作されているそうです。
本日のツアーはここで終了。「チーズ」ではなく「スリバチー!!」の号令とともに、みなさん最高の笑顔で集合写真に収まり、解散となりました。
東京には、江戸時代からすぐれた上水道がありました。今も残る「玉川上水」です。ただ、明治半ばになって人口が急増すると、水は汚れ、コレラなどの原因ともなってしまいました。当時の人々は、浄水場で浄化された水を密閉式の鉄管で配水する衛生的な近代水道を待ち望んでいたのです。
多摩川から渋谷までの距離をどうやって送水するか。この難題を解決したのが、中島博士による「水をいったん高台へ押し上げてから落とす」という斬新な方法でした。
現代に生きる私たちにとっては、蛇口をひねれば出てくる水。でも、そうなるまでには、先人たちの画期的なアイデアと奮闘があった――。まっすぐな水道みちを歩きながら、改めてそんなことに思いを馳せました。
※記事の情報は2020年3月17日時点のものです。
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【PROFILE】
三上美絵(みかみ・みえ)
土木ライター
大成建設で社内報を担当した後、フリーライターとして独立。現在は、雑誌や企業などの広報誌、ウェブサイトに執筆。古くて小さくてかわいらしい土木構造物が好き。
著書に「かわいい土木 見つけ旅」(技術評論社)、「土木技術者になるには」(ぺりかん社)、共著に「土木の広報」(日経BP)。土木学会土木広報戦略会議委員。
建設業しんこう-Web 連載「かわいい土木」はこちら https://www.shinko-web.jp
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