【連載】翻訳家・金原瑞人が誘う大人の海外文学入門
2024.10.22
翻訳家:金原瑞人
スペイン、韓国、チベットの文学――読書の秋、多様な世界の物語を味わう
連載「翻訳家・金原瑞人が誘う大人の海外文学入門」では、翻訳家の金原瑞人(かねはら・みずひと)さんに、初心者でも読みやすいおすすめの海外小説をご紹介いただきます。第2回は、英語圏以外の文学です。秋の読書週間に、異国の地で生まれた物語を味わってみませんか?
英語圏以外でもおもしろい作品はたくさんある
2015年、「BOOKMARK(ブックマーク)」という小冊子を創刊しました。
これは「もっと海外文学を!」「翻訳物はおもしろいんだ!」と主張する冊子で、最初の3年間は年に4冊、そのあとは年に2冊出して20号まで続きました。途中、特別号が1冊あります。
2019年と2023年には、『BOOKMARK 翻訳者による海外文学ブックガイド』(CCCメディアハウス)というタイトルで書籍化されました。1、2巻の計2冊あります。
毎号テーマを決めて、それぞれの作品を訳した方に紹介を書いてもらいました。数号出して、次のテーマは何にしようかと、共同編集者で、英米文学翻訳家の三辺律子(さんべ・りつこ)さんと相談していたとき、ふと、それまでに紹介してきた翻訳本が、ほとんど英語圏のものだったことに気づきました。そこで、「えっ、英語圏の本が1冊もない!?」というテーマの号を出したのです。
取り上げたのは、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、フィンランド語、ヘブライ語、チベット語などの本のほか、韓国、中国、台湾の本などです。
その後、いろんなテーマで続けていったのですが、数年して再び、また英語圏の本が多すぎることに気がついて、「Other Voices, Other Places(英語圏以外の本特集2)」を出すことにしました。
これらふたつの特集を組んで痛感したのは、英語圏以外でもいい作品はたくさんあることと、それらがどれも英語圏の作品と違う魅力を持っているということです。考えてみれば、映画でも、ハリウッド映画だけが映画じゃないし、インド映画も韓国映画もイラン映画も、びっくりするようなおもしろい作品があるのは常識です。
ところが、翻訳作品が好きという人は多いものの、英語圏以外の作品が好きという人は案外と少ないようです。ここ数年、韓国の現代小説が次々に訳されて話題になってきましたが、これは例外中の例外と言っていいでしょう。
というわけで、今回は英語圏以外の作品のなかから、何冊か紹介しようと思います。
スペイン文学|ファンタジーの魅力を堪能できる傑作『漂泊の王の伝説』
『漂泊の王の伝説』
作:ラウラ・ガジェゴ・ガルシア
訳:松下直弘
出版社:偕成社
1冊目は、ラウラ・ガジェゴ・ガルシアの『漂泊の王の伝説』。作者はスペイン人。ファンタジーですが、『指輪物語』や『ハリー・ポッター』とはまるで違います。舞台はアラビア半島のキンダ王国、『千一夜物語*』の世界で物語が展開します。
* 千一夜物語:アラビア語で書かれた説話集。日本では「アラビアン・ナイト」「千夜一夜物語」の名称で知られている。中でも「アリババと40人の盗賊」「アラジンと魔法のランプ」「シンドバッドの冒険」などが有名。
主人公はワリードというその国の王子。王子は聡明で、武術にもすぐれ、心はやさしく、誰からも愛されていました。その王子が何より愛していたのが詩です。古今の詩を読むのも好きで、自分で作るのも好きでした。
そして世界中の詩人が集まって腕を競う詩の大会に参加しようと思い、父親に相談したところ、まずこの国で腕試しをしてみてはどうだ、と言われます。そこで、詩作の大会が開かれ、王子は勝ち抜いてついに最終決定戦へ。相手は字も読めない絨毯織りの男。王子は楽勝と考えていたのですが、見事に負けます。次の年も、その次の年も、惨敗。
温厚で寛容だった王子は嫉妬と羨望にかられて、その絨毯織りに、倉庫に積み上げられているこの国の歴史についての雑多な書類を整理するようにと命じます。絨毯織りは字が読めず、固辞しますが、王子は、それが終わるまではこの城から出さないと言います。
絨毯織りはしかたなく、何年もかけて読み書きを覚え、山ほどある書類を整理しますが、次に王子は、わが国の歴史を一枚の絨毯に織りこめと命じるのです! 絨毯織りは考えに考えたすえ、次々にいろんな糸や布を注文して......。
一方、王子のほうは何年もたつうちに、そんなことはすっかり忘れてしまいます。ところが、ある夜、城のなかを歩いていると、かたん、かたんという音が聞こえてきます。おや、なんだろうと思って、音のする部屋の前まで行き、そっと扉を開いて愕然とします。
なんと、絨毯織りがまっ暗ななかで絨毯を織っているのです。王子はぎょっとして立ちすくみ、自分の犯した罪におののくのですが......。
さあ、どうですか。ここまでだけで1冊の本になりそうでしょう。ところが、ここから、この物語が始まるのです。英語圏のファンタジーにはない、ファンタジーの魅力や奥深さを堪能させてくれる作品です。
韓国文学|美術と修復をめぐる挿話とともに楽しめるアート小説『Lの運動靴』
『Lの運動靴』
作:キム・スム
訳:中野宣子
出版社:アストラハウス
キム・スムの『Lの運動靴』は、韓国の現代小説です。主人公は美術品の修復家の「私」。
私は、L記念館の館長から、Lの運動靴の修復を依頼されます。その事情について、訳者あとがきを引用します。
全斗煥軍事政権に対抗し、民主化を勝ち取ろうとする人びとの闘いで揺れていた一九八七年六月九日、延世大学校の学生L=李韓烈(韓国では李はLeeとローマ字表記されるのが一般的)が、警官の発砲した催涙弾を後頭部に受けて倒れた。(本書 p.232)
Lは病院に運ばれるが死亡。Lの死は、この運動の象徴的事件となり、これをきっかけに民主化運動は激化していきます。そしてそのLの遺品のうち、運動靴の劣化がかなり進んでいるので、修復を依頼されるわけです。
「Lの運動靴は遺物でもなければ芸術作品でもない」のだが、歴史的価値を持っている、つまり、「Lという一人の個人の遺品を超えて、時代の遺品」となっているのです。
私はまずL記念館を訪れ、保存されている衣服24点を観察。次にその運動靴がどこの製品であるのかを突き止め、素材を分析し、修復の手立てを考える一方、Lの母親に会い、また、ほかの人からLが病院に運ばれたときのことを聞きます。
そして、どう修復するかを考えるのですが、そのなかには、修復しないという修復もふくまれています。
そんな私が見聞きすることや考えることを追っていくだけでもスリリングなのですが、作品のあちこちに、美術と修復にからむエピソードがじつにうまく挟み込まれています。
たとえば、冒頭。マーク・クインというアーティストは自分の血を少しずつためて、それが4.5リットルになると、自分の頭部を型どりした石膏の型に注ぎ、凍結させて、自画像〈セルフ(Self)〉をいくつも作っていったのですが、ふたつ目の〈セルフ〉は清掃員が冷凍庫のコードを抜いてしまったため、溶けてしまいます。私は考えます。
「マーク・クインが死んだ後、あの作品が破損したり保存できない状態になった場合、どうやって修復するのだろうか。」(本書 p.7)
ほかにも、現在、アムステルダム国立美術館が所蔵しているレンブラントの「夜警」の受難の数々や、モダンアーティストのパフォーマンスなど、美術と修復をめぐる挿話が、Lの運動靴のテーマにうまくからんでいきます。
Lの運動靴で残っているのは右だけです。片方だけの運動靴を相手に、私はどうするのか。気になった方はぜひ読んでみてください。
チベット文学|楽しい短編が詰まった昔話『チベットのむかしばなし しかばねの物語』
『チベットのむかしばなし しかばねの物語』
訳:星泉 絵:蔵西
出版社: のら書店
最後に児童書から1冊。
『チベットのむかしばなし しかばねの物語』は、インドから伝わった話をチベット人がチベット風に語り直した昔話です。少年・デチュー・サンボが、しかばねを恩師のもとへ届けるという物語のなかで、しかばねがデチュー・サンボに語るおもしろい話が展開されていく入れ子型式になっています。
本書をめぐっては、最近驚いた出来事がありました。
*****
先月、雑誌「クロワッサン」の連載「お茶の時間」で、頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)さんと対談をしました。頭木さんは『絶望名人カフカの人生論』などの著作で知られている文学紹介者です。
その対談のなかで、頭木さんが紹介してくださった5冊のうちの1冊が本書でした。ぼくはすでにこの本を読んでいたのですが、頭木さんがこれを選んだと知って、びっくりしてしまいました。
というのも、チベット語の本が日本語に翻訳されるのはとても珍しいうえに、じつはこれによく似た本を小学生のときに読んでいたからです。それは『袋かつぎの王子』というタイトルの本で、内容はほとんど同じです。この本を、60年ほど前、夢中になって読んだのをよく覚えています。
ところが、その本を妹が持っていってしまって、その後、紛失。たまに思い出しては、あれって、たしか翻訳だと思うんだけど、原書はなんだったんだろうと考えることがありました。そして、どこかで『袋かつぎの王子』を手に取ることがあったのですが、原書が何かは書かれていなかったのです。
『袋かつぎの王子』 ※現在は絶版
作:野町てい 絵:市川禎男
監修:安倍能成・志賀直哉・中谷宇吉郎
出版社: 筑摩書房
『袋かつぎの王子』はこんなお話。
昔々、ある国の王子が国を治める知恵をさずかろうと思い、シッジカーという賢者を遠方から自国まで袋に入れて連れてこようとします。シッジカーは、行ってもいいが、国に着くまでは、ひと言も口をきいてはいけないと釘を刺します。
そして、その道中、シッジカーはおもしろい話をしていたところ、話が終わる直前に黙ってしまい、王子は思わず、「それで?」と聞いてしまいます。シッジカーは結末を話すのですが、袋から逃げていってしまいます。
王子はしかたなくまた遠方まで旅をして、シッジカーを袋に入れてかつぐのですが、シッジカーはまた次の話を始めて......という、『千一夜物語』に似た形式の昔話です。
さて、この原書については、岩波書店の編集さんが探しあててくれました。『Wonder Tales From Tibet』という本で、作者はEleanore Myers Jewett(エレノア・マイヤーズ・ジュエット)。英語で書かれています。
『Wonder Tales From Tibet』
作:Eleanore Myers Jewett
出版社: Insight Publica
ああ、同じ話じゃないか! と思っていたところに、頭木さんが『チベットのむかしばなし しかばねの物語』を推薦してきて、びっくりしたという次第です。
*****
「狩人の息子と、薬屋の息子、絵師の息子、占い師の息子、大工の息子、鍛冶屋の息子」、この仲良しの6人のうちのひとりが悪辣な王さまに殺されてしまい、残りの5人が助けにいく話とか(「空飛ぶ木の鳥」)。え、殺されたのに? と思った人は読んでみてください。そのほかにも、楽しいお話が詰まっています。
※記事の情報は2024年10月22日時点のものです。
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【PROFILE】
金原瑞人(かねはら・みずひと)
翻訳家、法政大学社会学部教授(2025年3月末に退職予定)
1954年、岡山県生まれ。児童書やヤングアダルト向けの作品のほか、一般書、ノンフィクションなど、翻訳書は約640点。訳書に「豚の死なない日」(ロバート・ニュートン・ペック著)、「青空のむこう」(アレックス・シアラー著)、「国のない男」(カート・ヴォネガット著)、「不思議を売る男」(ジェラルディン・マコックラン著)、「バーティミアス」(ジョナサン・ストラウド著)、「月と六ペンス」(サマセット・モーム著)、「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」(リック・リオーダン著)、「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」(マーギー・プロイス著)、「さよならを待つふたりのために」(ジョン・グリーン著)など。エッセイ集に「翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった」「翻訳のさじかげん」など。日本の古典の翻案に「雨月物語」「仮名手本忠臣蔵」「怪談牡丹灯籠」など。
金原瑞人 公式サイト
https://kanehara.jp/
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