仕事
2024.07.16
金原瑞人さん 翻訳家〈インタビュー〉
金原瑞人|「翻訳家」は面白い本を見つけて、その魅力を伝えるプロでもある
「プロを支えるプロの仕事」を紹介するシリーズ。今回は海外作家の作品を日本に届ける「翻訳家」です。児童書やヤングアダルト(YA)*1文学を中心に、これまで約640点もの英語作品の翻訳を手がけてきた、翻訳家の金原瑞人(かねはら・みずひと)さんにお話をうかがいました。
*1 ヤングアダルト(YA):Young Adult=「若い大人」という意味で、主に中学生・高校生を中心とした10代、大人と子どもの境目にいる世代を指す。略して「YA(ワイ・エー)」と呼ばれる。
写真:山口 大輝
面白い本を紹介したい。翻訳はその延長線上にある
──初めに、現在の仕事内容について教えてください。
法政大学で英語と翻訳の授業をもっています。それから4年前まで創作ゼミ*2をもっていました。あと基本は翻訳の仕事ですが、本の紹介も昔からやっています。1988年から3年間、朝日新聞で「ヤングアダルト招待席」という若者向けの本の紹介を隔週で書いていました。その後もいろんな媒体で書評を連載していて、今は共同通信社の書評を受けもっています。
本の紹介が好きなんです。日本語の本でも、読んでいて面白いと紹介したくなる。翻訳はその延長線上にあります。面白そうな英語の本を見つけてきて、要約をまとめて出版社に持って行き、OKが出たら翻訳する。日本語の本を読んで書評を書く。教育、翻訳、書評、この3つの柱が僕には心地良いんです。
*2 創作ゼミ:法政大学社会学部の通称「金原瑞人・創作ゼミ」。テーマも表現形式も自由で、学生たちは小説、エッセイ、詩など、書きたいものを書き、お互いに批評し合う。古橋秀之、秋山瑞人、志瑞祐(しみず・ゆう)、実娘で半年間参加した金原ひとみなど、これまで数名の若手作家を出している。
──年間何冊くらい翻訳されているのですか。
もう35年以上翻訳をしていて、これまで手がけた作品が約640冊だから、平均すると1年に15、6冊かな。でも絵本も共訳もあるし、単行本で出たものが文庫になることもあって、それも含めての冊数です。
──数が多いだけでなく、ジャンルも幅広いですよね。
飽き性なんですよ。多くの翻訳家は、児童書、ミステリー、SFと、それぞれ得意なジャンルがあるんですけど、僕は同じジャンルを訳していると飽きてくる。YA向けの本を訳していると、絵本を訳したくなったり、一般書を訳したくなったり。そのバランスが僕にとっては必要なんです。
翻訳の仕事は、本を見つけて営業することから始まる
──海外作品が日本で1冊の本になるまで、翻訳の仕事の流れを教えてください。
翻訳っていうと皆さん、原書を読んでパソコンに向かって訳す作業を想像されますよね。それは間違いではないけど、翻訳家の仕事は、まず仕事を手に入れることから始まります。有名な翻訳家になれば、出版社から仕事の依頼が来ますが、基本は自分で面白い本を見つけて、出版社の編集者に薦めて、版権を取ってもらう。ある意味、営業みたいな仕事が翻訳家の大切な要素としてあるんです。
その後、翻訳して、編集者とやり取りして、ゲラ(校正紙)に赤字を入れて、原書と突き合わせて、校正が終わったら印刷・製本へ......という流れです。残念ながら、中には翻訳がうまいのに営業が下手という人もいますね。本の要約をまとめて、編集者をうまく説得して、訳すまでにこぎ着けるのが重要だと思います。
──年に15、6冊出版される金原さんは、営業上手なのですね。面白い原書はどのように見つけているのですか。
コロナ禍前までは、年に1、2回、英語圏の国の書店に行っていました。アメリカならサンフランシスコ、ワシントン、ニューヨーク、フロリダ。イギリスだとロンドン、オーストラリアならシドニー。そういう大きな町の本屋に行って、3日間ほど、朝から晩まで片っ端から手に取っては、表紙を見たりあらすじを読んだりします。面白そうだったら買って、段ボール2、3箱分を日本に送るんです。
それから日本に帰ってきて、ひたすら読む。初めの50ページくらいを読んでつまらなかったら、その先は読まない。最後まで読む本は、10冊のうち3冊あるかないかです。さらに残った中で、「これだ!」という本が20~30冊に1冊くらい見つかるんですね。最近は出版社が僕の好みを分かってきて、「これ好きそうだから、訳さない?」という話が来ることも増えました。
──原書との突き合わせは、編集者が行うのですか。
編集者以外に必ず1人、突き合わせをお願いしています。僕は誤訳が多いし、時々1段落丸ごと抜けていたりする(笑)。ケアレスミスもあるから、誰かに必ず突き合わせてもらいます。そもそも翻訳家、編集者、校閲者が見ているのに、それでも誤訳はあります。翻訳ってそういうものだと思うし、誤訳のない完璧な翻訳本ってたぶんないです。
分からないときは、ネイティブや作家に聞く
──翻訳中に分からないことが出てきたら、どうしていますか。
突き合わせの人と相談して、それでも分からない場合は英語ネイティブのアメリカ人やイギリス人に聞きます。最近の例で言うと、カナダのコミックですね。分からない所が100カ所近くあって、散々苦労しました。この付箋を貼った所が全部、ネイティブのアメリカ人に聞いた所です(下写真)。
例えば、日本人ならコンビニでコーヒーを買う時、お金を払うと空のカップを渡されて、それを自分でコーヒーマシンの所に持って行きセットしてコーヒーを淹れる、というシステムを知っているじゃないですか。そういう日常的な些細なことって、そこで生活していない人には分からない。その国に住む人がよく観ているテレビ番組のタイトルも、知らないと分からないわけだし。
そういうことはネイティブのアメリカ人に聞いて、ある程度解決するのですが、それでも分からない所が10~20カ所ほど残ります。そこは作家に聞くしかないです。
──作家とやり取りすることもあるのですね。
今はメールで聞きます。昔は手紙でした。駆け出しの頃にもらったイギリスの作家、ロバート・ウェストールの手紙とか、今も持っていますよ。海外で自分の本が翻訳されるのはうれしいんでしょうね。有名な作家でもみんな返事をくれます。質問して、返事が来ない方が珍しいです。
問題は、たまに日本に来る作家さんがいて、食事に誘われることもあるんですが、僕は英会話ができないので困ります。
──翻訳は得意でも、英会話は苦手なんですね......!
僕が若い頃は、英文科も仏文科も独文科も、とにかく文章を読めないといけない時代で、会話というのは文学部において邪道だったんです。英会話なんてやらなくていいよ、という先生がたくさんいました。だから英会話を勉強していないし、留学もしていないので話せない。作家が来る時には、なるべく用事をつくって逃げるか、英会話ができる編集者がいれば来てもらう。大変です。
漫画好き、英語が苦手な少年が翻訳家になるまで
──子どもの頃はあまり読書をしなかったそうですね。いつから海外文学を読むようになったのですか。
小学生の頃、日本は漫画の全盛期で、漫画少年でしたね。物心ついた時からずっと漫画を買って読んでいたような気がします。途中、間が空くのですが高校生になってからは「ガロ」と「COM」という漫画雑誌に出合って、その斬新さに衝撃を受けて再びのめり込みました。
でも飽き性なので、中学に入ると少年漫画を読まなくなり、翻訳もののミステリー、SFを読むようになりました。中学から高校にかけてフランス文学、ドイツ文学、ロシア文学の全集ものとかも読んでいましたね。
──昔から英語は得意だったのでしょうか。
高校生の時は5段階評価で「3」でした。3というのは中くらいではなくて、低い方です。
──1979年、法政大学文学部英文学科を卒業されています。英語が得意ではないのに、英文学科を専攻されたのはなぜですか。
高校3年生の時は、医学部志望で、2つの大学の医学部を受けたら落ちたんですよ。その後怠惰な浪人生活が始まり、結局2浪しました。
本が好きだったので文系に転向したのですが、仏文も露文も独文も落ちて、法政大学の英文科1つしか受からなかったんです。当時の英文科は、文学部の中で一番地位が低かった。学生のうち半数は英語の先生になりたい人が来ていたので、文学度が低く、文学を学びたい人が集まる仏文科や独文科から馬鹿にされていました。英文科かよって思いながらも、そこしか受からなかったから、英語を読まざるを得なくなったわけです。
──いつから原書を読むようになったのですか。
まるまる1冊読んだのは大学3年生の時で、薄い芝居の本が最初かな。少しずつ読めるようになりました。
──大学生の時は、翻訳家になると思っていましたか。
全く思っていませんでした。僕は本の紹介が好きなので、編集者気質だと思って、新卒採用で出版社を受けたけど全部落ちちゃった。それでカレー屋になろうかなと思っていた*3時に、卒論の指導をしてくださっていた犬飼和雄先生に「大学院に来ないか?」と誘われたんです。
僕は恥ずかしながら大学院を知らなくて、先生に聞いたら、「週に1、2日行って、あとは好きな本を読んでいれば奨学金がもらえる所だよ」って言われました。「そんなうまい話があるんですか」と聞いたら、「人生うまい話はどこにでも転がっているんだよ」と。
その誘いにのって大学院に入ってから、先生に翻訳の勉強会に誘われて、やってみると面白かったんですね。我ながら下手でもないなという自覚があって、翻訳の勉強を続けながら、結局大学院には修士3年、博士3年で6年間通いました。
*3 金原さんは大のカレー好き。出版社に落ちた後、妹と妹の彼氏と共に屋台のカレー屋をやることに。1カ月ほどカレーばかり作っていた時期がある。
(出典:「翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった」金原瑞人著/ポプラ社)
──最初に手がけた訳書はどんな本でしたか。
金原瑞人の名で出した最初の訳書は、子ども向けの小説「さよならピンコー」(コリン・シール著、1986年、ぬぷん児童図書出版)です。犬飼先生の友達が出版社の社長で、「1冊訳してみないか」と言われて、博士課程修了後に出版しました。ペンギンが主人公の児童書で、僕のターニングポイント、翻訳家としての第一歩ですね。犬飼先生が丁寧に読んで直してくださった。その時の教えが今でも基本になっている気がします。
長時間訳し続けるためには、力を入れないことが大切
──今まで手がけた中で、最も印象的な作品は何ですか。
ナイジェリア出身のベン・オクリの作品「満たされぬ道」(1997年、平凡社)です。1991年にイギリスの文学賞「ブッカー賞」を受賞した有名な作品で、上下巻があり非常に苦労して訳しました。
現実と幻想が入り混ざって物語が展開していく不思議な話で、当時流行っていたマジックリアリズム*4というジャンルの作品です。原文がすごく難しくて、訳すのが大変なんだけど面白くてね。こんなふうに英語を使うんだという発見がたくさんあって、そういう意味で思い入れが強いです。
書評でも翻訳を褒めてくれた方がいました。訳書を書評で取り上げる時は、大体が内容中心で、翻訳のことまで褒めてくれる人はいないから、とてもうれしかったですね。
*4 マジックリアリズム:ラテンアメリカ発祥の技法。非日常・非現実的な出来事を日常的なものとして描く手法のこと。
──翻訳する時には、どんなことを心がけていますか。
集中しないことです。翻訳家が作家と違うのは、仕事時間の長さですね。作家は1日にせいぜい3~5時間くらいしか書けないんじゃないですか。何より集中しないと書けないし、場合によっては書いたものを後で削除することもあるし。それに引き換え、翻訳家はやった分だけ前に進む。一方で翻訳は調べものも多く、時間がかかります。ということは、1日に11~12時間といった長時間、一定のペースで翻訳する態勢を維持しなければなりません。
集中力って、そんなに長い時間持たないでしょう? せいぜい1、2時間で、それ以上集中するのは不可能なので、それほど力を入れずに訳し続ける態勢をつくることが、一番大切なことかなと思います。軽く訳していって、重要な所や難しい所に来たらキュッと気を入れて訳す、そこが過ぎたらまた気を抜く、という繰り返しを体で感じながら作業しています。
──日本語のボキャブラリーも必要なのでしょうか。
語彙を豊富にするよりも、限られた語彙をいかにうまく使うかということの方が大切だと思います。翻訳に使える語彙って多くないんですよ。そもそも普通の小説は、ごく一般的な言葉で書かれています。
例えば「奇妙奇天烈」や「枝葉末節」とかは言葉としては知っているけど、普段使わないじゃないですか。ほかにも「仁王立ち」、「碁盤の目」、「心臓が早鐘を打つ」、「たたらを踏む」とか、あまりに日本語らしい表現を翻訳に使っていると気持ち悪いので、それは意識的に排除しています。
AI翻訳には長所と短所がある。今後の進化が楽しみ
──近年AIが進化し、翻訳の仕事がなくなるのではと危惧されています。AIによる翻訳についてはどう感じていますか。
翻訳ソフトは、新しい社会問題を扱った記事や、既に評価が決まっている歴史的な事実に関する文章などは、とてもうまく訳してくれます。これまで蓄積されてきた膨大な情報から必要な情報を抽出して訳していくので、90%以上正確に訳せるのでしょう。
一方、AIが苦手なのはファンタジーです。作家が頭の中で作った世界なので、名詞だって作者の造語が多い。そうすると必要な情報を抽出しようがないわけで、誤訳が多すぎて使いものになりません。
「私」「俺」「僕」とか、一人称を何にするのかも、AIには判断できない。今後AIが登場人物の性別や性格に応じて一人称を判断できるようになるのかというと、僕はならないような気がするんですよね。それはそもそも人間の翻訳家の仕事で、AIの仕事ではないと思います。
それから、できるだけ英語の情報の順番を変えずに訳さなければならないのに、翻訳ソフトは、関係代名詞や接続詞の後ろから前へひっくり返して日本語にすることが多い。それも問題です。
間違えた訳を後戻りして訂正できないという欠点もありますね。例えば「right」という英語は、「右」という意味もあれば、「権利」という意味もある。本当は初出から「権利」と訳さないといけない所を、最初に間違えて「右」と訳していて、後から間違いに気づいた場合、人間なら最初に戻って「権利」に訳し直せます。でも翻訳ソフトは、途中まで訳した段階で前の「右」を「権利」に訳し直すことができない。
そうした欠点がいつ改良されるのかが、とても楽しみなんです。そうなってくると面白い。何百ページでも、放り込めばすぐに訳してくれますからね。時間が節約できて便利です。
──今後チャレンジしてみたいことはありますか。
来年3月に大学を退職するのですが、今更チャレンジしたいことはないなぁ。昔なら出版社を立ち上げるとか考えたと思いますが、70歳になってからはないです(笑)。講演会には呼ばれれば行きますよ。
──翻訳の仕事には、ただ訳すだけでなく、出版社に原書の魅力を伝える営業のような力が必要だと知りました。書評や読書案内でも名高い金原さんは、本の目利きでもあり、その面白さを伝えるプロでもあるのだと感じます。
穏やかながら茶目っ気のある人柄で、今年で70歳とは思えない若々しさ! 一線を退かれるのは寂しいですが、これからも金原さんの翻訳作品を味わいたいと思います。ありがとうございました。
※記事の情報は2024年7月16日時点のものです。
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【PROFILE】
金原瑞人(かねはら・みずひと)
翻訳家、法政大学社会学部教授(2025年3月末に退職予定)
1954年、岡山県生まれ。児童書やヤングアダルト向けの作品のほか、一般書、ノンフィクションなど、翻訳書は約640点。訳書に「豚の死なない日」(ロバート・ニュートン・ペック著)、「青空のむこう」(アレックス・シアラー著)、「国のない男」(カート・ヴォネガット著)、「不思議を売る男」(ジェラルディン・マコックラン著)、「バーティミアス」(ジョナサン・ストラウド著)、「月と六ペンス」(サマセット・モーム著)、「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」(リック・リオーダン著)、「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」(マーギー・プロイス著)、「さよならを待つふたりのために」(ジョン・グリーン著)など。エッセイ集に「翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった」「翻訳のさじかげん」など。日本の古典の翻案に「雨月物語」「仮名手本忠臣蔵」「怪談牡丹灯籠」など。
金原瑞人 公式サイト
https://kanehara.jp/
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