僕の仕事は、すべてのビジュアルを決めること、映る人全員の設定を考えること。

アート

犬童一心さん 映画監督〈インタビュー〉

僕の仕事は、すべてのビジュアルを決めること、映る人全員の設定を考えること。

犬童一心監督インタビューその②。映画作りにおいて監督は何を考え、何をしているのか。なかなか知ることのできない映画監督の仕事の実際について、お話しいただきます。

頼まれて撮る映画にも、自分の趣味をつぎ込む。

――映画監督のお仕事は、依頼されて取り組んだり、自分からやりたいものを企画したり、いろいろな場合があると思います。たとえば「眉山」は「依頼された映画」とおっしゃいましたが、一方で「黄色い涙」は、監督のほうが「こういう映画を作りたい」と持ちかけたというお話を、あるインタビューで読みました。

あれは、ちょっとしたことでジャニーズ事務所のジュリーさんと知り合いになって、「うちに嵐っていうグループがいて、よかったら見に行きませんか」って誘われたんです。それまでジャニーズのグループに注目したことはなかったんですが、横浜アリーナに行って嵐を見たら、あまりにも素晴らしい、すごいグループだと思った。5人組の組み合わせが素晴らしいんですよ。

コンビニの前で部活帰りに集まってる中学生5人組がいて、パンとか食べながら楽しそうに話しているんだけど、塾があるヤツが「じゃあ俺そろそろ行かなきゃいけないから」って行っちゃう、みんなもそれを普通に送るみたいな、そういう風景がピッタリ合う。5人が本当にフラットなんです。

そのときは映画を撮るつもりで見ていなかったけれど、そのあとにジュリーさんに、二宮君で何か映画を撮れないですかって言われたんです。そのころ二宮君は俳優としてだんだん台頭してきていました。僕も二宮君は俳優として素晴らしいと思っていたんですけど、撮るなら「嵐」で撮りたいと思ったから「すみません、それ全員じゃダメですか」って頼んだんです。

それで題材を何にするかって考えたとき、僕は中学のとき、永島慎二さんの漫画を市川森一さんが脚色したドラマ「黄色い涙」がすごく好きで、でも映画にするのは難しいなって思っていた。でも、このタイミングだったらやれると思った。ジュリーさんにどうですかねって相談したらオーケーになって、それで撮れたんです。ジュリーさんのおかげです。

「黄色い涙」、「のぼうの城」も、「ジョゼと虎と魚たち」も「メゾン・ド・ヒミコ」も「金髪の草原」も自分で撮りたかった映画です。「引っ越し大名!」や「最高の人生の見つけ方」は依頼された映画ですけど、その前に撮っていたWOWOWの「夢を与える」とか「グーグーだって猫である」のテレビドラマ版は、自分の企画です。やりたいもの、依頼されたもの、作品を半々くらいにできればいいなと思っています。

「引っ越し大名!」は、監督を依頼されたわりには、すごく個人的な趣味の映画ですね。原作者の土橋章宏さんが脚本を書いているんですけど、僕は自分がすごく好きだった昔の東映時代劇の、沢島忠監督の映画のテイストを試してみたくて、土橋さんはそれをよく理解してくれました。映画には歌ったり踊ったりするシーンがありますが、原作には歌ったり踊ったりっていうのはありません。原作には斬り合いの場面もないんです。

水戸黄門とかもそうですけど、昔の東映時代劇の斬り合いっていうのは、ダンスに近いんですよ。物語が進行したところでクライマックスのダンスがあって、最後に収束する。だから斬り合いはするけど、どう見ても人が死んでる感じはしないんですよね。血も出ないし。いわゆる剣舞です。斬り合いをダンスとして映画の中に取り込むっていうことが、昔の映画は多かったんです。そうした、ダンスとしての殺陣は、やってみたかったことでした。

侍が百姓に変装して物を運ぶというのも、原作にはないんです。いま生きている人たちって国としてはどんどん借金をして、自分が死んだあとのことは考えないで死んでいく人が多い。映画って嘘だから、そういうのはやめよう、使わなくていいお金は大変だけど使わないでおこう、って言うやつがいてもいいかなと。

映画って嘘だから、そういうのはやめよう、使わなくていいお金は大変だけど使わないでおこう、って言うやつがいてもいいかなと。

考えるのはビジュアル。「これはまずい」と気づくことが大切。

――「引っ越し大名!」で高橋一生さんが演じた、槍を使う殺陣はカッコ良かったですね。

殺陣で高橋君が使う槍は、行列の先頭が持って歩いていたものです。あの槍は、原作にもはじめのシナリオにもなかったものです。

映画を作るときに何を考えているかって言うと、基本はビジュアルです。ビジュアルは脚本にはほとんど書いていないんですよ。どんな格好をしているかもみんな知らないし、引っ越しの場面が、それが本当はどういう画なのかまでは、誰も考えていないんです。

でも監督は、藩が引っ越しをするという映画を、具体的に考えていなきゃいけないんですね。どういう人が、何を運んでいるかとか、どういうロングショットになるかとか、僕が決めない限り誰も決められない。

その引っ越しの画を考えたときに、ものすごくまずいなって、ずっと思っていたわけです。「キー」が無いんです。普通の参勤交代と違う、引っ越しの行列だということが分かるような、どこでどうカットを撮っても分かるキーがないと。

参勤交代の列とひとつ違うのは、女性や子供、老人や病人も連れているっていうことです。ああいう行列は、実は時代劇でほとんど見たことがないんです。だからそれは必ず強調して撮るようにしました。それでもまだ、引き画になるとまだ、運んでいるものの中心がなくて、なんとなく雑多になってしまう。

他の藩も引っ越しするでしょうから、松平家の引っ越しだって分かるものを運んでなきゃいけない。それをずっと探していたけど結局見つからなくて、自分でリサーチャーを雇って探してもらったら、そのリサーチャーの女性があの槍を見つけてきたんです。「松平家には家宝がありますよ」って写真を見せてくれた。これはどういうものですかって聞いたら、行列の先頭で持って歩くものだという。それ最高だなと思って。それで京都に行って美術の人に作ってくれないかって頼んだんです。どんな引き画でも、あの槍が写るんですね。

高橋一生さんのキャラクターは、主人公が成長するから、彼は成長しない剣劇バカみたいなキャラクターにしたかった。僕は必ずしも人は成長する必要がないと思っているんです。押しつけがましいというか、魅力的な人がそのままだったらそれでいいじゃん、みたいな。一生さんが最後に殺陣をするのは決まっていた。でも殺陣って、長くすると、ネタが尽きるんですね。頑張っていろいろやっても、刀で人を斬るだけです。身体全体のアクションで退屈にさせないようにすることもありますが、「引っ越し大名!」はそういう映画じゃないわけです。ダンスだから。

殺陣の後半に大ネタがいるなと思ってたら、その家宝が、抜いたら槍になるっていうことを知った。これ鞘なんだ、これ抜けば人と戦えるんだってことに気がついて、京都に入る直前になって、一生さんがその槍で戦うっていう話に変えたんです。家宝を使えるからめちゃくちゃ喜ぶっていうのを足して、話をつなげている。うまく槍を見つけてくれたから全部できるようになったけど、ギリギリだったんですよ。

そういうことは、思いつかないまま終わっている場合もあると思うんです。ただ、これまずい、解決しよう、と思ってると自分がダメでも誰かが解決してくれる可能性はある。ここがまずいと気付くのが仕事みたいな感じです。

そもそもシナリオのストーリーが面白いと、誰もまずいと思っていなかったりするんです。みんな意外と、小説を読むのと同じになっちゃう。たとえば泣ける場面があったら、いいセリフだなとか、いい場面だなとか、そういうことばっかり見ている。やっぱり自分が撮らないから。

だけど、僕は映画を一つずつ画という具体として指示しなきゃいけない。そうすると、何かまずいよな、ってなるんです。行列も、シナリオには何を運んでいるかなどは細かく書いてない。「引っ越しの行列が長く続いている」とか書いてあるだけです。

僕がそれを心配すると、助監督も心配するようになって、引っ越しのときに運んでいたものはこういうものだとかは調べるんですね。でも、もっとないの?みたいに言っていると、見つけてくれる人を起用すれば見つけてくれる。

――心配したり疑問に思ったりする能力が、監督のお仕事で非常に重要だということですね。

そうです。一番はビジュアルですね。シナリオの構成ができてきたら、画を具体化していく。

ビジュアルは自分で見つける場合もあるんですけど、完全に人に委ねるやり方もあります。


各役柄に1着ずつだけだった「メゾン・ド・ヒミコ」の衣装。

ビジュアルは自分で見つける場合もあるんですけど、完全に人に委ねるやり方もあります。「メゾン・ド・ヒミコ」のときは、プロデューサーに、スタイリストは絶対に北村道子さんにしてくれって頼んだんですよ。北村さんとは仕事をしたことはなかったけれど、ものすごい人だっていうのが分かっていて、この映画には絶対に合うと思ったわけです。

北村道子さんに頼むんだったら、僕はこういうふうにしたいですとかひとことも言わないって決心するんです。「僕はまったく想像ができないんです」と脚本を渡す。そのほうが北村さんは「自分は絶対こうだ」っていうのを出してくる。いろいろ言って刺激したほうがいい人もいるけど、100%お任せしたほうがいい人もいいます。

「ジョゼと虎と魚たち」の音楽も、くるりに頼んだんですけど、音楽録音にも行かなかったんです。シナリオの説明だけしたらずっと会わない。音楽録音の日が決まると来てくれとか言われるわけですが、「ちょっと用事があって行けないんだ」って言って行かない。どこに曲を付けるかも相談しないで、つけたいと思われるところにつけてもらう。他の映画ではやらないけど、この人たちはそのほうがいいと思ったんです。言わないほうがいいなっていう人の場合は、何も言わない作戦です。

――それで、監督の想像通りのものになるのでしょうか。

北村さんの衣装に関しては、想像が全くできないぐらい素晴らしいなと思いました。全員分の衣装を用意して、一日でファッションショー的に見せてくれたんですよ。絶対に僕が考えても探しても用意できないし、全部のキャラクターに本当にぴったりでした。

すごいなと思ったのは、北村さんは「衣装は一人1着です」って言うんです。卑弥呼が病気になって寝ているときは違ったりしますけど、基本1着です。

言われたときには「1着なんですか」とは思ったけど、要はキャラクターなんだということです。マンガのキャラクターってずっと同じだったりしますよね。「ど根性ガエル」だったらカエルのTシャツで、悲しいシーンも笑えるシーンも、夏も冬も全部一緒です。リアリズムではなくキャラクター。それまであんまり考えたこともなかったけど、北村さんに言われて初めて気づきました。

一人だけスタイリストを別にした柴咲コウさんを除くと、ずっと全員同じです。他の老人たちもみんな1着しか着ていない。オダギリ君の白いシャツだけ2着あったんですけど、それは白は汚れやすいという都合があったからです。

――任せるにしても、自分で考えるにしても、監督はビジュアルに非常にこだわらなければならないわけですね。

画、だから、具体の積み重ねです。主人公の気持ちとか、話しがうまく流れているか、うまく省略できているか、それは事前に脚本家と一緒にやります。でもビジュアルに関しては、いろんな手を使って頭からお尻まで僕が全部具体でやらなきゃいけない。ロケ地を探して実景ショットも決めなきゃいけないし、映るものを全部決めなきゃいけないのです。

エキストラの一人ひとりが、主人公とは別の物語を持っている。


エキストラの一人ひとりが、主人公とは別の物語を持っている。

――脚本に書いてないということでビジュアルの話が出ましたが、ビジュアル以外にも、現場では膨大なことを決める必要がありますよね。

俳優もエキストラも、映る人に関しては、その人って今こうだろうなとか、社会構造のなかでどういう立ち位置にいる人だとか、いま追い詰められているとか幸せだとか、たとえばそこに何人いたとしても、時間がある限り全員に設定を加えます。

たとえば、メインの二人がいて何かしている背景に、受付嬢がいるとします。二人の物語の内容を全く知らないその受付嬢が映るとき、彼女がこの二人のことをどう見ているかっていう設定を、受付嬢役の人に言います。

「なんかすごい騒いでいてうるさくて周りのお客さんの邪魔になっているから、ひとこと言いたいけど、気が弱くてもうちょっと我慢しようかなと思ってる」とか。何もセリフはないけどそういうつもりでいて、と言います。そうすると、その人はセリフはなくてもそういうふうにいてくれます。それをその場の全員にやっていくということです。店のなかに「ただいる客」、通り過ぎる人だとかでも、細かく作っていきます。

ここに主人公たちの物語があるけど、周りにはそんなことをまったく重要だと思っていない世界が普通にある。そっちはそっちで、その人たちの物語を持っている。それをミックスしていくんです。主人公たち以外のことはほとんどの人が見ていないんですけどね。

スーパーマーケットに吉永小百合がいる。でもスーパーにいる他の人たちはぜんぜん関係なくそれぞれの事情でみんな生きている。いる人たち全部の事情を、時間内でできるだけ頑張って作っておいたほうが、主人公の事情が立ちます。

主人公たちが何かをしたせいで周りが巻き込まれるというときも、全員が元の設定を何かしら持っておくと、それぞれのリアクションがちゃんと違います。たとえばエキストラの人に「夕飯のおかずを買いに来ている、近所の団地に住んでいる主婦です。で、団地の上り下りがきついからちょっと腰が痛い」って言うと、もうその人は、何かあったらそういうリアクションをするんですよ。他の人はガッて下がるんだけど、腰が痛いからよろよろって下がるとか。

――その人が勝手にやるのですか?

やります。だから時間があるだけ設定をして、全部具体を言わなくても設定だけは持っておく。そうするとその空間が、主人公だけのものじゃなくなる。

たとえば3,000人の踊りを撮るときも、お客さんの人たちにも、今状況はこうですと具体的に言っておいてから撮ると、やっぱりみんな演技をしてくれるんです。ももクロのお客さんもそうです。

――「最高の人生の見つけ方」の、ももクロのライブシーンですね。実際のライブ中に撮影をされたという。

実際のコンサートの合間に、1万2,000人の観客のみなさんに主人公の二人がどういう状況か説明するんです。あと、ライブの状況だけ説明して、リアクションはどうしてほしいというのは、ほとんど言っていません。あのときの歓声とか、みんながワーッと盛り上がる感じとか拍手とか、そういうのは1万2,000人の一人ひとりが、自分で演じているんですよ。吉永さんやももクロの演技にリアクションしているんです。物語の世界に入ってくれます。そうしてその世界を作っておいて、真ん中の人たちにやってもらうわけです。

脇役もそうだし、エキストラも、時間をかければかけるほど、本当に良くなるんですよ。でも僕はエキストラの演出にかける時間が長くて評判が悪いから、最近は減らしているんですけど(笑)。

――「最高の人生の見つけ方」には、結婚式のシーンでエキストラの方にエキストラの役をやってもらうというのもありましたね。

あの人たちは地元のエキストラです。みんな素人ですがすごくいい演技をしてくれました。ムロツヨシさんの演技に対するリアクションとか、人間ムロさんに本当にリアクションしているんですよ。前川清さんが話すと泣いている人もいる。前川さんと吉永さん、ムロさんという俳優の力で、エキストラもその気になってくるんです。

――旦那さん役の前川清さんも素晴らしい存在感でした。あのキャスティングは誰の発案なんですか。

吉永さんです。キャスティングで悩んでいるときに、吉永さんに「前川清さんはだめですか」って言われた。考えもしなかった。えっ前川清? と思って、そのアイデアはちょっと超えられないなと思ってお願いすることにしました。前川さんには最初は断られたんです。嫌だっていうんじゃなくて「ちょっとそれはムリだよ」って言うんですよ。吉永さんは特別だという思いがある世代だから、その旦那役はムリだって。でも、会いに行って説明して、なんとか出てもらったんです。

吉永さんは、日活をやめたあと吉永小百合っていう個人を自分でずっとプロデュースしてきた人なので、考え抜いて言ってくるんですよ。映画に関してものすごく一所懸命。宣伝のためにいっぱい地方を回ってくれるし、一本一本の映画をちゃんとやらないと気が済まないんです。

映画に関してものすごく一所懸命。


「撮影所の時代」を知る最後の大スター、吉永小百合さんを撮ることの意味。

――「最高の人生の見つけ方」に対する監督の思い入れはどういったものだったのですか。

僕の人生で吉永小百合さんを撮ることがあるとは、想像していませんでした。まるで撮影所の歴史の中に、自分が入るみたいな感じです。吉永さんは最後の撮影所のスターで、山田洋次さんが撮影所の最後の監督でしょう。その二人の映画は、撮影所が映画という文化の中心だった時代の映画です。山田・吉永コンビの映画って、映画自体が今、他にない力を持つんです。本当に。すごく力強くて、過去の撮影所の歴史がちゃんと入っている。

僕にはそれがないから、山田さんの映画みたいにはならないんですけど、吉永さんはやっぱりそういう人です。吉永さんを撮った市川崑とか中平康とか、山田さんもそうだし、そういう監督の人たちが吉永さんの背後にいるみたいな感じがするんですよ。

山崎努さんと一緒にやると分かるんですけど、すごく素晴らしい俳優さんですが、新劇の人であって撮影所の人ではないんですね。黒澤明という巨匠と映画を作ったけど、やっぱり新劇の人なんです。優れた俳優です。谷啓さんはミュージシャンだし、青島幸男さんはテレビの人。でも吉永さんは本当に撮影所のスターという感じがするんです。

――それを感じながら撮っていたということですね。

撮影所時代を知っている人といると「何月にやる映画を撮らなきゃいけない」「出さなきゃいけない」と、とにかくたくさん映画を撮っていた時代の、映画に対する考え方とか、撮影所の歴史に触れられるところがあるんです。

たとえば大映のプロデューサーの藤井浩明さんに会って話していると、その人の後ろに市川崑とか増村保造がいるわけです。「そのときカワシマさんが来てさあ」って言うからカワシマさんって誰と思ったら、川島雄三です。この人のすぐ後ろに川島雄三がいるんだという。

僕にとっては、そういった人たちはすごく遠い存在だったわけですよ。撮影所が終わった時代からしか映画を見ていない。川島雄三や市川崑や中平康をすごいなと思って見ていたけど、その人たちが実在したかどうかすら確信はなくて、こんなすごい人が本当にいたのかくらいに思ってたわけです。藤井さんは亡くなりましたが、自分の人生のそばに、歴史上の人たちと触れたことのある人が、ギリギリいる時代なんだと思いました。

吉永さんと話していたら、バーで藤田敏八さんと演技について熱く話したことがあると言うんです。でもそれ、藤田さんが助監督のころの話なんですよ。僕は、日活ロマンポルノを撮って有名になったあとの藤田敏八しか知らない。でも吉永さんと撮影していると、「そうか、藤田敏八が撮影所で助監督をやっていたんだな」みたいに、歴史と一緒に、行ったことのない撮影所の空気と一緒に映画を撮るような体験になるんです。

――それは嬉しい体験でしたか。

そうですね。映画が好きだから。僕は、日活映画は子供のころに封切られて何年も経ったものをテレビで見ていたわけで、封切っていた時代なんか知らないわけです。日本だけじゃなく世界中に撮影所っていうのがあって、撮影所が工場として大衆のためにどんどん映画を送り出した時代。映画がテレビよりもメインのもので、みんなが見てくれるって確信を持ってやっていた時代です。

戦後のある時代を、子供からお年寄りまですごく幅広い年代の人たちが、「私たちは吉永小百合と一緒に過ごしている」みたいな感覚を持っていた時代ですよね。スターのあり方が違った時代です。


※記事の情報は2020年1月21日時点のものです。


③に続く:犬童一心監督のインタビュー③では、今制作中の田中泯さんのドキュメンタリー映画についてお話をうかがいます。






黄色い涙
監督:犬童一心/出演:二宮和也、相葉雅紀、大野智、櫻井翔、松本潤 永島慎二の漫画作品「若者たち」を原作とし、1974年にテレビドラマ化されたものを映画化。1960年代の東京・阿佐ケ谷を舞台に、それぞれの夢を追い求める青年像を描く。


のぼうの城
監督:犬童一心、樋口真嗣/出演:野村萬斎、佐藤浩市、上地雄輔、山田孝之 不思議な人柄で農民たちから「のぼう様」と親しまれる成田長親が治めることとなった忍城と、攻め落とそうとする石田三成軍。500人対2万人の攻防を、実話に基づいて描いた歴史絵巻。日本アカデミー賞で最優秀美術賞他10部門で優秀賞を受賞。


ジョゼと虎と魚たち
2003年 監督:犬童一心/出演:妻夫木聡、池脇千鶴、上野樹里 大学生の恒夫と、足にハンディキャップを持ちほとんど外に出たことのないジョゼのラブストーリー。芸術選奨映画部門 文部科学大臣新人賞(犬童一心監督)キネマ旬報 最優秀主演男優。


メゾン・ド・ヒミコ
2005年 監督:犬童一心 出演:オダギリジョー、柴咲コウ、田中泯 ゲイのための老人ホームを運営する卑弥呼。自分を捨てた父親である卑弥呼を許せない娘・沙織と死期の迫る卑弥呼、そしてホームの住人たちのさまざまな生き方を描く。


引っ越し大名!
2019年 監督:犬童一心/出演:星野源、高橋一生、高畑充希 幕府から国替えを命じられた姫路藩松平家。藩の引っ越しという大事業を、引っ越し奉行に任命された書庫番が悩みながら進めていく。


夢を与える
2015年 監督:犬童一心 出演:小松菜奈、菊地凛子 WOWWOWの土曜オリジナルドラマで全4回放送。モデルの少女がアイドルになり転落するまでを描いた綿矢りさの小説のドラマ化。


グーグーだって猫である
2008年(映画) 2014年・2016年(テレビドラマ) 監督:犬童一心 大島弓子の漫画作品を原作とした映画作品、及びテレビドラマ作品。映画版は小泉今日子主演。テレビドラマ版は宮沢りえ主演で第1シーズン、第2シーズンが制作・放映された。東京・吉祥寺を舞台に、一人暮らしの売れっ子漫画家と猫たちの生活、周囲の人々との日々を描く。

  • プロフィール画像 犬童一心さん 映画監督〈インタビュー〉

    【PROFILE】

    犬童一心(いぬどう いっしん)
    1960年生まれ。高校時代より映画製作を行い、「気分を変えて?」(78)がぴあフィルムフエスティバル入選。大学時代、池袋文芸座と提携して16mm作品「赤すいか黄すいか」(82)、8mm作品「夏がいっぱい物語」を発表。大学卒業後CM演出家としてTV-CMの企画・演出を手掛け、数々の広告賞を受賞。
    その後、インディーズ作品「二人が喋ってる。」(95)が、映画監督協会新人賞、サンダンスフィルムフェスティバルin東京グランプリを受賞。1998年に市川準監督の「大阪物語」の脚本執筆を手がけ、本格的に映画界へ進出。
    1999年に「金髪の草原」で商業映画監督デビュー、夕張ファンタスティック映画祭グランプリを受賞。2003年には、「ジョゼと虎と魚たち」にて第54回芸術選奨文部科学大臣新人賞。2005年「メゾン・ド・ヒミコ」で56回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。「眉山 びざん」(07)、「ゼロの焦点」(09)、「のぼうの城」(13)で日本アカデミー賞優秀作品賞・監督賞。「黄泉がえり」(03)、「ゼロの焦点」(09)で日本アカデミー賞優秀脚本賞。テレビドラマ「グーグーだって猫である」(16)放送文化基金賞。

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