アート
2021.05.18
周防正行さん 映画監督〈インタビュー〉
周防正行監督 | テーマは探さない。出合いを待つ。 Part3
1992年の「シコふんじゃった。」では日本アカデミー賞最優秀作品賞を、そして1996年の「Shall we ダンス?」では日本アカデミー賞13部門をはじめ、様々な映画賞を総なめにした周防正行映画監督。2019年には成田凌さんが初主演を務めた「カツベン!」も大ヒットを記録しました。そんな周防監督に映画作りについて、そしてそのアイデアや創造性の源泉について、3回に分けてお話をうかがいました。第3回は今の時代に映画監督・映像作家になるにはどうすればいいのか。そして映画のテーマの見つけ方などについてうかがいました。
好きな映画を何度も見て、シナリオを読んで分析する
――周防監督に憧れて映画監督や映像作家を目指す方もこのインタビューを読んでいると思います。動画サイトが隆盛を誇る昨今ですが、映画監督になるためには、どんなことをすればいいのでしょうか。
僕が監督になりたいと思った時代は、1年に1人新人監督が出るだけで大変な話題になるような時代でしたが、今はずいぶん映画監督になりやすい時代だと思います。YouTubeなどが発表の場としてあって、そこで面白いものを見せることでプロデューサーの目に留まることもあるだろうし、いろいろなシナリオコンクールに応募することもできますから、今の方が監督になるチャンスは、はるかに多いと思います。ただ誰でも簡単に参入できるということは、新しい人がどんどん出てくるわけです。だから作り続けるのは大変かもしれません。
――映画監督になるためにはどんな勉強をしたらいいでしょうか。
映画の勉強で僕が必ず勧めるのは、大好きな映画を何回も何回も見て、その映画を徹底的に分析することです。大好きになったということは、その映画に自分の琴線に触れる何かがあるわけだから、それが何なのかを追求するんです。そうすることで監督の意図、何をどう描こうとしたのかも分かってきて、何よりも自分が何に惹かれたのかも分かってきます。
――何回ぐらい見るのですか。
今だったら何回も見られるでしょう? 僕の時代は映画館に行くしかなかったから、映画館に通って小津安二郎監督の映画を何回も見ました。小津さんの特集があれば必ず行っていましたね。それと小津さんのシナリオも手元に置いていました。映画を研究するのであればシナリオもよく読むべきだと思います。
――シナリオを見ながら、映画を深く深く分析するわけですね。
そうです。映画を見て、ただ「面白かった」で終わるのではなく、なんでこのシーンが最初に来て、このシーンがその後に来るのかとか、このシーンのカットの始まりは何で、終わりは何なのかとか、そういった細部まで追求すべきだと思うんですよね。料理人もそうですよね。ごちそうさま! で終わりではなく、「この出汁は何?」って思いますよね。
シナリオを書き上げるだけでレベルが1段上がる
それと僕が勧めているのは、自分でシナリオを書くことです。面白くても、つまらなくてもいい。とにかくシナリオを最後まで書き終えたら、それだけでレベルが1段上がったと思っていいです。それほどシナリオを書くことは大変なんですよ。たいていは、まず何を書いたらいいか、何を撮ったらいいかが分からないんですよね。
――何を撮るのか、そのテーマを見つけるのが難しいということですか。
そうです。だから撮りたいものがすでにある人はすごいですよ。ある意味ゴールに近いです。撮りたいものがあるなら、あとはどう撮るかを考えればいい。撮りたいものがない人は大変ですよ。だからシナリオを書くってすごく大変なんです。だって登場人物一人ひとりの性格から、セリフの一言一言まで、全部作っていくわけですからね、自分は何を撮りたいのかを客観的に捉えて。それは面白いっちゃ面白いけど、大変なことではあります。
――映画のシナリオを書くのに、どのくらいの時間がかかるんですか。
人によってだと思います。僕はすごく時間がかかるほうだけど、速書きの人もいるし、昔のシナリオライターの仕事とかっていうと、本当に次から次へと書いていますしね。
それまでの考えを変えざるを得ないようなテーマに出合いたい
――「何が撮りたいのか」が大切というお話ですが、周防監督はいつも映画のテーマやアイデアを探しているのですか。
いや、探さないです。それでも絶対無意識には探しちゃうんですけど、できるだけ探さないようにしています。あまり普段から映画を撮るために何かを観察することはしていないですね。映画にならないかなと探しながらものを見ることは、自分のセンスでテーマを探していることになるので。
探すという行為は、自分の中の具体的な映画のイメージがあって、無意識に自分が求めているものを探すことになりますよね。そうじゃなくて、映画になるとかならないじゃなくて、普通に興味を持ったもの、それまでの考え方を変えていかざるを得なくなるようなものに出合いたいし、それが面白いんです。僕だってまさか修行僧や学生相撲、社交ダンス、そして裁判に出合うとは思ってもいませんでした。
――監督というお仕事はいつも好奇心をもって映画のテーマになるものを探しているのかと思いました。
ものを創造するきっかけって、いろいろあると思うんですよね。例えば野球が大好きだから、俺が野球映画の傑作を作ろう! というやり方もあるでしょう。また逆に野球なんか見たこともない人が、「何これ、ルールよく分かんない」と思いながら野球映画を作る可能性だってあるわけじゃないですか。僕にとっての「それでもボクはやってない」は後者です。なおかつ、多くの人も裁判なんか見たことも経験したこともないわけだから、みんな僕と同じように裁判を誤解しているだろうと思ってやったわけです。
――「それでもボクはやってない」は、新聞記事を見たところから始まったわけですから、この映画を作るチャンスは誰にでもあったわけですよね。
誰にでも作るチャンスはあったと思います。是枝裕和監督の「万引き家族」も、新聞に載った不正受給の小さな記事がきっかけだったようですけど、そういうように、何かが触れるんですよ、心に、きっと。
――監督は常に撮りたいものをいくつかお持ちなんですか。
漠然と考えていることはあります。でも漠然と考えていることと、実際に調べていって浮かび上がってくるものは違います。浮かび上がってきたものが面白くなければボツになるし、調べれば調べるほど「え?こうなの?」って驚きがあれば、映画になる可能性があります。だからものになった企画は、知らない間に突き進んでいるんです。もし突き進んでいないなら、それはきっとダメ。 自分には向いていないテーマだったということです。
――テーマを見つけてから実際に映画になる打率って、何割ぐらいですか。
僕は取材に着手する数が少ないから、半分ぐらいじゃないですかね。ただし「舞妓はレディ」みたいに、やりたいけど今じゃないよなと思い続ける作品もあります。「舞妓はレディ」は実は「Shall we ダンス?」より前でしたから、着想から20年目にしてできた映画です。もともと「舞妓はレディ」は「シコふんじゃった。」の後の企画でした。その取材をしている最中に「Shall we ダンス?」を思いついちゃって。舞妓の取材をしている時、スタッフと一緒にある地方にシナリオハンティングに行った先で、なぜか僕は「Shall we ダンス?」の話を一生懸命していて、いつのまにか舞妓そっちのけで、社交ダンスに突き進んで行っちゃったんですよ。
とはいえそんなにコンスタントに撮ってきた人間ではないので、いつも自分の興味の赴くままにやっています。
舞妓はレディ
――大変面白いお話をありがとうございました。今後の作品も楽しみにしています!
※記事の情報は2021年5月18日時点のものです。
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【PROFILE】
映画監督。1956年生まれ。東京都出身。立教大学文学部仏文科在学中、映画評論家の蓮實重彦の講義を受けて感銘したのをきっかけに映画監督を志し自主映画を製作し始める。高橋伴明監督に志願し電話番からキャリアをスタート。助監督として年間10本以上の作品に参加し高橋伴明監督はもとより若松孝二監督、井筒和幸監督らの作品にも参加。その後「スキャンティドール 脱ぎたての香り」で1984年に脚本デビュー。同年、小津安二郎監督にオマージュを捧げた「変態家族 兄貴の嫁さん」で監督デビュー。異彩を放つこの作品で注目の人となる。1989年、本木雅弘主演「ファンシイダンス」で一般映画監督デビュー。修行僧の青春を独特のユーモアで描き出し大きな話題を呼び、再び本木雅弘と組んだ1992年の「シコふんじゃった。」では学生相撲の世界を描き、第16回日本アカデミー賞最優秀作品賞をはじめ、数々の映画賞を受賞。1993年、映画製作プロダクション・アルタミラピクチャーズの設立に参加。1996年の「Shall we ダンス?」では、第20回日本アカデミー賞最優秀賞13部門独占受賞。同作は全世界で公開され、2005年にはハリウッドリメイク版も制作され、2013年には宝塚歌劇団が舞台化した。2007年公開の「それでもボクはやってない」では、日本の刑事裁判の内実を描いてセンセーションを巻き起こし、キネマ旬報日本映画ベストワンなど各映画賞を総なめにし、2008年、第58回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2011年6月に発足した法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員に選ばれる。同年には巨匠ローラン・プティのバレエ作品を映画化した「ダンシング・チャップリン」を発表。銀座テアトルシネマでロングランヒットを記録。2012年「終(つい)の信託」では、終末医療という題材に挑み、毎日映画コンクール日本映画大賞など映画賞を多数受賞。2014年の「舞妓はレディ」では、個性的な歌と踊りとともに京都の花街を色鮮やかに描き出し、2018年には博多座で舞台化され好評を博した。
2016年、紫綬褒章を受章。2018年、立教大学相撲部名誉監督就任。2019年より「再審法改正をめざす市民の会」共同代表としても活動。最新作は、映画がまだサイレント(無声)だった大正時代に大活躍した活動弁士たちを描いた「カツベン!」(2019年公開)。
《主な著書》
◎小説・エッセイ・ノンフィクション
・ シコふんじゃった。(1991年 太田出版/1995年 集英社文庫)
・ Shall we ダンス? 周防正行の世界(1996年 ワイズ出版)
・ Shall we ダンス?(1996年 幻冬舎/1999年 幻冬舎文庫)
・ 「Shall we ダンス?」アメリカを行く(1998年 太田出版/2001年 文春文庫)
・ スタジアムへ行こう!周防正行のスポーツ観戦記(2000年 角川書店)
・ インド待ち(2001年 集英社)
・ アメリカ人が作った「Shall we dance?」(2005年 太田出版)
・ それでもボクはやってない─日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!(2007年 幻冬舎)
・ 周防正行のバレエ入門(2011年 太田出版)
・ それでもボクは会議で闘う──ドキュメント刑事司法改革(2015年 岩波書店)
◎対談・インタビュー
・ 古田式(2001年 太田出版) - 古田敦也氏との共著
・ ファンの皆様おめでとうございます(2002年 大巧社) - 若松勉氏との共著
周防正行ウェブサイト(株式会社アルタミラピクチャーズ)
http://altamira.jp/suo.html
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